郵趣手帖の収集日記

切手収集について、日々感じたことや考えたことを気ままに紹介。

ギリシャの絵入り航空書簡

2007年02月25日 | ステーショナリー
 画像は、ギリシャが1981年2月4日に発行した絵入り航空書簡。題材は超有名なオリンピア遺跡なので、画像を見ただけでお判りの方も多いかも知れない。サブのサブ程度に集めている考古学のテーマコレクション(トピカルに限りなく近いのだが・・・)に収まっているものの1枚である。
 田舎に居ると、こうしたマテリアルは座っているだけでは集まらない。国別とテーマコレクションを比較すると、テーマコレクションの方が足で集める率がかなり高いと思う。

ネパール初期の消印

2007年02月24日 | 郵便史
 ネパール初期の消印は日本と同じ不統一印なので、画像のようなチョロ消しでも大抵のばあい使用局が特定できる。というよりは、単片満月などはほとんど無いと考えてもらえれば良い。画像はKalayia局のタイプ2の消印で、ネパールの友人から譲ってもらったもの。同局はカトマンズ南のインド国境近くに位置する。

旧小判、U小判、新小判

2007年02月23日 | 雑文
 以前から小判切手の分類名称に何かスッキリしないところを感じている。僕の小判切手の分類は組合カタログに代表される旧小判と新小判の2分類でおこなっている。他方、皆さんもよくご存知のように新小判のうちの1銭・2銭・5銭をU小判として独立させて旧小判、U小判、新小判の3分類にする方法もある。
 実は自分も以前は3分類で行なっていたのだが、言葉として考えたばあいに「旧」に対する「新」という前後関係を表す言葉の中に、全く関係のない概念をもった名称(U小判)が入ってくる不自然さが気になり、この分類を使わなくなってしまった。
 分類名称に対する言葉のありかたなどを一々気にするのは自分だけなのだろうか?大切なことだと思うのだが・・・。

単片満月(朱色印)

2007年02月21日 | 郵便史
 消印の中でも機械印、特に唐草印関係好きな消印である。画像は世田谷局の昭和26年12月4日の使用例で、台切手は第2次新昭和5円切手。朱色印は単片上でも目立つので中々良い気分であるが、外国切手中心に収集がシフトしたここ20年来こうしたマテリアルを購入した記憶がない。恥ずかしながら、20代前半の頃にただ周囲がそうだからという節操もない理由だけで単片満月を集めていた頃の残骸である。

金剛山

2007年02月20日 | 切手
 昭和切手の中の風景図案と言うと、大正池やガランピ灯台、日光陽明門などどれも素晴らしい出来で好きなのだが、例外がこの金剛山。子供の頃からちょっと見た感じでは、何が何やらわからない図案が嫌いな切手ベスト5に入っていた。図案上もっとも失敗した切手だと今でも思っている。

日本模造切手カタログ

2007年02月19日 | 文献
 カタログというよりもパンフレットのような体裁である。1982年に1000部の発行で定価200円とあるが、とてもそんなに売れそうもないし、まだどこかにデッドストックとして埋もれていそうである。僕も91年の国際展前頃に出入りしていた切手商からタダでもらったもの。内容云々というよりも、こんなカタログの存在を知っておいてもらえればそれで良いという程度の話しである。

切手展に行こうよ

2007年02月18日 | 雑文
 地方から全日展やジャペックスなどの中央展に参観する人はとても少ない。一度、会場入口で来場者調査をしてみると、中々興味深いデータが得られるのではないかと思っている。切手展近くになると積極的な参観を呼びかけるのだが、それに応じて参観する人はまず居ない。
 今日の例会で、全日展への出品作品を持って来られた方が居たのだが、リーフ上の展開がいかにもお粗末だった。「これでは合理的な説明になっていないから、こうしないとおかしいですよ」と説明しても、なぜそのようにならなければいけないのかという、極めて初歩的な展開の仕方が理解できないらしい。
 切手展はリーフ作りを学ぶ恰好の場(良い作品にしろ、悪い作品にしろ)であるのに、交通費が勿体無いという理由で勉強のための参観をせずに、結果としての低評価をマテリアルの所為にしたりする。
 試合に出るためのトレーニングもしないで、試合に負けるのは「道具の所為である」と言っているようなものだと思うのだが・・・。

雑誌の整理

2007年02月17日 | 文献
 今日の午後は、部屋の中で平積みになったままの雑誌の整理。僕は基本的に合本などは作らずに、そのまま保存することにしている。きちんと製本された合本は一見したところ扱い易く見えるし、バラける心配も無いので良いように思えるが、実際に利用するとなると不便なことも多い。例えばコピーをしようとすると、綴じの部分が開かないので光が入ってしまい奇麗に写らないし、図などは歪んでしまう。どこかえ持って行こうとすると、余分な号まで持ち歩くことになってしまい重くて仕方がない。
 簡易的にファイルに綴じる手もあるのだが、印刷時に本文のズレが生じた物だと本文中に綴じ穴を開けてしまうことがあるので、よほどしっかりとした印刷の物で無い限りファイルも使わない。
 ということで、断然多いのが袋やA4の透明プラケースに入れての保存。外側に書名と号数、発行年などを書込んで和本のように平積みで収納している。これは帙に入れて保存する和本のアイディアから取り入れた方法である。

和田

2007年02月16日 | 切手
 昨日、一昨日とスピロの偽造切手をお見せしたので、今日は日本の代表的偽造切手である和田の製品。画像はどなたでも知っているキ半銭。僕の所にはキ半銭だけで十数枚あるのだが、全て偽造品コレクションの中なのでちっとも威張れない。1枚ぐらいは本物が欲しいのだが・・・。どうせ手に入れるなら、そこらにいくらでも転がっている大阪ボタはダメ。もっと選び抜かれたものでないとね。

スピロ(その2)

2007年02月15日 | 切手
 昨日に引き続きスピロの模造品。消印が英領切手風なところが間が抜けた感じである。スピロはこの消印を英領関係(タスマニアやニューサウスウェールズなど)の偽物にも使いまわしていることから、意外とアバウトな感じて偽物を製造販売していたように思える。この辺が穴埋め用偽物販売業らしいところなのだろう。

スピロ

2007年02月14日 | 切手
 偽物切手には、まともに収集家を騙す目的として作られたものと、穴埋め材料を提供する目的で作られたものの2種類がある。画像は後者のものでハンブルグに在住したスピロ兄弟の作品である。龍二銭切手を模したのは良いとしても消印がいただけない。「YOKOHAMA」のつもりが「JOKOHAMA」とドイツ語表記になっている。

九六勘定

2007年02月13日 | 雑文
 日本最初の龍切手の額面が50文ではなくて、48文なのは誰でも知っているとおり。そして、これが江戸時代から続く九六勘定の半分であることも知っているはず。では、なぜ九六勘定なのだろうか?100文の方が切りが良くて使い易そうなのだが・・・。調べてみると、九六勘定としたのは、2と3の倍数で割り切れることが理由らしい。
 「100文だと3等分するには、33文3厘333となってしまい都合が悪い」という主旨のことが江戸時代の本にも書いてある。

初期のテーマチク

2007年02月12日 | 雑文
 ちょっと確認したいことがあって、30年以上も前の「JAPEX'75入賞作品集」を見ていたら、探し物をそっちのけでいつの間にか見入ってしまった。そこで感じたのが、テーマチクの黎明期の作品。欧米では早くからトピカルとは別にテーマチクという概念が導入されていたのだが、不思議と日本ではテーマチクの普及が遅れていた。そうした状況下であっても75年のJAPEXには、テーマチクの初期段階と呼ぶことのできる作品が複数出品されていた。恥ずかしながら、今まで見落としていたことである。

皆さん作業中

2007年02月11日 | 雑文
 今日は例会日。話題の中心は、あと1ヶ月後に締切の迫った全日展の作品作り。僕は今年の出品はお休みなので、聞き役で気楽なものである。出品する人は、文字の大きさにはじまり、主としてプレゼンテーションに関する悩み事が多いようである。今更マテリアル云々と言ってもはじまらないので、この段階に来たら手持ち品をいかに上手く見せるかが勝負の分かれ目。同じマテリアルでも、料理の仕方によっては評価に雲泥の差がでるということを認識すべきだと思う。

オーストリア軍事郵便

2007年02月10日 | 郵便史
 いつ、どこで入手したのか全く記憶にないカバー。オーストリアの軍事切手が貼ってある、在セルビア・オーストリア軍のウィーン宛のものである。1918年9月9日のベオグラードの消印と、ベオグラードでの検閲印が押してある。第1次世界大戦末期のカバー。