“コーヒー”に関する逸話があります。 (欧州の町で) ある老人が危篤状態の中、ベット脇で見守る家族が「お父さん 思い残す事はありませんか」と、訊ねたそうです。 すると 老人は「一度・・・コーヒーを飲みたかった」と 小声で答えた。 家族「何を言っているのですか、何十年も大好きなコーヒーを飲んで来たでしょう」 老人「違うんだ、一度でいいから砂糖の入ったコーヒーを飲んでみたかった・・・」(やがて ご臨終) こんな幸せな最期は 無いと思います。 辞世の句を、コーヒーで締め括ったのですから! これは、“ブラック・コーヒー”の話です。 決して、ブラック・ジョークではありません。
私もコーヒーが好きで、50年以上欠かさず飲んで来ました。 一日平均 5杯 ♪ 飲んだコーヒー~ 5万杯 ~ ♪(計算上約 10万杯近く)です。 さぞかし 胃腸に悪いだろうと思われますが、私の体験から「何の支障もない」と言えます。 要するに「体が欲する物は 身体にも良く 美味い」と思います。 コーヒーが、薄くても濃くても構いません。 砂糖入りでもミルク入りでも、ブランデーを垂らしてもいいのです。 空腹は満たされなくとも、喉の渇きと共に 心の渇き が 癒されるのですから!
「飲んで運転 コーヒーなら “OK” 」20年ほど “ブラック・コーヒー”に拘っていましたが、自動販売機の缶コーヒーが普及すると、ついつい「試しに一本~二本」と、手が伸びてしまいました。 結果、家では“ブラック”のドリップ・コーヒー、外では“微糖”の缶コーヒーとなりました。 若い頃は、好みの喫茶店に通いましたが、今は行きません。 喫茶店自体、田舎町では激減しています。(残念)
“コーヒー”の次は、“食”に対する拘りです。 日本経済が豊かになり、食糧を自由に選べる様になりました。「一日30種の副菜を取りましょう」「野菜は700グラム以上食べましょう」そんな食育が“理想”の様です。 残念ながら、カロリー計算で 健康は担保できません。「過食・飽食 = 肥満・短命」と言う図式は、古今東西 食の常識です。 デスクワークするサラリーマンが、いわゆる “相撲取り” の体型になる必要も価値も無いのです。 ウェートは、誰でもコントロール出来ます。 必要以上 食べない事(ダイエット)です。 食事制限は、お金が掛からない合理的で効果的な方法です。“コーヒーはブラックで”「いつか砂糖の入ったコーヒーを飲みたい」と思いつつ、ブラック・コーヒーを飲み続ける 拘りが大切だと思います。 いつか「神戸牛のステーキを食べたい」「天然ウナギの蒲焼を食べたい」・・・ それを目標に、粗食を続けるのが“ベスト”だと思います。「食欲」「性欲」「金銭欲」共に、程々が“最適”です! 暴飲・暴食は、様々な“肉体的トラブル”を起こす元凶です!
常日頃、“精進料理”を嗜む僧侶に 肥満は居りません。 それでいて、不健康な“お坊さん”は居りません?(中には“生臭坊主”も) 仏教を称える積りはありませんが、真言宗の開祖である「弘法大師・空海」(774~835年)の教えの中に「食と健康」の “道標” がある様です。 その答えを求め、弘法大師の足跡を辿り 四国・八十八ヶ所の霊場を、巡礼したいと願っています。 ただし 希望・願望は、中々成就しないものです!
∑(°口°๑)
八十八ヶ所、是非いつか巡礼なさってくださいませ〜♪
(人´∀`*)
食へのこだわりはある程度必要ですよね!
エゾ中村さん、さすがに体型バッチリですね。
私も「疑似体験」させて頂きました。
「rararaokei」さん、ブログ村から ご訪問ありがとうございます。
貴ブログも、拝見したいと思います。
今後とも、宜しくお願い致します。