エゾ中村のブログ

「藤圭子」から「現代医学の功罪」まで、思いの丈を綴ります。 ・・・ From 北海道 ・・・

音速の貴公子『アイルトン・セナ』

2020-08-29 08:11:16 | 日記
先日、家電量販店でパソコンを眺めていると、販売員が商品の説明に近付いて来ました。  胸元のネームプレートを見て、その名前から販売員の年齢が分かりました。 「◯◯ 瀬那(せな)」君、 25・26歳と予想しました。 その理由は、当時「せな」を生まれた子に“命名”するブームがあったからです。 それ程、日本でも大勢に支持された“アイドル的”な存在でした。

 その人は、ブラジルの英雄 “史上最速の F1 ドライバー”『 アイルトンセナ 』です。

◎ 音速の貴公子『アイルトン・セナ』

 
1988・1990・1991年、F1 世界選手権を制覇しモータースポーツ界の頂点に立った伝説の“スーパースター”です。 残念ながら、1994年5月のグランプリ・サンマリノ戦で、単独事故により 34歳 で亡くなりました。
 
当日 私は、サンマリノ戦の“実況放送”を観ました。 番組が始まった筈なのに、音声もなく画像はサーキット外のコンクリート・フェンスを映すだけで、何故か胸騒ぎしました。 よく観ると、フェンスに激突した1台の車両が確認できました。 一瞬、セナの車を想像しましたが、音声が流れると案の定「セナ」の車らしいとアナウンスがありました。 救急車が到着するまで映像がありましたが、放送はそこで中止でした。 日曜日の深夜だったので、状況が分からないまま寝てしまいました。
翌日、ニュースで『アイルトン・セナ』が亡くなった事を知りました。 死因は、フェンスに車の側面から激突した衝撃で「セナ」のヘルメットに車内の突起物が突き刺さり、脳を損傷し即死だったそうです。 天才ドライバーの 余りにも呆気ない 最期 でした!
 
◎  “ホンダ” F1 に乗る『アイルトン・セナ』
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『 アイルトン・セナ』が、日本で人気が高かった理由は、マクラーレンホンダで活躍していただけではありません。 甘いマスクに似合わない、レースに対する闘争心が人々を惹きつけたと思います。 また、チームメイトであった「アランプロスト」との壮絶なライバル争いが、F1人気に拍車をかけたのです。 同じ“マクラーレン・ホンダ”のチームで、お互いに世界一を競うのですから、トラブルは絶えませんでした。 首位争いの挙句 ゴール目前で接触し、二台とも大破(失格)した事もありました。 その原因は「プロスト」に向けられていましたが、実際は「セナ」の異常とも言える“負けず嫌い”だった様です。

「セナ」の名言:「2位とは敗者の 1位だ!

『アイルトン・セナ』ほどの“天才ドライバー”が、どうして“単独事故”で死んだのか? 若手だった「シューマッハ」の台頭に奮起し、スピードの限界を超えてしまった。(真相は 闇の中です) 様々な憶測が 飛び交いました。 「婚約者とのトラブル」「精神と肉体の衰え」等、何も分からないまま「音速の貴公子」は 旅立ったのです!
 
1994年5月「セナ」が事故死するまで F1 は正直面白かった。 私にとっての F1 は「セナ」の死と共に終わりました。
 
2016年「セナ」が生まれた“ブラジル”で、“オリンピック”が開催されました。 私は、開会式をテレビで観ながら、自然に“黙祷”していました。 日本式では『アイルトンセナ』の “23回忌” です。 「貴方の栄光は 決して忘れません」と!  

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