仙台と松島

2011年05月18日 | 

東北新幹線仙台行。終着駅で車掌に起こされる。いかん、ついつい眠ってしまった。

2ヶ月前の出来事は関西にいるとテレビでしか見えていない世界で、正直本当はどうなんだと思ってしまう。やや野次馬根性も手伝って、比較的被害が少ないと聞いた仙台と観光地松島へ行ってみる事した。

仙台駅はシート覆われているものの、中に入れば本当に2ヶ月前に被災したのかと思えるぐらい普通に見える。駅周辺もたまに出会う作業着姿のおじさんに違和感を感じるが、街を歩く人々の雰囲気は被災地とは思えないほど明るくみえる。

松島へは、仙石線がまだ復旧していない為、東北本線で松島駅に向かう。

まずは高台から松島の街を眺めてみたい。新富士展望台からの景色。以前と何も変わらない気がする。

海岸に近づくと震災の爪痕を確認。

まだ電車がこない為、人気のない松島海岸駅。

一部のお店はまだ、復旧途上。しかし多くの店が既に営業していた。

ミシュラン三つ星にも選ばれた伊達家の菩提寺、瑞巌寺。(今は本堂は工事中。)

こちらは二つ星、庭園が見事な円通院。

すでに観光地としての復興が進んでいる。でもまだ観光客は少なかった。少しでも貢献できるようお土産買って帰えろう。

少しほっとした気分で帰路に向かう。 

テレビ見た衝撃映像が印象的な復興のシンボル、仙台空港へ。一階のまだ一部のスペースのみで営業中。

少し時間があったので、空港周辺を散策。少し歩いたところで、思わず絶句。

そこはまだガレキの山。これも同じく震災後2ヶ月経った風景。

この周りだけでもまだまだ、時間も支援も必要だと感じた。

空港の寄せ書きには「東北の元気につながるよう関西で頑張る!」と今の思いを書いてみた。

日々の仕事が世の中のお役に立つ事だと信じて・・・。

 

ブログランキング・にほんブログ村へ


おのみち

2011年02月19日 | 
平日は、出張先でも仕事の電話で追いまくられ、週末は家にこもって地味~な作業。
そろそろ、見晴らしの良い所で思い切り叫びたい! 「ウギャー!」

出張帰り、ちょっと寄り道して、高台から瀬戸内を望む。尾道の街並。


いいなぁ~、おのみち、絶景だぁなぁ。


リセット、リセット。また明日から頑張ろう。


個展なび

冬の由布院

2011年02月06日 | 
冬の温泉が好きだ!

入浴剤でしか入った事がない、憧れの由布院温泉へ。

お湯の流れる音しかしない露天風呂は、日々の雑踏から解放され癒される。泉質は軟らかいナトリウム塩化物泉で、翌朝もお肌しっとり。

風光明媚な自然も堪能。
幻想的な金鱗湖。湖底から温泉が湧いています。


広大に草原が広がる由布岳。


大分は温泉の源泉数、湧出量ともに日本一。
湯けむり別府の町並み。

いつでも気軽に温泉に入れるなんてうらやましい。

カエルも、


ワニも、


みんな温泉が好きだぁ~       (別府地獄めぐりにて。)


個展なび

小豆島

2011年01月02日 | 

新年あけましておめでとうございます。

2011年ご来光と行きたかったのですが、小豆島から2010年最後の日の出でした。

フェリーに乗って、念願の小豆島。島マニアとしては行っておかなければ。

フェリーの上ではカモメの歓迎。なぜかカメラ目線。

上陸後、まずはエンジェルロードに立ち寄ると丁度干潮。天使の散歩道と呼ばれ、干潮の時でだけ現れる砂州の道。縁結びのスポットらしく、一人で来てもあまり意味はないか。

小豆島といえばオリーブ。日本で初めて栽培に成功した場所。オリーブの綺麗な葉緑に、旬の過ぎたわずかに実がまだ残っていた。

オリーブ以外にも醤油や佃煮など、産業も根付いていて歴史のある島。思っていた以上に深かった。

小豆島と言えば、これは外せない”二十四の瞳”。 映画村、岬の分教場を訪れた。

観光地として綺麗に整備され、見所もお土産物も名物も豊富だ。もう少しゆっくり見たかったのだが、荒れた天気が少し気になりに少し早めに帰路につく。

旅先でまた名言に出会ってしまった。

「二十四の瞳」の作者、壷井栄さんが好んで使っていた言葉だとか。

「もも栗 三年、柿 八年、ゆずの大馬鹿 十八年」

馬鹿は馬鹿なりに時間を掛けてコツコツとやりましょうかね。

2011年が皆様とって良い年でありますように。

個展なび

願い石 叶い石

2010年09月16日 | 
山陰の旅の締めくくりはパワースポット。玉造温泉にある「玉作湯神社」。


祈願成就のこの神社、日本随一のパワーストーンと呼ばれている「願い石」という不思議な力を宿す御神石がある。この「願い石」に、社務所で購入できる「叶い石」を触れさせて祈る。「叶い石」はお守りとして持ち続けると願いが叶うと言うのだ。これは試してみなければ。


まず「願い石」の下から湧き出ている御神水で「叶い石」を清め、「叶い石」を「願い石」に当てて願いを込めます。一緒に同封されている2枚の願い札に願い事を書き、1枚を「叶い石」と一緒にお守り袋に入れ、もう1枚は拝殿の納入箱へ。納入箱へ入れた願い札は、宮司さまや禰宜さまがご祈祷くださり、神様へおとりつぎくださるそうです。


ご利益があるかどうか。小生は来春の個展の成功をお願いしてみよっと。

初秋の山陰を満喫するには、2日程度ではまだまだ時間が足りんかった。


個展なび

時の恋人

2010年09月15日 | 
「手のなかの空 奈良原一高 1954-2004」、島根県立美術館を観覧。
「消滅した時間」のモノクロ作品を見てから、一度はしっかり見ておきたかった写真家。


作品は歴史順に紹介されていて、それぞれの時代で少しずつ変化してく様子が感じられる。しかし、一貫して変わらないのが構図の格好良さ。戦時中に幼少を過ごした時代の人が、50年間もこんな写真が撮り続けるられるなんて。恵まれた時代の私たちでは、その凄さを本当に理解することは難しいかもしれない・・・。

     

人は前を向いて歩き続ける。 僕も未来ばかり見続けてきた。 過去を振り返るのが苦手の僕が、今回は50年の時間を振り返らねばならなかった。改めて沢山の過ぎ去った時間の断片と向き合った。 一 枚の写真を見ると、それが生まれた瞬間へと一気に想いは飛ぶ。その瞬間に発生したエネルギーを再び味わう。そして、言いようのない切ない気持ちが尾を引いて残る。その切なさは、もう再びそのきらめく刹那に肉体が立つことが叶わぬことを知っているからだろうか。それは、想うだけの恋に似ているかも知れない。
写真は時間の恋人なのだ。
恋人を想うとき、僕たちはそのひとの写真を眺めるだろう。その時、瞳は画面の中の恋人を見ているのではない。その画面を越えてその向こうにいるひとに向かって僕たちの眼は語りかけているはずである。

『奈良原一高写真集時空の鏡』「時の恋人」より

”写真は時の恋人なのだ。”  ・・・う~ん、この名言、深いねぇ。


個展なび

キャラ祭り

2010年09月14日 | 
鳥取から境港へ。


水木しげるロードは朝ドラの影響もあってか、かなりの賑わい。
至る所にキャラがあり、すべてが徹底されとりました。


人口は4万人にも満たない街だそうですが、昨年は157万人も観光客が訪れたとか。今では多くのシャッター商店街が増えている中で、ここではなつかしい昭和の街が現役で上手に利用されております。


妖怪のパワー、恐るべし




砂たまご

2010年09月13日 | 
夏は暑いので秋になったらゆっくりと旅をしよう。そんな思いで山陰へ旅に出たら、まだ暑かった。

鳥取砂丘。子供のころ一度訪れた場所。砂丘の入り口に立つ。あれ、こんなもんだっけ。子供の頃の広大な記憶は無惨にも打ち砕かれた。

炎天下の砂丘を、みんなぞろぞろと海へ向かって行く。それを眺めているだけで汗だくになり「たぶん途中で引き返してきちゃうんだろうなぁ。」と思いながら遠くを見つめているだけだった。(おっちゃんはもうだめだ~。)

そんな砂丘で見つけたB級グルメ、砂丘名物「砂たまご」。

砂丘の砂で加熱したたまごは、栗や芋のような食感!と書いてある。期待が持てる。少し砂の付いた殻を割ると、ハードボイルド風の白身が現れた。お味の方は・・・。ゆでて無いので水分が少なくパサついた感じの食感。言い換えればホクホクなのか?うん微妙です。砂丘に来たらお試しあれ。

友ヶ島

2010年05月30日 | 
関西から車で日帰りの距離に要塞の島があった。
話には聞いた事があったものの、今ひとつ評判を聞くでもなく。今日は島好きの友人にお誘いを受ける。

和歌山の加太港には、既に数名が一眼レフを手に観光客が乗船を待っていた。愛好家には有名な場所のよう。汽船に乗って20分で友ヶ島に上陸。期待を胸に散策を開始。


解説によると、友ヶ島は沖ノ島、虎島、神島と呼ばれる3島からなり、明治時代に旧日本軍により、外国艦隊の大阪湾への進入を防ぐ目的で、沖ノ島内5箇所と虎島に砲台が造られた。

第二次世界大戦までは要塞地帯として一般人の立入は禁止され、当時は地形図にも記載されなかった。しかし、対艦用に造られた砲台は第二次世界大戦で使用されることのないまま終戦を迎る。

戦後は友ヶ島全体が瀬戸内海国立公園に指定され、一部の軍事施設が今では観光スポットとなってる。


カメラを手に砲台跡を巡る。レンズを通して被写体を向き合うも・・・なんだろう。歴史があるようなのだが、その重みが全く感じられない。解説を読んでいても、そこに関わっただろう人物像が記されておらず、ここにはヒーローも悪人もない。

自分にはただ、かたちとして存在だけがあり、子供が砂場に作ったお城と同じように映る。

正直、期待していた程ではなかったのは残念。でも実際にこんな施設が戦争に使用されなかった事は本当によかったと思う。

いつまでも平和を象徴するオブジェであってほしい。そんなことを考えながら、初夏の潮風を胸いっぱいに吸い込んでみた。

馬籠宿 妻籠宿

2010年01月06日 | 
年の瀬、空を気にしながら木曽路に向かった。
時代は江戸の頃、五街道の一つとして整備された中山道(なかせんどう)は、江戸日本橋と京都を結ぶ大動脈となる。道中に69の宿場が設けられる。


江戸から数えて、妻籠宿は42番目、馬籠宿は43番目の宿場街。


明治以後の交通改革により、宿場としての機能を失い、


観光開発として集落保存されている。


外国人観光客なら当然珍しい風景に写るだろけど、日本人の私でも、とても新鮮に見える。


忘れかけた日本の原風景。


先日見た時代劇ドラマを思い出した。


自分もタイムスリップしてきた錯覚に陥る。


2009年、最後の冬の晴れ間を満喫できた。
こいつの予報も明日は雨? (猫が顔を洗うと明日は・・・。)

この時期だから雪だろな。この風景もきっと一変することだろう。