さらさらきらきら

薩摩半島南端、指宿の自然と生活

ハンゲショウ

2012-06-29 10:02:40 | 花草木


つゆ時のつかの間の晴れ間、うっとうしさをはね返すかのようにハンゲショウが水辺を真っ白に染めていた。よく見れば白くきれいなのは葉で、花はいささか貧弱な穂になって小動物の尻尾のようにくっついている。



花穂は伸ばしても10cmかそこら、そこにごく小さな花がびっしり付いている。先の方はまだ蕾、中ほどは満開、基の方は咲き終わりで雄しべはもう枯れている。一つ一つの花は小さすぎてよく判らないが、飛び跳ねた水玉のような雄しべは6本、半透明の雌しべの先は4つに分かれているようだ。花びらなどの飾りは一切ない。



その代りに花穂近くの葉が真っ白くなっていいかげんの花よりずっときれいに目立っている。葉はもともと普通の緑色、それが花穂の伸び出す時期付け根の方から白くなっていき、花の咲く頃にはほとんど真っ白になる。そうして花が終わると再び緑が戻ってきてもとの普通の葉になってしまう。これは葉緑素を出し入れするだけだから花びらなど別途作るよりずっと経済的だ。同じようなことを全く類縁のないマタタビやコンロンカ、ポインセチアなどがやっているから誰でも気の付くことなのだろう。しかしそれにしては少数派であるのはどうしてだろう。



ハンゲショウは湿地に生え地下茎でどんどん増えていく。そうして一面真っ白になるから見ている分には美しく面白くもある。しかしこうなるとただべったり白く塗られただけみたいで花があるようには見えない。これでは虫たちも困惑するだろう。それがこのやり方があまり普及しない理由かもしれない。

このなかなか趣のある花が実はドクダミ科だと言われれば多くの人ががっかりしそうだ。ドクダミの花はやはり同じような花穂で、ただ寸詰まりになっているだけだ。その根元に4枚の花びらが目立つが、実際はあれは苞(総苞)と呼ばれる葉の変形したものだ。だからハンゲショウと同じ作りなのだ。しかし葉のままでなく苞に形を変えたのはやはりそうして専門分化した方が効果的で、虫をたくさん呼べるからなのだろう。



水辺に多いイトトンボが止まっていた。残念ながら彼らは花粉を運んではくれそうにない。それどころかハナアブなど小さな協力者たちを襲って食べてしまうとんでもない厄介者のはずだ。しかしそんなことなど関係なく今はみな白の世界に埋もれて、ハンゲショウの水辺は静寂に包まれている。

ハンゲショウは半夏生と書かれる。これについてはずいぶんややこしい話がある。まずカラスビシャクという草がある。その根が漢方薬で「半夏」と呼ばれる。そのためカラスビシャクの別名も半夏になった。それが咲くのが7月の初め頃、昔の農家の人たちには馴染みの草だったので、中国暦の七十二候を日本の風土に合わせて改定した時「半夏生」という暦日ができた。さてその後それとは関係なく、ちょうどその時期に真っ白になって目立つ草があったので、その暦日の名前を取って半夏生と名付けたということなのだ。嘘かまことか、思わずうーんと唸りたくなるような話だ。

半化粧という表記もあるそうだ。これは半分化粧した、あるいは化粧の途中ということで、だいぶ白くなったがまだ緑も残している葉の感じにはぴったりだ。そもそもこの白さには歌舞伎役者か舞妓さんの化粧を思い起こすくらいのべっとり感がある。さてどちらが正しいか、もしかしたら両方とも正しく、半夏生の頃に半化粧が咲くということでお互いに強め合ってハンゲショウの名が広まったのではないだろうか。

ところで私は初めて「半夏」の字を見た時、真夏に対する半分の夏、夏の途中といった意味だと思い込んだものだった。もうじきすっきり夏が来るという期待をこめて、梅雨の明けやらぬ今頃にはふさわしいような気もするのだが。