友ヶ島

2010年05月30日 | 
関西から車で日帰りの距離に要塞の島があった。
話には聞いた事があったものの、今ひとつ評判を聞くでもなく。今日は島好きの友人にお誘いを受ける。

和歌山の加太港には、既に数名が一眼レフを手に観光客が乗船を待っていた。愛好家には有名な場所のよう。汽船に乗って20分で友ヶ島に上陸。期待を胸に散策を開始。


解説によると、友ヶ島は沖ノ島、虎島、神島と呼ばれる3島からなり、明治時代に旧日本軍により、外国艦隊の大阪湾への進入を防ぐ目的で、沖ノ島内5箇所と虎島に砲台が造られた。

第二次世界大戦までは要塞地帯として一般人の立入は禁止され、当時は地形図にも記載されなかった。しかし、対艦用に造られた砲台は第二次世界大戦で使用されることのないまま終戦を迎る。

戦後は友ヶ島全体が瀬戸内海国立公園に指定され、一部の軍事施設が今では観光スポットとなってる。


カメラを手に砲台跡を巡る。レンズを通して被写体を向き合うも・・・なんだろう。歴史があるようなのだが、その重みが全く感じられない。解説を読んでいても、そこに関わっただろう人物像が記されておらず、ここにはヒーローも悪人もない。

自分にはただ、かたちとして存在だけがあり、子供が砂場に作ったお城と同じように映る。

正直、期待していた程ではなかったのは残念。でも実際にこんな施設が戦争に使用されなかった事は本当によかったと思う。

いつまでも平和を象徴するオブジェであってほしい。そんなことを考えながら、初夏の潮風を胸いっぱいに吸い込んでみた。

春なのに・・・

2010年05月05日 | 水彩色
オワッタァ~と叫びたくなる今日この頃、定着液の臭気から解放された。嗚呼、晴天のGWももう終わりに近づいている。現像タンクの撹拌で少々張り気味の左肩を押さえながらネガの確認。あの酷い天候も今となっては貴重な記憶として焼き付いていた。

思い起こせば今から2週間前、今春最後の撮影で福島に降り立つ。4月も半ばなのに季節外れの大寒波。この白銀の世界はなんだ。2ヶ月前と何も変わらん。20cmはあろう車輪の轍を恐る恐る走りながら裏磐梯に向かう。2ヶ月前の雪上の運転経験がこんなに早く役に立つとは。

檜原湖でどうしても撮りたい場所があった。私とは相性が悪い”その場所”は山に近く天候が変わりやすい。過去2回、雨にたたられ三脚を立てることも出来ずに終わっている。4年越しのリベンジに期待していたがこの大雪。とりあえず”その場所”へ。

初日・・・案の定、吹雪。この雪ではどうにもならん。


裏磐梯周辺も撮影は困難と判断。猪苗代周辺でロケハン。

この時期、地元の人は既に雪用タイヤからノーマルタイヤに履き替えている為、雪が降ると交通量も人気も少なくなる。ドライブインの親父さんが、土産の売り上げがサッパリだとボヤいていた。

2日目・・・天気は少し回復する。期待して”その場所”へ。


しかし、残雪量が半端なく湖岸に近づけず。


仕方なく周辺で湖岸に近づける場所を探し撮影。


思えば今年は本当に雪たたられた。被写体とうまく付き合えないとランドスケープは難しい。長年やってきてわかった事はあきらめが早いことも重要だということ。また来年、気長に頑張ろう。

3日目・・・最終日朝、あきらめながらもまた”その場所”へ。(あきらめは早いが意外とシツコイ。)昨日の天気で思った以上に雪が溶けている。お得意の観察力で周辺を見回す。行けると判断し、三脚を杖代わりに雪の堅さや厚みを確認しながら一歩一歩湖岸へ降りる。ついに来た!我を忘れて撮影に集中。あっという間に時間が過ぎた。テンション上げ過ぎでフィルムマガジンのハンドルを折っちゃった。でもいいのが撮れた。(その写真は、いつか作品として公開しますので。)

最後の最後に”その場所”は受け入れてくれた。被写体にはいつも感謝。なんか今年はいい事ありそうな。

街に戻ると桜の河川敷を鯉のぼりが気持ち良さそうに泳いでいた。

2日前の大雪の事など無かったかのように。