宇宙船地球丸

境目を造る[環境(Environment)」から、響き愛の「環響(Eneironment)」へ

「私の恩返し」 by 武田邦彦

2009-02-19 10:34:59 | 環境教育
 「宇宙船地球丸」の管理人スパイラルドラゴンです。今日は、2009年2月19日です。

 日本人はなぜ環境問題にだまされるのか等の環境問題を題材とした著書や、ご自身のHPや講演会で、環境省のデタラメ行政を暴き続けているために、一部から執拗な嫌がらせを受けている中部大学の武田邦彦教授が、ご自身のHPに、「私の恩返し」というタイトルで、「報道の自由」と「学問の自由」がいかに大切であるかを訴える文章をアップされましたので、以下その全文を転載します。


 (以下転載) (注:文字の太字装飾・改行はブログ管理人)

 私の恩返し

 不詳にして「恩」という英語の単語を知らない.英語の文章では恩ということが出てくることはほとんど見かけないので,ひょっとしたら概念が無いのかも知れない.

 でも,私は日本人なので,恩を返したい.

 ・・・・・・

 近代国家が成立してしばらくは「公僕」であるお役人や選挙で選ばれた議員などは当然、正しく,民衆のために働くと思っていた.しかし,どうも「権力」というのは人間を魔物にしてしまうらしく,本来は「公僕」だったり,「選挙で選ばれた議員」だったりしても,次第次第に民衆から離れ,特権階級になる.

 そこで,社会はいろいろなシステムを作っていき,その中に「報道の自由」,「学問の自由」,そして「教育の自由」などがある。 もし,NHKのような報道機関が政府の言うとおりに報道すると,政府は都合のよい情報だけを流し、税金を取り立て、私腹を肥やすようになる。

 社会は「報道」に「自由」を与え,記者は自らの信念に基づいて取材をすることができ,取材そのものを理由にして解雇されたりしないという特権が与えらる。

 たとえば,あるNHKの記者が「政府と経団連の間に,温暖化で密約があるらしい(本当にあった)」ということで,あらゆる関係先を聞き回り、取材をして「どうも,政府と経団連の間に密約があって,国民にはCO2の削減を呼び掛けるけれど、経団連に参加している企業には規制をかけない」という事実をつかんだとする。

 それをNHKで放送しようとしたら「そんなことをしたら政府からにらまれる」と放送を制限したり、放送しようとした記者の出世が遅れるということがあると,国民は事実を知らされず、政府に都合の良いことしか分からないことになる。

 このように報道機関が政府から独立しているというのはきわめて重要なことで,それがなければ最初から,私たち国民は誤報の中で生活する事になってしまう.だから公正で,方向性の無い報道が必要なのだ.

 もう一つは学問の自由。


 先の大戦、つまり太平洋戦争の時のミッドウェー海戦に例を取る。 ミッドウェー海戦は太平洋戦争の山場の戦いで、日本とアメリカの主力空母が太平洋上で激突し.武運つたなく,日本軍は完敗。 日本軍が保有していた大型空母4隻は沈み,この戦いを境にして,日本軍は転がるように敗戦へと向かっていった。

 ところで,このミッドウェー海戦の結果を,時の政府(大本営)は,「空母一隻大破」と発表する.事実とはかなり離れていますが,それでも,戦争中ですから軍としては仕方がないかも知れない。

 もし,その時に新聞が機能していて,記者がミッドウェー海戦の戦場で取材したとしたら,戦いの日の翌日に「日本空母 2隻撃沈される」と報道しただろう。 なぜなら,戦場で撃沈された日本の空母は2隻だったからだ.

 さらに,学者がミッドウェー海戦のことを論文に書くときには「日本軍は,この戦いで主力空母4隻を全部,失った」とする。 学者はゆっくりと事実を調べ,論文を書くときには,すでに戦争が終わっている.

 戦いの様子もハッキリしていて,2隻の空母は戦場で撃沈され,後の2隻は戦場を離脱してから航行不能になり自沈したことも判明している。 そこは従軍記者と違い,速報性は無いけれど事実には近くなる.

 さらに学者には「全体の辻褄を付ける」ということができる.つまり太平洋戦争ではこのミッドウェーの戦いの後,「空母の戦い」というのがない.それは日本の主力空母が全部,沈んだに他ならないからだ。

 学者は全部の辻褄を合わせるのですから,新聞とは違っても良いし,またそのためにこそ,マスメディアと学者が社会にとって必要だと言うことだ。

 最近の環境問題,つまり京都議定書も同じことがあった.

 京都議定書は結んだものの,計算の基準年になる1990年には,日本は省エネが終わっていて,このまま京都議定書を締結すると産業界は大打撃を受けるので,批准に反対した。

 そこで政府と経団連が密約を結ぶのだが,「密約」だから官報で「密約があった」と発表するはずはない.


 もし,NHKが国民の報道機関なら,この密約を放送したはずだ。この密約の存在は,テレビ朝日が朝日新聞記者のコメントを放送したので,朝日新聞は知っていた.NHKも知っていただろう。

 しかし,日本のマスメディアは報道の自由は持っているが,「政府に都合の悪いことはできるだけ報道しない」ということで,報道を控えた.

 そこで私が「密約があった」という書籍を出したのだが,もし,私に「学問の自由」がなければ,私は政府の圧力を恐れて本に書けなかったかも知れない。

 2007年以来,私は「リサイクルはされていない」,「ダイオキシンの毒性は低い」.「温暖化で日本は被害を受けない」と本に書いてきたが,こんなこと・・・政府や天下り団体とは違うこと・・・を書けるのは私が社会から学問の自由という特権を持っているからだ.

 このことで私は,社会的な不利は受けますが,活動を妨げたりされることはない。私は特権を頂いた社会への恩に対して感謝し,恩を返している関係だ。

 つまり,権利だけもって義務を果たさないのはあまり良いことではない。 報道の自由(表現の自由でもよい)という権利を持ったNHKは「知ったことは放送する」ということでなければならず,学者は「研究したことは発表する」ということが求められる。

 でも,現在の日本の学者の多くも政府やNHKのいい加減なデータに気がついても,黙っている.

 それは「競争的研究資金」という制度ができて,研究費の多くが政府から出るようになり,それも政府によって選別されるので,「にらまれると研究がきない」という状況にあるからだ.


 特に審査に当たる先生は東大の先生が多く,東大の先生にたてつくと,まず研究費は来なくなる。

 私が環境に関する自らの研究結果をそのまま発表すること,それは私が日本社会から頂いた大切なもの・・・学問の自由・・・に対する私の恩返しなのだ。

(平成21年2月19日 執筆) 武田邦彦

(転載終わり)

スパイラルドラゴン拝


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