空沼岳は札幌市民に人気が高く、多くの登山者に親しまれています。
その為もあって、シーズンになると、登山口まで路線バスが運行される、北海道でも数少ない山の一つです。
私は1982年からの8年間を札幌で暮らしましたが、その頃、小学校入学前の二人の息子達を連れて、会社の同僚達と、途中の万計沼まで往復したことがあります。
登山口から万計沼までなだらかな道が続き、子供の足でも2時間程の行程だったと記憶しています。
蜃気楼のような記憶になったあの日から、30数年程の月日が流れました。
あの日、あの時の二人を含め、三人の息子達は、あの時の私と同じような年頃となり、あの頃の私のような穏やかな日々を、大都会の片隅で暮らし始めています。
1990年に会社の辞令を受けて札幌を離れた時、世間には「1990年」という歌が流れていました。
「1990年 娘は21 女の季節を迎えているだろう ・・・ どんな男に どこで抱かれるやら どんな男に命預けるやら ・・・ 幸せになるんだよ、幸せな女に・・・ 幸せの旅を続けて行くんだよ・・・ 」
「1990年」の歌詞と違い、三人の男の子の親となった私は、人の親として、息子達に平穏な日々を迎えさせることが最低限の勤めだと、生真面目に考えていたことを想い出します。
がむしゃらに働き続けた日々を過ごし、今振り返れば、親としての最低限の責任は果たせたのではないかと思えるのです。
そして、あの日の昭和から平成へ、20世紀から21世紀へと時が移り、私はもう一度、空沼岳の登山口に立っていました。
今日は休日でも祝日でもありませんが、林道終点周辺には十数台の車が駐められていました。
運良く、林道脇にスペースを見付け、そこへ愛車を駐めると、私はゆっくりと沢音がこだまする道に歩を進めて行きました。
都会の空き地でも見かけるキツネノボタンが、特別な花でもあるかのような顔をして私の視線を誘います。
沢水が飛沫を上げて流れる岩場を進むと、
支笏洞爺国立公園の大きな看板が見えてきました。
この場所で登山者名簿に記帳し、
丸木橋の残骸に沿って、飛び石伝いに沢を渡りました。
沢の対岸には「空沼岳登山口」と記載された掲示板が設けられていました。
標高367mの文字が見えます。
空沼岳山頂は1251mですから、頂上までの標高差は884mです。
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