宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
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ささやかなことを大事に

2021-12-28 06:43:30 | 祈り
(質問) 心構えとしては、何も来ないという
信念みたいな、善念を起こすということですか…。



(答) 念じゃだめ。
念ではなくて、やっぱり信仰を持つこと。
信念ではなく信仰を持つ。
自分が祈る時に、自分を強くして下さいと。
強くやさしくして下さいと祈る。
何があっても強くたくましく岩のようにと
祈ると、ただ強い自分だけが出て来て片寄って
しまうけれど、強くやさしくという祈りだと、
そこにやわらぎの心が出てくるでしょう。
やわらぎは平和ということですからね。

やわらぎを忘れて、ただ平らかになるという
ことだけが平和ではありません。
ブルドーザーでいくらでも道は平らに出来る。
だけど、それで草木をなぎ倒して、生命を
根こそぎにすることが神様のみ心ではない。
人間だけが生きればいいというものじゃない
でしょうね。
すべてが神様の息づきの中にある生命
なのだから、人間だけが救われればいい
というのでは本当に平和にならない。
動物も植物も海も山も空気も、すべて
神様のものであって、我々人間もそこに共に
生きる生命であるから、共存して行かないと
いけませんでしょ。
神様と共なる生命なんだけれど、神様と共なる
生命は、神様対人間だけじゃあない。
全部がそう。
全部が生きている。
そういう地点に立ってやってゆくと、平和に
ならざるを得ないですね。
やわらぎを持たざるを得ないですね。
人間がって思うから、私がって思うから
大変になり変なことが起こってくる。

斎藤秀雄さんがここで書いたでしょ、「俺が
俺がの我を捨てて、おかげおかげの下(げ)で
暮らせ」とね。
みんなが生かされている。
みんなというのは人間だけではなくて、
天地のすべて万物が宇宙そのものが生命であり、
それがみんな鳴り響いていて、その宇宙全体の
中に、世界平和の祈りが鳴り響いていて、
我々はその響きの中の一つの粒子として、
個性を持って生きている、生き通しの生命
だということを忘れてはいけない。
そういうふうに思える時に、そういうふうに
信じれる時に、人間というものは本当に解放
されて、本当に朗らかになってゆける。
人間の本当の真性(神性)、朗らかな真性(神性)
というものがそこに現れて来る筈です。

何度も言いますけれど、人間というのは、
チャチなものではない。
天地、万物、宇宙、極天、極地、全部を貫くー
それくらいの存在なのです。
だけれど今は、この地球という所にいて地上に
いて、肉体というものをまとい、飲んだり
食べたりしゃべったりしている。
この小さなことも愛するようにならないと、
生活というものも大事にしてゆくようにしないと、
同時に天地を貫いてゆく宇宙を貫いてゆく、
タテにも ヨコにも縦横無尽に朗らかに
現れてゆく自分が、その生命だということが
なかなか思えなくなる。
だから、小さなことを大事にしないといけません。
ささやかなことを大事にしないといけません。
謙虚であって欲しいし、感謝を忘れないで欲しい。
そういう想いで世界平和の祈りをしてゆくと、
スーッとエレベーターに昇ってゆく。
感じなくても、天界の霊人と一緒に祈りを
することになりますね。