宇宙(そら)は家

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五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
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いのちは 永遠のもの

2019-09-17 11:08:20 | 祈り
私は
ずっと
神の愛と
人間の
本当のすがたについて
語ってきました
それは
人間を
光あるいのちのながれへと
かえし
とけ込ませる
ためであります

人間は
神からわかれてきた
生命であり
霊なのです
ということは
この肉体のなかに
そのまま神が
宿っているということに
なるのであります

もともと
神が
神の光が
この肉体を
つくったのであります

そう致しますと
この世に
悪いものは
あらわれてくる筈がない
というのが
本当のところなのです

だのに
この世に
争いがあり
病いがあるのは
もともと
霊であり
神の光であった
本来のすがたを
私どもが忘れ果てて
この肉体にまつわる想念を
自分だと思い
この肉体を
自分自身だと
思い込んでしまった
ところから
おこったことなのです

自分のなかに
神さまが
いるのに
自分のなかに
神さまが
いるなどとは
思えなくなってしまった
そして
自分というものを
人間というものを
ちいさくちいさく
考えてしまった
とこういうわけなんです

この肉体が自分だと
おもえば
当然
肉体を守ろうという
気持ちが出てきます
いのちは
大事にしなければなりませんけれども
いのちというものは
本来
いきとおしのものであって
死は
この地上での区切りにすぎない
わけであります

ところが
この肉体がほろびてしまえば
自分自身はなくなるんだ
というおもいが
長い間の
習慣として
ずっと
支配しておりますから
何が何でも
死はこわいもの
避けねばならぬものとして
私どものあいだに
考えられてきたのであります

そうじゃなくて
我々のいのちは
永遠のものなんだ
私たちは
神の光のわかれとして
ここにいるんだ
ということが
わかってまいりますと
人間というものは
本当に安心立命するので
あります
それを人は
何によってわかり
悟ることができるか
といえば
それは
祈りだ
と申し上げねばなりません

祈りというものは
なかんずく
世界平和の祈りというものは
我々の
いのちをひらいてゆくのであります
本心をひらいてゆくのであります
なぜそういうことができるのか
わかるか
といえば
世界平和の祈りの一言一言のなかに
神の大愛がながれているからで
あります

ですから
私どもが
世界平和の祈りをとなえて
まいりますと
自然と
その神の愛にひたって
そして
自分の本来のすがた
というものに
いつしらず
気づかせられてゆくのであります

ちょうど
母親に抱かれた
赤ん坊のように
ああ私のかえるところは
永遠の神のみこころなんだ
ということがわかってくるようになる
これは理屈じゃないんです
こころで
そう感じるんです
それは
世界平和の祈りのなかに
幾多の霊人
神霊たちが
守護霊守護神とともに
働いて働いて
そうして
私どもの
いのちが
本心が
ひらかれてゆくのであります

そのとき
私どもは
自分たちが
限定された肉体のなかに
生きるいのちではなく
無限の神の愛のなかに
生きるいのちであることを
わからせていただくのであります
        平成2年3月7日、8日 記