画像は、ウィリアムズ兄弟による "Collecting Postage Stamps" の巻首図版で、エリザベス女王がアルバムを鑑賞している写真である。エリザベス女王が切手アルバムを鑑賞している写真は珍しいのでご紹介したしだい。
6月18日の日記に英語版「コールのハンドブック」について書いたが、こちらは本家本元の「コールのハンドブック」11版である。第二次世界大戦の影響をで8巻のイタリアまでで終わってしまったが、続刊されていたら世界最強の大ハンドブックになっていたに違いない。
僕の蔵書は重厚な革装丁された極美品で、あのモーリス・ビュルスの旧蔵品である。
僕の蔵書は重厚な革装丁された極美品で、あのモーリス・ビュルスの旧蔵品である。
今日は、年休を取って嫁さんと京都の国立近代美術館へ藤田嗣治展を見に行った。僕は4月に東京で見たので2回目。藤田の生誕120年を記念して、はじめての回顧展である。
画像の「漁村の地引網」は「日本国憲法公布記念」絵葉書からの1枚であるが、これが藤田の絵を題材としたものである。しかしながら、典型的な藤田の画風ではないので、この絵をもって藤田と思わないでほしい。
もし、ご興味のある方は京都の後に、広島へも巡回するのでご覧になってはいかがだろうか。これほどまとまった藤田の大規模展は初めてなのだから。展覧会のホームページは、こちらから。
画像の「漁村の地引網」は「日本国憲法公布記念」絵葉書からの1枚であるが、これが藤田の絵を題材としたものである。しかしながら、典型的な藤田の画風ではないので、この絵をもって藤田と思わないでほしい。
もし、ご興味のある方は京都の後に、広島へも巡回するのでご覧になってはいかがだろうか。これほどまとまった藤田の大規模展は初めてなのだから。展覧会のホームページは、こちらから。
古くからの日本切手収集家として著名だった Fletcher のネームセールカタログである。開催は1968年。この頃になると、そこそこの冊数が日本に入って来ているのだが、その割には見かけないカタログである。僕は海外の郵趣文献専門店から入手した。有名な小判切手のエッセイもこの時の売り出しであるし、他にも資料的に面白いものが幾つも収録されている。彼の小判切手の大部分はなぜか遺族の手に残されて、この時にはほとんど売られていない。その小判切手の大コレクションが後年スイスで売られたのは、僕のような若輩者でも記憶に残っている。
切手展の話しである。国際展で知り合ってから、長いことお付き合いをしていただいている方が何人もいらっしゃる。もちろん外人さん。国際展に行ってまで日本人と群がっていたくないと思うのは、僕だけであろうか?
国際展の出品作品は宝の山だらけで、全ての作品を見たいと思うが、それは無理と言うもの。そもそも沢山見すぎて、「どんなんだっけ?」と忘れてしまうものも多いから、気になる作品は念入りにメモを取ることにしている。けっこう自分の作品の近くで網を張っている出品者は多くて、メモを取っていると「カモが来た」と言わんばかりに話しかけてくる。こうなったら儲けものと思い、色々と質問や相手の解説を聞きにかかる。ブロークンイングリッシュで十分通用する。なぜなら、こちらの超怪しげな英語でも、相手は一生懸命に受け答えしてくれるからである。
相手が「カモが来た」と思って寄って来たら、こちらも「カモが引っ掛かって来た」と思って、聞き役になればよい。なにしろ解説料なんてボラれることは無いのだから。
国際展の出品作品は宝の山だらけで、全ての作品を見たいと思うが、それは無理と言うもの。そもそも沢山見すぎて、「どんなんだっけ?」と忘れてしまうものも多いから、気になる作品は念入りにメモを取ることにしている。けっこう自分の作品の近くで網を張っている出品者は多くて、メモを取っていると「カモが来た」と言わんばかりに話しかけてくる。こうなったら儲けものと思い、色々と質問や相手の解説を聞きにかかる。ブロークンイングリッシュで十分通用する。なぜなら、こちらの超怪しげな英語でも、相手は一生懸命に受け答えしてくれるからである。
相手が「カモが来た」と思って寄って来たら、こちらも「カモが引っ掛かって来た」と思って、聞き役になればよい。なにしろ解説料なんてボラれることは無いのだから。
柳原友治さんと言ってもピンとこない人も多いと思う。郵趣界でけっして派手な方では無かったし、縁の下の力持ちみたいな実力者だった。そんな柳原氏に氏の晩年に数回お会いして話す機会があった。このへんのいきさつや内容については、10年くらい前にニフティのコレクターズフォーラムで紹介したことがある。その時にも書いたのだが、円覚寺30円の普通全型目打の市場に出てくる割合が少ない事に氏は大変に驚いていた。話しによると氏自身が、あちこちに分譲したものがあるという。「どこいっちゃったのかねぇ?」と人ごとのように不思議がっていたのだが・・・。
画像はネパール初期切手の中から2アンナの完全シート。初期切手には各額面ともにセッティングが色々とあって、これは2アンナでは一番最後のセッティング31である。画像が小さくてわからないと思うが、ポジション5・8・14・15・18・19・48がテートペッシュになっている。
小学3年の頃だったと思うが、切手商の棚に置いてある『スコット』カタログの背表紙を見ただけで、「スゲーなぁ」と感動というか羨ましく思っていた。あの頃でセット価格1万円弱位だったのではないかと思う。そんな思いを数年して、初めて買ってもらった『スコット』は1977年版で、たぶん4分冊になった最初のものだと思う。春休みに新宿の郵趣会館へ1人(鎌倉から新宿へ1人で行ったのも初めて)で買いに行き、帰りに東京駅から乗った横須賀線の車内で早速眺めたことを昨日のことのように覚えている。天気は快晴。昼食は東京駅で買ったチキン弁当(今は売ってない)だった。どんな弁当かというとこんなのです。
画像は中央リトアニア1920年発行の通常切手シリーズの中から最低額面の25f。この切手には、目打入りと無目打の両方があるのだけれども、評価に差はなく、どちらも安物である。画像を見ても一見してボロい切手であるのがわかると思うが、版欠点は沢山報告されている。画像の切手では顎の両脇に3カ所の大きな斑点が見られるが、この報告には接していない。見た感じではゴミが挟まってできたような偶発変種に見えなくもないのだが、それにしても巨大な斑点である。
切手が好きなのは収集家の大前提というか、そうでなければ収集家になるわけがない。まぁ、普段からそんなことを意識しているわけではないのだが、つくづく「切手が好きなんだな~」と思いっきり思うときがある。それは、外国切手のアキュムレーションをいじくり回しているときである。アキュムレーションなのだから99パーセントは駄物であるが、「あっ、これは○○の切手」「ん?これはなんだろう」などと選り分けるときの楽しさは、なんとも言えないものである。僕の切手収集には、対外試合(切手展)を楽しむ分野と、切手収集には何でもありと、熊手で掻き集めるごとく楽しむ分野の二つがある。
外国切手を熱心に集めている方なら、古典的ハンドブックとして「コールのハンドブック」をご存知のはず。現在でも十二分に役立つハンドブックなのだが、欠点はドイツ語というところ。ドイツ語を自在にあやつれる収集家は、そう多くはないと思う。もちろん僕もさっぱりである。こんな人にぴったりなのが、「コレクターズクラブ・フィラテリスト」に連載された英訳なのだが、意外にもこうしたものが存在することを知っている人が少ない。ハンドブックに載っている国が全て英訳で揃うわけではないけれども、気軽に読める点がありがたい。画像は、エジプトの第1ページ目。
画像は、ネパールのファーストシリーズの中から、1917~18年に発行された2anna切手の色調バラエティから主なものを拾いだしたもの。実際はこの倍ほどに分類される。ネパールの初期切手というとセッティングのバラエティを揃える事が第一の目標になるのだが、色調も同じくらい大事なのである。感覚としては日本の龍500文切手の集め方に通じるものがある。
廃刊になってしまった郵趣雑誌は数多いけれども、その中で廃刊を知った時の衝撃が一番大きかったのが「スタンプ・レーダー」誌だった。画像は、僕が購入した最初のものの表紙で1978年1月号だから中学生のときである。オークション誌と一緒だったので父親名義で入会した。不思議な雑誌で、専門的な記事がメインなのだが、不思議と肩の凝らない親しみのある誌面作りが特徴だった。執筆者やテーマのバラエティを見てもわかるように、金井スタンプ商会だからこそ実現できたことだと思うし、社長だった橘さんの人徳の大きさも影響していたのだろうと思う。
日本でも愛用者の多い「ミッヘル」カタログだが、どの程度使い込まれているのかはちょっと疑問のあるところ。意外と見落とされているのが脚注。例えば「水に溶け易いよ」とか「ベンジンに溶けちゃうよ」みたいな丁寧なものまで書き込まれている。つまり「水剥がし注意」とか「透かし検出注意」みたいなものである。
ポーランド1924年発行の通常切手。基本目打は4種なのだが、実測すると基本目打以外のものが山のように出てくる。ただし、すぐに新種の目打と勘違いしてはいけません。何しろペアの切手でさえ、隣り合った切手で実測値が違うくらいです。用紙は額面によっては薄紙と普通紙があります。画像の切手は15grの薄紙で、裏返してみると図案がはっきり見えます。