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けれど(Credo)

I:キリシタン信仰と殉教 II:ファチマと現代世界 III:カトリック典礼、グレゴリオ聖歌 IV:「聖と俗」雑感

ファチマ・クルーセイダー

2014年03月18日 | Weblog

聖マキシミリアノ・コルベ

The Fatima Crusader, Issue 09: Oct.-Dec.1982より

ステファノ・マネッリ神父、O.F.M., Conv., S.T.D.

1982年10月10日、聖ペトロ大聖堂で福者マキシミリアノ・マリア・コルベ(Maximilian Mary Kolbe, O.F.M., Conventual)は彼の最も傑出している英雄的徳のために列聖された。マキシミリアノ・コルベ神父が、彼がほとんど知らなかった一人の不当に断罪された仲間の囚人に代わって死ぬために自由に身を捧げた後に、アウシュヴィッツのナチスの監獄キャンプにおいて殉教したのはちょうど41年前であった。教皇ヨハネ・パウロ2世は彼を「われわれの困難な世紀の保護者」と宣言された。われわれは、神がわれわれの時代に深い信仰、英雄的な愛そして特に聖母に対する計り知れない愛の模範としてお上げになった聖マキシミリアノをもっと多くの人々に知ることを可能にするこの論考を公表するのが嬉しい。この聖人の聖性への鍵はわれわれの母なるマリアへの彼のますます大きくなる愛である。聖マキシミリアノは神の御母に対する彼の愛に何の制限も設けなかった。そして実践において、彼はその生涯の間一つの驚くべきマリア使徒職において実を結んだ強烈な祈りの生活によって聖母に対する彼の壮大な献身を示した。そして彼は人々をイエズスとマリアのより大なる知識と愛へと連れて行くためにマス・メディアを用いる彼のマリア使徒職を天国から導き続けている。

ステファノ・マネッリ神父、O.F.M.--彼は最近コンヴェントゥアル・フランシスコ会のナポリ管区総長に選ばれた--は、ステファノ神父が今日われわれの新しい聖人によって立てられた模範に従っているので、特に聖マキシミリアノについて書くのに適している。ステファノ神父と聖マキシミリアノとは両者とも、彼らの各々が院長をしていたそれぞれの修道院へと多くの修道生活の召命を惹きつけた。両者はマリア使徒職を始めた。そして出版とマス・メディアの他の領域において働いた。両者はヨーロッパから遠く離れたアジアにおいて神の御母に対する信心を促進するために宗教共同体を設立した。両者は神学の博士号を持っており、そして両者はコンヴェントゥアル・フランシスコ会の神父である。ステファノ神父は、聖マキシミリアノと同様に、この号の16ページに印刷された「イエズス、われわれの御聖体の愛」という論考からわれわれ読者が知っているように、興味のあるそして非常に読み応えのある論考の著者である。聖マキシミリアノのこの簡潔な伝記は数年前にイタリア語で出版された。そして北アメリカにおいて英語で出版されるのは今回が初めてである。

序文

教皇パウロ6世は1971年10月17日、マキシミリアノ・マリア・コルベ神父の列福式の機会に話しながら、福者マキシミリアノは「太陽をまとった者(黙示録12:1を参照)として見られたキリストの御母に対する信心を彼の霊性、彼の使徒職、そして彼の神学の焦点とした」と宣言された。

教皇のこの重要な声明は福者マキシミリアノの全生活のうちにその明白な表現を見出す。そして福者マキシミリアノが「汚れなきマリア--われらの理想」という標題の下に異なった諸言語で印刷したリーフレットがここにある。それでもってわれわれはこの小さな書物のページを始めたいと思う。なぜなら、それはこの聖なる人の生活と仕事のすばらしい綜合であるからである。

汚れなきマリア--われらの理想

「われらの目標、われらの理想は汚れなきマリアへ近づくこと、マリアのように成長すること、われらの心とわれらの全存在をマリアに支配させること、われらのうちに、そしてわれらによってマリアを生きさせ、働かせること、われわれがしりごみすることなく完全にマリアに属するようにわれらの心をもってマリアに神を愛させることである。これがわれらの理想、そしてわれらの目標である。

そうだ、われらの理想、そしてわれらの目標は、われらの知人たちがマリアの影響に心を開き、マリアがすべての者の心の中で、至るところで、人種、国籍、あるいは言語にかかわらず、世界の終りまであらゆる世代のすべての人々の心においてさえ、支配するように、われらの環境のうちに汚れなきマリアを放射することである。

われらの目標は汚れなきマリアの生命が常にますます深く、日々、時々刻々、瞬間瞬間われわれのうちに根づいたものとなることである。そしてこのことに限界がないことである。

マリアの生命が今生きている、そしてあらゆる未来の時代に生きるであろうすべての人々の霊魂のうちに発展することがわれらの理想であり目標である。」

以下のページを読むにつれて、その聖なる人の生活のうちにこの理想の実現を見るであろう。この奇跡について、そのように例外的なこの愛について語るには人間の言葉はまったく不利な条件を背負っている。それにもかかわらず、福者マキシミリアノがわれわれの読者を汚れなきマリアに近づけさせるために適したものと見てくださるように。彼が「彼の頭をくらくらさせた」汚れなきおとめのあの限りない美しさと偉大さについての何かを彼らに知らせてくれるように。彼がそうしたと同じように、彼をそのような英雄的な愛へと導いた同じ偉大な愛をもって、彼が汚れなきおとめを彼らに愛させてくださるように。

第1章
--彼の母国における少年時代と青年時代

福者マキシミリアノ・マリア・コルベはポーランドの真の息子であった。彼はロシアとドイツの間のうすら寒い、雪の多い土地に生まれた。それは勤勉に働く、そして強健な人々の祖国である。

熟練労働者、農民、労働者そして何人かの専門職の人々が村の生活の毎日の仕事を分け持っていた。たいていの男は女と同様にロズ(Lodz)周辺地域において繁盛し始めていた繊維産業によって雇われながら、家で織物をしていた。

骨折り仕事の時間は長かった。「星から星まで」というのは美しい表現であった。それは夜明け前から夜遅くまでを意味していた。賃金は低く、日々必要な物は家族の大部分のために重くのしかかっていた。

しかしながら、その町のすべての住民はポーランド人にとって活力のある、生き生きとした富を構成する貴重な遺産:キリスト教信仰を持っていた。それは強くて熱心であったように単純で純粋であった信仰である。彼らはそれを彼らの血の中に持っていると思われた。--キリスト教の栄光の1000年の間戦争と迫害の苦しみを通り抜けたこの信仰--。天の元后、ポーランドの保護者は常に、その有名な礼拝堂からその子どもたちを優しく見守ってこられたチェストホウスカ(Czestochowska)のマドンナであった。

彼の両親

マキシミリアノの父はユリウス・コルベ(Jurius Kolbe)、母はマリア・ダブロスカ(Mary Dabroska)で、二人ともドュンスカ-ウォラ(Zdunska-Wola)出身であった。彼らは善良で謙遜な家庭の出であった。

マリアは少女時代の時から、彼女が言ったように、「おとめたちと天国を楽しむために」修道女になることを希望していた。しかし彼女は家庭のつらい貧しさがそれを不可能にしたとき、その考えを断念しなければならなかった。

しかしながら、われらの主は彼女が最後の数年を修道院で過ごし、彼女を英雄的な徳の模範として記憶しているフェリス姉妹会の一団の中で死ぬことをお許しになった。例えば、シスターたちは彼女がどのように朝4時に祈るために起きるのを常としていたか、彼女がどのように規律を守る実践をしていたか、彼女がどのように自分のベッドのためのベッド亜麻布で覆った長椅子を用いていたか、そしていくらかのお金を手に入れるとすぐにミサを頼んでいたかを思い起こすのである。

進取の気性に富んだ、よく働く青年であったマキシミリアノの父は、毎週日曜日に忠実に秘蹟を受ける非常に熱心に実践するカトリック教徒であった。そして彼はフランシスコ会第三会の役員であった。彼の妻もその会員であった。

この若い二人は1891年10月5日に結婚した。そして質素なアパートの中に彼らの家庭を持った。それは一つの大きな部屋で、カーテンによって台所、織物の道具のある作業場、寝室に分けられていた。そして二つのタンスの間にはマドンナを崇敬する小さな祭壇のための小さなスペースがあった。それは家族が皆で祈りや信心をする場所であった。

これらの慎ましい住居において福者マキシミリアノ・マリア・コルベは1894年1月8日に生まれた。彼は5人の男兄弟の2番目であった。最後の2人は生まれて間もなく神に召された。

彼は遅れることなく神とマリアの子として洗礼を受けた。彼の母親は、彼が原罪から解放されるまでは自分の赤ん坊をキスすることを望まなかった。すべての両親が学ぶべきある事柄は彼らの赤ん坊を原罪の汚れから解放し、彼らを神とマリアの子どもとするためにできる限り早く洗礼を受けさせることであった。

パビアニツェへ

子供たちが生まれて来るとともに、ドュンスカ-ウォラでの貧弱な一部屋のアパートは家族のためには不適切で向いてないことがわかった。ユリウスとマリアは問題を論議し、ドュンスカ-ウォラにほとんど隣り合った一つの村、パビアニツェにあるもう少し大きな住居に移ることに決めた。彼らはまた少しの土地を借り、家族の食卓のために野菜を作った。

 数年間の多くの犠牲で家族の経済状態が改善した後に、ユリウスは何とかして一つの小さな事業を始めた。そして小さな農地を借りることができた。マリアは助産婦として町で働き、事業を助け、家の切り盛りをした。
そうこうしている間に、少年たちは地方の小学校に通うにつれて勉強するために授業があった。しかし彼らはまた家事を手伝った。彼らの父親は、彼らが健康で強健に成長するように見守る義務を感じた。それゆえ、彼は朝早く彼らを起こし、そして冬には彼らを裸足で雪の中を走らせるために直ぐに外に出させることを常としていた。

とりわけ、彼らの両親は、彼らが正しい宗教の形成および教授を受けることができるように、特に彼らを彼ら自身の告解聴聞者と霊的指導者ウラディーミル・ヤコウスキ(Vladimir Jakowski)神父に委ねることに配慮した。それはキリスト教徒である両親が注意を払わなければならないこと、すなわち、単に子どもたちの身体的成長のためだけでなく、また--そしてもっと重要なものとして--かれらの霊的発達のために準備しなければならないことである。

小さなライモンド

洗礼のときに福者マキシミリアノはライモンドの名前を受けた。子どもの頃早くから彼は真面目で熱心な性向を示した。彼は最も活発な子どもたちの休むことのない精神を欠いていなかった。彼は大胆で頑固になるほどに自分自身を主張することができた。彼は徐々に砂糖と蜜に変化した元気いっぱいの子どもであった。それで人々はいつか、彼の甘美さと謙遜のゆえに彼に「ジャム」というあだ名をつけることになるであろう。

小さなライモンドの成功した形成の多くは彼のよく気のつく両親から受けた厳格なしつけとすべての者から要求した家庭の貧困、あらゆる種類の犠牲の両方によるものであった。

この少年について言い得る非常に美しいあるものは他の人々に奉仕する、役に立つことに自らを捧げようとする彼の寛大な意志であった。母親が父親と共に仕事に出かけているとき、小さなライモンドはすべての家事--掃除、洗濯、床にブラシをかけること、火の始末、料理--をこなした。寛大で進取の気性に富んでいる者として、少年は家事雑用の犠牲のうちに、彼の小さな身体を彼の成長過程から振動すると思わせたエネルギーの蓄えのための一つの出口を見出した。

彼の母はわれわれに次の楽しい記録を残した:「彼は非常に活発で素早く動く少年でした。そして少しばかり反対のところもある子でした。しかし彼の父親と私は、私たちの3人の息子たちの中で、彼が最も従順であるということを見出しました。私は仕事をするために夫と外出したときに一人の本当の助け手を持っていました。ライモンドは台所の仕事をし、家を塵ひとつないくらいきれいにするのが常でした。そして彼の雑事のすべてを素早く終えるのでした。」

いたずらとへら

小さないたずらに決して興味を持つことがない、あるいは少しばかり羽目をはずすことが決してないような元気のいい少年がいるものだろうか?そんな子はいない。

一人の例外的な少年、そして親切さと寛大さの彼の気性のゆえに傑出している小さなライモンドはそれにもかかわらず、また彼がそれに対して戦わなければならなかった欠点も持っていた。そうだ、彼は小さないたずらをするのが常であった。しかし彼は欠点を改めなければならないということを理解していた。そして矯正されることを望んだ。そしてこの実現と欲求は一つのよいしるしである。それは多くの少年たちに、特に善良でまっすぐであることが分かっている少年たちに、共通なあることである。しかし小さなライモンドのうちには何かそれ以上のもの、まったく共通ではない何かあるものがあった。彼の悪い行いに直面させられたこの少年は単に彼の罰を引き受ける準備ができていただけではなく、それを求めるところまで行ったのである!

ある子どもが悪いことをしたの後で、へら打ちをもらうために行って、父親にそのことを告げ、自分を罰するように父親に求め、次に罰を受けて、それから父親に感謝するというようなことを想像することは難しいと思われるであろう。--にもかかわらず、これはまさに小さなライモンドがしたやり方であった。ここに彼の母親がそれについてわれわれに告げていることがある:「ライモンドはある小さないたずらのために彼が罰を受ける仕方においてさえその兄弟たちの上に立っていました。彼はいつも自発的にへらを私たちのところに持って来て、腰掛けにうつぶせになり、彼の罰を受け、母親あるいは父親に感謝し、そしてそれから静かにそのへらを元の場所に戻しに行くのでした。」

そのような精神を持った一人の子どもから誰が何かを学ばないなどということがあるだろうか?

ペットとしてのひよこ

小さなライモンドのいたずらはいつも穏やかなものであり得ただろうか?この事例を考えてみよう。

彼はしばしば学校仲間の集団の中へ入って行った。そして彼らのうちのある者が楽しんでいたペットを飼っているのを見た。ある者は子犬を、別の者は子猫を、また別の者は小鳥を持っていた。ライモンドもまた、一緒に遊ぶペットを持てば幸せであったろう。彼が友人たちに次のように叫んだとき、彼はその感情のはけ口を見つけたのである:「僕が聖フランシスコがしたように、小鳥たちに話をすることができたらなあ!」

しかし彼はどのように何とかしてペットを手に入れるだろうか?それを買うためにお金が必要である。そして彼はお金を持つことはできないであろう。しかし、彼はともかくもある日1個の卵を内緒で買うことができた。その卵を孵すために彼はそれを友だちの家庭の鶏小屋に持って行った。このようにして、少額の出費で彼はかわいらしいひよこをペットとして持つことができた。優しい性質を持った少年のように、彼はそれを考え出したのだ。

彼の母がそのことを知ったとき請求書が届いた。わずかのお金でさえ不必要に出費することは家族に対しては耐え難いことであった。「ライモンド、あなたはお金を稼ぐために辛い仕事が必要だということを知らないの?」少年は悩んだ。しかし彼は彼の母が心配する権利があるということを理解した。彼はそのようなことを2度としないことを約束した。彼はこれらの無邪気な望みでさえ犠牲にすることにおいていかに寛大であるかを知っていた。

二つの冠

ライモンドの少年時代の年月の間に何か非常に途方もないことが起こった。われわれはここでそれを独特で例外的なこと、少年の未来全体がある特別の意味と価値を受け取るであろう何かあるものとして強調する。彼の母以外の誰一人福者マキシミリアノからこのエピソードを聞いた者はいなかった。そしてわれわれは彼女がそれを明らかにする彼女の役割を果たしたことを神に感謝する。彼女は彼女の聖なる息子の死の後にそのことを明らかにしたのである。1941年10月12日づけの修道士たちに宛てた手紙の中で、彼女はそのエピソードを次のように記述している:「私はその少年時代の間にマキシミリアノ神父に起こった何かある例外的なことの始まりから、彼が殉教者として死ぬだろうということを知っていました。ただ私はそれが起こったのが最初の告解の後だったか、それとも前だったかを覚えていません。あるとき、彼は私を不快にさせるような振る舞いをしました。それで私は彼に言いました。『かわいいライモンドや、おまえがどんなものになるかを誰が知っているだろうね?』その後、私はそのことについてもう考えませんでした。しかし私は子どもが違った人間と思われるような仕方で振る舞うことに気づきました。

私たちは彼がしばしば人目につかずに行く目のつかない場所に一つの小さな祭壇を持っていました。そしてそこで彼は涙にくれて祈りました。彼の普通の行動は彼の幼い年齢を超えた何ものか--絶えず思い出しているようであり、真剣でした--であるように見えました。そして彼は祈っていたとき、涙にくれていました。

私は彼が病気ではないかと心配になりました。それで私は彼に求めました。『おまえは母親にすべてを告げなければなりません。』

感激で震え、目に涙をためて彼は言いました。『お母さん、あなたが僕を叱ったとき、僕は聖母に、僕がどんなものになるかを教えてくださるように一生懸命に祈りました。後で教会にいたとき、僕はもう一度聖母に祈りました。そのときマドンナが両手に二つの冠を持って僕に現れられたのです。一つは白で、もう一つは赤でした。聖母は僕をご覧になり、二つの冠を欲しいかどうかお尋ねになりました。白い冠は僕が純潔のままとどまるだろうことを意味していました。そして赤い冠は僕が殉教者となるだろうということを意味していました。僕はその二つの冠を受けますと答えました。それからマドンナは僕をやさしくご覧になって、消えて行かれました。』

少年の中に起こった異常な変化はこの経験の真実を私に確信させました。彼は常にそのことについての理解を持っていました。そして彼が殉教者として死ぬことについて考えたとき、彼の顔は喜びで輝くのでした。

それで私は、マドンナがシメオンの預言の後にそうであったように、心の準備をしていました...」

人間の計画と神の計画

時にわれわれ大人は理解することが困難である--私の言いたいことは、たとえわれわれが善良で敬虔でそして物事について啓発されているとしても、そうであるということである。ライモンドの善良な両親は、彼らの息子へのマドンナの御出現について知っていながら、そしてある特別の運命が彼を神に奉献すること(白い冠)そして彼を殉教者にすること(赤い冠)であると感じながら、それにもかかわらず、神の御計画に賛成する仕方において彼ら自身をどのように支配するかを知らなかった。

フランシスとライモンドが小学校を終えたとき、ユリウスとマリアは子供たちの将来について決断しなければならなかった。そして彼らはただ兄のフランシスだけが、司祭職まで続けるという希望でその勉強を続けることに決めた。一方、彼らはライモンドが、母親の雑事を助け、また父親の事業において活動を続けることができるように、家庭にとどまることを欲した。

それゆえに、ライモンドは商人になるように取って置かれた。しかし彼らの心の奥深くで、彼の母親もまた彼の父親もそのような将来がこの例外的な少年のために取って置かれているということを信じなかった。一度、ある人が彼らはライモンドにこのことを確証させたと指摘している。「おまえが商人になったら、私は女王様になっているわ」と母親が言った。「そしてわしは司教になろう」と父親がすばやくつけ加えた。

しかしそうこうしている間に、家族は決定されたようにする以外に別のことをすることができなかった。彼らは一人以上の勉学のために準備する十分なお金が無かったからである。そして二人の間では最初に生まれたフランシスが優先的な立場を持っていた。

神が介入なさる

しかしある日ライモンドはヴェンソン・グレカ(Vencon greca)と呼ばれるある粉末を買うために薬局に行かなければならなかった。

「ヴェンソン・グレカをすこしいただけますか?」彼は薬剤師に尋ねた。

薬剤師はこの子どもの口から出るヴェンソン・グレカという言葉を聞いてびっくりし、彼に尋ねた。「どこからヴェンソン・グレカという発音を学んだの?」

「僕はそれがラテン語の名詞だということを知っているよ。僕は兄さんのフランシスと一緒にラテン語を勉強してるんだから。」

「どの学校に行っているの?」

「僕はもう学校には行かないんだ。行けないんだよ。僕たちは貧しいの。そして母さんとパパは兄さんのフランシスだけを学校にやることに決めたんだ。兄さんは司祭になるために勉強を続けるんだ。」

「で、君は?」

「僕は家で両親の仕事を手伝うんだ。」

「君が勉強を続けられないなんて気の毒だな。」薬剤師は叫んだ。そして考え深げな沈黙の後でこう言った。「お聞き、坊や、毎日私のところへおいで。そうしたらただで君に授業をしてあげるよ。私が君に準備をしてあげ、君は兄さんと一緒に学年末に試験に合格することができるよ。」

この予期していなかった機会にライモンドの喜びがどんなに大きかったか想像してください。閉ざされたと思われた彼の夢の扉が開いた。家で彼は幸せそうにこのニュースを打ち明けた。直ちに彼はその摂理的な薬剤師と共に授業を始めた。

彼は持っていたすべてを勉強に注ぎ込んだ。そして兄と共に国家試験通過に努めた。

つづく


ファチマ・クルーセイダー

2014年03月17日 | Weblog

パードレ・ピオの秘密 第II部

The Fatima Crusader, Isuue 60: Summer 1999からの続き

The Fatima Crusader, Isuue 63: Spring 2000より

ジェームズ・ディマーズ

パードレ・ピオは20世紀の偉大な奇跡の働き手である。世俗主義と広範な不信の時代において、パードレ・ピオは良心を読むことができ、また同時に異なる場所にいることができた。この聖人は50年間手、足そして脇腹にイエズスの傷を帯びていた。それらの傷は彼の死後まで決して癒えなかった。パードレ・ピオは長年の間、御聖体以外には食べなかった。彼は毎日コップ1杯の血を流した。それは彼が食べたものより多かった。にもかかわらず、彼は何ら体重を失うことはなかった。これらの奇跡のすべてはキリストの十字架、十字架の上でのキリストの犠牲を指し示している。パードレ・ピオがミサの犠牲のそのように深い愛を持っていたということは理由のないことではない。古い典礼から新しい典礼への変化のずっと前に、祝せられたパードレ・ピオは古いミサの1965年改革:ラテン語を英語へ、人々に対面する[形式]、支柱なしで立っている祭壇、ひどく省略された祈りを徹底的に嫌った。ピオ12世によって20世紀の教会博士と呼ばれたディートリッヒ・フォン・ヒルデブラント(Dietrich von Hildebrandt)は次のように言っているパードレ・ピオを引用している:「少なくとも彼らはキリストをミサ聖祭の中に残した。」それから典礼改革で幸せでなかった聖人は免除されるよう頼んだ。謙遜なカプチン僧は新しいミサを見るまで生きながらえることはなかった。にもかかわらず、1969年改革の前でさえ、彼はいつまでもの変わらないミサへの彼の愛着のために迫害された。パードレ・ピオは、彼の不思議や奇跡の真正性に関する疑いのゆえにピオ11世の下でヴァチカンによって沈黙させられ、孤立させられた。迫害は「パードレ・ピオは一日中何をしているのか?」とかつて尋ねられたピオ12世の下で止んだ。祝せられた修道士の大司教の答は「彼は世の罪を取り除いています」。迫害はヨハネ23世の下で再び始まった。パードレ・ピオと同じように、グルーナー神父は奇跡(ファチマ)への、そして聖なるカプチン僧によって捧げられるミサへの彼の愛着のために、沈黙させられ、孤立させられた。われわれは今、ニコラス・グルーナー神父とジェームズ・ディマーズの間の会話の第II部を続ける。

ジェームズ・ディマーズ:パードレ・ピオはラテン語ミサを捧げる権利を持ち続けておられたのですか?

グルーナー神父:彼は常にラテン語ミサを捧げていました。実際、彼は汚れなき御宿りのミサ、12月8日の聖母のミサを捧げる特別の許可を得ていました。彼は毎日そのミサを捧げていました。

ジェームズ・ディマーズ:パウロ6世が教皇として選ばれたとき、彼がした最初の事柄はパードレ・ピオにより多くの自由を与えながら、彼に課せられた諸々の制限を廃止することでした。このことを詳述した書物の中で、著者はパードレ・ピオとパウロ6世を友人であるものとして言及しました。

彼らの関係が何であったか、彼らがお互いにどのようによく知っていたかを私は知りません。しかしパードレ・ピオに対する制限を解いた教皇が非常に混乱させるものである二つの事柄をしたということは皮肉なことと思われます。

第一に:パウロ6世は1965年、公会議の終幕のときに、すべての司教たちが列席して、汚れなき御心に世界を奉献したと思われます。彼は実際に奉献したのでしょうか?

第二に:彼は古いミサを非カトリックの忠告者たちの助けで変えました。

グルーナー神父:実際、パウロ6世がこの出来事の祝賀としてファチマに金のバラを、そしてもう一つの金のバラをグアダルーペ聖堂の聖母に送ったのは1964年11月21日でした。彼は世界を奉献しました。彼は司教たちに彼に加わるように頼みませんでした。彼らはそこにいて、世界の奉献のための祈りをしている教皇に耳を傾けていました。しかしそれは「世界」の奉献であって、「ロシア」の奉献ではありませんでした。このように、ファチマの聖母の御要求を果たすものではありませんでした。彼はまたマリアに関する回勅を書き、折に触れてロザリオを奨励しました。

第二に:私は、パウロ6世がパードレ・ピオの死の1年前、1969年にミサを変えたということは興味のあることだと思います。

一人の研究者によれば、北イタリアのある教区司祭(私は彼に1976年に会いました)は彼の生涯のほとんどをパードレ・ピオの研究と著作に費やしました。パードレ・ピオは次のように言ったと言われています。「私は両肩に二つの重いものを持っています。一つは全教会マイナス聖職者です。そしてもう一つは聖職者です。そして聖職者の重さは教会の他の残りよりも遙かに重いのです。」

外的なものから判断すれば、パードレ・ピオは最も偉大な聖痕保持者です。数世紀にわたって聖痕を身に帯びた数百人の平信徒、司祭あるいは修道者たちがいました。しかし彼らすべてのうちでパードレ・ピオは最も多くの賜物と最も異常な生活を持っていました。このことはアッシジの聖フランシスコから何かを取り上げるものではありません。パードレ・ピオは謙遜のうちに、彼自身その聖人の息子であると考えていました。なぜなら、彼はフランシスコ会の修道士、カプチン僧だったからです。

あるとき、ある人が彼に言いました、「あなたは茨の冠もまた持っていますか?」パードレ・ピオは言いました。「あなたはそれを見ないのですか?」そうすると、その人はパードレ・ピオの頭の上に茨の冠を見ました。パードレ・ピオはそれから彼の頭を前方へ傾け、彼の前にいたその人に茨の棘の一つで触れました。その棘はその人の額をひっかきました。そしてそのひっかき傷が癒えるまでに数週間かかりました。

ジェームズ・ディマーズ:それは驚嘆すべきことです。私は以前にそのことを聴いたことがありませんでした。それはキリストのまねびの第II部黙想12を反響させています:「もしあなたがあなたの十字架をしぶしぶ負うならば、それはあなたの重荷となり、なおさら自分を苦しめるばかりであるが、それでもあなたはそれを負わなければならぬのである。そして一つの十字架を投げ捨てても、あなたはかならずほかの十字架、しかもいっそう重いのを見出すだろう。」

パードレ・ピオは言いました:「『なぜ?』と尋ねる習慣が世界を荒廃させた。」

彼は、なぜ自分がこの種の肉体的生活を持ったのかを決して尋ねなかったと思われます。彼は何の躊躇もなしにそれを受け入れました。一人の医者が彼に言いましった。「これらの傷はなぜあなたの手と足に現れるのか?」すると彼は言いました。「そうですね、他のどこにそれは現れるでしょうかね?」

彼は自分が「生きている十字架像」として見られるという事実について非常に実際的でした。そして「なぜか?」とは決して尋ねませんでした。

「なぜか?と尋ねること」が世界を荒廃させたということはわれわれを、ファチマに、そしてそのようにしばしば尋ねられる問い:「汚れなき御心であることはロシアの奉献にとってなぜ必要なのか?」にわれわれを連れ戻します。

グルーナー神父:他のすべてのことと同じように、もしそれが神の御意志であるならば、そのことが十分な理由です。そのことのほかにも、神はこのことついて多くのしかるべき理由を持っておられます。まず第一に、なぜロシアの奉献なのか?そしてなぜマリアの汚れなき御心に、なのか?第一に、私たちは「なぜ」ロシアなのかを論じましょう。

シスター・ルチアは私たちに、祝せられたおとめが何度も彼女自身に、そしていとこのフランシスコとヤチンタに、ロシアは、私たちがあの可哀想な国の回心を手にしていないならば、全世界を(その罪のために、と理解されています)罰するために神によって選ばれた懲罰の道具ですと告げられたのだと語りました。

神は御自分の正義と憐れみにおいて栄光を受けようとしておられます。自らを神に反して戦うように定めている政権でさえ、なお神の目的に仕えます。神の目的に奉仕しないものは被造物のうちには何もありません。一人の罪人でさえ神の目的に奉仕します。一つの罪深い政権でさえ神の目的に奉仕します。

共産主義的/レーニン主義的政権はモスクワにおいて王座に着きました。そしてキリストとキリストの教会に戦いを宣言しました。神はそのことを許されました。

神はそれを単に許されただけではありません。神はその背後に一つの目的を持っておられます。その目的が何であるかということは、ファチマのメッセージに従えば、[神の]正義において、世界をその罪のために罰することです。それにもかかわらず、神は、私たちに対するその愛において、その御憐れみを非常に小さな条件で示そうと望んでおられるのです。その非常に小さな条件とは:教皇と司教たちが同じ日に、そして同じ時間に、汚れなき御心に、特殊的にロシアを奉献するということです。

もし彼らがそのことをなすならば、神はこう言われます:「従順のこの小さな行為のために、償いのこの小さな行為のために、公的な認知のこの小さな行為のために、世界中で私に反対して戦うために私の被造物を使い、そして私の民を使っているこの成り上がりの政権によって侮辱されてきた神である私は、これらの状況の下で、私の権力を明らかにするであろう、私はロシアをカトリック信仰へと回心させ、全世界に平和を与えるであろう。」

神が人類に提供なさっている条件は非常に美しくそして非常に価値のあるものです。もし誰かがあなたにこう言うとします。「もしあなたが1度この通りを横切り、1ポンドの荷物を持って歩いてくれるならば、あなたの生涯の残りの間毎日1000万ドルをあげます。」[神の条件は]このことよりなおいっそう価値のあることです。私たちはその種の申し出を持っているのです。ファチマの約束に比較すると非常に小さなものですが、しかしあなたはあなたの報酬を得るためには、少なくとも荷物を持って通りを横切って歩かなければなりません。

それがあなたがすることを要求されているすべてです。それは非常に多くのことではありません。あなたは汗を流す必要がないし、他の何かをする必要がないのです。あなたは車が止められるまで待つことができます。あなたは安全に横切ることができます。しかしそれを次の少しの間にしなさい。あるいはそのことをしないならば、とてつもない悪い結果があなたに起こることになるでしょう。

神によって定められたロシアの奉献のための諸条件は無限小に小さなことです。しかし神はあなたは少なくとも善意を示さなければならないと言っておられるのです。あなたは少なくとも何かをしなければなりません。

なぜ「ロシア」なのか?なぜ全世界ではないのか?シスター・ルチアが言うように、「ロシアは非常に輪郭のはっきりした領土です。」言葉を換えて言えば、われわれはみな国境がどこにあるかを知っています。そして誰でもロシア人たちがどこにいるかを知っています。それゆえ、ロシアが、特殊的に、奉献されるとき、そのときロシア人とロシアの諸制度は彼らの神の憎しみから離れて回心します。(私はあらゆるロシア人が神を憎んでいるとは言っていません。)しかし、彼らの制度と彼らの政権は無神論や神に反対する世俗主義、あるいはあなたがそう呼びたい何であれを促進することを公的に彼らの目的としています。全共産主義体制と政権がそこでそのことを促進しています。

教皇と司教たちがあの国を奉献することによって、あの民は集団的に神と戦う彼らの目的から離れて神に栄光を帰し、神の愛を促進し、神の目的を促進する目的へと回心するでしょう。

ロシアのこの回心は来るべき諸世紀にとって人類の歴史における主要な転回点となるでしょう。特殊的にロシアの奇跡的、突然の、完全な回心はそのように印象的で劇的でしょうから、人々は容易にそれをもたらすことができた唯一の事柄はファチマの聖母の要求に対する教皇と司教たちの信仰と従順の行為であるということを見るでしょう。

だからこそそれは一つの特殊的な国でなければならないのです。そしてだからこそそれはあの特殊的な国なのです。私たちは私たちの祈りと私たちの努力によってロシアの回心そしてそのようにしてあの可哀想な国の回心を手にすることができるか、それともそれがわれわれ自身を含む全世界の懲罰の道具となるかのいずれかなのです。それが「ロシア」である理由です。

第二の事柄は、なぜマリアの汚れなき御心か?ということです。私たちは聖ベルナルドと聖アルフォンソの両者の教えを持っています。(マリアの栄光において私たちはこう告げられています)もし私たちが神によって私たちの献げ物を受け入れて貰うことを望むならば、私たちは祝せられたおとめの手を通してそれを捧げるよう確信しなければなりません。私たち自身の心の中、私たちの贈り物においては不完全であるものがたくさんあります。もし私たちがそれを自分たち自身で捧げるならば、神はすべての不完全さをごらんになります。神は汚れなき御宿りのうちには不完全さを見出されません。聖母の中にはいかなる不完全もありません。そしてそれがただ聖母から来るがゆえに、神はそれを受け入れられるでしょう。神はロシアについて、私はあなたがこの国を私の奉仕へと再び献呈し直すことを、しかしそれをマリアの汚れなき御心を通して再献呈することを、望んでいるのだ、と言っておられるのです。

聖母はまた、それを神にどのように捧げるかをご存じです。それゆえ聖母は不完全さを取り除き、私たちが自分たち自身でそれを捧げるよりは、はるかにもっと受け入れ易い仕方でそれを神にお捧げになります。

なぜ神が汚れなき御心へのこの奉献を望んでおられるのか、ファチマのメッセージ自体の中で与えられた他の理由は、神が聖母にロシアの回心と世界平和の手柄を得させたいと望んでおられるからなのです。

20世紀は最も罪深い時代の一つです。それ以前には中絶の罪、犯罪はそのような大きなスケールで促進され、正当化されたことは一度もありませんでした。教皇ピオ12世は1951年に「世界は今日[ノアの]大洪水の前よりも悪い」と教えられました。私たちは世界平和の賜物に値しません。しかし神は私たちに対するその愛において世界平和を私たちに与えたいと望んでおられます。

聖アウグスティヌスは、神が私たちに与えたいと望んでおられるいくつかの好意、いつくかの恵みがある、しかし神は私たちがそれらに値しないことを知っておられる、と私たちに告げています。神はそれでもなおそれらを私たちに与えたいと望まれます。それで、言ってみれば、神はジレンマを持たれるのです:「私は彼らがそれらに値しないことを知っているときに、どのようにしてこれらの贈り物を人類に与えることができるだろうか?彼らは高慢になろうとしている。彼らは自分たちが幾分この平和の賜物に値したのだと考えようとしている。」

聖アウグスティヌスは、神がこのジレンマをめぐる一つの道を見出されたと教えています。神はこれらの特別の恵みを私たちに与えられるでしょう、しかし、ただ諸聖人の功績と取り次ぎを通じてだけそうなさるでしょう。そのようにして、神はこれらの恵みを私たちに与えることがおできになります。そしてわれわれは、それはわれわれがそれらに値するからではなくて、恵みが与えられたのはただ諸聖人の偉大な功績と取り次ぎのゆえにのみであるということを理解することができます。

ファチマのメッセージにおいて、私たちは神が世界平和の恵みをもっぱらマリアの汚れなき御心に委ねられた、神は私たちにこのことを理解するよう望んでおられる、ということを告げられています。

それゆえ、神は条件を設定なさいました。いいえ、あなたたちは、祝せられたおとめなしには、平和を持つことにはならない、あなたたちはロシアの回心を手にすることはないでしょう。このことが起こるようになるのは聖母の功績と聖母の祈りに基づいてです。私はそれをあなたたちに与えよう、私はそれをあなたたちに与えたい、しかし私はそれをただ祝せられたおとめマリアの功績と取り次ぎを通じてのみすることにしよう。

だからこそ、イエズスは、シスター・ルチアがわれらの主に「なぜあなたは奉献なしにロシアを回心させられないのですか?」と尋ねるとき、言われるのです。

われらの主はこう言っておられます:「なぜなら、私は私の全教会がその奉献をマリアの汚れなき御心の勝利として認め、そのことによって後に私の御母の汚れなき御心への信心が私の聖心への信心の側に置かれるようになることを望んでいるからだ。」

だからこそ、神はロシアがマリアの汚れなき御心に奉献されることを命令されたのです。

パードレ・ピオがよく言っておられように、もし神がそれを望まれるならば、私にとってはそれが十分な理由です。

この命令のもう一つの理由は、神が、教皇と司教たちの権威と威信はそれがある通りのものとして認められることを望んでおられるということです。神は御昇天の木曜日に彼らに権威をお与えになりました。「天と地におけるすべての権威は私に与えられた。行って、すべての民に教えなさい。」

神は彼らに、彼らが現にそうであるゆえにではなくて、神が世界中に彼らが認められるようにお与えになった権威を望まれているがゆえに、威信を得させることを望んでおられるのです。だからこそ、神は世界平和を、一つの国を神の名において、そしてこのことをなすように神が彼らにお与えになった権威をもって、奉献する彼らの権威を行使する教皇と司教たちに保留しておられるのです。このようにして、神は教皇と司教たちに栄光を帰そうと望んでおられます。そのようにして世界はすべての恵みが、イエズス・キリストの聖なる人間性を通じて、祝せられたおとめを通じて、それからカトリック教会を通じて人類に、神から来るということを認めるでしょう。

教皇ボニファティウス8世は1302年にその教皇教書Unam Sanctamにおいて、二つの権威、この世の権威と霊的な権威があると指摘しました。霊的な権威はこの世の権威よりも高いのです。世界平和というこの世の善でさえ--神はあの霊的な権威を通じて来るのだと指摘することを望んでおられるのです。

私はこのことに関して私の書物World Enslavement or Peaceの中でもう少し詳しく書きました。

ジェームズ・ディマーズ:あなたは、今日の教会位階のあるメンバーにとってロシアの奉献に抵抗することの何らかの正当化について考えることができますか?

グルーナー神父:私は何らかの真の正当化について考えることはできません。また、司教、司祭、神学者あるいは他の誰かがこれまでに奉献をしないことに対して一つの重大な理由さえ提供してきませんでした。私は位階のメンバーの何人かが欺かれているということを理解できます。私はここで彼らを裁くつもりはありません。あなたの質問に答えるために簡単に言えば、ファチマ・メッセージにおいて特殊化されたものとしてのロシアの奉献を要求なさっている全能の神の命令と明白な御意志に抵抗するいかなる真の理由も存在し得ません。私は、この神の御命令に対するどのような抵抗をも取り去るために、みなさんに祈り、働き、犠牲を捧げ、そしてあらゆる善い努力をするようにただ説得することができるだけです。私たちはそれを知らせ、理解させ、評価させそして従わせるように働かなければなりません。

内的慰め

ジェームズ・ディマーズ:キリストのまねびの第III部、内的慰めについて、黙想54はこう言っています:本性は悪賢くて多くの人を引きつける。

本性は彼らをまるめこんでだまそうとし、つねに自分というものを目的としている。しかし恩恵はその行なうところ単純で、悪と見えることはことごとくこれをさけ、決してごまかそうとせず、何事をもただひたすら神のためにし、またこれを最後の目的として、そのうちに安んずるのである。[光明社版「キリストに倣いて」pp.395-396による翻訳]

パードレ・ピオはこう言われた:「世界におけるあらゆるセクトはカトリック教会からその栄養を取って生きているということを覚えておきなさい。聖なるカトリック教会は一つの大きなそして大変貴重なまだ磨かれていないダイヤモンドのようなものである。そこから誰かがそのようにしばしば一つのかけらを取り出して、大きな磨かれていないダイヤモンドの部分よりももっと美しく輝き始めるようにと、悪魔の助けを借りてそれを磨くのである。」

ロシア正教会の世界には、ローマは、いくらか、彼らから歩み去る者であり、また彼らは磨かれたダイヤモンドであるという考えがずっとありました。

ルチアがロシアの回心は正教会の信仰を通じて来るでしょうと言っているという報告がありました。それには何らかの真実がありますか?

グルーナー神父:私はロシアの回心が正教会を通じてではなく、カトリックのウクライナを通じて来るだろうと言っているのを聴いたことがあります。1985年4月26日にチェルノブイリの爆発が起こりました。1年後聖母がウクライナのフルシウ(Hrushiw)に御出現になりました。聖母の御出現は村全体をカトリック信仰に回心させました。聖母は教えを実践しているユダヤ教徒、ロシア正教会の信徒、権力のさまざまの段階の委員、共産党員、等々を回心させられました。

フルシウで聖母は、教会が聖母の求めておられることに従わないならば、ロシアは世界を破滅させるでしょうと言われました。それはファチマへの一つの明白な論及です。私はウクライナからの一人のカトリックの司教と、私のテレビ番組FATIMA:その時が来たにおいて話をしました。そして彼に尋ねました。「ウクライナのカトリック司教様方はどう考えておられますか?」彼は司教たちはフルシウに非常に共感していると言われました。確かに、私はロシアの回心がウクライナ典礼を通じて来るということを見ることができます。なぜなら、まず何よりも彼らがカトリックであること、そして第二に、彼らの典礼、彼らの礼拝の形式は正教会が行っていることに近いからです。それゆえ、彼らが、ときにUniate 典礼として知られている東方カトリック典礼に与えられている形式において教えを実践するカトリック教徒となることは、論理的に言って、容易だと見出すであろうということは私にとって十分に意味のあることでしょう。

ジェームズ・ディマーズ:もしロシアの回心が正教会の、ローマ・カトリックへの帰還を意味するならば、そのとき確かに、奉献が正しくなされていない、また回心が起こっていないという証拠は数のうちにあります。ロシア連邦への現在の教皇代表であるジョン・ブコフスキー(John Bukovsky)大司教は今月National Catholic Register に、ロシアそのものにおいて、かつての全ソビエト諸国連合ではなくて、ロシアそのものに残されたものにおいて、10万人以下の教えを実践しているカトリック教徒しかいない、そして全国でわずか10人のロシア生まれのローマ・カトリック司祭しかいないと報告されました。

グルーナー神父:ええ、それは驚くべきことです。

ジェームズ・ディマーズ:その数はまったく寒々としたものです。

グルーナー神父:1917年にはロシアには500,000人のカトリック教徒がいました。私がこれまでに見た最高の数は300,000人です。私はそれが正確であるとは言っていません。私は、それは誰かが敢えてそう言うほどに高い数であると言っているのです。もしあなたが他の、連合諸国を数えないならば、140,000,000人のロシア人がいます。そして300,000人はその1%以下を表します。私たちはこの国がカトリック信仰に回心したとはとうてい言うことはできません。

聖母が1531年にメキシコ・シティに近いグアダルーペでフアン・ディエゴ(Juan Diego)に御出現になったことを思い出してください。9年のうちに、聖母は9,000,000人の人々をカトリック信仰に回心させられました。それは当時のアステカの国全体です。

聖母はフアン・ディエゴの外套(彼のティルマ)の上に聖母御自身の奇跡的な像、聖母の自画像を残されました。それは25年後に(1556年に)ばらばらに壊れるべきものであったのに今日までなお存在しています。アステカの人々は巡礼に来て、それについての物語を聴き、それを見に行ったことでしょう。それは非常に貧しい小屋、一つのチャペルにかけられていました。彼らはこの像を見、そしてすぐさま洗礼を受けることを望んだものでした。聖母は、できるだけ早くカトリック司祭たちが彼らに洗礼を授けることができるように、ただ彼らをそこに連れて来られるだけでした。彼らは毎日数百人、あるいは数千人でやって来るのでした。すべての司祭は朝起きて、ミサを捧げ、一日中洗礼を授け、結婚を祝福し、ベッドに戻って、それで彼らの一日が終わるのでした。次の日も同じことでした。彼らはこのことを10年間しました。聖母は、もしもっと多くの司祭がいたならば、このことをもっと早くなさったでしょう。聖母の自画像を見る各々の個人の回心はそれ自体瞬間的なものでした。

そうです。聖母は回心させることがおできになるのです。次に1838年のラティスボン(Ratisbonne)の劇的な回心があります。彼はユダヤ人で、彼の兄が回心してカトリック司祭になったゆえに教会を憎んでいた人物です。敢えて挑戦してみようと、ラティスボンは不思議のメダイを首にかけてみました。2時間以内に聖母は彼に御出現になりました。彼が聖母を見たとき、彼は直ちに信仰を知りました。そしてちょうどアステカの人々がそうであったと同じように、洗礼を望みました。ラティスボンは彼自身カトリック司祭になり、そして一つの修道会を創設しました。

もし聖母が9,000,000人のアステカの人々、国全体を10年のうちに回心させることがおできになるならば、もし奉献が15年前に行われていたならば、確かに聖母は今までに9,000,000人のロシアの人々を回心させることがおできになったでしょう。

ジェームズ・ディマーズ:ロシアへの教皇使節ブコフスキー大司教がピオ11世の統治のときに遡って始められたオスト・ポリティーク[東方政策]に非常に同調していたゆえに指名されたということは興味のあることです。その政策は1940年代に加速されました。そして次にカザロリ枢機卿が国務省長官であったときに彼の政策の一種の代名詞となりました。にもかかわらず、彼が今持っている仕事のために厳選されたブコフスキーは、教会がヴァチカンのロシアに対する現在の政策では決してもう大きくはならないであろうと言っています。モスクワはローマ・カトリック以外の他の宗派からの聖職者のロシアへの入国を許しているのに、ローマ・カトリック教徒は登録することを強いられています。そして彼らは6ヶ月毎に自分たちの国へ戻り、もう一度ヴィザを申請することを強いられているがゆえに、人々と根づくことができないでいます。大司教はこのことをNational Catholic Registerを通じて--非常に興味のある話す場の選択ですが--ローマ自身にこのことを言ったのです。--彼はローマに、決まった場所にある現在の政策をもってしては、教会は成長して行かない、それは現在のままにとどまる、あるいはもっと小さくなる、と言っているのです。そのことは確かに、東方への開放がどのように成功してきたかについてわれわれが聴いているすべての宣伝に真っ向から反しています。

グルーナー神父:私が講演旅行の中で、公に何度も説明してきましたように、非常に単純な事実は、教会が教会の諸々の敵によって最後通牒を提示されているということです。教会の諸々の敵は「われわれはおまえを殺すつもりである、われわれはおまえを葬るつもりである」と言って来ました。

それはマルクス、レーニン、そして彼らの後継者たちの非常に明快なメッセージでした。レーニン主義者であり、そのことを隠さないゴルバチョフは10年前と同じように最近もこう言いました。「宗教に対する戦争は衰えずに続けなければならない。われわれは宗教に反対して戦わないでわれわれの主義に忠実であることはできない。」特に、私はつけ加えたいと思いますが、彼はカトリック教会に対する戦争を意味しているのです。

不倶戴天の敵に直面している者は誰でも選択肢を持っているのと同じように、教会は選択肢を持っています。もしあなたが生きることを欲するならば、あなたは三つの選択肢を持っています:あなたは逃げることができるか、あるいは戦うことができるか、あるいは交渉することができるかのいずれかです。あなたはあなたを殺そうと欲している誰かある者があなたに追いつかないことを願って、逃げ去ることができます。あるいはあなたは勝利することを希望しながら、戦うことができます。あるいはあなたは交渉して、彼の心を変えさせようと努めることができます。教会は聖母が言われたことに反して、交渉することを選びました。聖母はこう言われたのです:「あなたは私があなたに与える武器で戦わなければなりません。他のことは何一つききめがないでしょう。」しかし、ヴァチカンの交渉者たちと国務省長官はこう言いました:「われわれは交渉するつもりである」と。実際に、彼らはファチマのメッセージを用いないために、聖母に耳を傾けないために、そして共産主義の誤謬、ロシアの誤謬について沈黙するために、交渉しました。

秘蹟について

ジェームズ・ディマーズ:キリストのまねび、第IV部黙想1はこう言っています:「私の神、聖中の聖、人類の創造主、諸天使のあるじである主は、私のすぐそば、この祭壇の上においでになる」[光明社版「キリストに倣いて」pp.444による翻訳]と。

そこには、パードレ・ピオが信仰について明らかにしている一つの心情があります。その言葉遣いはファチマのコヴァ・ダ・イリアに立っている彼を想像することを人に許すものです。「それを所有していないがそれを望む者にとって、われわれの美しい信仰はどこにでも見出すことができる。それは一人の無邪気な子どもの澄んだ目の中にさえ見出すことができる。--神が常に私たちの最も近くに置いてくださっている恵みにあふれるあのカリスにわれわれが目を閉ざさない限り、あたかもそれが何かさもしい本能ででもあるかのようにわれわれが軽蔑と不注意によってわれわれ自身の高貴な向上心、われわれ自身における神の痕跡を明らかにする渇望を追い払わない限り--」--それはほとんど、あたかも彼が同時に信仰とファチマの子どもたちについて語っているかのようです。ファチマに関して彼がどこに立っているかを私たちのためにまとめてくださいますか?彼の語の選択はそれらがあの地域に澄んでいる非常に貧しい人々の言葉から来たものであり得るように思われます。

グルーナー神父:彼の態度は、ファチマの聖母像のあるところでの祝せられたおとめマリアに対する彼の信心によって証明されるように、聖母に対する愛と尊敬の態度でした。あなたが今引用された彼の言葉は、3人の子どもたちの生涯に起こった一つの出来事を私に思い起こさせます。

太陽の偉大な奇跡が起こるかなり前に子どもたち、ヤチンタ、フランシスコそしてルチアを馬鹿にしていた、ファチマの村で罪のうちに生活していた一人の女がいました。彼女は窓のところに立ち、彼らに呼びかけ、彼らをからかうために、シャッターを開けていました。子どもたちは、疑いもなく、徹底的に切りつけられ、このことによって大いに傷つけられました。しかし彼らは同じように仕返しの返事をしませんでした。その女はシャッターを閉めましたが、出て行きませんでした。彼女はヤチンタが神に嘆願して両手を高く挙げ、この相応しくない意見と不当な当てこすりによってたった今与えられたこの苦痛を神に捧げるのを見ました。ヤチンタはこれを罪人たちの回心のために神へ、聖母へ捧げました。

私は、パードレ・ピオがしたと同じように、この女は文字通り彼女の鼻の下に何かあるものを差し出された、そして非常に感動させられた、と言いましょう。あの祈りそしてあの振る舞いは、ファチマのメッセージ全体の真実について彼女に確信させるに十分でした。彼女はその生活の変化によって同じようにそのことを証明しました。

彼らを通じて神は一つの異常な事柄をなさいました。ヤチンタとフランシスコは列福されることになっています。教皇は今年彼らを列福されるでしょう。一人の子どもの無邪気さ、そして同時にこの十字架を神に捧げる子どもは明らかにこの女には非常に感動させるもの、そしてそれについて読む者、それについて聴く者にも同様に感動的なものでした。


ファチマ・クルーセイダー

2014年03月16日 | Weblog

パードレ・ピオの秘密

The Fatima Crusader, Isuue 60: Summer 1999より

ジェームズ・ディマーズ

ニコラス・グルーナー神父とジェームズ・ディマーズとの間の会話

ジェームズ・W. ディマーズによる序言

パードレ・ピオは彼の手と足と脇腹にある傷のゆえに「生きている十字架像」と呼ばれてきた。しかしパードレ・ピオであったキリストのまねびはもちろん、それが彼の手、足そして脇腹においてそうであった以前にまず何よりも彼の心と霊魂と精神のうちにあった。

トマス・ア・ケンピスに帰せられるキリストのまねびという霊的古典が彼自身のロザリオと同様にパードレ・ピオによく知られていたということを想像することは容易である。パードレ・ピオの性格をそのように反映しているのがキリストのまねびの4つの巻の忠告であるので、言葉をパードレ・ピオの容貌から分離することは困難である。人はこれらの言葉、時に燦然とした、時に打ち解けた、しかし常に常識に浸された言葉をため息混じりに言う彼をほとんど聴くことができる。彼は告解室に入る準備をしているとき、あるいは告解をする人々に忠告を与えているとき、あるいはミサを捧げるための祭服を着けているときにそれらの言葉を発したであろう。人は、ミサの犠牲の間に彼が完全に感覚的世界の影響を受けないでいたとき、彼の霊魂の純粋さの中で光の羽のように踊っている有益な合図や示唆を容易に想像することができる。

自らをパードレ・ピオの霊的子どもだと考える人々は、再三再四彼の名前が苦境の時に呼ばれるときいかに彼が即座に彼らの側にいるか、彼の即時性についてコメントしている。キリストのまねびにおいてその即時性は検証され、きらきらと輝く色彩をもって通り過ぎる。パードレ・ピオはまさにその言葉をあなたに声を出して読んでくれるかもしれない。あるいはもっとよいことに、あなたの心の最も深部に届くようにそっと読んでくれるかもしれない。

この「生きている十字架像」への接近

あなたは、すでにこの論考を手にして、ここまで読んでこられたのであるから、そのことはあなたがすでに開かれた心を持っておられるということを意味している。それがパードレ・ピオに近づくためにあなたが必要とするすべてである。

もしあなたが彼の生涯の伝記的な詳細を知っていたならば、助けになるかも知れないが、ここにそのことを見出さないであろう。この人間のゆえに成長した出版業の無数の巻においてそれは十分に論じられている。

あなたはまた彼の人間性、彼の霊的な上昇、彼の教会、司祭職そして彼の仲間の人間への奉仕についての最大級の言葉で圧倒されることもないであろう。パードレ・ピオは最大級の言葉に身震いした。そして単なる死すべき者たちに言及するときには滅多にそのような言葉は使わなかった。

パードレ・ピオの秘密はむしろカトリックであることに関係があった。誤った修辞法のこの時代に、エキュメニズムを装って政治的な行動予定表が救世主の脇腹の傷から流れ出た宝の何らかの類似からキリスト教を歪めているとき、パードレ・ピオがカトリック、ローマ・カトリック以外の何物かであることを狂気と考えたであろうということを思い起こすことは重要である。

この論考はまた政治的な意味においてカトリックであることについてのものでもない。それは教会についてのものでさえない。それは個人的なカトリックの霊魂についてのものである。それはパードレ・ピオである避けられない磁気作用の源である。彼の不滅の霊魂はその中で天国を勝ち取るための戦いが行われる劇場である。彼の不滅のメッセージはその戦いに勝利する以外に重要なことは何もないとうことである。彼はその勝利を純粋にカトリック的な武器でもって勝ち取った。それら[の武器]はここであなたに、単にトマス・ア・ケンピスによるキリストのまねびの抜粋からばかりでなく、パードレ・ピオ自身の著作から認められるものとなるであろう。

パードレ・ピオの言葉が徹頭徹尾カトリック的であるということは、彼の言葉、文言、文章、時には短い節が、文脈から外されて受け取られるときでさえ、これっぽちの明確さ、意味あるいはニュアンスを加える以前あるいは以後に何らかの言及を必要とせずに、まったく完全に意味をなすということに人が気づくとき、明らかとなる。このことは、再び彼を彼らの生活の一部と見る人々によってしばしば言及される彼の性格の直接性の証明である。

あなたの守護の天使を使いにやる

パードレ・ピオを自分の生活の一部と見出すことはそのようにわずかの努力しか要らないので、彼の霊的子どもたちが地上のあらゆる種族、そして地球の仲間に出会うのはなんらふしぎなことではない。あなたは彼を捕まえるために単純にあなたの守護の天使を送るのである。そうすると彼はただちに来る。それはそのように単純である。

それは、キリストのまねびからの抜粋とパードレ・ピオからの引用との間にページ毎に自分自身の言葉を敢えて含めて考えるという小さな飛躍を必要としない。しかし、パードレ・ピオが日々彼自身の霊魂の善のために彼の生活の「愛」に敢えて服従したのと同じように、彼はまた彼の友人たちそして彼の告解に達するために絶え間なく数千人もの列を作った告解をする人々に、彼らもまた全霊でもって霊魂の「不滅の愛する御者」を捜し求めるように要求した。

そしてそのようにわれわれは敢えてページをくり、まったくカトリック的な、まったく個人的な、そして最も意気地のない人にとってさえまったく近づきやすい世界に入る。

パードレ・ピオの秘密

第1部:有益な注意

(今年の始めジェームズ・ディマーズは5月2日ローマでのパードレ・ピオの列聖式のためにグルーナー神父が出発する前にグルーナー神父と話をした。)

ジェームズ・ディマーズ:あなたはパードレ・ピオを知っておられた。あなたは彼に会われ、そして6ヶ月間サン・ジョヴァンニ・ロトンドで生活され、彼と一緒に働かれた。

グルーナー神父:私が最初にパードレ・ピオに会ったのは1965年でした。私は前年にマッギル(McGill)大学を卒業し、1964年11月以来ヨーロッパにいました。1965年5月にはイタリアにいました。そしてアッシジにいたときにフランシスコ会の何人かの修道女たちからパードレ・ピオのことについて聴きました。それで私は行って彼に会う決心をしました。私は彼のミサが3時間の長さだと聴いていましたし、私自身私の友人たちが証言することができるように、朝早く起きられるか知らなかったので、彼のミサの始まりにそこに居られるかどうか知りませんでした。しかし、ミサの中間には居る決心をしました。

私はそこに7時半ころに着きました。しかし彼のミサはずっと後まで続きました。彼はいつも5時にはミサを捧げます。1965年まで彼はミサを30分で捧げるという従順[の誓い]の下に置かれていました。

私はイタリア語を多く話しませんでしたが、しかし私が長い道のりを来たということを聴いたある人が私を階段の後ろの方へ連れて行ってくれ、私を彼に紹介してくれました。彼は私の頭を軽く叩きました(是認あるいは愛情の一つのしるし)。それが私の最初のパードレ・ピオとの出会いでした。3年後に私は戻りました。

ジェームズ・ディマーズ:彼はその時にはすでに奇跡を行う人であるという評判がありましたか?そしてバイロケーション[同時に異なる場所にいること]で評判がありましたか?

グルーナー神父:ええ、そうです。彼は確かに奇跡、バイロケーション、預言評判を持っていました。最も異常な出来事です。私はそれらのうちのあるものを目撃しました。そしてそれらのことを目撃した人々に話をしました。

彼は、1915年に見えない仕方で受けた聖痕の賜物が1918年9月20日に見えるものとなったその1918年にはすでにこれらの賜物を持っていました。その聖痕は彼の残りの生涯の間見えるものとしてずっと続きました。

私は、数千人の他の巡礼者たちと一緒に、1968年9月22日に彼の最後のミサに与りました。あなたが彼の傷を見ることができる唯一の時は彼がミサを捧げるときです。なぜなら、ミサを捧げるために彼はその半分[掌の部分が隠れる]手袋を外したからです。私は前の席に近い柱の側に立っていて、傷の一つ、彼の左手に見える傷を見ることができました。

ジェームズ・ディマーズ:聖痕があなたに見えたという事実のほかに、何かもっとありましたか?あなたが特別なある人の現前に立ち会っているという感情がありましたか?

グルーナー神父:パードレ・ピオは香りの賜物を持っていました。すなわち、彼はあなたに一つのかぐわしい香りを送ることができました。例えば、私たちはこのラジオ・スタジオにいます。ここには花はありません。そして扉は閉ざされています。誰かがわれわれに悪ふざけをしようと思って、ドアの下の隙間を通していたずらとして何かあるものを噴霧器で散布しない限り、この部屋の中へあるかぐわしい香りを漂わせることができる方法はありません。あなたはパードレ・ピオについて考えることさえ、大きなお世話だと考えることができるでしょう。そして突然、あなたはこのかぐわしい香りの気配を感じることになるのです。まわりには花はありません。香水をつけた人は誰も側を歩きません。あなたは自分自身で皆その香りを得るのです。

私は、パードレ・ピオが彼の生涯の最後の50年以上をそこで過ごしたサン・ジョヴァンニに居たときのことを思い起こします。私はかなり貧しい一人のアイルランド人と一緒でした。私はそれほど豊かではありませんでしたが、彼が持っていたお金より多くのお金を持っていました。それで私は外で夕食をするために彼を招待しました。彼はぶどう酒を注文しました。私は注文しませんでした。そして彼は私のグラスに少し注ごうとしました。私は断りました。そのとき、私は1週間の間ぶどう酒を取らない約束をしていました。

彼は二三度私にぶどう酒を申し出ましたが、私はいいえ、要りませんと言いました。

それで、彼は言いました。「私がそれでもなおあなたのグラスに注いだら、あなたは飲みますか?」

私は言いました。「いいえ、飲みません。」

その瞬間に私はこの香水の一吹き、バラのかぐわしい香りを受けました。それはパードレ・ピオのよりよく知られたかぐわしい香りの一つでした。彼は200以上の香りを持っていましたが、しかし5つの香りは最も一般に知られた香りでした。彼がバラの香りを送ったとき、彼はあなたがしていることを是認したのだということが理解されます。

アッシジの聖フランシスコは目に見える聖痕を持っていました。シエナの聖カタリナは目に見えない聖痕を持っていました。パードレ・ピオはバイロケーションの賜物を持っていました。他の聖人たちはバイロケーションの賜物を持っていました。彼[パードレ・ピオ]は[他人の]心を読む賜物を持っていました。彼は、たとえ彼らが彼からそれらを隠そうと試みたとしても、かれらの罪が何であるかをある人に告げることができました。彼は奇跡の賜物を持っていました。彼はその生涯のうちに多くの奇跡を行いました。

ある盲人が彼のところに来ました。パードレ・ピオは彼に言いました:「私はあなたを癒すことができるでしょう。しかしもし私があなたを癒したならば、あなたはあなたの目で罪を犯し、地獄に行くことに終わるでしょう。それでもなおあなたは癒してほしいかね?」彼は言いました。「いいえ。」

合衆国にタイヤの破裂によって両眼とも盲目になった人がいます。彼はまた嗅覚をも失いました。パードレ・ピオは彼の嗅覚を回復させました。神経は今日まで今もなお切断されています。にもかかわらず、彼は他の人が嗅ぐことができるものは何でも嗅ぐことができます。それは一つの奇跡です。なぜなら、神経はつながっていないからです。それは自然的な方法によってではありません。しかし彼は嗅ぐことができるのです。

シチリア島の一人の少女は両眼の瞳孔なしに生まれました。そして彼女の母親が彼女が4歳か5歳のときにパードレ・ピオのところへ彼女を連れて行きました。パードレ・ピオは彼女のために祈りました。そして彼女は見ることができました。それは十分に奇跡的なことです。しかし事実は、彼女が今なお瞳孔を持っていないということです。彼女は単に癒されただけでなく、瞳孔の助けなしに見ることができるのです。

私は、彼らがすべての答を持っていると信じ、科学、人間の科学的知識が最高の力であると信じるわれわれの高慢な時代をまごつかせるために、神はこのような仕方で奇跡を行われるのだと思います。そうです、神は明らかに科学よりも遙かにもっと強力な御方です--聖人たちの科学はより高い知識であり、より強力なものです。これらは彼の多くの奇跡のうちのほんのわずかなものです。パードレ・ピオについての書物は数百冊もあります。それらの多くは英語で書かれています。英語のもののうちで最も有名な書物の一つは1940年代のランブル(Rumble)神父およびカーティ(Carty)神父によって書かれた「聖痕の持ち主パードレ・ピオ」です。それは300ページの書物ですが、彼の生涯における諸々の出来事や異なった事柄の説明であり、そのうちの多くは名前、日付そして場所が与えられている奇跡です。

彼はミサで泣いたものでした。そしてなぜかと聴かれて彼はこう答えました:

「神がわれわれのためにその生命を捨てられ、十字架の上で死なれたことに比較して私が流した涙はどれほど少なかったか?」

彼の涙はハンカチの上で乾かされたとき、スミレのような香りを発したものでした。多くの人々にとってスミレはパードレ・ピオの涙を象徴しています。

コールタール性の香りは心地よいものでした。しかし彼はあなたに告解の秘蹟を受けなさいと告げていたのです。彼はまた新しく切ったタバコの香りを持っていました。それは彼の現前を示す贈り物でした。

不可知論者のアイルランド出身の一人の紳士が教会に行きました。そして彼に聖性の香りのうちに死んだ彼の叔父のことを思い起こさせる一つの香りに彼は気づきました。彼はこの香りは彼にパードレ・ピオによって送られたのだと理解しました。彼は目に見える仕方ではそこにいないパードレ・ピオに尋ねました。「あなたはどれくらいの数の香りを持っているのですか?」次の30分以上にわたって彼は次々と200以上の香りを数えました。彼は最後に数が分からなくなりました。そして香りはやって来るのを止めました。

私は、イタリアで働いていた間、1週間に2日から5日パードレ・ピオの町で過ごしました。私は1968年に一人のアメリカの飛行士に会ったことを覚えています。彼は一人のバプテスト派の信徒、あるいは何人かのプロテスタントのグループと議論になりました。そして彼らは彼に煉獄は存在しないということを証明しました。彼はこれは信仰に反することであるということを知っていました。それで彼はパードレ・ピオのところへ行きました。彼はこのことに対する一つの解答を必要としていました。しかし彼は彼に香りを送るパードレ・ピオの経験を欲しませんでした。私は数ヶ月後に彼に再び会いました。そして彼はそのときまでに煉獄を信じることに問題を持っていませんでした。彼は私に、ある日彼が滞在していたペンションに独りでいたとき香水の香りを受けたと言いました。その前の日に彼はもしこのことが彼に起こったら異常な精神状態になるであろうと考えました。しかし彼はあきらかにその経験を切り抜けて明らかに生き残りました。パードレ・ピオは彼に彼が望まなかった仕方で彼の答を与えたのです。パードレ・ピオはあなたが言及したように、ユーモアのセンスを持っていました。

メアリ・パイルはアメリカ婦人です。彼女は私が会った2か月後、4月に亡くなりました。彼女は1920年以来サン・ジョヴァンニにいました。彼女はまったく裕福でした。彼女はパードレ・ピオの近くにいるためにサン・ジョヴァンニに家を建てました。彼女は一人の召使いを持っていました。そして他のこともいろいろありますが、彼女の心の良さから貧しい人々に食事を与えていました。彼女は時を選ばずいつでも貧しい人に奉仕するのでした。そして彼女の料理人は不満を言いました。メアリ・パイルは、料理人は貧しい人の愛のために喜んでいるべきだ、時を選ばずいつでも彼らに喜んで奉仕するべきであると考えました。料理人はメアリ・パイルは道理をわきまえていないと考えました。彼らはパードレ・ピオに訴えました。そして彼は料理人に味方して裁決しました。彼は彼女[料理人]にいつも仕事をさせることは公正ではない、彼女は休息を必要とすると言いました。彼女[メアリ・パイル]はまた、彼女の料理人が菓子を焼いていたある時、パードレ・ピオがバイロケーションによって部屋に入って来て、あなたが最初に卵を入れたなら、もっと善いであろうと言ったと言いました。料理人は順序を逆にしていました。そしてそれは功を奏しました。それはもっと善かったのです。

メアリ・パイルはパードレ・ピオの父母が死ぬためにサン・ジョヴァンニに来た時、ホストとして行動しました。彼女の一つの願いは彼女がパードレ・ピオの前に死ぬことでした。

イタリア語を一語も話さないメアリ・パイルの妹が第二次世界大戦の間にサン・ジョヴァンニにいました。そして告解のためにパードレ・ピオのところへ行きました。パードレ・ピオは英語を話しませんでした。にもかかわらず、彼らは両者とも彼ら自身の言語で話したのに、お互いに理解しました。

最も有名な物語のうちのあるものはパードレ・ピオと兵士たち、特に飛行士についてのものです。彼が撃墜されそして彼の飛行機が落下したので機外に飛び出した一人のイタリアの飛行士は彼の落下傘を開くことができませんでした。彼が知っている次のことは彼が一人の托鉢修道士によってそっと地面に下ろされたということです。彼はその修道士をパードレ・ピオだと認めました。その人は彼の生命を救ってくれたことに対して感謝するためにパードレ・ピオのところへ行きました。

「ただこのことだけかね?」とパードレ・ピオは尋ねました。「あなたの飛行機が山にぶち当たり、そしてあなたがまた安全に救い出された時についてはどうかね?しかし、私に感謝しないでくれ、あなたのお母さんに感謝しなさい、あなたを救ったのは彼女の祈りだった。」その人はパードレ・ピオが最初に彼の生命を救ったということを理解していませんでした。

アメリカ軍が南イタリアを接収した後戦争の終わり頃、彼らはサン・ジョヴァンニからおよそ40kmの空軍基地を接収しました。彼らはその基地をユーゴスラヴィアに対する爆撃飛行任務に使っていました。戦争の始めにパードレ・ピオはサン・ジョヴァンニの人々にサン・ジョヴァンニ・ロトンドの街には爆弾は落ちないと告げました。彼はそのことを彼らに約束しました。

空軍大佐はアメリカ人たちに、爆弾を搭載したまま基地に戻ってはならないと厳格な命令を与えていました。その理由はもし彼らが着陸に失敗して墜落したら、基地を吹き飛ばすからだということでした。彼はこの命令に従わない者は誰でも軍法会議にかけると警告しました。とりわけ一人のパイロットが彼の友人アルフォンス・ドルテガ--私は1968年にサン・ジョヴァンニ・ロトンドで彼に会いました、そして同じ基地で働いていました--にこう告げました。彼が飛行から戻ったとき、彼は基地から10分のところにいて、また爆弾を一つ搭載していました。彼は爆弾を落としに行きましたが、彼がそうすることができる前に、「そうしてはいけない」と言っている英語を話す一人の人間の形をした一つの雲が彼の方へ近づいて来るのを見ました。命令は命令です。雲であろうが雲でなかろうが、英語であろうが、英語でなかろうが、彼は爆弾を落としに行きました。機器が動かなくなり、彼は爆弾を投下することができませんでした。彼は選択の余地がありませんでした。ガソリンがもう切れていました。彼は爆弾を搭載したまま着陸しました。空軍大佐は爆弾を搭載したまま着陸した男のことを聴いたとき、ひどく怒りました。彼は軍法会議にかけることによって彼の不服従を罰しようと望みました。彼は、そのパイロットの説明を聴いたとき、パイロットが余りにも長く飛行していて休息が必要だと感じました。それはその基地でそのように頻繁に起こったので、その話は「おお、それはパードレ・ピオのように思われる」と言った会食者の中の9歳の皿洗いの少年によっても聴かれたほどです。

ドルテガは、少年がこのことを言うのを聴いたとき、この経験をしたのがプロテスタントのパイロットであることを知りました。

彼は何がそこにあるか見に行こうと彼に求めました。彼らは二人で5時のミサ前に教会に行きました。そして以前にはカトリック教会の中に入ったことがなかったそのパイロットは彼が雲の中で見た男を見ました。それはミサのために出て来たパードレ・ピオでした。この話はイタリア人たちと呼ばれる世俗的な書物の中で語られました。パードレ・ピオが行った数百の奇跡があります。これらはもっと劇的なもののうちのほんのいくつかです。

ジェームズ・ディマーズ:また多数のバイロケーションの例もありました。彼はそのこと--一時に多くの場所にいること--がどうして可能なのかと尋ねられました。彼はそれは、われわれがまだ理解できない人格の拡張であると言うことによって、そのことを説明しました。それは彼がそれを説明しようと努めたかぎりでのことでした。

グルーナー神父:明らかに托鉢修道士たちは彼らの間で一つの議論をしていました。彼は部屋にいましたが、しかし議論の中には入っていませんでした。彼らはバイロケーションの中にいる人間が彼が第二の場所に居ることを意識しているか、それともそうでないかを議論していました。半数の人々は彼は自分がどこにいるかを意識していることはできないと言い、他の人々はできると言いました。長い議論の後に、議論に参加していなかったパードレ・ピオが言いました。「彼は知っているよ。」

ジェームズ・ディマーズ:彼の手と足の聖痕のゆえに彼は「生きている十字架像」であるという記述が彼についてしばしば用いられます。しかし、彼の伝記はトマス・ア・ケンピスによるキリストのまねびの言葉のうちに容易に見出すことができるとほとんど言うことができます。

キリストのまねびにおける第一の黙想は彼の性格についての扉を実際に開くように思われます。私はこれを読んだとき、彼の非常に近くにいると感じました。ほんの1行に還元される有益な忠告と呼ばれる部分における第一の黙想は次の通りです。

「それが真にそうであるように、堕落したそして束の間のものであると世界を見ること、世界をそれ自身のためにではなく、神のために愛すること、そしてあなたのすべての努力を神の国に達する方向へと向けること、これが最高の知恵である。」

パードレ・ピオが彼の後年に言ったとして引用される事柄の一つは:

「神学者たちは間違いを犯し得る、そして自らを嘲笑にさらすことができる。われわれがそれを退屈だと見るときでさえ、われわれの観念を明らかにするために、教会の厳格さが常に必要である。時間と共に、あなたもまたこのことを理解するであろう。厳格さなしにはただ混沌があるだけであろう。」

私は彼がこのことを第2ヴァチカン公会議に関係づけていたと思います。あなたはこれが今日の教会における状況に関係すると言われるでしょうか?

グルーナー神父:「厳格さなしには」という彼の文言は、たとえ一つの苦痛がそこに含まれているとしても、真理を要求している教会に関係しています。例えば、パードレ・ピオは彼自身の死のおよそ10日前に、教皇パウロ6世によって出された回勅フマネ・ヴィテを支持しました。教皇に宛てて彼が書いた手紙が出版されました。パウロ教皇は確かにパードレ・ピオについて知っておられました。そして回勅についての彼の意見はそれが公表される前に求められました。パードレ・ピオの答はこうでした:

「すぐにそれを公表しなさい、それをそのまま公表しなさい。」

多くの人々はフマネ・ヴィテを厳格だと考えています。しかしパウロ6世がなさっていることはすべてカトリック真理を反復して述べていました。

要点はこうです:もしわれわれが真理によって生きないならば、われわれは、われわれに嘘を告げる誰かの奴隷になるか、それともわれわれ自身の悪徳の奴隷となるかのいずれかです。真理のあの厳格さなしには、もちろんただ混沌があるだけです。

ジェームズ・ディマーズ:パードレ・ピオのそれに対する再度のコメントはこうでした:

「教会を愛する多くの理由がある。しかし私の意見では、数世紀を通じて今日まで厳格さが存在するという単なる事実はわれわれにとって、少なくとも実質において無傷のままに保たれてきた。神の言葉と御聖体はわれわれに母よりも教会を愛させるに十分であるべきである。」

独特の皮肉の感覚

ジェームズ・ディマーズ:パードレ・ピオは権威ある人物たちに対する非常に独特の観点を持っていました。これは、あなた、グルーナー神父、が非常によく話すことができる何かです。

キリストのまねびからの第5の黙想はこう言っています。「神はその人の地位を考慮なさらずに多くの仕方でわれわれに話しかけられる。」

パードレ・ピオはこう言っています:

「まったく、まったく、私が若かったとき以来世界はなんと変わってしまったことだろう。あのころは警察は泥棒や強盗の直ぐ後に見出されたが、今では道を清めるために警察はオートバイに乗って彼らの前を走っていますよ。」.

彼がここでしているコメントにおいて、彼は特に政治家たちについて話しています。しかしあなたはまたそれらすべてについて知っています。

ジェームズ・ディマーズ:もちろん、彼は政治家たちに言及していました。北アメリカにおいては警察は中絶主義者たちと殺人者たちを守っています。そのように、世界は確かにパードレ・ピオが成長した時代からは変わったしまいました。そして明らかに、それはよりよい方向に変わったのではありません。

同時に、われらの主は地位のある人々、ファリザイ派やサドカイ派について、彼らがモーセの座についている、そして彼らがあなたにモーセがあなたに教えていることを教えるとき、彼らに従いなさいと言っておられます。しかし、彼らの実際の例に従ってはならない、なぜなら彼らはモーセが彼らに行うように教えたことを行っていないからである、と。

われわれは偽善的な生活を送っている高い地位にある人々の例に従うべきではありません。しかし同時に、もし彼らが彼らの合法的な権威を行使しているならば、われらの主はわれわれに、彼らに従うことを期待しておられます。

ジェームズ・ディマーズ:キリストのまねびからの黙想14はあなた自身の生活とパードレ・ピオの生活とのある種の交差と私が考える一つの愛すべき黙想です。

「思想と意見の相違は友人たちや隣人たち、修道者たちそして発達した人々の間に必要以上の口論へと導きます。」

これはパードレ・ピオの言葉を反映しています。彼は注目で彼を圧倒したある人々にこう言いました:

「ここにはどのような種類の聖人もいない。だから、行って、どこか別の町であなたが探しているそのような聖人たちを見つけなさい。私はある種の事柄に、特にそれらが公に行われるならば、うんざりさせられている。しかしもしわれわれだけがいるならば、そして私が自由にできる1トンの水を持っているならば、私は、あなたの脳をリフレッシュし、あなたをもっと軽く感じさせるためにそれをあなたの上に消防士の力でもって注ぐだろう。」

パードレ・ピオは人々にこう言おうと努めていたのです。あなたはあなたの注目のすべてでもって私を圧倒している、あなたはあなたの関心とそのようなすべての取るに足りないもので私を圧倒している。とりわけ、私は一個の人間であり、そしてしばらくの間独りでそっとしておいて貰う必要があるのだ、と。

ときどと、グルーナー神父様、あなたは同じように圧倒されると感じられるに違いありません。あなたもまた、会議でいつも、移動でいつも、引っ張りだこです。そしてしばしば多くの異なった関心を持つ人々に直面されています。あなたはそれをどのように処理されているのですか?

グルーナー神父:パードレ・ピオの周りにいた人々と私自身の周りにいる人々には大きな違いがあります。それはパードレ・ピオがかつて言われたように、「あなたが人々に神を与えるとき、彼らはあなたを食い尽くすでしょう」とう意味においてです。

彼は数百万の人々に神を与えました。私の仕事は単に、しかし重要なことなのですが、ファチマの聖母が言われたことを繰り返すことです。不幸なことに、それは十分な人々によって繰り返されてはいません。それが私が今そうであるように需要がある理由だと私は考えています。パードレ・ピオを取り囲んでいた人々に関して言えば、彼らは自分たちが一人の聖人に関わっているのだということを知っていました。あなたを評価する人々を持つことはすばらしいことです。そしてまた、あなたが神に話すことができ、そしてあなた自身をもうすこしよく知らせることができるように時間を持つことはあなた自身にとってすばらしいことです。

内的な生活へ向かって

ジェームズ・ディマーズ:一人のカトリック者としての彼らの役割は教会内部での従順の役割であると信じて成長したカトリック教徒の心の中でまさにこの点を追求して行く多くの葛藤があります。今日われわれは、ファチマに関してヴァチカンから出て来るすべての規則にわれわれが従順であるべきだと要求するあつらえ向きの目録[bill of goods]を売られています。にもかかわらず、誰もが本能的にそれらには何か間違ったものがあると感じています。

人々は、教会内部のファチマ賛成派とファチマ反対派の葛藤の論争全体を非常に注意深く見ながら、要求されていることと後ろへ下がることとを記述するために「偽りの従順」という言葉を用いています。そしてそれらはいわゆる専門家たちによって誤った情報であるものとしてしばしば誤り伝えられています。ファチマに忠実な信徒は多くの個人的な力でファチマの全メッセージを主張しています。それはキリストのまねび第2部の「内的生活へ向かって」と題された黙想3を思い起こさせるものです:

「自分自身との平和のうちにいる人は学問のある誰かある人よりも大きな善をなす。」

パードレ・ピオは本当に美しいものである従順についてコメントしました。

「従順がないところには徳がない。徳がないところには善がない。善がないところには愛がない。愛がないところには神がおられない。そして神がおられないところには天国はない。」

もちろん、それが、私たちが不従順であることを恐れる理由です。それが、われわれが従順に挑戦することを恐れる理由です。不幸なことに、その目的が敬虔な者を打ちのめすこと、敬虔への呼びかけの意味を逆転させることである人々によってわれわれに対してそれが用いられています。われわれが誤りであると知っていることをするようにわれわれに強いるようにローマから一つの圧倒的な不可抗力的なものが向けられていると思われます。

ジェームズ・ディマーズ:そのことに対する解答は最初の教皇、聖ペトロの口から出て来ます。彼はこう言っています:「われわれは人間よりもむしろ神に従わなければならない」。

聖ペトロはこのことを、サンヘドリンたちが彼にイエズス・キリストの名において説教してはならないと命令したとき、彼らに言いました。彼は、自分は彼らには従わないであろうと言いました。それで彼らは、聖ヨハネと一緒に、彼を鞭打ちました。

神がペトロとヨハネそして使徒たちにキリストの名において説教せよとお命じになるとき、人間は誰も彼らにそうするなと告げることはできません。われらの主が、ファチマのメッセージの中で、われわれに、「それを私のしもべたちに知らせなさい...」と言っておられます。主は御自分のメッセージを沈黙させる権威を御自分のしもべたちにお与えになっていません。

ファチマは一つの預言です。聖書は、われわれは預言を軽んじてはいけないとわれわれに告げています。1テサ 5:19-22において、聖パウロのペンを通して書きながら、聖霊はこう言っておられます:

「霊を消してはいけない、

預言を軽んじてはいけない。

すべての事柄を吟味し、しっかり保ちなさい、

善いものを。

ファチマの預言的メッセージはカトリック教会によって、位階によって吟味されてきました。そして彼らはそれを善いものであると見出しました。それゆえ、聖書の命令に従って、われわれはそれをしっかりと保たなければなりません。われわれは従わなければなりません。われわれは人間よりもむしろ神に従わなければなりません。それが答です。

ジェームズ・ディマーズ:第2ヴァチカン公会議以来、自分たちを教会の番犬として指名した学者あるいはエリートのこの成層圏があるように思われます。30年間が過ぎて、今彼らは、ただ自分の信仰を実践し、日々自分の生活を送りたいだけである謙遜なカトリック教徒に真っ向から反対してきたと思われます。一方でこれらの自らを指名したエリートたちはわれわれが見てきたもののあらゆる認識からはずれて教会を歪めています。

キリストのまねびにおいて第2部黙想5の一つの美しい行は単純にこう言っています。「自分自身の行動を誠実に検討する人は決して他の人々を性急に判断しないでしょう。」

パードレ・ピオは痛烈なユーモア感覚を、そして修道生活の中でまた何が許されるか、そして何が許されないかの感覚を持っていました。

グルーナー神父様、あなたは評判がよい方です。そして修道生活の外部にいる人々が考えている多くのことが聖職者のあるメンバーたちの側での非常に異常な行動であるということに抵抗してきた人の公共の横顔を持っておられます。確かに、カトリック教会は世界中で聖職者によるスキャンダルと不品行で過去20年間非常に悪い時を持って来ました。あなたは教会の諸々の法律よりも前に自分たち自身を置いて来た人々にとても我慢がならなかった人として知られています。しかし、われわれがもう一つのスキャンダルの高波に直面しているゆえに、以前よりももっと慰めを必要としているカトリック教徒に対して、あなたは今何を言おうとされますか?ローマは人々にとってますます意味を失い始めています。美しいラテン語のミサが国中でだんだん多く戻って来つつあるとしても、都市のゲットー化された地域でラテン語ミサが常に捧げられることを確実にする司教たちの側での絶えざる一致した努力がなお存在しています。われわれが地下教会を構成しているところで、当局者たちは士気喪失の感覚、意気消沈の感覚の種を蒔こうとしています。彼らをどのように拾い上げるかということに関してファチマは何を言うでしょうか?

グルーナー神父:まず何よりも第一に、私たちは聖母の約束を持っています。聖母はこう言っておられます:

「最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。ロシアは回心し、平和の一時期が人類に与えられるでしょう。」最初の行に、「最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう..」が来ています。

聖母は私たちに戦闘があるでしょう、そしてそれは厳しい戦闘でしょう、と告げておられます。勝利者はすでに知られています。それは聖母、そして聖母と共に聖母の側に立つ人々でしょう。私たちはその約束、聖母が蛇の頭を砕かれるであろうという約束、を創世記3:15のうちに持っています。

われらの主は言っておられます:

「私は世に勝った。」

続く


ファチマ・クルーセイダー

2014年03月15日 | Weblog

リジューの聖テレーズ

The Fatima Crusader Issue 74, Summer 2003より

ベルナデット・ヴェスコ.

「だから、自分を低くしてこの幼な子のようになる者が、天の国でいちばん偉いのである。」(マタイ 18:4)

リジューの聖テレーズの短い生涯は並はずれた業績によって区別されなかった。少なくとも、現代世界の基準から偉大さと同一視されるような種類のものではなかった。

彼女は、単純な環境のうちに気づかれずに生活されたナザレの聖家族の生活にならって形成された隠れた生活を送った。祝せられたおとめマリアを模倣しながら、テレーズの「卓越した徳と恩寵は同じように彼女の行動の単純性の下に隠されていた」注1)。

1873年に生まれたテレーズ・マルタン(Therese Martin)がリジューのカルメル会修道院に入ったのはわずか15歳の時であった。彼女が結核で亡くなったとき、24歳であった。にもかかわらず、彼女の短い生涯の内部で神のこの小さき花は、福音書においてわれらの主によって輪郭を描かれた聖性と霊的な子どもらしさへの確実な道を証明するであろう天国への「小さき道」を構成する聖性の偉大な高さへと達した。

自伝ある霊魂の物語において彼女が記述した彼女の生涯は彼女を急速に聖性へと進歩させた謙遜と犠牲で充たされていた。彼女は、自分が「非常に小さな霊魂」であると主張しながら、最も小さなそして最も弱点のある霊魂たちでさえ愛、犠牲そして忍耐を通じて彼女の道に従い、そして確実に天国の花園に達することができると強く主張した。

テレーズはしばしば、その全生涯を偉大な聖者として送る祝福されている霊魂たちと一方で他の者たちは彼らの旅路の途中で深く弱点を持ち、絶えず倒れる霊魂たちとの間にそのような不均衡があるという事実を熟考した。

彼女はより小さな、弱点を持った霊魂たちがどのように天国を確信することができるか不思議に思った。なぜなら、彼らは偉大な霊魂たちよりもはるかに弱いからである。自分自身深く欠点のある霊魂たちの一人であると信じていたこの聖人はその問題について照明を受けるように熱心に祈った。そして彼女の照らしをその自伝に書いた。

「[イエズスは]自然の書物を私の前に開かれました。そして私はイエズスが創造なさった花がみなそれ自身の美を持っていること、バラの輝きと百合の白さとはスミレからその香りを奪わないし、また雛菊の魅力を減じるものではないということを見ました。私はもし小さな花がみなバラでありたいと望んだならば、自然はその春の飾りを失い、そして野原はもはやその種々様々の花でいろどられることもないということがわかりました。」

「ですから、主の生ける庭園、霊魂たちの世界においてもそうなのです。百合やバラに比較されてもよい偉大な聖人たちを創ることは主を喜ばせます。しかし主はまた雛菊やスミレであることに満足しなければならない小さな聖人たちをもお創りになりました。雛菊やスミレも主がそれらを見ることを選ばれるときには主の眼を喜ばせるために主の足もとに気持ちよく横たわっています。主が望まれるようにそれらが幸せであればあるほど、それらはそれだけ完全です。」

「私はさらに何かあることを見ました:私たちの主の愛は、最も偉大な霊魂を通じてと同様に、主の恵みに完全に委ねる一つの小さな霊魂を通じても輝き出すということです。真の愛は自己を低くすることのうちに示されます。そしてもし誰もが教会を飾る聖なる博士たちのような人ばかりでしたら、神が彼らのところに来られたとき、神はかがむことが十分おできにならないと思われるでしょう...神をお喜ばせするものは野のこれらの花の単純さです。そしてそれらにそのように低くかがむことによってです。神は御自分がいかに無限に偉大であるかをお示しになります。ちょうど太陽がヒマラヤ杉にも小さな花にも等しく照るように、神的な太陽も偉大な人にも小さな人にも皆に等しく照るのです。」

このように、リジューの聖テレーズはわれらの主の庭園のバラの一つであるけれども、すべての霊魂たち、特に最も小さき霊魂たちのための彼女の激励は、われわれは自分自身の低さを超えて決して高まることはないであろうということに絶望しているわれわれにとって最も大きな価値を持つものである。その反対に、聖テレーズは、われわれは自分たちの欠陥や不完全さを長々と述べるべきではなくて、その代わりにわれわれの小ささを認め小ささにおいて喜ぶべきであるとわれわれに教えている。なぜなら、この条件はもしわれわれが忍耐するならば、われわれを確実に天国へと連れて行くであろうからである。

聖テレーズの小さき道

聖テレーズは偉大な行為や完全性に存する聖性の高尚な高みに達することは彼女自身できないと信じて、異なった手段を通じて:すなわち、彼女の「小さき道」を通じて聖人となり天国に達しようと努めた。

聖テレーズの小さき道は保証つきの神との一致におけるわれわれの霊的生活の「単純さ」である。それは愛、忍耐そして子どものような信頼に存する。恐れも落胆も、常に神の強さに依存し、そして自分自身の小ささを認める、この道を生きる神の単純な子どもをくじくことはできない。

聖テレーズは自伝の中で彼女の小さき道を説明した。先ず第一に、あなた自身を子どもたちの中でも最も小さな者として心に描きなさい。それから彼女はこう言う:

「すべての徳の実践によって、聖性の階段を登るための試みにおいてあなたの小さな足を上げなさい。でも、あなたが最初の一歩でさえ登ることができるだろうと考えないでください。神はただあなたの善い意図だけをお求めになっています。階段の一番上で神はあなたを愛情を込めて見守っておられます。間もなく神の愛はあなたの無駄な努力によって征服されるでしょう。そして神は御自分の腕にあなたを抱き上げるために御自身で降りて来られるでしょう...『小さいままにとどまる』ということは私たちが自分たち自身の無であること、小さな子どもがあらゆるものをその父親から期待するように、私たちがあらゆるものを神の善性から期待するということ、私たちがあらゆるものを気遣っているのではないということ、そして私たちが霊的富を蓄積することについては考えていないということを意味します。貧しい者の間にあってさえ、子どもは、まだ小さい間は必要であるものを受け取ります。ひとたび彼が成長すると父親はもはや彼を保護せず、働いて自活しなさいと彼に言います。だからこそ、私は小さいままにとどまったのです。私の唯一の配慮は愛と犠牲の花を集め、それを神の善き楽しみのために神に捧げることでした。」

彼女は更にこう説明した:「小さい者であること、それは私たちが実践している諸徳を、あたかも私たちが何らかの善が可能であるかのように、私たち自身に帰さないということを意味します。私たちは、神がこの宝を御自分の小さな子どもの手に置かれたということ、そしてその宝は常に神のものであるということを認めます...小さい者であることは私たちが自分の欠点に決して失望しないということを意味します。なぜなら、子どもたちはしばしば倒れるけれども、真剣に自分自身を傷つけるには余りにも小さいからです。」

聖テレーズの小さき道において、小さい者の花、毎日の犠牲は神に対するわれわれの愛の最も大きな証拠である。それらはわれわれがどのように「神を勝ち得る」かである。このカルメル会修道女の例はこのことを完全に例証している。神の愛のために沈黙のうちに苦しむことから厳しい論評を抑え、代わりに微笑を与えることまで、あらゆる可能な状況における彼女の犠牲を通じて、彼女は自分自身の強い意志と人間的な自己愛を征服した。

いちど、テレーズが汚れた洗濯物をしていたとき、もう一人のシスターが知らずに汚水を彼女にかけ続けた。シスター・テレーズは、彼女が一歩引き下がって、そのシスターに自分が汚水のしぶきを浴びているというしるしとして顔からその汚水を拭おうとどのように誘惑されたか、しかしそうする代わりに、神への犠牲としてこの苦行を捧げることを思い起こしたかを記述した。

彼女は言った。「なぜそのように気前よく提供された宝を拒否するほどに十分に愚かでありましょうか?私は自分の憤激を隠そうと気をつけました。私は汚水ではねかけられることを楽しむように一生懸命努めました。そして30分の終わりまでに、私は中傷のこの新しい形式に対する真の経験を獲得しました。そのような宝が与えられるこの地点を見つけたことは何と幸運なことだったでしょう!私はできる限りしばしば戻って来るでしょう。」

日々の行為と義務における年がら年中の屈辱はおそらく、そのように我慢のなさに傾いている哀れな人間本性にとって他のいかなる形式の償いよりも難しい。注3)日々われわれがするすべてのことにおいてわれわれ自身の自己意志と容赦なく戦うことは確かに小さなことではない。このように、われわれは小さな毎日の犠牲が些細なことではないということを見るのである。反対に、それらは「宝」であり、それによってテレーズが聖性の中二階へすばやく飛ぶように登った手段である。

霊魂たちに対するテレーズの愛

リジューのカルメル会に入る前に、テレーズは彼女の特別な使命を熟考した。そして「しばらくの間、彼女は宣教の活動的な使命とカルメル会の観想的な生活の間の彼女の選択において躊躇した。彼女は遠隔地の宣教に対する非常に強い魅力を感じた。しかしイエズスの声は彼女により隠れた生活とイエズス御自身とのより親密な生活へと呼びかけた。」注4)

彼女がしばしば決心を議論したテレーズの妹セリーヌはテレーズの使命をこのように書いた。「修道生活はテレーズにはとりわけ霊魂たちを救う手段だと思われました。その理由で、彼女は外国宣教会に参加することを考えました。でも、もっと多くの霊魂を苦行と自己犠牲によって救うという希望が彼女にカルメリットになることを決心させました。彼女は私たちの本性にとって、その労働の結果を一度も見ることなく、励みとなるものもなく、そしてどんな種類の気晴らしもなしに働くことはより困難であるということ、そしてすべての仕事の中で最も骨の折れる仕事は自己支配であるということを考えました。彼女は『この生きている死』を選びました。なぜなら、それは霊魂たちを獲得する最も確実な方法だからです。」注5)

彼女がカルメル会から来るのを感じた強い引きに加えて、もう一つの恵みが彼女の大きな使徒的召命の神秘的な形を理解するために与えられた。ある日曜日、彼女がミサの後書物を閉じたときに、十字架にかかったわれらの主の御絵が、ちょうど主の聖なる御手の一つを顕わして、部分的にはみ出した:

彼女が以前には決して感じたことがなかったような言いようのない悲しみの感情が、貫かれ、血を流しているこの崇拝すべき御手を見たとき彼女の心を貫いた。それは見捨てられた救世主に与えられるべき愛を嘆願しているように見えた。瞬間的に彼女に愛すべき返答がやって来た。なぜなら、彼女はわれわれにこう告げているからである:「私は、私が主の尊き御血を受け、そしてそれを霊魂たちの上に注ぎかけられるように、永遠に十字架の足下にとどまる決心をしました。」

霊魂たちの救いに対するこの熱意はますます強くなった。そして彼女の心の中に、死んで行かれる救い主の言葉がこだました:「われ渇く」。それは彼女の心の中に「これまでに知らなかったそして非常に熱い火」を点火したのである。彼女は霊魂たちのために渇きをいやすことを渇望した。そして彼女の使徒的熱意は聖霊降臨の後に使徒たちに与えられたような奇跡を当てにした。

プランジーニ(Pranzini)という名の冷酷な盗賊、色魔そして人殺しが彼女の焼き尽くす熱意によって利益を受けるべき最初の人物であった。当時のすべての新聞は死刑を宣告され、そして多くの点でそれに値したこの哀れな犯罪者によって犯された三つのショッキングな殺人を詳しく報道した。そのニュースはテレーズの静かな家庭の領域にさえ入って来た。今や熱心な「霊魂たちの漁師」となったテレーズは直ちにこの巨大な魚を捕まえるための彼女の網を投げることに決めた。言葉を換えて言えば、彼女は人間たちの中でも最も堕落したそして悔悛の情のない者を回心させようと決意した。そしてその目的のために、直ちに、彼女自身がわれわれに告げているように、勝利を得る最も確実な手段に決めて、彼女の力の及ぶすべての霊的手段を採用した:「自分自身では何もできないということを知っていますので、私は彼の身代金として私たちの救い主の無限の功徳と聖なる教会の宝を捧げました。」彼女の信仰はたじろがなかった。しかし、霊魂たちを求める彼女の探求において勇気を得るために、彼女は神へと立ち帰り、彼女の個性的に単純なそして信頼に満ちた仕方で祈った:ああ、私の神よ、私はあなたがこの哀れなプランジーニを赦してくださることをまったく確信しています。私はたとえ彼が自分の罪を告解せず、また悔悛のどんなしるしも与えなかったとしても、このことを信じるでしょう。なぜなら、私はあなたの限りない憐れみに信頼を持っているからです。でも、彼は私の最初の罪人ですので、私自身の慰めのために悔い改めの一つのしるしを乞い願います。」

テレーズは、普段は新聞を読まなかったけれども、今はただプランジーニについて知るだけのためにラ・クロワのページを熱心に細かく調べた。彼の処刑の翌日、彼女は不幸な人殺しの最後のニュースを得るために急いで新聞を開いた。そして以下が彼女が読んだことである:「刑務所の入口のところでその刺客は死んだように蒼白に見えた。教誨師がおぞましいギロチンを見えないように隠すために彼の前を歩いた。他の者たちは一緒に彼を助けていた。彼は司祭と処刑人たちを脇へ押しのけた。彼が断頭台のところへ来たとき、ディーブラーが彼を押しやった。しかしその前に、彼の良心は突然の悔恨によって明らかに打たれた。なぜなら、彼は教誨師に彼の十字架を求め、3回それに接吻したからである。」そしてカトリック新聞はこう論評した:「もし人間の正義が彼の死によって満足させられたとすれば、おそらくこの最後の十字架接吻はただ悔恨だけをお求めになる神の正義を満足させた。」注6)

このしるしはテレーズを「霊魂たちの漁師」としての彼女の独特の役割において確証した。--それはちょうど、霊魂たちに対する渇きが彼女を虜にしたのがイエズスの傷を見たことにおいてであったのと同じである。そして今や彼女の「最初の罪人」の最後の行為は「十字架を3回接吻することによってこれらの聖なる傷に対する彼の信頼を置く」ことであった。注7)

罪人たちのうちでも最も冷酷な者に一身を捧げるテレーズはすでにファチマの聖母がわずか30年後になさるであろう悲しい嘆願に答えることの一つの模範を示していた:「罪人たちのために祈りなさい、たくさん祈りなさい。なぜなら、多くの霊魂は、誰も彼らのために犠牲をし、祈ってくれる者がいないので地獄に行くからです。」テレーズは愛と犠牲の彼女の小さな道を通じて「霊魂たちのために漁ること」によってそのことを理解していた。彼女は最も豊かな漁獲を確信することができたであろう。

1925年にテレーズを列聖された教皇ピオ11世は、彼女を偉大な宣教師聖フランシスコ・ザビエルのそばに置いて、外国宣教の共同保護者と宣言された。この特別の役割のためにピオ11世が与えられた理由はテレーズが霊魂たちに対して、そして「彼女にとってそのように貴重であった」霊魂たちに対して持っていた熱心な愛と「彼女の最も激しく燃える強調の霊感」注8)であった。彼女の修道院から彼女は、文通を続け、特別に祈っていた2人の宣教司祭の霊的姉妹であった。

霊魂たちへの彼女の献身のうちにそのように反映していたのは神に対するテレーズの愛であった:彼女の修道院の沈黙のうちに、テレーズの心のうちの愛の炎は霊魂たちに対するますます増大する熱意をもって彼女を鼓舞した。彼女は霊魂たちを救うことを熱望した。しかしながら、彼女の熱意は常に彼女の小さき道と一致していた。彼女は「最も普通の犠牲は、もし神の愛のためになされるならば、神の御心を喜ばせる」ということを知っていた。彼女の目的は霊魂たちの救いであった。そしてこの目的のために彼女は自分の最も普通の行動--一つのピンを拾い上げることさえ--を神の最も憐れみ深い愛に対する愛の行為として捧げた。彼女の最も小さな行動は永遠の生命を積んでいた。注9)

彼女の致命的な病気の強い苦痛を通してさえ、彼女の心は霊魂たちに対する愛で燃え続けた。彼女はこう言っていた:「そのような程度まで苦しむことが可能であると考えたことは一度もありませんでした。私はただそのことを霊魂たちを救いたいという私の強い望みを通じて理解することができるだけです。」

テレーズの使命 -- 彼女のバラのシャワー

彼女の生涯を通じてずっとテレーズは彼女がこの世では長く生きないであろうという予感を持っていた。彼女は神を愛し、そして霊魂を救うという彼女の生涯の使命がただ死の後にのみ完全に実現されるであろうということを知っていた。彼女が死の床についているとき、彼女はこう言った:「私は私の使命がこれから始まろうとしている--他の人々を私が神を愛したように神を愛させるという私の使命--霊魂たちに私の小さき道を教えることだと信じています。私は地上に善いことをすることで天国の生活を過ごしたいと望んでいます...私は天国で怠けていられないと思います。なぜなら、教会と霊魂たちのために働くことが私の望みなのですから。私はこの恵みを神に願っています。そして神がそれを与えてくださることを確信しています...あなたは見るでしょう。私の死後、私はバラのシャワーを降らせましょう。」

神が御自分の愛する花テレーズの熱心な望みを拒否することがおできにならないということは何か不思議なことであろうか?彼女は自分の死後、地上に戻り、善いことをすると約束した。そしてこの聖人は本当にその約束を守った。死後間もなく、テレーズは霊魂たちに神の愛の花でシャワーを降らせ始めた。そしてまだ地上にいる霊魂たちの祈りに対する彼女の答はそのように印象的ですばやく、そして多数であったので、彼女の列聖のために、教会は諸聖人の列聖においては普通である遅れを短くしたほどであった。

小さき花[テレーズ]の取り次ぎに帰せられる請願に答えた多数の文書化された奇跡や回心がある。そして彼女によって助けられてきた人々の心のうちにのみ記録されているもっと多数の奇跡や回心が確かにある。明らかにリジューの聖テレーズは誰もが必要なときに向かうことができ、確実に答えてもらうことができる聖人たちの一人である。

彼女は霊的必要そしてこの世の必要の両方において、被造物のうちの最も貧しい者そして最も低い者を愛をもって助ける。聖テレーズに対する請願への答は非常にしばしば請願者に送られる、一つの形あるいは別の形におけるバラを伴うであろう。この天上的な好意のしるしは彼女の死の床での約束「バラのシャワーを降らせる」ことの文字通りの実現である。彼女は最もかたくなな罪人たちを回心させ、「不治の」病を癒し、そして最も悲惨な状況の中で取り次ぎをしてきた。

バラはテレーズの特別の署名である。それは「彼女が聴いた、そして神がお答になっているという一つのしるしを必要とする人々への囁き」の彼女のやり方である。数千人の人々は彼らの請願と祈りに恵みとバラでもってテレーズが答えるそのやり方を証言してきた。「多くの奇跡が目に見えるバラの出現なしに聖テレーズの取り次ぎを通じて起こった:通常は神の御意志を受け入れる深い内的な平和と神の愛すべき御計画と現存を見ることが経験された『バラ』である。」注10)

テレーズが彼女の死以来、生きている人々に提供してきた援助を記述し始めることさえ不可能である。「援助、癒し、回心、前もっての警告そして幻視の奇跡の簡潔な記述はバラのシャワーと題された7巻を充たしている。そしてそれらはリジュー修道院の中へ絶えず流れ込む諸々の証言の滝におけるほんの一滴を形成するにすぎない。シスター・テレーズはいたるところにおり、そして彼女の配慮は誰の傍をも通り過ぎない:...一人の若い司祭は進行した結核から瞬時に癒され、そしてそれ以後完全な健康を保っている。一人の盲目の少女はテレーズを見、そして直ちに正常な視力を取り戻している;彼女の請求書を支払うことができないあるイタリアの修道院の院長は空の机の中に十分な金を見つける;エディンバラのあるプレスビテリアンの監督は彼女によって教会の中へと導かれる;...一台の車がテレーズへの人々の呼びかけによって崖の縁から引き戻される;彼女の十字架からのひとひらの花びらが舌ガンを消失させる...彼女の善行を見たことがない国あるいは彼女の名が呼び求められないところはほとんどない。彼女の聖性は明らかであり、彼女の奇跡は否定できない。」注11)

リジューの聖テレーズの霊的子どもの小さき道はキリストが「だから、自分を低くしてこの幼な子のようになる者が、天の国でいちばん偉いのである」(マタイ 18:4)と言われたとき、福音書においてわれわれに命令された聖性への道である。

聖テレーズの小さき道の効力と超自然的な智恵を認めて、1997年に教皇ヨハネ・パウロ2世は彼女を教会博士と宣言された。そのとき教皇はこう述べられた:「幼きイエズスの、そして聖なる御顔のテレーズはすべての『教会博士』の中で最年少である。しかし彼女の熱心な霊的旅はそのような成熟を示しておりそして彼女の著作において表現されている信仰の洞察はそのように広大で深遠なので、それらは偉大な霊的師たちの間の一つの場所に値する。」注12)

聖テレーズの小さき道はわれわれの救いを達成するための日々の闘いにおいてわれわれを勇気づけるべきであろう。なぜなら、それは達成不可能な要求でわれわれを圧倒しないで、信頼と勤勉でもってわれわれに霊感を与えるからである。なぜなら、聖テレーズが言ったように、「聖性はある種の信心の行いの実践に存するのではなく、私たちの弱さを意識して、しかし神の御父としての善性に--躊躇することなく--信頼して、神の御手の中で私たちを謙遜で小さなものとする心の状態に存するのです。」それゆえに、神の最も小さな子どもとして謙遜になるように、そして聖テレーズの小さき道の日々の犠牲によって天上の庭園における花としてのわれわれの報償を得るように努力しよう。


イエズスの聖心に対する信心と聖マルガリタ・マリア・アラコック

2014年03月14日 | Weblog

聖マルガリタ・マリア・アラコックは1647年7月22日フランス、ブルゴーニュ地方のオートクールに生まれました。8歳のときに父を亡くしました。11歳から15歳までリューマチ熱で寝たきりでした。このとき、御聖体に対して熱烈な信心をしました。

1671年24歳のとき、彼女はパレ・ル・モニアルにある訪問童貞会に入会しました。1673年から1675年にかけて、彼女は主イエズス・キリスト御自身の御出現を受けました。 最初の御出現は1673年12月27日、洗礼者聖ヨハネの祝日でした。マルガリタが御聖体の前で祈りをしていたとき、イエズス御自身がその聖心を非常に感覚的、具体的な形で彼女にお示しになりました。それはイエズスの深い愛の目に見える形でした。イエズスは聖心をマルガリタに示しながら次のように言われました。

「私の神的な心は人々に対する愛、特にあなたに対する愛で燃え上がっているので、もはやその燃える愛の焔を内部に保っておくことができない。だから、滅びの深淵から人々を引き離すために必要な聖化と救いの貴重な恵みで彼らを豊かにするために、聖心があなたによって広められ、人々に明らかにされなければならない。すべてのことが私によってなされるために、私はこの偉大な計画の達成のために、価しない者、無知の極みとしてあなたを選んだのだ。」

1674年6月に、イエズスは再びマルガリタに御出現になり、毎月の最初の金曜日(初金曜日)の聖心に対する信心についてお示しになりました。

さらに、1675年6月16日キリストの聖体の祝日(Corpus Christi)に、キリストが祭壇の上でマルガリタに御出現になり、初金曜日の聖心の信心が実践され、人々の間に広められるようお求めになりました。彼女は上長の許可を得て、そのために尽力しました。そのとき、力になった人の一人にマリガリタの霊的指導司祭であったイエズス会士聖クロード・ド・ラ・コロンビエール(1641-1682;1929列福;1994列聖)がいました。彼自身も聖心の御出現を受けました。1688年にはパレ・ル・モニアルに聖心に奉献された聖堂が建てられました。聖心の信心はそれ以後急速に訪問童貞会の修道女やイエズス会の司祭たちによって広まり始めました。マルガリタは1690年10月17日に亡くなりました。主イエズス・キリストがマルガリタを通じて世界に与えられたこの聖心に対する信心は1765年教皇クレメンス十三世によって公式に認められました。彼女は1920年教皇ベネディクト十五世によって列聖されました。聖マルガリタ・マリア・アラコックの遺体は現在も腐敗を免れ、パレ・ル・モニアルの聖堂で皆の崇敬を受けています。

「聖心」(the Sacred Heart, Sacre Coeur)は神の御子であり、マリアの御子であるイエズス・キリストの肉体的、人間的な心臓ですが、受肉されたみことばの心として御父と聖霊と共に分かち合っておられる神的愛の象徴でもあります。

イエズスが聖心の信心をする人のために聖マルガリタ・マリアにされた12の約束

1.私は彼らの生活状態のために必要なすべての恵みを与える
2.私は彼らの家庭の中に平和を確立する
3.私はすべての困難において彼らを慰める
4.彼らは生涯の間、そして特に死の時に私の聖心のうちに確実な避難所を見出す
5.彼らのすべての企ての上に豊かな祝福を注ぐ
6.罪人は私の聖心のうちに無限の憐れみの源を見出す
7.生ぬるい霊魂は熱心になる
8.熱心な霊魂は速やかに大きな完成に達する
9.私は聖心の御像や御絵を掲げ尊敬する家庭を祝福する
10.私は司祭たちに最も頑なな心を感動させる力を与える
11.この信心を広める人々は消されることなく私の聖心の中にその名前が書かれる
12.私の聖心のまったく強力な愛は九ヶ月の間続けて初金曜日に聖体拝領をするすべての人々に死のときの最後の痛悔の恵みを与える。彼らは私に嫌われて死んだり、秘蹟を受けることなく死んだりしない。私の聖心は彼らの最期において確実な避難所となる。


アタナシウス信条

2014年03月13日 | Weblog

•救われることを望む者は誰であれ、なによりもまず、カトリック(使徒的、普遍的)の信仰を持つことが必要である。誰も皆それを全体として汚すことなく保持するのでなければ、確実に永遠の滅びに至るであろう。

•カトリック信仰は次の通りである。われわれは三位における唯一の神、一における三位の神を信じ、[三つの]ペルソナを混同したり、その実体を区分したりしない。

•なぜなら、聖父の一なるペルソナ、聖子の別のペルソナ、聖霊の別のペルソナがあるからである。しかし、聖父と聖子と聖霊たる神は一であり、栄光は等しく、威厳は永遠に共存するからである。

•聖父と聖子と聖霊はそのようなものである。聖父は創造されたのではなく、聖子は創造されたのではなく、聖霊は創造されたのではない。聖父は無限であり、聖子は無限であり、聖霊は無限である。聖父は永遠であり、聖子は永遠であり、聖霊は永遠である。しかし、三つの永遠ではなく、一つの永遠であり、また三つの無限や三つの創造されざるものではなくて、一つの無限、一つの創造されざるものである。同様に、聖父は全能であり、聖子は全能であり、聖霊は全能である。しかし、三つの全能ではなくて、一つの全能である。

•そのように聖父は神であり、聖子は神であり、聖霊は神である。しかし、三つの神々ではなく、一なる神である。そのように、聖父は主であり、聖子は主であり、聖霊は主である。しかし、三つの主ではなく、一なる主である。われわれはキリスト教的真理によって どのペルソナも御自身で神であり主であると認めるように強いられるのと同じように、カトリック宗教によって三つの神、三つの主があると言うことを禁止されている。

•聖父は何かから作られたのではなく、また創造されたのではなく、生まれたのではない。聖子は聖父のみからの御方であり、作られたのではなく、創造されたのでもないが、[聖父から]生まれたのである。聖霊は聖父と聖子からの御方であり、作られたのではなく、創造されたのではなく、生まれたのでもなくて、[聖父から]発出なさるのである。それゆえ、一なる聖父がましますのであって、三つの聖父があるのではなく、一なる聖子がましますのであって、三つの聖子があるのではなく、[一なる]聖霊がましますのであって、三つの聖霊があるのではない。そしてこの三位一体のうちには前と後、より大きいとより小さいというものは何もなく、三つのペルソナ全体は共に永遠に共存なさり、共に等しい御方である。

•それゆえに、前に言ったように、すべてのことがらにおいて、一体における三位、三位における一体が礼拝されるべきである。それゆえに、救いの状態にいることを望む者は三位一体についてこのように考えるべきである。

•しかし、永遠の救いのためには、またわれらの主イエズス・キリストの受肉を堅く信じることが必要である。それゆえに、正しい信仰は、われらの主イエズス・キリスト、神の御子は神であり、人であると、われわれが信じ、告白する信仰である

•キリストは世々に先立って生まれた、聖父と実体を同じくする神であるが、またこの世にその御母から生まれた実体として人間である。完全な神であり、理性的霊魂と人間の肉からなる完全な人間である。神性に触れておられる方として聖父に等しく、人間性に触れておられる方として聖父より劣る方である。

•キリストは神であり人であるけれども、しかし二人ではなくて、一人のキリストである。しかしながら、一であるのは肉における神性の転換によってではなく、神における人間性の取得によってである。一であるのは実体の混同によってではまったくなく、ペルソナの統一によってである。なぜなら、理性的霊魂と肉が一人の人間であるように、神と人とは一人のキリストである。

•キリストはわれわれの救いのために苦しみを受け、古聖所にくだり、死者のうちから復活し、天に昇り、聖父の右に坐し、生きている人と死んだ人とを裁くために来られるであろう。キリストが来られる時には、すべての人はその身体と共に復活し、自らの行いを弁明することになろう。そして善をなした人々は永遠の命へ入り、悪をなした人々は永遠の火に入るであろう。

•これがカトリック信仰であって、これを忠実に堅く信じることなしには、救いの状態にあることはできないのである。


近代主義の教会の中への潜入(12)

2014年03月12日 | Weblog

ローマに対する共産主義の影響

あなたたちはイエズス会士、レピディ(Lepidi)神父による『モスクワとヴァチカン』という書物を読むべきです。それは並はずれています。それは共産主義者たちがローマにおいて持っていた影響力を示しています。そして彼らが司教たちの任命、そして二人の枢機卿:レカイ(Lekai)枢機卿とトマセック(Tomaseck)枢機卿の任命すらにどのように責任を持っていたかを示しています。レカイ枢機卿はミンゼンティ(Mindszenty)枢機卿の後継者であり、トマセック枢機卿はベラン(Beran)枢機卿の後継者でした。ミンゼンティ枢機卿とベラン枢機卿は二人共信仰のための英雄そして殉教者でした。彼らは、まず何よりも、司祭たちを迫害した共産主義政府との了解に達することを決心した平和司祭たちによって取って代わられました。これらの伝統的な司祭たちは地方で洗礼を授け、カトリック教会における司牧者としての彼らの働きを続けることができるよう内密に公教要理を教えるために内密で出かけました。そしてそれにもかかわらず、彼らは彼らの司教たちから迫害されました。司教たちは彼らに言いました。「あなたたちは共産主義政府の諸規則を尊敬しない権利を持っていません。あなたたちは共産主義政府の法律に反して行動することによって私たちにひどい仕打ちをしているのです。」

しかしこれらの司祭たちは、子どもたちの信仰を守るように、家族における信仰を守るように、そして秘蹟を必要としていた人々に秘蹟を授けるように彼らの生命を捧げる用意ができていました。明らかにこれらの国々においては、もし聖体の秘蹟を病院へ運ぶ、あるいは何であれ何かをしたいと思ったならば、常に許可を求めなければなりませんでした。彼らが聖具保管室を出るやいなや、これらの司祭たちはあれこれのことをすることが彼らに許可されたかどうかを共産党に訊ねる義務を負わされていました。このようなことは不可能なことでした。人々は秘蹟を授からずに死にました。子どもたちはもはやキリスト教的なやり方では教育されませんでした。ですから司祭たちはこれらのことを内密にしなければなりませんでした。もし彼らが逮捕されたならば、それはしばしば司教たち自身が彼らを迫害したからです。それは恐るべきことです。

ウィシンスキー(Wyszynski)枢機卿もスリピ(Slipyi)枢機卿もミンゼンティ枢機卿もベラン枢機卿もこのようなことはしませんでした。彼らはその反対に彼らに次のように言いながら善い司祭たちを励ましました。「どうぞ、やりなさい。もしあなたたちが牢屋に入れられるならば、あなたたちは司祭としての義務を果たしたことになるのです。もしあなたたちが殉教死をしなければならないならば、そのときあなたたちは殉教者となるのです。」

このことは彼ら共産主義者たちがどのように大きな影響力をローマに対して持っていたかを示しています。私たちがそのことを想像するのは非常に困難です。私たちはそのことを信じることさえできません。

私はこれまで一度も教皇に反対したことはありません。私は教皇は教皇でないと言ったことは決してありません。私はまったく教皇、ペトロの後継者の側に立っています。私はローマから分離することを欲しません。しかし私は近代主義、進歩主義そしてプロテスタンティズムが諸改革を通じて及ぼしたすべての悪しき破壊的な影響には反対です。私は私たちを毒し、そして信徒の生活を毒するすべての改革に反対です。

このように私は言われました:「あなたは教皇に反対している」と。「いいえ、私は教皇に反対ではありません。その反対に、私は教皇を助けに来ています。なぜなら、教皇は近代主義者であることはできず、進歩主義者であることはできないからです。たとえ彼が引き回されることを自分に許すとしても、それは弱さによってです。このことは起こり得ます。聖ペトロもまたユダヤ人に関しては弱かったのです。そして聖パウロは厳しく彼を叱責しました。「あなたは福音に従って歩んでいない」と彼は聖ペトロに言いました。聖ペトロは教皇でした。そして聖パウロは彼を叱責したのです。そして彼は強力にそのことをしました。「私は教会の頭を非難しました。なぜなら、彼は福音の法に従って歩んでいなかったからです。」このことを教皇に言うことは重大なことです。

シエナの聖カタリナもまた数人の教皇たちを激しく非難しました。私たちは同じ態度を持たなければなりません。私たちは言います。「教皇様、あなたはご自分の義務を果たしておられません。あなたは近代主義者であるすべての枢機卿や司教たちによって迫害されている伝統に立ち帰らなければなりません。あなたは教会の荒廃を引き起こそうとしておられるのです。」

私は、教皇が心の中で大いに心配しておられ、教会を刷新する手段を探しておられると確信しています。私は、私たちの祈りと犠牲、そして聖なる教会を愛し、教皇を愛する人々の祈りによって私たちが成功することを希望しています。

このことは特に祝せられたおとめマリアへの信心によって[可能]でしょう。もし私たちが聖母に祈るならば、自分の御子を見捨てることがおできにならない聖母、御子が建てられた教会--その御子の神秘的花嫁--を見捨てることがおできにならない聖母は私たちにお答えになるでしょう。それは困難であり、一つの奇跡でしょう。しかし、私たちは成功するでしょう。

私自身としては、私は人々が新しいミサはよい、しかしそれはただトレントのミサよりはよくないだけだと私に言わせることを望みません。私はそう言うことはできません。私はこれらの近代的な秘蹟はよいと言うことはできません。それらはプロテスタントたちによって作られたものです。それらはブニーニによって作られたのです。そしてブニーニ自身、1965年3月19日に以下のように言いました。それは今でも「オッセルヴァトーレ・ロマーノ」および「ドキュマンタシオン・カトリック」--この雑誌はブニーニの講演の翻訳を公表しました--において読むことができます。

「われわれはわれわれのカトリックの祈りとカトリック典礼からわれわれの分離された兄弟たちのため、すなわちプロテスタントたちのためにつまずきの石の影となり得るすべてのものを剥ぎ取らなければならない。」

これは1965年3月19日、すべての改革の直前のことです。私たちはプロテスタントたちのところへ行き、ミサの聖なる犠牲に関して、私たちのカテキズムに関して彼らに訊ねることができるのでしょうか?あなたたちはどの点に同意しないのですか?あなたはこれを好みませんか、それともあれを好みませんか?...よろしい、私たちはそれを抑えましょう。このようなことは不可能なことです。そうすることはおそらく異端的なことではないでしょう。しかし、カトリック信仰は傷つけられるでしょう。このようにしてそれは、人々がもはや古聖所、煉獄そして地獄を信じないということなのです。原罪はもはや信じられず、天使たちも信じられていません。聖寵は信じられていません。人々はもはや超自然的であるものについては話しません。私たちの信仰は滅ぼされつつあります。

ですから、私たちは私たちの信仰を堅く守り、いとも聖なるおとめマリアに祈らなければなりません。私たちは一つの巨大な任務を引き受けたいと望んでいます。そしてよき主の助けなしには、私たちはそれを達成することは決してできないでしょう。私は私の弱さと私の孤立を確実に意識しています。教皇あるいは枢機卿たちと比べて、私は自分自身で何ができるでしょうか?私は知りません。私は一人の巡礼者として、私の巡礼仲間たちと共に進みます。私は「信仰を守りなさい」と言おうとしています。信仰を守りなさい。あなたの信仰を棄てるよりは殉教者でありなさい。あなたは秘蹟を守り、ミサの聖なる犠牲を守らなければなりません。

あなたはこう言うことはできません。「しかし、今はすべてが異なっているのです。それは結局のところそれほど悪くはありません。私に関するかぎりでは、私は堅固な信仰を持っており、そして私は信仰を失いそうではないです」と。なぜなら、習慣的に新しいミサと新しい秘蹟に預かっている人々がものの考え方の徐々の変化を経験することは明らかだからです。数年の後には、この新しいエキュメニカルなミサに定期的に行っている誰かある人に質問すると、彼がそのエキュメニカルな精神を身につけたということが明らかとなるでしょう。このことは、彼がすべての諸宗教を同じ地盤の上に[同等なものとして]置くことで終わるということを意味します。もし彼が、人はプロテスタンティズムを通じて、仏教を通じて救われるのか、それともイスラム教を通じて救われるのかと訊ねられるならば、こう答えるでしょう。「もちろん。すべての宗教はよいものです。」ご覧の通りです。彼はリベラルそしてプロテスタントとなりました。そしてもはやカトリックではありません。

ただ唯一の宗教だけが存在します。宗教は二つはありません。もしわれらの主が神であり、一つの宗教、カトリック宗教を建てられたのであるならば、他のいかなる宗教もありません。それは不可能なことです。他の諸宗教は偽りです。それがオッタヴィアーニ枢機卿が「宗教的寛容について」という表題を用いられた理由です。

諸々の誤謬はそれらが阻止され得ないときには許容されることはできます。しかし諸々の誤謬を真理と同じ地盤の上に同等なものとして置くことはできません。そのとき、宣教の精神は存在し得ないでしょう。宣教の精神はそのとき可能ではないでしょう。もしすべての偽りの宗教が霊魂を救うならば、そのときなぜ宣教に出かけるのですか?人はそこへ何をしに行くのですか?私たちはただ彼らを彼らの宗教のうちに置いたままにしなければならず、そして彼らは皆自分たち自身を救うことになるのです。これは不可能なことです。それでは、教会は二十世紀の間何をしてきたのですか?すべての殉教者たちはなぜなのですか?なぜ彼らは皆宣教において虐殺されたのですか?宣教師たちは彼らの時間を無駄に使ったのですか?殉教者たちは彼らの血と彼らの生命を無駄に使ったのですか?私たちはそのようなことを受け入れることはできません。

私たちはカトリックにとどまらなければなりません。エキュメニズムへと滑り落ちることは非常に危険です。人は容易に、もはやカトリック宗教ではない一つの宗教に落ち込みます。

たとえ私たちが新聞において、小教区において、そして教会において軽蔑され、侮辱されなければならないとしても、すべての人がわれらの主の証人、カトリック教会の証人、信仰の証人そしてカトリシズムの証人であることができるように、私は心から望んでいます。それがどうしたと言うのでしょうか?私たちはカトリック教会の証人なのです。私たちはカトリック教会の真の子どもであり、祝せられたおとめマリアの真の子どもなのです。

マルセル・ルフェーブル大司教

 


近代主義の教会の中への潜入(11)

2014年03月11日 | Weblog

少なくとも私たちに自由を残しなさい

彼らは私が教皇から伝統に対する自由を得ようと努力をしていることを知るとすぐに私に反対して団結します。ただ私たちを平和のうちにとどまらせなさい。ただ私たちを、カトリック教徒が数十世紀の間祈ってきたように、祈らせなさい。ただ私たちが神学校で学んだことを続けさせなさい。あなたたちが若かったときにあなたたち自身学んだこと、すなわち、私たち自身を聖化する最善のやり方を私たちに続けさせなさい。

これが私たちが神学校で教えられたことです。私は司祭であったときこのことを教えました。私が司教になったとき、私自身このことを私の司祭たち、私のすべての司祭たちそして私の神学生たちに言いました。このことは聖人になるためにあなたたちがする必要のあることです。教会によって私たちに与えられているミサの聖なる犠牲を愛しなさい。教会の諸々の秘蹟、そして教会のカテキズムに献身しなさい。そして特に何一つ変えてはいけません。伝統を守りなさい。二十世紀にわたって続いてきた伝統から離れてはいけません。それは私たちを聖化するものです。それは聖人たちを聖化したものです。しかし今すべてが変化しました。こうであることはできません。ただ私たちに少なくとも自由を残しなさい!

明らかに、彼らがこのことを聴くとき、彼らは直ちに教皇のところへ行きそして彼に言います:「ルフェーブル大司教には何も認めてはいけません。伝統に対しては何も聞き入れてはいけません。特に議論での敗北を認めてはいけません。」

これらの人々は国務省のカザロリ枢機卿のような最も重要な枢機卿たちですので、教皇は敢えて何かをしようとはされません。ラッツィンガー枢機卿のように、むしろもっと一つの同意に賛成しようとする数人の枢機卿たちがいます。1981年クリスマスに亡くなったセペル(Seper)枢機卿に取って代わったのは彼です。ラッツィンガー枢機卿はそれにもかかわらず公会議の時には非常にリベラルでした。彼はラーナー(Rahner)、ハンス・キュング(Hans Kung)、シレベークス(Schellebeeckx)の友人です。しかしミュンヘン司教区の大司教としての彼の指名は彼の目を幾分開かせたと思われます。彼は今は確かに諸改革の危険についてはるかに意識するようになっておられますし、列聖聖省を預かっているパラッツィーニ(Palazzini)枢機卿、聖職者聖省を預かっているオッディ(Oddi)枢機卿と共に、伝統的な諸規則に戻ることをより望んでおられます。これら三人の枢機卿は私たちに自由を許すことに賛成しようとしておられるようです。しかし他の枢機卿たちは教皇に対して大きな影響力をまだ持っています。

私は、教皇によって[聖ピオ十世]会および私自身との関係のための個人的な仲介者としてセペル枢機卿に取って代わるよう指名されたラッツィンガー枢機卿に会うために5週間前にローマに居ました。セペル枢機卿は教皇ヨハネ・パウロ二世が私に許された謁見の機会に指名されました。教皇はセペル枢機卿を来させそして彼に言われました。「閣下、あなたはルフェーブル大司教と私自身との間の関係を維持する役割を持つことになるでしょう。あなたは私の仲介者となるでしょう。」今彼はラッツィンガー枢機卿を指名されました。

私は彼に会いに行き、1時間45分の間彼と話しました。確かにラッツィンガー枢機卿はよい解決に達するためにより積極的、より意欲的であるように思われます。唯一の困難--それはやや骨の折れるものですが--はミサです。最終的にはそれは常にそもそもの初めから、ミサの問題でした。

なぜなら、彼らは私が公会議に反対ではないということを非常によく知っておられるからです。私が公会議において受け入れることができないいくつかの事柄があります。私は宗教的自由に関するシェマには署名しませんでした。私は現代世界における教会に関するシェマに署名しませんでした。しかし、私が公会議に反対であると言うことはできません。これらは、伝統に反対のものであるがゆえに受け入れることができない事柄です。このことは彼らをあまりにも多く狼狽させるものであってはなりません。なぜなら、教皇自身こう言われたからです。「公会議は伝統の光において見られなければならない」と。もし公会議が伝統の光において受け入れられるべきであるならば、私はまったく心を乱されません。

私は喜んでこれに署名します。なぜなら、伝統に反するあらゆることは明らかに退けられるべきだからです。教皇が私に許された謁見の間に(編集者注:1978年11月18日に)教皇は私に訊ねられました:「この打開策に署名する用意ができていますか?」私は答えました:「あなたご自身がそれを用いられました。そして私はそれに署名する準備ができています。」それから教皇は言われました:「さてどんな諸問題が残っていますか?あなたは教皇を受け入れますか?」--「もちろん、私たちは教皇を認めています。そして私たちの神学校では教皇のために祈っています。私たちは教皇を非常に尊敬しています。教皇が私に来るように求められるときにはいつも来ました。しかし典礼に関して一つの困難があります。」私は教皇に言いました。「それは本当に非常に重要です。新しい典礼は教会と神学校を破壊する過程にあります。これは非常に重要な問題です。」--「しかし全然そうではない。これは単に規律に関連する(disciplinary)問題です。それは全然重大なことではありません。もしこれが唯一の問題ならば、それは取り決めることができると私は思います。」

そして教皇はセペル枢機卿を呼ばれました。彼はすぐに来ました。もし彼が来なかったならば、私は教皇が同意に署名される用意があったと私は思います。セペル枢機卿が来ました。そして教皇は彼に言われました。「ルフェーブル大司教と同意をすることはそれほど難しいことではないと私は思う。われわれは同意に達することができると私は思う。ただ少しやっかいな典礼の問題があるだけです。」--「しかし、ルフェーブル大司教に対して何も認めてはいけません」と枢機卿は大声を上げました。「彼らはトレントミサを旗にしています。」--「旗?」私は言いました。「しかしもちろん聖なるミサは私たちの信仰の旗、信仰の神秘 mysterium fideiです。それは私たちの信仰の偉大な神秘です。それが私たちの旗であるということは明らかです。なぜなら、それは私たちの信仰の表現だからです。」

このことは教皇に対して一つの深い印象を与えました。教皇はほとんどすぐに変わられた思われました。私の意見ではこれは教皇が強い人間ではないということを示しました。もし教皇が強い人間であられたならば、こう言われことでしょう。「この問題を決めようとしているのは私である。われわれは事柄を決着しようとしているのだ」と。しかしそうではありませんでした。教皇はすぐに、あたかも恐れてでもいるかのようになられました。教皇は恐れるようになられました。そして執務室を離れられたとき、セペル枢機卿に言われました。「あなたは今一緒に話すことができます。あなたはルフェーブル大司教と一緒に解決を図るよう努力することができます。あなたはここにとどまることができます。しかし私は行ってバッジオ(Baggio)枢機卿と会わなければなりません。彼は司教たちに関して私に示すべき非常に多くのファイルを持っています。私は行かなければなりません。」教皇は去られるとき私に言われました。「止めなさい、モンセイニュール、止めなさい。」教皇は変わられました。数分の間に教皇は完全に変わられました。

私が一人のポーランドの司教から受け取った手紙を教皇に示したのはこの謁見の間でした。かれは、私がエコンに設立した神学校、そして私が養成している司祭たちについてにお祝いの言葉を言うために一年前に私に書いて来ました。彼は私がその伝統と共に古いミサを守ることを望んでいました。彼は自分が唯一の人間ではないとつけ加えていました。われわれはあなたに敬服し、あなたの神学校に敬服し、あなたが司祭たちに与えている養成そしてあなたが教会内部で守っている伝統に敬服している数人の司教たちです。なぜなら、私たちは新しい典礼--それはわれわれの信徒に信仰を失わせている--を使うことを強いられているからです、と。

それがそのポーランドの司教が言ったことです。私は自分自身に次のように言いながら、教皇に会いに行くときにこの手紙を一緒に持って行きました。「教皇は確かにポーランドについて私に話されるだろう」と。私は間違っていませんでした。教皇は私に言われました。「しかし、知っているでしょう。ポーランドではすべてが非常にうまく行っています。なぜあなたは改革を受け入れないのですか?ポーランドでは何の問題もありません。人々はラテン語を失ったことをただ悲しんでいるだけです。私たちはラテン語に非常に愛着がありました。なぜならそれは私たちをローマに結びつけていましたし、私たちはまさにローマ的なのだからです。それは残念なことです。しかし私は何をすることができるでしょうか?神学校にも、聖務日祷書にも、ミサにももはやラテン語はありません。それはまったく un facunate です。しかしそれはまさにその通りなのです。私たちの神学校は満員です。そして私たちの教会は満員です。」

私は教皇に言いました:「私がポーランドから受け取った一通の手紙をあなたに見せることをお許しください。」私はそれを教皇に見せました。教皇は、司教の名前を見たときこう言われました。「おお、この人は共産主義者たちの敵のうちの最も著名な人です。」--「それはよい人物証明です」と私は言いました。教皇はその手紙を注意深く読まれました。私はその手紙の中で二度繰り返されたそれらの言葉に教皇がどのように反応されるかを見るためにその顔に注目しました。教皇の言葉はこうです。「私たちは新しい典礼--それはわれわれの信徒に信仰を失わせている--を使うことを強いられている」と。明らかに教皇はこれを受け入れることはできませんでした。最後に教皇は私に言われました。「あなたはこのような手紙を受け取ったのですか?」--「そうです。これはあなたに持って来た写真複写です。」--「それは捏造に違いない」と教皇は答えられました。

 私は何を言うことができたでしょうか?私はもはや何も言うことができませんでした。教皇は私に言われました。「ご存じだろうが、共産主義者たちは司教たちの間に分裂を引き起こすためのその努力において非常に狡猾です。」それゆえ、教皇によればこれは共産主義者たちによってでっち上げられ、そして次に私に送られた手紙だったのです。私はこのことについて非常に疑っています。この手紙はオーストリアで投函されました。なぜなら、私はそれを書いた人が共産主義者がそれを途中で奪い、そしてそれが届かないことを恐れたと思います。それが彼がオーストリアでそれを投函した理由です。私はその司教に返事を出しましたが彼からはそれ以上何も聴きませんでした。

 このすべてのことは、私がポーランドにおいてさえ重大な分裂があると考えると言うことです。さらに、平和司祭たちと伝統を堅く守ることを望む人々との間に常に分裂が存在してきたのです。これが鉄のカーテンの背後での悲劇であったのです。

 


近代主義の教会の中への潜入(10)

2014年03月10日 | Weblog

なぜ私は誤謬に従わないのか?

私は何をなすべきなのでしょうか?私はこう言われます:「あなたは従わなければならない。あなたは不従順である。あなたはあなたがしていることをし続ける権利を持っていない。なぜなら、あなたは教会を分裂させているからだ。」

法とは何でしょうか?裁定とは何でしょうか?何が従順を強いるのでしょうか?レオ十三世は言っておられます、法とは共通善への理性の秩序づけであるが、共通悪に対する秩序づけではない、と。このことは非常に明白なことなので、もしある規則がある悪へ向かって命令されるならば、そのときそれはもはや法ではないのです。レオ十三世はその回勅「自由」"Libertas" の中でこのことをはっきりと言われました。共通善のためではない法は法ではない。従って人はそれに従うことを義務づけられることはないのです。

ローマの多くの教会法の法律家たちはブニーニのミサは法ではないと言っています。新しいミサのための法はなかったのです。それは単に一つの認可、あるいは一つの許可にすぎません。議論のために、共通悪への理性の秩序づけではなく、共通善への理性の秩序づけであるローマから来た一つの法があったということを受け入れましょう。しかし新しいミサは教会を破壊し、信仰を破壊する過程にあります。それは明白です。モントリオールの大司教、グルゴワール(Grgoire)大司教は公表された一通の手紙の中で非常に勇気がありました。彼はモントリオールの教会が蒙っている諸悪を非難した手紙を敢えて書かれた稀な司教たちのうちの一人です。「私たちは大多数の信徒によって見捨てられた諸々の小教区を見て非常に悲しんでいる。私たちはこのことの原因が、大部分、典礼改革にあると考える。」彼はそれを言う勇気を持っておられました。

私たちは、全世界を通じてトレントのラテン語ミサに関する有名な調査を行ったノックス(Knox)枢機卿のような、枢機卿たち自身の側での教会内部での真の企てに直面しています。「伝統を望む人がそのうように少数の人しかいないのならば、それはそれ自体消え失せるでしょう。彼の調査は何の価値もなかったのです」と言われたという教皇ヨハネ・パウロ二世に影響を及ぼすための、それは明白で明らかな一つの嘘でした。それでも教皇は、1978年11月に彼が謁見において私に会ってくださった時点では、司祭たちが彼らの選ぶミサを捧げることができる同意に署名なさる準備がありました。教皇はそれに署名する用意あったのです。

しかしローマには伝統に強く反対する枢機卿たちの一つのグループがあります。宗教省長官枢機卿のカザロリ(Casaroli)枢機卿、そして司教たちを指名するという非常に重要な責任を持っている司教省長官のバッジオ(Baggio)枢機卿などが彼らの中にいます。次に礼拝省の第二位の地位にあり、おそらくブニーニよりも悪くさえある悪名高いヴィルジリオ・ノエ(Virgilio Noe)がいます。そして次に聖省の第二位の地位にいるベルギーの大司教、アメル(Hamer)枢機卿--彼はループスン(Loopsn)地方から来ており、ルーヴァンのあらゆる現代的な考え方で染められています--がいます。彼らは伝統に激しく反対していました。彼らは伝統について話す私たちの話を聴くことを望みませんでした。私は彼らがもしできることなら私を絞め殺していただろうと思います。

 


近代主義の教会の中への潜入(9)

2014年03月09日 | Weblog

教会を破壊するための教会への潜入

そうです、私は一人の反抗者です。そうです、私は一人の反体制派です。そうです、私はブニーニのような人々に対して不従順です。なぜなら、彼らは教会を破壊するために教会の中へと潜入したからです。他の説明はありません。

そのとき私たちは教会の破壊に貢献しようとするのでしょうか?私たちは「しかり、しかり、アーメン」と言うのでしょうか?それが、まさに教皇のところに潜入し、教皇に自分が望んでいることをサインさせることができる敵であるとしても?彼がいかなる圧力の下でそうしたか私たちは実際知りません。明らかに私たちの注意から漏れる隠された事柄があります。ある人々はそれはフリーメーソンであると言います。あり得ることです。私は知りません。いずれにせよ、そこには一つの説明できないことがあります。

枢機卿ではない、司教でさえない、当時はまだ非常に若かった、そして教皇ヨハネ二十三世の意志(教皇は彼をラテラン大学から追い出されたのです)に反して抜擢された一人の司祭がどのように国務省の枢機卿、また礼拝聖省長官の枢機卿を何ら考慮することなく、非常に高い地位に昇ることができるのでしょうか?彼はどのようにして直接教皇のところへ行き、そして自分が望んでいることに教皇の署名をさせることができるのでしょうか?そのようなことはこれまでに聖なる教会において一度も見たことはないことです。あらゆることは諸々の権威を通過するべきでした。だからこそ諸々の委員会が存在しているのです。いろいろの書類が検討されています。しかしこの男はまったく強力でした!

私たちのミサを変えるためにプロテスタントの牧師たちを導き入れたのは彼でした。それはグート枢機卿ではありませんでした。それは国務省の枢機卿ではありませんでした。それはおそらく教皇でさえなかったでしょう。それは彼でした。この男ブニーニとは誰なのでしょうか?ある日、壁の外の聖パウロの元修道院長、ブニーニ神父の前に典礼委員会の長であったベネディクト会士は私に言いました:「モンセイニュール、ブニーニ神父について私に話さないでください。私は彼についてあまりにも知りすぎています。彼について私に訊ねないでください。」私は答えました:「しかし、私に言ってください。私はそれを知らなければならないのです。真理は明らかにされなければならないのです。」ラテラン大学から彼を追い出すようにヨハネ二十三世に頼んだのはおそらく彼です。

これらすべての事柄は、すでに聖ピオ十世がすでに言われたように、敵がまさに教会内部に潜入したということを私たちに示しています。ラ・サレットの聖母が告知なさったように、そしてファチマの第三の秘密が疑いもなく私たちに告げているように、彼は最高の地位にいます。

よろしい、もし敵が本当に教会内部にいるならば、私たちは彼に従わなければならないのでしょうか?「そうです、なぜなら、彼は教皇を代表しているからです」というのが、しばしば繰り返される一つの答えです。まず第一に私たちはこのことを全然知りません。なぜなら、私たちは教皇が何を考えておられるのか、正確には知らないからです。

それでも、私は教皇パウロ六世がヴィヨ枢機卿によって大きな影響を受けられたといういくつかの個人的証拠を持っています。ヴィヨ枢機卿はフリーメーソンであったと言われてきました。私は知りません。いくつかの奇妙な事実があります。ヴィヨ枢機卿に宛てたフリーメーソンの数通の手紙が写真複写されてきました。私はその証拠を持っていません。いずれにせよ、ヴィヨ枢機卿は教皇に対してかなりの影響力を持っていました。彼はローマにおける全権力を彼の手中に集中させました。彼は教皇以上に主人公となりました。私はあらゆることが彼を通過しなければならなかったことを知っています。

ある日私はカナダ・カテキズムに関してライト(Wright)枢機卿に会いに行きました。私は彼に言いました:「このカテキズムを見てください。"Purture"という表題をつけられたこれらの小さな書物に気がついておられますか?子どもたちが離脱するように教えられるということは嫌悪を催すことです。彼らは家族から、社会から、伝統から離脱しなければならないのです。これがモンセイニュール・クーデルク(Couderc)の出版許可承認印をもってカナダの子どもたちに教えられているカテキズムです。全世界におけるカテキズムに対して責任を負っておられるのはあなたです。あなたはこのカテキズムに同意なさいますか?」「いいえ、いいえ、」と彼は私に言われました:「このカテキズムはカトリック的ではない。」--「それはカトリック的ではない!。ではすぐにカナダの司教会議に告げなさい。彼らにこのカテキズムを止め、火の中に投げ入れ、そして真のカテキズムを取り入れるように告げなさい。」彼の答えはこうでした:「どのように私自身司教会議に反対することができるでしょうか?」

それで私は言いました:「それは終わったのです。教会にはもはや権威はありません。それは終わったのです。たとえそれが子どもたちの信仰を破壊する過程にあるとしても、もしローマが一つの司教会議にもはや何も言うことができないならば、そのときそれは教会の終りです。」

これが今私たちがいる地点です。ローマは司教会議を恐れています。これらの会議は嫌悪を引き起こすようなものです。フランスにおいては司教会議は避妊に賛成するキャンペーンに巻き込まれてしまいました。テレビで「中絶を避けるためにピルを飲みなさい」というスローガンを絶えず宣伝している社会主義政府が彼らを巻き込んだと、私は思います。彼らはピルに賛成する途方もないプロパガンダを推進することよりもよいことを何一つしませんでした。ピルの費用は、中絶を避けるために、ほんの十二歳にすぎない少女たちのために使われるのです!そして司教たちは承認するのです!私の前の司教区であるチュッレ(Tulle)司教区ブレティンの中には避妊に賛成する公式の文書が見出されます。そしてそのブレティンを私は受け取り続けています。これはスルピス会の前総長ブリュノー(Bruneau)司教から来ました。彼はフランスの最善の司教の一人だと考えられています。事態はかくの通りなのです!