知多半島で菜の花を眺め、春の気分を満喫してから名古屋方面へと向かいました。
1時間半ほど車をはしらせて「佐布里池緑と花のふれあい公園」に到着しました。
公園の周囲に梅の花が満ち溢れています。
公園の入口にはソウリウメ<佐布里梅>が展示されていました。
私は初めて見ましたが、ソウリウメとはモモにウメを接木してつくった実梅の園芸品種で、花はうす紅色の中輪なのだそうです。
写真の梅は接木が1960年と表示されていました。
オリンピックが東京で開催された4年前の頃のことになります。
青い空と白い雲にピンクの花弁が良く似合っていました。
公園は佐布里池の北側に広がり、梅園も相当の広さです。
下の写真の案内図でピンクに塗られている場所が梅園になります。
佐布里池も想像以上の大きさでした。
公園の梅花を楽しみながら散策しますと、愛知用水沿革と記された石碑を見付けました。
その石碑によると、愛知用水は昭和23年に地元有志により計画実現運動が開始され、昭和36年に用水が開始されたのだそうです。
どうやらこの佐布里池は愛知用水の調整用に作られたもののようです。
隣には「不老会の沿革」と題した石碑がありました。
そして、私はそこに記された内容に甚く感動しました。
『知多半島は水利が悪く、人々は水不足に永年苦労してきました。知多八幡の篤農家の久野庄太郎さんが用水建築を提唱し、昭和36年、木曽御嶽山麓牧尾ダムを水源とする120キロに及ぶ愛知用水が完成。知多半島は現在の繁栄を見るに至りました。』
これだけでも凄い話です。
国やお役所ではなくて一農家の民間人が120キロにも及ぶ用水の建設を提唱して、実現させてしまったようです。
しかし、お話は更に続きます。
『この建設事業のため、不幸にも56名の犠牲者がでてしまいました。提唱者の久野氏はこのことに苦慮され、懺悔の日々でした。そんなある日、名古屋大学の勝沼総長に会い、総長の助言により犠牲者の霊を慰めるため、自らの遺体を医学解剖に提供することを決意し、わが国初の組織的な献体運動を始められ「不老会」を創設されました。』
本当に、参りました。
世の中には、日本には、本当に凄い人がいるもんです。
私が認識しない世界の広さを、改めて見せつけられた思いが致しました。
溜め息一つ漏らし、佐布里池に目をやりますと、湖畔には暖かな色彩のソウリウメが春の陽射しを受けて穏やかに咲き並んでおりました。
※ 他の記事へは 愛知、三重 梅の花旅 index をご利用頂くと便利です。