けれど(Credo)

I:キリシタン信仰と殉教 II:ファチマと現代世界 III:カトリック典礼、グレゴリオ聖歌 IV:「聖と俗」雑感

こんひるまさん

2006年06月26日 | Weblog
 七つのさからめんとの第二はこんひるまさん(Confirmacan=堅振)である。これはきりずま(Crizma)とも言われる。これはばうちずもを授かった人にびすぽ(Bispo=司教)が授ける重要なさからめんとである。

 このさからめんとによってでうすは信徒に新しいがらさを与え給い、ばうちずもの時に受けたひいですを強め(confirm)給うのである。そして必要なときには、万民の前で自己のひいですを公言する力をくださるのである。だからそのような幸せを受けることができるからして、このさからめんとを授からずにいることはできない、とどちりなきりしたんは教えている。以上のような簡単な説明でこんひるまさんの部分は終わっている。

 公教要理は「堅振とは、完全なキリスト信者とならせるために、聖霊と其の賜物とを豊かに受けさせる秘蹟である」と述べている。聖霊の賜物とは「聖霊のす すめにたやすく速かに従わせるために、人の智慧を照らし、心を強める、徳に優れた超自然の賜物である。」それは、専ら天主のことを重んじ味わわせる御恵で ある上智、教えを悟らせ、之を心に浸み込ませる御恵である聡明、天主の御栄と自分の救霊のためになることを選ばせる御恵である賢慮、救霊の妨げとなるもの に打ち克たせる御恵である剛毅、天主の御旨に従って世の中の物事を悟らせ、之を用いさせる御恵である知識、孝子の心を以て楽しく天主に仕えさせる御恵であ る孝愛、天主を敬わせ、其の御旨に逆うことを畏れさせる御恵である敬畏の七つであり、これらの聖霊の賜物によって、人は信仰を強められ、キリストの兵士と なり、戦う教会 Ecclesia militant の一員となるのである。

 こんひるまさんきりずまとも言われるが、きりずま(Crizma, chrism)とはオリーブ油とバルサムを混ぜたもので、司教によって聖別されて聖香油とされ、堅振式の時に司教はこれを受堅者の額に塗りながら、「われ は十字架のしるしをもって汝にしるしをし、父と子と聖霊との御名によりて、救いの聖香油をもって汝を強める」という祈りを唱える。最後に司教は受堅者の頬 を軽く打つが、これは受堅者に、キリストのためにはあらゆることを、時には死さえも、忍ぶ準備ができていなければならないことを思い知らせるためである。

 以上のように、こんひるまさんさからめんとは、 この世にあってさまざまの誘惑に取り巻かれているきりしたん、われわれキリスト者が信仰と道徳の危機の時代に立ち向かうために必要な力を与えてくれる重要 な秘蹟なのである。堅振の秘蹟によってわれわれは一人前のキリスト者とされ、キリストのために戦う兵士とされるということをわれわれはもう一度思い起こす 必要があるではないか?キリストの敵と戦うことを放棄して戦場離脱をし、あまつさえ、敵に身を投じて敵のために働く者になっていないかどうか?融和、対 話、赦し、平和という標語はわれわれに塗られたきりずま(われわれを戦いにおいて強める聖なる香油)の意味を忘れさせる危険を多分に持っていないか?反戦・平和運動やエキュメニズム運動はさからめんとであるこんひるまさんを無視する陰謀ではないか?

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