なぜ『ポートフォリオ』なのか?
非常に本質をついた質問です。
この質問には2つの意味が込められていると理解します。
その1 なぜ『ポートフォリオ』を作るのか?
その2 なぜ『ポートフォリオ』で評価するのか?
いずれの質問についても、臨床研修における研修到達目標の修得やその確認だけが目的はないからだとお答えしています。
教育において『評価』というのは非常に大きな役割を持っています。
『評価』についてはあまりに膨大はテーマなのでいずれ解説することにしますが、わかりすやく解説するなら
医学部においては、卒前では『評価』なしにはすまされず、
卒後(臨床研修)では『評価』なしでどのような社会的説明責任がはたされるのか、病院として何をもって『~できる』ということを証明するのか、そして研修医自身が『~できる』という自信を持つことになるのかということになると思います。
教育学上では一般的に言われていることを臨床研修のそれに置き換えて説明します。
1)研修医の臨床研修の実態を指導医が具体的に把握できるようになる。これは指導(フィードバック)に役立つ。
2)研修医自身が自分の研修の実態を具体的に振り返り、その達成感を味わい、同時に常に反省(省察という言葉が適切でしょう)してその後の臨床に役立たせることになる。これは自己評価(自己分析)能力を育むことになる。
3)指導医と研修医がポートフォリオの見て、実際の臨床研修について話し合うことができる。問題解決能力を高めることになる。
4)病院として医師を育てていることについて、社会的な説明責任を果たすことになる。ポートフォリオを公開することで具体的な研修内容が示されることになり、指導医の指導状況も研修医の研修状況も一目瞭然となる。
臨床研修において『~できる』という能力をどのように評価すべきでしょうか。
まず『~できる』にはどのような要素があるか考える必要がありますが、多くの指導医はまず『知識』に着目するでしょう。知ってないと『できない』の理論展開です。
もちろんそんなことは研修医自身が一番知っているので、まず国家試験に合格を目指して黙々と学んできたわけです。
そしていよいよ臨床研修で実技を修得と意気込むのは当たり前です。
すでに、この知識からという考え方は見直され始めていますが、この話はいつか解説しましょう。
ここでは『診察能力』と『診療能力』をあえて使いわけて表現します。
前者には神経診察や胸部・腹部診察における狭義の『診察能力』と、問診から始まり診察を行い検査を選び、その結果を十分に分析し、さらに患者の社会的背景までを考えて、一番効果が期待できる治療法Aよりも少し治療までに期間を要するが負担が少なく今ベストな治療法Bを勧めたいと総合的に診ることができる広義の『診察能力』に分けられるでしょう。
さらに後者では、臨床で実践するために必要なコミュニケーション能力、情報収集能力や問題解決能力、さらに総合的な知識や手技、これらを生涯にわたって実践していくために必要な自己分析・自己評価、プロ意識が含まれてきます。
研修医と指導医の『診療能力』の差は水準(レベル)の差であり、方向性は同じであるべきだと考えます。
教育学では学習者である研修医によってそのときに期待される反応が異なると解説しています。
この期待される反応こそがその研修医の水準といえます。
研修医自身が『~できる』と言い切ることの怖さを自覚しているはずです。
それは、単に診療科ごとのチェックリスト(自己評価も他者評価もないあたかもアンケートのように「あなたは経験しましたね?」「はい(○)」とチェックするだけの紙)が『~できる』ことを証明できないことを研修医自身が知っているからです。
ポートフォリオはこの『~できる』ことの証拠を挟み込むものです。
ポートフォリオ評価はその証拠の挟み込まれたポートフォリオを研修医とともに評価してフィードバックするものです。
そうなるとポートフォリオに何を挟み込むのか、それをどのように研修医自身が振り返るのか、さらに指導医がきちんとぶれない方向性を示すことが重要だということがご理解いただけるのではないでしょうか。
また、指導医の先生方も考え方がバラバラなので、実際の研修医はかなり困っているという現状があると思います。
だから改善すべきだという研修医もいると思ってください。