桔梗橋の先へ続く側道は公園に準じた管理が為されているようです。
側道と民家との境を、常緑樹のレッドロビンの生垣が覆います。
生垣の先のスペースで、アジサイが小さな花塚を作っていました。
川は東郷橋の辺りで進路を曲げ、川の先に西新宿のタワーマンションなどが見えてきました。
そして、神田川が山手通りと交差する場所に架かる橋が長者橋です。
今から約600年前の応永年間(1394~1428)に、紀州から流れきた武士の鈴木九郎がこの地を開拓して大金持ちとなり、中野長者と呼ばれました。
その「中野長者」が、この橋のあたりに居を構えたと伝えられます。
神田川を長者橋で渡る山手通りは、環状六号線(環六)の別名で呼ばれます。
東京には、皇居を囲む内堀通を環状1号(環一)とする八つの環状道がありますが、山手通りはその内の一つです。
山手通りは、品川区東品川からJR山手線に沿って北上し、板橋区仲宿まで、東京の西半分をカバーする都道317号線ですが、戦前の計画では江東区南砂までが予定されていました。
神田川は山手通りの中へ、いよいよ東京の核心部へと流れ込んで行きます。
次の宝橋まで来ると、目の前に60階建てのマンションが見えてきました。
西新宿辺りをうろつくと、必ず見えていたので、何の建物かと気になっていたのですが、今回やっと高層マンションだと分かりました。
この橋から河口までの距離が12.31㎞ですから、この橋の辺りが神田川の中間点です。
神田川は宝橋を過ぎると、再び進路を北向きに変えます。
川岸でカシワバアジサイが白い花房を垂らしていました。
私はさっきまで、宝橋の下流の菖蒲橋(あやめはし)を「しょうぶばし」と読んでいました。
このブログは「花の旅」のコンテンツの一部なので、少々説明しますと、
アヤメとハナショウブとショウブは全く別の植物です。
しかし、それらを総称して「アヤメ」と呼んできましたので、菖蒲をアヤメと読んでも間違いではありません。
ではありますが、全国各地のアヤメ園やハナショウブ園で見られる多彩な品種は殆ど全てがハナショウブです。
そして更に、五月の節句の菖蒲湯に使うショウブは、アヤメやハナショウブとは科も異なる、サトイモ科(APGショウブ科)の植物です。
菖蒲橋の近くでナンテンが花を咲かせています。
ナンテンの花は目立ちませんが、冬になると赤い実を付けて、小鳥達を招きます。
このナンテンも、もしかすると小鳥が運んで来たのかもしれません。
菖蒲橋を過ぎて右岸が新宿区に代わりました。
この橋から望む神田川の景色は大都会そのものです。
水質は確保され、水草が川底に、緑のストライプを描いていました。
私は気まぐれに、右岸と左岸を行き来しながら自転車を進めました。
川に沿って続く、人と自転車の専用道は綺麗に整備され、心安らぐ道が緑に包まれていました。
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