けれど(Credo)

I:キリシタン信仰と殉教 II:ファチマと現代世界 III:カトリック典礼、グレゴリオ聖歌 IV:「聖と俗」雑感

ファチマ・クルーセイダー

2012年12月19日 | Weblog
天の元后喜び給え!アレルヤ!(続き)

The Fatima Crusader Issue 92, May 2009 より

ニコラス・グルーナー神父、B.Comm., S.T.L., S.T.D.(Cand.)

一つの希望に満ちたしるし

そのような情報は、彼らがファチマ・メッセージをほんの僅かでさえ真剣に受け取っていたと私は考えていなかったがゆえに、ある仕方で一つの希望に満ちたしるしである。しかし驚いたことに、枢機卿国務長官[ベルトーネ枢機卿]は実際にロシア正教会総主教に彼らが問題にするかどうかを尋ねたのである。

われわれが30年間にわたって置き去りにされていた荒廃した時代を考慮に入れて、一人の大司教が直接私に次のように語ったということを考慮に入れて、彼ら(バチカン)がそのことについて実際に考えているということは希望の一つのしるしである。

「グルーナー神父、あなたは荒野に叫ぶ一つの声です!私はあなたのために打席に立つために行こうと努力しました。私はバチカンにおける非常に高位の役職者たち(大司教たちと枢機卿たち)に話しました。そして彼らは聞くことを望まないのです。」

少なくとも一人の司教はそれは私、グルーナー神父ではないということを認めた。彼は私がしているすべてのことはファチマのメッセージを繰り返すことであるということを認めた。しかし彼らは私に耳を貸すことを望んでいない。

明らかに多くのバチカン高官たちは私の名を聞くことさえ望んでいない。彼らは、何らかの仕方でトラブルがただ行ってしまうことを望みながら、頭を砂の中に潜らせているダチョウのようになんとかしてなったのである。

私は単なるメッセンジャーである。私は扱いにくい者[the problem]ではない。問題は罪の重さ、信頼のおける司祭たち、司教たち、枢機卿たちの間に、バチカンにおいてさえ、- ことによると教皇の職務にも触れさえする - 進行している大きな背教である。教皇もまた、他のすべての人間以上にファチマの聖母に従う必要があるとは考えておられない。

唯一の脱出の道

ただ一つの脱出の道がある。それはロシア奉献の道である。しかし多くの人々にとって、そのことは一つの誇張のように見えるかもしれない。ファチマの聖母に献身していると主張する人々でさえ、もしファチマの聖母に直ちに従わないならば、数十億、すなわち、非常に多くの人々が永遠にわたって地獄に堕ちるであろうとわれわれが言うとき、われわれは誇張しているのだと考える。それは今日生きている人々、あなたが知っている人々、ことによるとあなたの家族の一人ひとり、ことによるとあなたが街で、あるいはあなたの仕事場で、あるいはあなたの小教区教会で出会う一人ひとりである。数十億人の霊魂である!彼らは、そのようなことをわれわれはどのようにして言うことができるのか、とわれわれに尋ねる。ある司祭たちはそのような発言によって憤慨をかっている。現在生きていて、永遠にわたって地獄に行く数十億の霊魂の喪失は、ロシアの奉献がごく近いうちになされないならば、そしてなされない限り、あるいは少なくとも第三の秘密がごく近いうちに完全に公表されない限り、非常にありそうなことである。

そのようなことをわれわれはどのようにして言うことができるのか?まず第一に、もし秋田のメッセージが天主からのものであるならば(そしてラッツィンガー枢機卿はそれが信じるに値するものであると言われた)、そしてもしそれが人類の大部分が来るべき懲罰の中で死ぬであろうとわれわれに告げているならば、そのことは少なくとも三十億人の人々、少なくとも世界人口の半分が死ぬであろうということを意味している。

ところで、唯一、聖、公、使徒伝承の教会の外では、誰も救われることはできないということはカトリック信仰の一つの教義であるから、救われことができる唯一の人々はカトリック教徒であるということが帰結する。そこでもしすべてのカトリック教徒がこの懲罰において死んだならば、突然死ぬであろうカトリック教徒ではない他の人々がなお二十億人いることになるであろう。

永遠にわたって来るべき懲罰において数十億人が地獄に落とされるということは非常に信じがたいことである。しかしもしあなたが[この号の]p.12 にあるポート・モーリスの聖レオナルドによって書かれた論攷「救われる人々の小さな数」を読まれるならば、あなたは、彼が他の多くの聖人たちと共に、成人のカトリック教徒の大部分は、彼らが自分たちの罪を痛悔しないがゆえに、あるいはよい告解をしないがゆえに、彼らが全然告解に行かないがゆえに、そして彼らが神の律法を守らないがゆえに、永遠にわたって地獄に落とされると主張しているのを見るであろう。

われわれが街で、仕事の実践において、新聞においてわれわれの周りに見ていることを眺めると - 不道徳、殺人、その多くの形式における罪が公的領域において、教会においてさえ、称賛され、正当化され、そして擁護されている。

背教のこの時代に、ポート・モーリスの聖レオナルドの時代よりももっと多くの霊魂たちが救われるということがどのようにして可能であり得るのか?

それゆえ、われわれ一人ひとりにとって、まず第一に、われわれ自身の救いに注意することはよいことである。われわれはまた、われわれの友人たち、親族たち、隣人たち、司祭たちそして司教たちそしてわれらの教皇の他の多くの人々を救うために、彼らのために祈ることによって、彼らのために犠牲することによって、われわれ自身の救いそして次に彼らの救いを確保するためにわれわれができるすべてのことをすることによって、われわれができるすべてのことをしなければならないのである。聖ヤコブはわれわれに天主に近づくように、そうすれば天主はあなたに近づかれるであろうと告げている。

聖ペトロはこう言っている:「されば兄弟たちよ、汝らの召されしこと、選まれしことを善業をもっていよいよ固うするに努めよ、もし汝らこのことをなすならば、汝らいつも罪に陥ることなかるべし。」(ペトロ後書1:11)それが、私があなたに聖レオナルドの論攷を読むように勧める理由である。

私はまたあなたに、しばしばそして熱心にあなたのロザリオを祈るように、そして罪人たちのために祈りそして犠牲をするように、勧める。われらの主はファチマで子どもたちに、多くの霊魂たちは彼らのために祈り、あるいは彼らのために犠牲をする人が誰もいないがゆえに、地獄に行くだろうと告げられた。

やる気を失ってはいけない

あなたの霊魂を救うことの諸々の困難、道の険しさにやる気を失わないようにしよう。われらの主はシスター・ルチアに、人々が罪滅ぼしという言葉を聞くとき、彼らのうちの多くの者がやる気を失うようになる、と言われた。われらの主は、福音書の中でわれわれにこう告げておられる:「あなたたちがもし罪滅ぼしをしないならばあなたたちは皆同じように滅びるであろう。」それゆえわれわれはすべて年中金曜日に肉を慎むという罪滅ぼしに加えて、罪滅ぼしをする必要がある。教皇パウロ六世が次のように言われた時でさえ、そうである:

「もしその国の司教会議があなたたちに金曜日に肉を食べることを許可したならば、もしあなたたちがそうするならば、あなたたちは金曜日には他の罪滅ぼしを代わりに行わなければならない。」

それにもかかわらず、それよりももっと大きななすべき罪滅ぼしがある。

この点に関してシスター・ルチアはこう書いた:「よき主は御自身がなだめられることを許しておられます。しかし主は、主の律法の遵守が彼らに要求するものを何であれ喜んで断念する、主の恩寵のうちにある霊魂の数の少なさについて辛辣にそして悲しそうに不満をもらしておられます。」

シスター・ルチアはまた1943年の四旬節に、この主題に関してグルザの司教にこう書いた:

「これはよき主が今お求めになっている罪滅ぼしです:すなわち、すべての人が自分自身に課さなければならない犠牲は主の律法の遵守において正義の生活を送ることです。主は、この道が霊魂たちに知られるように要求しておられます。なぜなら、多くの人々は、『罪滅ぼし』という語が大きな禁欲生活を意味すると考え、彼ら自身のうちでこれらの生活に対する力あるいは寛大さを感じずに、熱意を失い、生ぬるさと罪の生活のうちにとどまっています。」

「先週の木曜日、真夜中に、上長の許可を得て礼拝堂にいました間に、われらの主は私にこう言われました:『すべての人に要求されている犠牲は生活における各自の諸々の義務を果たすこと、そして私の律法を守ることである。これが私が今求めている罪滅ぼしである。』」

われらの主は個人的にお出来になるすべてのことをなされた。主はご自分にお出来になる限りのことを苦しまれた。主は御自分の御母に、御母にお出来になる限り苦しむことをお許しになった。それはわれわれのためにできる限り多くの功徳を得るためであり、われわれが自分たちの霊魂を救うことをできる限り容易にするためであった。しかしわれわれはわれわれの役割を果たさなければならない。われわれは、単純に罪を犯すことを続け、われわれの義務を果たさないことを続け、愛徳的でないことを続け、言葉と行為において、われわれの家族、われわれの友人たち、われわれの仕事仲間たち、われわれの隣人たち、われわれの仲間の小教区民たちに対して正義においてわれわれの諸々の義務を果たさないことを続けることはできない。われわれは天主の十戒に従わなければならない。われわれはわれわれの罪のために償いをしなければならない。そしてわれわれにできる程度に応じて、ファチマのメッセージを促進しなければならない。これは一つの手段である。天主が人類にお与えになった唯一の手段 - 戦争を避けるため、絶滅を避けるため、奴隷化を避けるため、われわれの頭上に覆い被さっている大懲罰を避けるため、すでにわれわれの間で始まった、そして毎日力を獲得しつつある大背教を避けるため、もしわれわれがそれを止めないならば、聖書がわれわれに告げているように、3年半(42ヶ月)の間われわれの時代にアンチ・キリストの支配へと導くであろう大背教を避けるための - 唯一の手段である。

どれくらいの時間が残されているのか?

われわれはどれくらいの時間を持っているのか?そうだ、われわれのうちのある者にとって、そしておそらくわれわれすべてにとって、われわれは1年以上は持たないであろう。例えば、今日世界には4,700人のカトリック司教がおられる、それでも今から12ヶ月先には彼らのうちの多かれ少なかれ110人が亡くなられ、その報いを受けに行かれるだろう。他の司教たちはその地位を保たれるであろうが、しかし彼らにとってその時間は終わるだろう。彼らは間に合うようにロシアの奉献をもたらすために彼らができるすべてのことをなされなかったことに対して非常に重い精算を課されることになるだろう。

しかしこのことは司教たちにだけ当てはまることではない。それは同様にわれわれ一人一人に当てはまる。私はどれほどの時間を持っているか?あなたはどれほどの時間を持っているか?そしてわれわれは皆全部でどれほどの時間を持っているか?ただ天主のみが知り給う。それは1年より少ないかもしれないし、10年より少ないかもしれない。われわれはフランスの王が、彼と数百万人のフランス人を殺すフランス革命を妨げるためにその日までに100年を与えられたということを知っている。(1917年以来すでに90年が過ぎ去った。)彼は、荘厳で公的な仕方でイエズスの聖心に彼の国を奉献するようにというイエズスの命令に単純に従うことによってそれを妨げることができたのであった。彼はそうしなかった。残りのことは歴史である。しかし今日に至るまで、フランスとヨーロッパそして世界は、フランスの王が従うことを拒んだがゆえに、フランス王の聴罪司祭が事実上彼に従わないようにけしかけたがゆえに、苦しんでいる。

天主は彼らが今日どこにいるかを御存知である。しかし、もし教皇と司教たちが間に合うようにロシアを奉献することに従わないならば、もっと悪い、ずっと悪いことになろう。彼らにとってもっと悪い、全世界にとってもっと悪い。しかしまた、われわれがわれわれの手に解決を持っているということを知り、そしてそれについて何もしないわれわれにとってはもっと悪いであろう。われわれは自分たち自身でそれをすることはできない。しかしわれわれはそれについて他の人々に告げることができる。われわれはそのために祈り犠牲を捧げることができる。そしてわれわれは、権威のうちにある人々、ロシアの奉献をもたらすために彼らができるすべてのことをする影響力を持っている人々を勇気づけることができる。

なぜわれわれはこの重荷を負っているのか?

あなたはなぜこの重荷を負っているのか?それはわれらの主と聖母がそれをあなたにお与えになったからである。なぜ私はこの重荷を負っているのか?同じ理由でそうなのである。

われらの主があなたのために天主の御意志を受け入れるために御自分の十字架を抱きしめられたように、祝せられたおとめマリアが天主の御母、悲しみの御母、救世主の御母であること、そしてそのことが含んでいたすべての苦しみを受け入れられたように、あなたがあなたの十字架を抱きしめるためにできるすべてのことをするために、あなたはあなたのために置かれたあなたの義務を果たすようにと、私があなたに勧める理由はそれである。

われわれのうちのある人は、ローマにいるあの枢機卿たちと同じように、バチカンにいるあの司教たちと同じように、「私は何をすることができるか?」、「私は何もすることができない」と言うことができるか?いいえ、できない!われわれ一人ひとりは、何かをすることができる。われわれ一人ひとりはもっと多くのことをすることができる。私はただ一人の人間である。私はあらゆることをすることはできない、しかし私のできることを私はするつもりである。そしてもしわれわれ一人ひとりがわれわれのできることをするならば、われわれはこのことを変えることができる。われわれはそのとき、聖母の功績と恩寵とをもって、われわれはマリアの汚れなき御心の勝利をもたらす手助けをした、世界平和をもたらし、諸民族の絶滅を回避し、そして数十億の霊魂の喪失を回避するためにわれわれの役割を果たした、と言うことができる。

非常に多くの人々にとって永久に遅すぎることになる前に、間もなくマリアの汚れなき御心が勝利せんことを。

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