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古代日本の文明開化と秦氏(前編)

2009-01-24 | 歴史、考古学
広隆寺の「弥勒菩薩半跏思惟像」といえば、
わが国の記念すべき国宝第一号だ。
哲学者カール・ヤスパースの言葉を借りれば、
“地上における全ての時間的なるものの束縛を
越えて達し得た、人間存在の最も清浄な、
最も円満な、最も永遠の姿の象徴”であり
人類最高レベルの芸術作品と称するに足る。
広隆寺を氏寺とするのが、渡来系氏族の秦氏。
巧緻極まる技量と卓越した審美眼を具えた仏師
や絵師を、その一門は数多く輩出しているが、
美術工芸に限らず、土木、建築、繊維産業など、
秦氏の貢献は広範囲に及んでいる。それなのに
彼らの存在は不思議と歴史の表面には現れない。
秦氏とは一体何者だろう?・・・私の好奇心は
このシンプルな一点に源を発している。

四世紀、高句麗の南下に端を発したと思われる
朝鮮半島南部の辰韓もしくは弁韓から日本列島
への大量移民と、それ以降の倭国内の変遷に、
渡来民の影響を読み取る向きは少なくない。
が、その影響度が大きければ大きいほど、
圧倒的な渡来文化の波に呑み込まれずに
むしろ巧みに同化する、という倭人の特質も
看過することはできない。
見方によってはリスキーな外交方針を選択した
古代日本の様相を、例えば西欧文化を受容した
明治国家のそれと類比するのは不当だろうか。
恐らく皇統では傍流ながら新興の実力者となり
遂には王権を奪取するに至った、と推理される
応神天皇と、そのステークホルダーであった
渡来系諸氏族の心理にも思いを馳せてみた。


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