冠山総合公園梅の里を10分ほどで切り上げて、防府天満宮へ向かいました。
今日はこの後、山口市内の梅などを観て、萩へ向かう予定です。
萩も見どころが多いので、15時ぐらいには着きたいのですが、時間が足りなくなってきました。
そこで、旅の途中ではめったに使わない高速道路を利用し、先を急ぐことにしました。
防府東インターを降りて市内へ向いましたが、落ち着きのある街並みがが車窓に映し出されました。
ウィキペディアに因れば、周防市は防府天満宮を中心に栄えてきた都市だそうで、石畳の道が見えていましたが、防府天満宮への参道なのでしょうか。
ナビのガイドのまま天満宮に近づき、駐車場への矢印を確認しつつ天満宮裏手のパーキングに車を停めました。
境内には16種類1100本の梅が植えられているそうです。
冠山の梅園より少し遅目の花が枝を飾っていました。
以前の社殿は1952年に焼失し、1958年に完成した現社殿は、2009年に有形文化財に登録されたそうです。
境内を見て、参道に続く石段が立派でしたが、毎年11月に行われる御神幸祭(ごじんこうさい)は、1トンもある御網代(おあじろ)を引っ張って階段を下り、帰りに階段を引っ張り上げるという危険な祭りだそうで、毎年怪我人が絶えないようです。
この階段には、人を危険な行為に駆り立てるような、何かが潜んでいるようにも見えます。
周防市から山口市郊外の両足寺へ向かいました。
両足寺は「もみじ寺」とも呼ばれ、秋に多くの観光客を集めますが、この寺に樹齢300年を超える五色八重散り椿があるとの情報を得ましたので、今回はそれを確認する為の訪問です。
人気のない参道を歩き、寺に近づいて行きました。
すると石段を登り切った正面に「五色八重散椿」の掲示を伴う木を見つけましたが、花はありません。
しかし本堂へ近づくと、もう一本の「五色八重散椿」が見えてきました。
そして、その木に花を認めることができました。
椿を訪ねるには早すぎるタイミングでしたが、花を見ることができて幸いでした。
一般的にツバキは、花の花弁が塊となって落ちますが、このツバキは花弁が一枚一枚離れて散りますので、日本原産のヤブツバキに中国などからの別のツバキ植物のDNAが交じっているのでしょう。
戦国時代、この地を治めた大内氏が明との貿易を独占したことを合わせ考えると、この地で五色八重散椿が花を咲かせながら、歴史を物語っているようにも見えます。
次に山口市街に入り、古熊(ふるくま)神社を訪ねました。
古熊神社は菅原道真とともに道真の子の菅原福部童子を配祀します。
福部童子は11歳のとき、父を慕って太宰府へ向いましたが、山口で夏病みにかかり亡くなりました。
古熊神社は京都の北野神社の勧請を受けて1373(応安6)年に創建され、1618(元和4)年に毛利秀就が今の場所に社殿を移したそうです。
参道の両脇に、薄桃色の梅がちらほらと花を咲かせていました。
本殿と拝殿は大内文化を今に伝える建造物として、国の重要文化財に指定されているとの解説が掲げられていました。
参道の石段の上から山口市街が見えていました。
山に挟まれた盆地に川が流れ、その川に沿って、落ち着きのある佇まいを見せる山口の街が、西の京都と称されるのも頷けます。
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