さらさらきらきら

薩摩半島南端、指宿の自然と生活

指宿の買い物事情

2011-12-05 09:30:09 | 指宿暮らし

沿道に並ぶ郊外店舗群

私が屋久島暮らしを切り上げた理由の一つに買い物の不便さがある。とは言ってもそれは移住前から覚悟していたことだし、それどころか予想していたより実際はずっとましではあった。さらに数年前には安売り店の進出もあり、またADSLの開通でネットショッピングにも不自由しなくなった。それでも商品はある時と無い時、安い時とそうでない時、海が荒れてほとんど食料品がなくなる時など、いろいろ波があった。だからいつも先を見越して計画的にすることを心がけ、それでも駄目な時はどうせこんなものさと納得して済ませていた。それでどうということもなかったのだが、いささか年を取るにつれて我慢強さをなくしてきたのか、そうしたことにふと疲れを感じたり、時にはうんざりするようになってしまった。これではもっと年を取ったら耐え難くなるかなと心配にもなった。

再び移り住んだ指宿郊外の家は、離島ではあっても県道に近かった屋久島の家よりもっと静かなところだ。しかし歩ける範囲で、自転車だったら数分で、広い道路の両側に郊外型店舗群が立ち並んでいるところに出る。大型食品スーパー、ホームセンター、家電量販店、服、レストランなど、ほとんどすべての用事が済ませられる。しかもそこ以外に車で5分の範囲に、かなりの規模の食品スーパーが5軒もある。指宿市は人口4万4千人ほどなので、この商店の数には驚く。

私は幼い頃からずっと都会暮らしだったが、だいたいいつも中ほどで暮らしてきたのでこうした郊外の様子は知らなかった。いつのまにこんなに便利になったのだろう。離島から来たのだから当然としても、もともとは都会人であるはずなのに全く浦島太郎になった気分だった。ところでもう一つ驚いたのは、町の中心部の対照的なさびれ方だった。指宿駅前の商店街はシャッター街という言葉も不足なほど、ほとんど人の姿も見えない死の町然としていた。

引越してすぐ、新天地を知るために地元の新聞をとり出した。まず折り込みチラシの多さに驚いた。これだけの商店群なのだから競争は激烈なのだ。最初はもの珍しく丹念に目を通していたがじきに気にしなくなった。バーゲンなどでなくてもいつでも何でも安いのだ。屋久島と比べるとほとんどの商品が数割は安く、生鮮品などは半値かそれ以下くらいの感じがする。品揃えも目移りして困るほどだし、もう計画性などまったく必要ない。いや気を付けないといらないものまで買わされてしまう。最初すべての店舗のすべての売り場を歩いてみて、ああ世の中にはこんなものまであったのかと楽しかった。買うためより好奇心を満足させられるということで、入場料不要の現代博物館あるいはテーマパークのようなものと見なすのもよさそうだ。

そんな中で最もびっくりしたのはお弁当や惣菜の安さと品揃えだ。たとえ料理好きの主婦であってもこれだけの種類は作れないだろう。しかも自分で食材を買ってきて作るよりはるかに安くつきそうだ。こうしたものは昔はメニューは単調で、味付けも甘すぎたり塩辛かったり、とても続けて食べられるものではなかった。しかしこれなら毎食でも大丈夫だろう。最近の主婦は調理などせずに買ってきたもので済ませるという話は時々耳にする。なるほどこれなら無理もないなと納得した。我が家でもずいぶん買い食いで済ませる日が多くなった。そして以前はめったに食べなかった寿司が増えた。なにしろこの周辺には漁港が多く魚介類に恵まれている。私の舌ではスーパーの数百円の寿司が都心の専門店とさして変らなく感じるくらいだ。

考えてみれば、各家庭で料理を作るというのは労力的に大変なだけでなく食材や燃料なども高くつき無駄も多い。まとめて専門家に任せて分業した方が社会的国家的に見ても効率的なはずだ。思い起こせば私の子供の頃は服も主婦が自分で作っていた。今、ミシンのある家はどのくらいだろうか。今や自分で作った服を着ていたら感心されてしまうだろう。料理の方は今でもまだ自分で作るのが美徳とされている。しかし普通の住宅からちゃんとした台所が消えていくのもそう遠くないかもしれない。

生活はどんどん安易になっていく。しかしふと、こんなことが果たしていつまで続くものだろうかと不安を覚えたりもする。お弁当や惣菜は、夕方行くと安いものがさらに半額になっている。しかもまだまだ迷うほどたくさんの種類が残っている。これだと毎日かなりの廃棄が出ているはずだ。もったいないというだけでなく、もともと利益率は低いだろうからちょっと狂っただけで店は赤字になってしまいそうだ。そもそもこんな田舎町で人口は減り続けている。そんな中で激しい競争に明け暮れているのだ。ある朝行くと、どの店もいっせいに潰れているのに気付くというのも決して杞憂とは言い切れない。すっかり便利な生活になじんだ後だから、我々は砂漠に放り出されたも同然だろう。

それだけでなく、こうした莫大な商品の販売の裏には、製造や流通の大掛かりな仕組みがあるはずだ。つまり国の内外に張り巡らされた精緻なサプライチェーンがあってのことだろう。そのうち世界のどこかで何かが起こる。それは災害かもしれないし政治不安などかもしれない。ともかくどこかの歯車がおかしくなってすべてが止まる。そうして予期せぬ破局が来るかもしれない。

ではこんな安易で便利な生活に浸りきるのは止めるべきか。以前、私は素朴にそう考えていた。できるだけ質素で自給自足に近い生活をするべきだと信じ、定年退職後、南の島に移住した。しかし思い違いに気付くのにさして時間はかからなかった。農業のまねごとをするだけでも、機械や道具、資材や薬品、肥料などさまざまなものが必要だった。そしてそれらの原料や燃料など、ほとんどすべて石油に頼っていたのだ。それは外国から買ってくるしかなく、輸入が止まれば農業も行き詰る。つまり現代日本における自給自足というのは砂上の楼閣でしかなかったのだ。そして中途半端な自給自足はかえって高くつき、資源を無駄使いし環境負荷も大きいのだった。

結局我々はこの道を進むしかなさそうだ。今さら江戸時代の生活レベルに戻りたくもないし、たとえそうしたとしても今の人口の3分の2が餓死するしかないのだから。そもそも誰も世界全体を把握できず将来を見通すことなどできないのだ。もっともらしく本来どうあるべきかなど主張しても、すべて独断と偏見でしかありえない。我々はただより広く深く世の中を見渡すよう努力するしかない。そしてできる限り破局を迎えないようにするためには、世界とより緊密に結びついていくしかない。