プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

プロコフィエフ日記前置き

2005-05-01 | プロコフィエフ日記前置き
 作曲家のセルゲイ・プロコフィエフ(1891-1953)は、革命後の1918年、極東ロシア・日本を経由し、アメリカに渡りました。それ以後、欧米を主な舞台として活動を行い、最終的にソヴィエトに復帰するのは1936年のことです。

 彼が渡米の途中で2ヵ月ほど日本に滞在したことはかねてから知られていましたが、2002年に初めて大部の日記(Сергей Прокофьев,《Дневник 1907-1933》Paris,sprkfv,2002)が刊行されたおかげで、日本における行動の詳細が知られることになりました。

 この日記は作曲家の息子のスヴャトスラフによって、パリで刊行されました。同氏の直話によると、プロコフィエフの日記の原文はモスクワにある国立中央文学芸術文書館に所蔵されており、1980年代の初め、氏は連日この文書館に通って、原文を筆写されたとのこと。しかも、作曲家はしばしば母音を省いて文字を書くなど独特の癖があったため、解読に苦労したといいます。

 出版にも困難が伴いました。ロシア語であるうえに上下2巻で2000ページを超す大著であるので、出版社が見つからず、今回の刊行は氏の子息で作曲家の孫にあたるセルゲイさんの協力のもと、セルゲイ・プロコフィエフ・エステート(Serge Prokofiev Estate)からの自費出版となりました。

 この邦訳についてはスヴェトラフ氏のご快諾を得ています。同氏は1960年代に日本を訪問して、父親の訪ねた町々をおとずれ、親日家になられたとのことです。

*なお、この邦訳の一部は「来日ロシア人研究会」会報「異郷」18~21号に掲載されたものをもとに、若干の修正を加えたものである。

訳者・サブリナ・エレオノーラ/豊田菜穂子
監修・中村喜和(来日ロシア人研究会代表)