下記のテルミー体験記は、7月の聖イトオテルミー学院グループ 曲梶曲梶支部の月例「研修会」で発表された原稿をブログ用に書いていただきました。
発表者は、イトテルミー指導師(療術師)の大槻 麻子さんです。
大槻麻子 「私の3つのテルミー体験」
ー何かがあった時にはテルミーがあると頼れるものがあることの安心感は、毎日生活する上で本当に大切なことだと思います。ー
ーお灸で身体を温めることで不調の改善できることの原体験
子供の頃より祖母にお灸をされていたので、直接もぐさが燃え皮膚が焼ける痛みを知っているので、千年灸ができた時には感動し、若い頃より愛用していました。身体を温めることで不調を改善できるということは昔から体験していました。
その後テルミーに出会い、いくつかのことを乗り越えてきました。
①尾てい骨の強打から坐骨神経痛に、そしてテルミーに出会うー自働テルミーの実施
20数年前、冬の時期に凍てつく道をヒールで歩き転倒。尾てい骨を強打し、それがきっかけで坐骨神経痛を発症。一歩歩くのも尾てい骨から足の指先まで電気が走るような痛みで日常生活に支障をきたしていました。毎日整形外科に電気治療に通い、3ヶ月くらいかかったと思いますが何とか春には完治しました。
翌年の一月、やはり道が凍てつく寒さが厳しくなる頃、尾てい骨辺りに違和感を感じ、もしかして坐骨神経痛の再発かと不安になり、テルミーと出会って自働テルミーをかけるようになっていたので、違和感を感じる辺りを中心に週に何度かかけるようにしました。結果再発はなく冬を過ごせました。
またその翌年にも同じ時期に尾てい骨辺りに違和感があり、自働テルミーにて無事に冬を越しました。2、3年再発しそうな違和感がありましたが、自働テルミーでしっかりと予防をし、今では寒さ厳しい時期に、尾てい骨に違和感を感じることはありません。
②中耳炎から突発性難聴、ステロイド剤の後遺症改善ー「テルミー線煮出しの足浴(足つけ)」でステロイド剤等の老廃物を排出
7、8年前に左耳の痛みで目が覚め、耳鼻科に行くとかなり重症の中耳炎だと言われ、すぐに鼓膜の切開をし膿を出しましたが、膿が出続け、しばらく耳の中にティッシュを詰めて過ごしていました。
3日目くらいから耳が聞こえなくなり、耳鼻科のDr.から池田市立病院へ紹介状を書いてもらい受診。鼓膜の炎症は治まっていなかったので、炎症と突発性難聴に対応する2種類の点滴を受けることになりました。幸い炎症は4日目には治りました。突発性難聴は9日間連続でのステロイド剤の点滴が必須で、事前にDr.から後遺症の説明がありました。一番辛い後遺症は身体に日々溜まっていくステロイド剤で、身体がブヨブヨにむくみ、また足が鉛のように重くなり、足を上げることができず階段が一段も昇れなくなりました。
以前よりサチエ顧問からテルミー線を煮出したものに足をつける足つけの大切さを聞いていたのですが、実践できずにいました。
中耳炎を発症した時期は、月に2回テルミー治療を受けていたので、やはり足つけを勧められ、ようやく実行に移すことができました。
足つけの後は、鉛のような足の重みが少し取れ、軽くなるのを感じました。
足つけの効果として、身体に溜まる余計なものが排泄されるのを実感できました。
その後また以前の耳鼻科に戻り、ステロイド剤の錠剤をしばらく服用し、耳の難聴は完治しました。それ以降足つけをできるだけ日課とし続ける中で、ステロイド剤が身体から完全に抜けたと感じたのは約半年後くらいでした。
薬を治療のために摂取しても、余分なものとして残ってしまった不要なものの排出も必要なことだと思います。それができるのが他働、自働のテルミーや足つけだと思います。
③父親の急性心不全から右足指の壊死ーテルミースコープで傷を炙る
5年ほど前に急性心不全を患った父。毎日飲用するお薬は必須ですが、その一年後母の外出先での右手首複雑骨折での救急搬送があり、遠方の病院だったので、家事や母の病院のことやらで手が回らず、父のお薬管理を本人に任せていたら全く飲んでいなくて、数ヶ月後に心不全の再発がありました。その時に右足薬指と中指の間に傷のようなものができ、血が出始め、どこで怪我をしたのかわからずでしたが、血液サラサラの薬を飲んでいなかったことで血栓ができ、右足のどこかの血管を塞ぎ、壊死が始まっていたのです。
総合病院に入院するも、心不全の治療が優先になるので皮膚科は週一回の検診と毎日のガーゼ交換のみで、特に治療はなかったようです。
カテーテル手術後2週間で退院、その後リハビリ病院に転院し2ヶ月。その間に右足の壊死は中指、薬指、小指と進んでいきました。
リハビリ病院退院間際に、毎日足の洗浄をしシュガーパスタという塗り薬(ヨード液が入ったばい菌が入らないためのもの)を塗ることが必要になるので、練習に来てくださいと言われました。
地元での訪問診療のDr.を決めた時に、その傷口を素人が毎日洗浄するのは厳しいとの見解で、介護保険で二週間、後期高齢者保険で二週間の対応としてもらい、毎日ナースに午前中洗浄に来てもらいました。
ひと月ほど経った頃、傷口専門ナースという特別な専門講習を受けた方をDr.が連れてきてくださり、アドバイスをもらいました。
1日に2回洗浄をした方が良いとのことで、夜私が洗浄をすることになりました。
2ヶ月ぶりに見る傷口は以前より広がり、グジュグジュした感じも強かったです。
私が包帯を外して触ることができるなら、何らかの形でテルミーができると思いました。
いざという時には、テルミーが頼りになると体験してきているので、やっと出番が来たと思いました。グジュグジュとした傷口に直接冷温器を当てるとこはできないので、サチエ顧問をはじめ支部の勉強会で諸先輩達からのアドバイスをもらい、テルミースコープで傷を炙ることからスタートしました。勉強会で逐次傷口の状態を伝える中で、テルミースコープでの炙り方を、下から炙ることを進められ実践しました。
そうすると、どんどん皮膚が再生されていくのが目に見えてわかるようになりました。
3月後半から夜も足を洗い、その後テルミーをして3ヶ月後の6月後半、皮膚科の受診で完治を告げられました。
訪問診療のDr.やナースに話しをしたら、喜んでくださいましたが、どちらも実は治ると思っていなかったとのこと。
二人の考えを大きく翻す「完治」という結果は、やはりテルミー無しではなかったと思います。
今年の夏に87歳を迎える父ですが、足指三本の欠損はありますが、今も何とか自宅で過ごせています。
自分自身と家族のケア。
何かがあった時にはテルミーがあると頼れるものがあることの安心感は、毎日生活する上で本当に大切なことだと思います。また支部にお仲間がいることもとても心強いです。
これからも細く長くテルミーを続けていこうと思います。せっかくテルミーにご縁があって、テルミーに出会えたみなさんも、是非続けていただきたいと思います。
◆支部の仲間のコメント
miyabyさん(療術師)
大槻さんありがとうございます🌸自分も大変だった時にテルミーに助けられ今も支えになっているので読んでいて大槻さんの壮絶な体験と大変さと強さと信念を感じます。本当に細く長くジワジワとテルミーの輪が広がって欲しいですね~