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宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

光ほがらかに 序

2012-10-11 08:31:21 | 祈り
  
       序 
              五井 昌久 
  
  人間は本来、神の光であり、宇宙神の
みこころを、この地球世界に体現してゆく存在
なのである。

 ところが、この光ということを、言葉や
イメージにとらわれて、変にせせこましく
とらえている人達が案外多いのである。

 無礙の光は、まったくほがらかに、
この宇宙世界を照らしているのであり、
人間一人一人は、その光の照らし手であって、
この光明に恥じる存在では決してないのである。

 この光をかがやかすために必要なものは、
ただ、神に対する無邪気な信頼につちかわれた
純な魂である。

 このことを、私はこの一巻において強調
したつもりである。

 神の光は、ほがらかに、つねに我等を
みちびいてゆく。世界平和の祈りのなかに、
人間の本心のなかに、この光は絶えることがない。

          昭和61年10月18日
                

昌美先生の ご修行について

2012-10-10 07:46:20 | 祈り
 (問)昌美先生の今の御神行ですが、その
大変さは神様以外に判っている人はいない
と思いますが、お話していただけますか。


 (答)説明しろというんですか。出来る
ところまでしましょう。全部は言えませんがね。
 結局何が大事かと言えば、要するに人間
というものは皆枠をもって生きている
訳なんです。枠がいいとか悪いとかでなく、
枠を持たなければ生きられないんですね。
 例えば、自分の家庭というものは大事だし、 
家庭をはみだしたくないし、自分の職場という
ものは大事だし、これをやっぱりはみ出したく
ないと皆思って、それを大事にして生きて
いるんです。で、それがいつの間にか枠に
なって、他の世界は知らないという寂しさに
なって行く訳だけども。

 昌美が今やっている事というのは、そういう
小さな枠でもですけれど、いわゆる地球人類が
等しく持っている、全部の色んな枠を取っ払っ
てね、そして生命が朗らかになって
自由自在身になった時には、本当に霊そのもの
人そのものになって、全く肉体の想い
というもの肉体そのものを越えて、色んな
世界に常に出入り出来るという、そこのところを
今修行している訳なんですね。
 だから、あの人は今ほとんど食物を食べて
ない筈なんですよ。人間の食物はあまり
入らない筈なんですよ。必要最小限しか
入らない筈なんですよね。それでもって6時間
祈るというのは何を祈るかというのは、
もちろん世界人類が平和でありますようにと
祈りますけれども、人間というのは空間的に
言えば三次元に生きている訳ですね。三次元
と言えば何かというと、やさしく言えば、
この地球に人類が住んでいるけれども、他の
所にはこんな空間は全然無い、そんな世界は
無いという風に枠で囲ってしまっているのが
三次元なんですよね。
 目に見えるもの触れるものね。それだけが
自分の世界だと思って生きている、それが
三次元なんですね。ところが、四次元も
五次元も六次元も十何次元もありましてね。
 空飛ぶ円盤なんていうのは、そういう優れた
宇宙人達の心の波で、本当に澄み極まった波で
動いている。向こうの科学はそういう心の波で
作られる。そういうものなんです。本当に
純粋な純白なものなんですよ。

 で、そこまで我々が本当に平和に生命を完う
してね、この地上の生命を完うして、更に
死ぬ事を恐れないで、次の世界へ又自分の
生命を続かせて行こうと思えば、自分の中に
澄み極まる想いがあり、それが全部動かして
行くんだというところまできちっと信じきって
いかないと、そういう風に降ろしていかないと
平和にならないんですよね。
 それには自分が自由自在身になる事が必要
なんですけれども、じゃあ誰でもなれるかと
いったら、今三次元の枠を全部踏み越えて
なろうといえば、もうこれは命がけなんですよ。
 世界平和の祈りをもってしても尚かつ命がけ
なんです。そこのところを神様の方で選んでね、
昌美が自由自在身になる為の命がけの役を
本当にやっている訳ですよね。ですから、
瞬間瞬間これが臨終かしらという想い、恐怖の
想いもあるだろうし、頑張りたい帰りたい
という想いもあるだろうし、色々な想いがある
と思いますよ。
 その人間の想いを全部味わって越えて、
そこから、宇宙に生きる人類の偉大な心と身体
というものを獲得していくという所まで行って、
それで帰って来るんですよ。

 それを今度はあの人が十字になって
降ろされるようになったら、白光の皆に
降ろして、白光の皆から又外の人達に降ろして
という計算が出来ていってる訳ですよね。まず
お手本がないと出来ませんからね。だから、
あの人の今の孤独とか痛みとか苦しみとか
いうものは大変なものでね。村田さんは、とに角
素晴らしい素晴らしいと言っているけれど、
素晴らしいだけではなく、本当に痛い苦しい辛い
大変の連続だと思いますね。
 あれは他の人がやったら死んじゃうっていう
ものです。 
           昭和62年2月24日

オーロラは神様の絵心だということについて

2012-10-09 08:37:24 | 祈り
 (問)オーロラが神様の絵心だとおっしゃい
ましたが、あのお話をお聞かせ下さい。


 (答)神様といっても、結局どんな姿形を
しているかというと、人間と同じ形を
していますよ。何故かというと、神様は親
ですからね。そうすると、神様だって、
人間と同じような個性はないけれども、
やっぱりそれぞれの高級神霊なんていうものは、
それぞれの聖地、天地に生きていて、世界に
生きていて、それなりに皆絵を描いたり音楽を
楽しんだりしている訳です。楽人の霊人も
いる訳なんですよ。

 その中で、あのオーロラというのはね、
本当に絵を描く事が大好きな神霊がいるんです。
 その神霊が自分の作品をおりおり楽しんで、
そして天地自然と一つになって神を称える
というように、ああいう絵を自分が描く
のではなく、描かされている。自然にさあっと
流すんですよ。オーロラを見た時に、皆が
本当に美しさに見とれて、平和な気持ちに
なってね、あの色を見ただけで眺めただけで、
天然自然の素晴らしさを思うんですよね。
 それは何故かというと、神霊が本当に
楽しんで、そういう願いをこめて、絵心で
描いたものだからそうなるんです。

 ですから、神霊だから神様だからといって
おさまって、神社仏閣の中に縮こまっているん
じゃなくて、そういう人間へのメッセージ
というのはね、神様だろうと持っているん
ですよね。だから、オーロラを見た時には、
神様の絵心があそこに出たのだな、見せに
流したのだなあと思っていて下されば
いい訳なんです。

日本語と英語のお祈りの働きの違いについて

2012-10-08 08:20:41 | 祈り
 (問)世界各国のお祈りの時に、日本語と
英語でやりますが、これは、日本語と英語とは
その働きといいますか、意味合いが違いますか。


 (答)縦の波と横の波があるんですね。
 日本語の波というのは縦の波なんですよ。
 英語の波というのは横の波なんですよね。
 縦横というのは言葉の違いだけみたいに
思うけれども、いつも言っている縦と横の十字、
十字架の十字交差、つまり、愛の完成、神様の
愛の完成、人間の愛の完成、縦横交差して
完全な愛の完成というものがなかったら、調和
になってゆかないですよね。

 さっきの話の続きになりますけれど、結局
日本というのは、その光というものを皆に分け
与えるというか、その天命が日本にある
訳ですから、元々皆神の子ですから、それを
知らせる役割がある訳ですからね。で、それが、
世界人類が平和でありますようにという日本語
なんですね。そして、英語で代表させて
いますけれど、英語だけでなく外国の言葉
というのは、皆みんな兄弟なんだなという横で
ずっと広がっていく、その横のつながりを
表わしているのが外国語なんです。

 ですから、少々辛どくても、両方唱える
ことは、本当の神様の愛、人間の神性、真実の
愛というものはどういうものかということを、
知らず知らずの間に、両方唱えることで、
完全な愛を唱える、宣り出してるということに
なる訳です。



 (問)エスペラント語がありますが、将来、
10年20年先には、世界が平和になった時には、
そういう共通語になるんでしょうか。言葉は
それぞれ分かれていても。


 (答)段々言葉というのは要らなくなりますね。
 元に戻っていくというのか、それこそ和顔愛語
じゃないけれど、笑っているだけでよろしい、
ほんとにそれだけになりますよ。

 昔の人間というのは、神様と自由に話が出来て、
神霊と話が出来て、光の柱が建つのが見えて
いた頃というのは、自分が出す言葉というのは
神様から来ているというのが分かるし、自分の体
というのは光に満ちていることが分かるから、
そこで本当に素直になっていた訳ですね。

 ですから、本当に地上が天国になり平和に
なって人類が完成していけば、それは霊界と
神界と一緒になる訳ですからね。その神界は
何かといいますと、想いが輝いている所、本心が
輝いている所なんですね。我々肉体人間の
考えている言葉っていうものよりも、もっと
奥深い、もっと智恵に満ちてね、神様の言葉、
それは口に出す言葉でない言葉ですよね。奥の
奥のひびき。人間が何処の国の人であっても、
愛することはいいなあ、あの人は本当に寂しい
だろうなあと想う、その想いの奥にある共通の
ひびきでもって話をする、という風になって
いくんですね。

 だから、言葉というのは、なにも口で話して
耳で聞いてと、それで出る言葉じゃないんです。
 体中で人間は喋っているんですね。その
ところを分かってもらえると、随分心が広く
なると思うんです。

ポスターとピースポールの働きについて

2012-10-07 08:34:33 | 祈り
 (問)ポスターとピースポールは働きは
全く同じですか。

 (答)働きは一緒です。全く一緒です。
 ピースポールというのは、こちらから観て、
こちら側って分かるかしら。つまり、前に
ピースセレモニーの時立てる国旗について
言いましたけれど、次はトルコの旗ですよ、
次はアメリカの旗ですよと国旗を掲げる。
 その旗を目印に、こちら側から光を送る。
 それと同じように、何か浄めて欲しいな
という所にピースポールを立てると、ああ
この辺に光を放射すればいいんだなと。
 要するに、地上に降りて来た霊人達、即ち
ピースポールを運んで来た人の守護霊
守護神さん、上から光を放射する天地の
住人達、あるいは高級神霊とか、そういう所
から光を、ああこの位投げかければいいな、
あそこにはこういう風に立っているから、
ここにはこういう光をもっていけばいいな
という目印になるんです。

 ポスターは、あれだけで何百キロ四方光を
放ってゆく訳なんです。で、ピースポール
というのは何かと言ったら、つまり、
世界人類が平和でありますようにというのは、
さっきも言ったように、宇宙語ですが、
地球人というのはまだ悲しいことに、
宇宙人的な規模でものを考えられなく
なっている。
 ただ世界人類というところまでは広がって
いる訳なんですね。ですから、世界共通語の
幾つかの代表的な言葉をしるす事によって、
我々地上に生きている人間は縦にも横にも、
とに角平等に縦横につながっている、愛の
生命、光の生命なんですよ、兄弟なんですよ
という事を、皆の心の中に世の中に
呼び醒ます。その意味で、ピースポール
というのは、世界人類という想いを世界中の
人達に、日本から出て行って世界中の人が
世界人類が平和でありますようにという、英語
でない日本語の最初のポスターというのは、
まず日本というのは日(霊)の本ですから、
つまり、そういう世界人類が平和である
宇宙人類が平和でありますようにという、
その元々の神様の御心を現す天命が日本に
ある訳ですから、その天命を白光の人でも
白光でない人にもそれぞれの奥底に、日本人は
こういう天命を持っているんですよという事を
知らせる、そういう役割があのポスターに
あるんですね。それぞれの本心の中に灯を
燈(とも)して、ああいい言葉だなあと。もう
それだけで、あと守護霊守護神さんが、
そうなんですそうなんです、ありがとう
ございましたと聞こえて来るんですよね。目に
ふれた人はそれだけで、ポスターを貼ら
なくとも、あの光の中にすっと入る訳なんです。
 それだけの力をあのポスターは持っている
訳なんですよね、運命修正していくね。
 その人の生命を光に満たしていく力を持って
いる訳なんです。それが段々世界という人に
なって来たから、横の英語のポスターが
次にあって、それから世界各国にと広がって
来た訳ですよね。



 (問)光の強さは全く一緒ですか。

 (答)一緒です一緒です。色んな国の人、
色んな民族の人が心を一つにして祈って
いったら、それはそれだけ光が強まり
ますよね。色んな天地の人が一つに
溶け合って祈るっていうことですから、
これは本当に宇宙の調和に満ちさせるという
大目的にかなうという事ですからね。