エゾ中村のブログ

「藤圭子」から「現代医学の功罪」まで、思いの丈を綴ります。 ・・・ From 北海道 ・・・

集団予防接種

2021-05-04 08:16:07 | “現代医学の功罪” 関連
‟新型コロナ・ワクチン” の 高齢者に向けた接種が、日本各地で始まりました。 今のところ ワクチンの絶対数が少なく、接種が終了するのは 何時になるか決まっていない様です。 また、ワクチンの ‟投与人員不足” が 問題になり、スムーズな施行が望めません。 接種の日程が、大きく遅れる可能性があります。 「ワクチンが来ない、来たとしても投与者がいない」 ‟ワクチン後進国” と 揶揄されても仕方がありません! 

日本では、‟薬事法” の縛りで 副作用(アナフェラキシー・血栓)を診察できる医者の立ち合いがなければ、歯科医・自衛隊医官・看護師であっても、ワクチンを投与する事が出来ないそうです。 やはり、厚労省 ⇒ 保健所 ⇒ 医療界 の ‟既得権” が 大きい様です。「感染症法は、如何なる ‟乱用・妥協” を許さない」 厳格すぎる法律が、接種の足枷になっていると思います。

‟PCR検査”・‟患者隔離”・‟ワクチン”、何もかも 後手後手 です。 医者 も 病床(ベット)も不足していると、苦しい言い訳をしていますが、全く方便(嘘)です。(日本はベット数世界一) 不可解です。 医療界が挙って「感染拡大しない様、外出は ‟自粛” して下さい。 感染患者が増えると、十分な医療が出来なくなります」そんな弁解は、‟医療崩壊” を防ぐと言うより ‟医療放棄” です。 ‟緊急時”、医者(病院)が ウイルスで汚染される事を恐れては、医療の根本(患者の命を守る)が問われます! 今こそ「自分の出番」と、頭角を現してこそ ‟医者の努め” ではないでしょうか?  

◎ ワクチン(イメージ)

今回の ‟新型コロナワクチン” は、規模が大きくなるので ‟集団予防接種” が中心になる様です。 過去、日本人全員を対象にしたワクチンは なかったので、当然かも知れません。 果たして ‟ワクチン” は、‟新型コロナウイルス” の切り札なのでしょうか? 
思い出すのは、1941年以降 学童に施した ‟集団予防接種” の ‟功罪” です! 

1953年 WHO の警告を無視し、‟注射器の使い回し” を黙認した 厚労省の ‟未必の故意”(危険と知りながら放置した)と言えます。 数年遅れた程度なら 単なる ‟ミス” で済みますが、30年の長きにわたり放置した ‟贖罪” は 極めて深刻です。 集団予防接種により 40万の人々が、‟注射器の使い回し” によって ‟B型肝炎” に罹患したのです。 医療が原因の ‟集団感染” でした!  
厚労省は、内外の批判を受け(2011年)B型肝炎患者の救済を決めています。  しかし、簡単に保証を受けるのは 難しい様です。 罹患証明する手続きが壁で、救済を諦める患者が大半と聞きます。 複雑な ‟行政手続き” が、‟政治的抑圧” と言えば、過言でしょうか? ‟泣き寝入り” を強要する制度は、患者も 家族も 誰一人 救われません!
 
現在は「注射器の使い回しをしていません」と言われても、厚労省の体質が変わらなければ、‟集団予防接種” に賛同する事は出来ません。 ワクチンによる副作用(最悪 死亡)は 国が保証すると言われても、B型肝炎の実態を知ると 接種する願望が湧きません。「集団免疫」と言うでしょうか? そんな実績が、過去に存在した試しがありません!

‟新型コロナウイルス” に感染し死亡した人は 現在 一万人強です。 ワクチンの接種が原因で死亡する人は、結果的に少ないと思います。 しかし、同じ命を天秤にかけ、ワクチンが 有利・不利 と判断するのは、合理主義における ‟必要悪” そのものです。 確率(%)で、善悪を判断されては困ります。「一万人に一人程度の犠牲者だから 想定の範囲内」 命を軽視した 安易な判断です。 目の粗 ‟いふるい” を用い、社会的弱者を選別されては堪りません!

‟ワクチン”(劇薬)は任意ですので「効果がある・集団免疫に有利」と言われても、受けるつもりはありません。 私は、‟自粛生活” で、‟新型コロナウイルス” の難局を乗り切るつもりです。 決して、共感は求めません。 あくまで ‟独自の判断” です。

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