プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

首都脱出

2005-05-02 | 訳者解説
 1918年5月2日、87年前の今日、プロコフィエフは単身ペトログラード(*)をあとにし、モスクワに向けて旅立ちました。長きにわたる亡命生活が、この日から始まります――。

*ペトログラードは現在のサンクトぺテルブルク。当時のロシアは革命後の内戦状態にあったうえ、ドイツを対戦相手とした第一次世界大戦の渦中にもあった。首都「サンクトぺテルブルク(聖ピョートル)」の名はドイツ語であったため、「ペトログラード(ピョートルの都)」とロシア語に改名。ソ連時代には「レニングラード(レーニンの都)」と再び名を変えることになる。