子供の頃の南方占領地切手の憧れと言ったら、田型にドーンと押された「軍政部マラッカ州政廳之印」の切手である。もちろん、今でも持ってなくて憧れの切手であることに変わりはない。ただ、大人になってからは入手のチャンスは何回もあったのだが、そこまで入れ込んでいるわけではないし、余興で集めている南方占領地切手にウン万円も投資するだけの根性が無かっただけのこと。恐らくこのまま一生入手しないと思うから、一生憧れの切手である。専門外には、そんな切手があってもいい。
画像はトラバンコールで1889年に発行された最初の封皮。例によって、表書きの住所などニョロニョロ文字で読めるわけがない。消印は "Early Bar Cancellations" の中のタイプ3という種類であるのだけれど、局所などは修行中の身なのでまだわからないでいる。こうしたわからないマテリアルは、機会があるごとに資料を入手して少しずつ解明していく楽しみがあって、そうした過程を楽しむことができる。
ファルーク王なんて言ったところで、誰のことやら平均的な日本人の知識だったら知らないと思うけど、切手収集家にはお馴染みのはず。なんたって、切手収集家だったのだから。そんな王様が元気だった頃は、自分の肖像の切手を出して喜んでいたのだと思うけど、1952年7月23日のクーデターで状況は一変。その後はご覧のとおりの切手になってしまった。もちろんコレクションも後継の政府によって競売で処分。こうはなりたくないという見本のようなお話し。
茶色の切手がセカンドシリーズの中から、1941年発行ローカル印刷の2パイサ切手で田型が2枚。赤いのが1954年発行の6パイサ切手でペアが2枚。そして、中央に貼ってある灰色の切手が1959年発行のUPU加盟記念の12パイサ切手であり、合計52パイサ。書留扱いで、ネパールもこの頃になるとさすがに書留票を使い出しており、表にPalpa局の票が貼ってある。それ以前は局員が主に青色の手書きで書いている。差立地のPalpa局の消印はネパール暦の2017年4月10日で、西暦1960年7月23日。到着はGauchar局でネパール暦4月14日で西暦の7月27日である。
1960年の使用例に1941年の切手が貼付されていると、日本の感覚では不思議な感じもするけど、以前にも書いたようにネパールでは普通のことなのである。
1960年の使用例に1941年の切手が貼付されていると、日本の感覚では不思議な感じもするけど、以前にも書いたようにネパールでは普通のことなのである。
画像は1957年発行の通常切手シリーズで、2パイサが2枚、6パイサが1枚、12パイサが3枚の合計46パイサの書留。消印は1959年から使用が開始された書留専用の日付印。局所はカトマンズなのだが、今迄に報告のあった型式とちょっと異なる部分がある。と言っても、発表されている文献が全て欧米人の書いたものなので、頼りないところがあるのは今迄に何回も体験済なので、現地の収友に問い合わせて確認が必要。日付はネパール暦2017年4月27日で、西暦1960年4月10日。見た感じがスッキリとまとまっていて好きなカバーである。
先日届いたカバーからの1枚。1954年の通常切手シリーズ高額2枚貼り。左の茶色の切手が16パイサで、右の赤い切手が20パイサの合計36パイサ書留料金である。消印はSARLAHI局でネパール暦2015年5月13日だから、西暦1958年8月26日の使用である。SARLAHI局はインドビハール州との国境近くに所在する。
カトマンズより、色々とマテリアルが到着。中々面白いブツも含まれているので、少しずつ見ていこうと思う。というよりも、仕事の関係で今のところまとまった時間が作れないので、必然的に少しずつというのが本当のところ。
ネパールにはもちろん現地のカタログがあるのだが、海外と付き合いのある収集家の間では、意外にもドイツのミッヘルが主に使われている。そう言えばネパールに入国する外国人のベスト3にドイツ人が入っているし、ルフトハンザはフランクフルト・カトマンズ線を開設している。
ネパールにはもちろん現地のカタログがあるのだが、海外と付き合いのある収集家の間では、意外にもドイツのミッヘルが主に使われている。そう言えばネパールに入国する外国人のベスト3にドイツ人が入っているし、ルフトハンザはフランクフルト・カトマンズ線を開設している。
画像はインド土侯国の1つトラバンコールで1889年に発行された通常切手シリーズの中から1/2ch。単片で見分けられるサブバラエティが16種貼ってあるけど、これでも揃いきれていない。使用済で日本円だと1枚100円にもならないような切手ばかりなので、安すぎて逆に難しいところが悩みのタネ。こうした性格の切手でコレクションを発展させるのは、ロット物を見かけた時に買い続けるのがコツかも知れない。
フランスの通常切手でも、ちょっと地味な存在なのがガンドンのマリアンヌだと思う。切手展でもパスツールだとか種まきはよく見かけるけど、このシリーズにはお目にかかれない。
画像のカバーは、ベタベタと派手に貼ってあって、僕好みのマテリアル。表に貼り切れなくて裏にも2Fが2枚貼ってある。1950年の米国ニューヨーク宛の航空便。リーフに貼っても賑やかしくて中々良いねぇ。
画像のカバーは、ベタベタと派手に貼ってあって、僕好みのマテリアル。表に貼り切れなくて裏にも2Fが2枚貼ってある。1950年の米国ニューヨーク宛の航空便。リーフに貼っても賑やかしくて中々良いねぇ。
戦前の世界カタログの決定版と言えば「ゼンフ」である。画像は、その1938年版。僕はついこの間まで、ゼンフ社と言えばカタログとばかり思っていたのだが、切手雑誌も19世紀から出しており、解説記事と研究発表が売りで、当時は権威ある雑誌だったことを初めて知った。誌名は "Illustriertes Briefmarken-Journal" と言うらしい。
スロベニア1919年発行のスモールチェーンブレイカー。昨日、収友から資料としてシートのカラーコピーを頂いた。画像のような一発でポジションのわかるブロックなら問題ないけど、多数あるこれと言って特徴の無い単片やブロックには威力を発揮するはず。画像の目打はジグザク目打と呼ばれているルレット目打。
消印文献の古典的基本文献の1つが、この江口氏による「明治初年の郵便消印」。消印なんて物が、極々一部の人以外には見向きもされていなかった戦前において、ロンドン在住という地の利を生かしてせっせと印影を集め、帰国後の昭和17年に出版されたものである。トレースが不正確な物が散見されるけど、あの時代としては超マニアックとしか言いようがないこうした資料集を刊行した度胸と努力は大したものだと思う。
昨日に引き続き楠公はがきだけど、今日は3銭を飛び越して5銭。この額面には大形と小形があるが、今回は大形の方である。左は共同印刷製で版式は凸版。淡灰褐色粗紙という紙質。右は北海道開発製で版式は平版で、紙質は淡黄褐色粗紙である。両者ともに紙の方向は縦紙であるけど、北海道開発製の方には横紙で紙質も比較的良質の白紙もある。
昨日、楠公はがきの話題が出たので、その基本の1つ濁点楠公の紙色違い。皆さんお使いのディスプレイごとに色の再現性が異なるので、お判りいただけるかどうか判らないけど、左が初期の淡黄色紙で、右が後期の黄色紙である。実際はこの他にもあるので、取りあえずは初期・中期・後期の3種の未使用を揃えるのが良いと思う。
ステーショナリーの駄物の1つに楠公はがきがある。このはがき、子供の頃には「つまらない駄物」という想いでいたために全く見向きもしなかった。ところが「官葉」第3巻3号に掲載された「楠公はがき物語」を読んでから、開眼というか、すっかりハマった。もし、二十数年前にこの記事に出会わなかったら、楠公はがきとは、ご縁が無かったかも知れない。消印云々では無くて、製造面を未使用で追っかけることから始めることをオススメする。安物の後期を追うだけでも大変なんだから・・・。