さらさらきらきら

薩摩半島南端、指宿の自然と生活

ブログの引越し

2013-03-08 10:00:35 | インポート
ブログを引越しました。新しいところも同じ名前です。
さらさらきらきら
http://srsrkrkr.seesaa.net

きっかけは、ある人から私が死んだ後もブログを読みたいと言われて、どうなるのか問い合わせたことにあります。するとこのブログは、死んで支払いが止まると速やかに抹消されるということでした。以前使っていた無料のサービスでは広告が煩わしいので、わざわざこの有料サービスに乗り換えたのですが、それが仇になってしまったようです。以前のブログはもう1年半以上も放ったらかしなのですが、今でも毎日100以上のアクセスがあります。そんなものが問答無用とばかりに葬り去られるのはいささか口惜しい。ということでまた元に戻ることにしました。無料サービスでは広告収入が支えになるので、かなりの期間保持されるようです。本当はここの内容をすべて持っていきたかったのですが、そういう引っ越しサービスは大手同士ならあるけれどもここのように弱小だと相手にされていませんでした。まあ私が生きている限りはこのままずっと残しておけると思います。

<追記>
このブログはプロバイダーぷららのブログサービスBroachを使っていたのですが、弱小のためか競争に負けたようで結局2014年6月をもって閉鎖ということになってしまいました。もう更新はしていませんが記録は残しておきたかったのでここgooブログに移させて頂きました。この前後のブログは下記のようになっています。

新ブログ 「さらさらきらきら」 http://srsrkrkr.seesaa.net/
旧ブログ 「屋久島ひとりごと」 http://mksn.seesaa.net/

カルガモ

2013-03-01 10:08:45 | 


カルガモのこのおっとりした顔つきはどうだろう。まん丸い目に丸い頭、全部滑らかな曲線からできているようで、ふと徳の高いお坊さんの柔和な顔を思い出す。ずんぐりした体は地味だけどよく見るとなかなかきれいな色彩だ。くちばしの先がちょこんと黄色いのと、赤く異様に太い足が重そうな体を支えているのはちょっとご愛嬌だ。



重なった羽の下にわずかに青が見え隠れしていたのだが、それは広げるとこんなに大きな縞模様だった。色も深みのある群青色だ。きっとこの鳥は飛んでいる時、上から見たら素晴らしい色彩なのだろう。しかし我々はまずそれを楽しむことはできない。



太い足でのっしのっしと歩いている。この2羽は泳ぐときも歩く時もしっかり寄り添っていたから、きっとつがいなのだろう。ほとんど同じ柄で雄雌の区別がつかないが、前方の鳥が少し色合いが濃く体も大きめで、きっとそれが雄なのだろう。



足はかなり付け根が離れているから歩くにはあまり適していないと思う。しかし両足の水掻きが重なるくらいに内側に傾けて、お尻を振って大股で堂々と歩いていく。



新芽の出始めた茂みで何かしきりにつついて食べていた。葉や種子など食べるそうだ。またこういうところには死んだり弱ったりした虫や魚なども転がっていたりするがそれらも食べるそうだ。



じっとうずくまっているものもいる。まるで砂地に丸い石でも転がっているようだ。前から見ると意外なほど白いが、上から見ると黒っぽいだけでまったく砂地に同化して、これでは外敵に見つかりにくいだろう。



我が家のすぐ近くの川ではたいていいつも群れている。平地に一年中いるカモはカルガモくらいだ。夏の間はなんだか茶色っぽいだけだが、冬になると色彩が引き締まって見違えるほどきれいになったと感じる。そして数もずっと増える。本土では留鳥だが北海道では冬はいないそうで、そうした北の方から渡ってくるようだ。



突然喧嘩が始まった。大柄な鳥だからとんでもないくらいの水音で、グェ、グェといった野太い声も迫力がある。たぶん雌をめぐる闘いだと思うが、こんな柔和な感じの鳥のこの豹変ぶりには驚く。なんでもこの鳥は子殺しでも有名なのだそうだ。よくたくさんのひな鳥を付き従えて道路を横断する微笑ましい姿が報道されたりする。しかしどういう理由か、突然ひなの一羽をこんな感じでつつき殺してしまうことがあるそうだ。生きるということのすさまじさを思い知らされる。



ここは山々に囲まれた静寂と神秘のカルデラ湖だ。その湖面にきれいな模様が広がっていた。大自然の中で一時こんな芸術品を作れることに羨望を覚える。といっても彼らは自分がどんな作品を作ったか知る由もないのだが。

カルガモは都会でもしょっちゅう目にするありふれた鳥で、鳥見などしていて「なんだカルガモか」というのは「なんだカラスか」というのと同じくらいの蔑みの言葉だ。しかし目ぼしい被写体が見つからず仕方なくカメラを向けてみたら、これはこれで意外な魅力にあふれていたのだった。

サツマイナモリ

2013-02-22 09:38:00 | 花草木


山の杉の植林の下でサツマイナモリが咲いている。寒々と薄暗い中で小さな白い花がぼうっと浮かび上がる。最初に見つけたのはもう一月も前、しんしんと冷え込む中で葉影に隠れるように咲いていた。それから一つ二つと咲き続けて、2月も半ばを過ぎ、点々と目につくようになった。花の径はやっと1cmほど、純白の中のピンクの塊は神秘的なほどきれいだ。



咲き出したばかりはとてもみずみずしく透明感がある。周りの花びらに細い毛が密集しているのが意外な感じだ。そのつや消し効果で深みのある純白になっているようだ。



ピンクの塊はどんどん大きくなって色も濃くなる。二股の形から、ああこれは雌しべの柱頭だったのかとやっと判った。普通の花のそれに比べたらずいぶん大きい。



ピンクのない花も多い。最初見たときはこれはもう柱頭が枯れた後だと思った。



しかしそうではなかった。よく見ると花粉をたくさん出した雄しべが並んでいた。そしてそれらのずっと奥に見覚えのあるピンクの柱頭が見え隠れしている。ということはこの花は、雌しべの長いものと短いものの2種類があり、つまりこれは同家受粉を避けるための異花柱花だったのだ。そしてこの雄しべの見えている方は短柱花で、この雄しべの葯の位置と、先ほどのピンクが目立つ長柱花の柱頭の位置が同じ高さになっている、またその逆も成り立っているということだ。またこの短柱花においてはどうも咲いてすぐ花粉が出るようで雄性先熟であるようだ。



改めて長柱花の方を見る。この花ではもうすっかり柱頭は枯れている。その奥は長い毛が密生していて中が見えない。実はその向こうに雄しべがあった。どうもこちらは雌性先熟であるようだ。この花の形状からして、ポリネーターはきっと小さなハナバチの仲間だろう。花筒の中に頭をつっかえるまで突っ込んで、それから先は長い口吻を伸ばして底に出ている蜜を吸う。その時の頭の位置に雄しべの葯があるというわけだ。その手前にブラシのように毛が密生しているのは、もし虫が別の花の花粉を付けていたらそれを払い落としてしまおうという、花の利己的戦略ではないだろうか。なお以上の考察は謎解きを楽しんでいるだけで、観察例が少なすぎて決して科学研究などではない。



葉の茂る様子はいかにも雑草然として、花のない時期にはまず目に留まったりしない。ところでサツマイナモリは意外なことにアカネ科だった。アカネという言葉の響きは魅力的だが、実際にはこの仲間はなんとかムグラといったものが多くほとんど貧弱な花ばかりだ。きれいなものでよく見かけるとしたらかわいそうな名前で有名なヘクソカズラくらいだが、そういえば花の感じは少し似ている。



昨年の3月下旬、この同じ場所で満開状態になっているのを見た。林床の一角を覆うように咲いて見事だが、残念ながら屋久島で見慣れた大群落には及ばない。ところで屋久島では水辺に咲いて、それこそしぶきにぐっしょり濡れていたりしたものだが、こちらでは杉林の下の、湿ってはいても水気などないようなところでしか見ていない。この生育環境の違いはどうしたことだろう。分布は房総半島から南西諸島にかけてだそうだが多いのは九州以南のようだ。ネットで見ると本土では杉林に、南西諸島では水辺に生えている写真が多い。



これは数年前の6月、屋久島で見たものだ。この変形した兜を重ねたような奇抜な造形には驚いた。まさかこれがサツマイナモリの果実だとはその時とても思い付かなかった。あの円筒型の花から、何でこんな扁平な果実ができるのだろう。ともかく未来都市であるとか、いやその廃墟であるとか、いろいろな見え方ができて楽しい。

ツグミ

2013-02-15 11:03:55 | 


冬の間、公園の芝生広場には必ずと言っていいほどツグミがいる。ふつう、小鳥というものは木々の枝葉の間で動き回っているから見ずらいものだが、ツグミは開けた地面でじっとしているので観察しやすい。小鳥としてはわりと大柄の方で色合いも濃くなかなかきれいだ。そして仕草もかわいらしい。



目の上の白線、首の白、胸から脇腹のうろこ模様などが目立つ。足を広げてじっと仁王立ちしている姿も、こんな格好をするのはまずこの鳥だけだろう。そっと近付くと首を回してまん丸い目でじっとこちらをうかがっている。



背中はかなり赤みがかった茶色の複雑な模様でなかなかしゃれている。しかし冬枯れの中では枯草に溶け込んでしまう。腹側のうろこ模様も同様に保護色なのだろう。ツグミ自身も判っているようで、芝の養生のため囲まれて青々している区画があるが、そこにいることはまずない。



別に何かがあったわけでもないのに突然走り出す。普段は小鳥らしく両足をそろえてピョンピョン跳ぶのだが、急ぐときは我々と同じように足を交互に出して走る。体勢を低く保ち上下動することなくなかなかの速さだ。ただ両足の左右の間隔がだいぶ開いているのでがに股走りになってしまう。それでも安定感があるのは足がかなり大きくがっしりしているからだろう。



そうして何十歩か走ると急に立ち止まって気を付けの姿勢になる。胸を張って、両手を体に付けてまっすぐ下ろし思いっきり背伸びしている。こんなに反り返ることができるのは尾で後ろを支えているからか。しばらく微動だにしない。いや首だけそっと動かし周りを見ている。背伸びしているのはできるだけ遠くまで見渡すためだろう。

この小走りと突然の静止。それが昔の子供の遊びである「だるまさんが転んだ」にそっくりだと言われている。あれは鬼に気付かれないようにしながら逃げていく遊びだが、この鳥も同じ目的なのだろう。こんな開けたところにいるのだから、のろのろ動いていてはすぐに外敵に見つかってしまう。さっと動いてじっと静止。そうして捕食者の目をくらましているのだろう。さてこんな方法を考え出したのは人間の子供とツグミ以外にほかにいるだろうか。



何か食べ物を見つけたようだ。こういう時は小鳥らしく両足をそろえて短く跳んで至近距離に近付き狙いを定める。



ぐっとくちばしを地面の中まで突っ込む。こうして地中のミミズなどを食べているようだ。またよく松林の下などにもいるが木の実草の実も食べるそうだ。

冬はたいてい地面に一羽でいる。たまに他の鳥が近付いたりすると、キュキュとかクックッとかいった声で短く鋭く鳴いてさっと逃げ、低く飛んで少し離れた所に舞い降りる。徹底した孤立主義者だ。いや孤独が好きというのでなく地上で群れていたら外敵に見つかりやすいということなのだろう。実際秋に渡ってくるときなど大群で、そしてしばらくは一緒に木の上で生活しているそうだ。残念ながらそういうのを見た覚えがないのは今はそれほど数は多くないということだろうか。昔はカスミ網で大量に捕獲され食用に流通もされていた。ムクドリは相変わらず大群を見かけるので環境悪化のための減少ではなさそうだ。ムクドリが狙われなかったのはあまりおいしくはないということか。ツグミは美味しいよと言っていた人がいたが、どうして知っているのか、それを聞くと次に何を言えばよいか戸惑いそうで口をつぐんでしまった。

コショウノキ

2013-02-08 09:47:50 | 花草木


そろそろ春めいて来たといっても未だ底冷えのする林の中で、純白の清楚そのものといった花が咲いていた。ジンチョウゲの仲間のコショウノキだ。園芸のジンチョウゲにも白花種があるが、それと区別が付かないくらいによく似ている。ただ花数は少なめで、あのすばらしい香りもだいぶ弱い。そして咲く時期がひと月以上早い。何でわざわざと思うくらい、まだまだ真冬の寒さの続く山中で咲き出すのだった。



花びらは4枚あるように見えるが、これは萼で筒状になっていてその先が4裂しているのだった。肉厚で丈夫でかなり長く咲き続ける。裂片が大きめのものと小さめのもの、また外側と内側と交互になっているのは構造的な偶然なのか、それとも少しでも目立たせるための工夫だろうか。ともかくそれらに囲まれた花粉のオレンジ色がとても鮮やかだ。



よく見ると雄しべは長いものと短いものがそれぞれ4個ずつある。緑色の針のようなものは雌しべだろう。図鑑には雌雄別株と記述されているがどう見てもこれは両性花だ。



蕾が並んでいる様子がなにやら面白い。根元の緑色がしだいに薄くなっていく様子もきれいだ。なおこの表面がつるつるなのがジンチョウゲ、細毛が密生しているのがコショウノキというのが識別のポイントだそうで、確かに毛が生えているようだが肉眼ではほとんど判らない。



ここは常緑樹が丈高く茂った林床で、薄暗いため下生えなどあまりない。そんなところでせいぜい1mほどの高さで枝をたくさん出している。それぞれの枝先にすべすべした革質の葉がまとまって付き、その真ん中にいくつもの花を咲かせる。なかなかきれいではあるが、一株だけぽつんと生えていることが多くあまり気付かれない。関東以西の暖地に沖縄まで分布しているそうだが見たことのないという人が多い。



昨年初夏、ここで赤い実を見つけた。こちらの方が花よりずっと目立つ。これでジンチョウゲでないことが明確になった。ジンチョウゲは日本に持ち込まれたのはほとんど雄株ばかりだそうでまず実をつけない。またこれが両性花で自家受粉することも確かだろう。近くには他の株は無いし、それなのにほとんどの花が結実しているのだから。

この木がコショウノキという全く縁もゆかりもない名前をいただくことになったのは、この実がコショウのように辛く刺激性があるからだそうだ。ところが本当に辛いかどうか議論が分かれている。実際に試して辛くなかったと言う人と、いやとんでもなく辛かったと言う人の両方がいるのだ。これはいったいどうしたことだろう。実は私も試すのが好きなのだが、毒であったりとんでもない味であったりするので、たいてい舌先でちょっと味見するくらいで済ませてしまう。この実はそれだとなんとも感じないが、しっかり口に入れるとしだいに辛味が出てきてしびれるほどだそうだ。では試してみようかと思ったが、どうも酷い目に合いそうで、それに図鑑にはっきり有毒と書かれてあるので止めることにした。

またこの実はずいぶん長い間きれいな色を保っているが、同じように見えても熟し度はずいぶん違うはずだ。十分熟したら味も酷くはなくなるのかもしれない。もともと果実は動物に食べられ種子を運んでもらうためのものだ。未熟のものが不味いのは種子が十分成熟するまで食べられないようにするためだという。鳥は丸呑みしてしまうため味には鈍感だそうだが、そんな鳥にも判らせるため徹底的に酷い味にしているのかもしれない。