宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
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老人の生き方について(1)

2019-09-08 08:53:08 | 祈り
(問)老人の生き方についてお尋ねします。


(答)この頃は、若い人があんまり長く
生きたくないとか言う人が多いですよ。
誰かさんもどこかでそんなことを言ってた
けれども、何で生きたくないかというと、
どこかでね老醜を晒すという恐怖、それから、
体が弱くなってくるという、それを認めて
いかなくてはならないでしょう。
老いるということはそういうことですよね。

老いるということは、体力的な気力的な
ものの衰えというものを認めてゆかなければ
ならない。
つまり、記憶もなんか悪くなってきたとか、
そういうマイナスの部分を認めてゆかなければ
いけない。
だから切なさとの戦いですよね。
本当にそうなんです。
60になったら60になった途端全部忘れて
しまっちゃって、今聞いたこと全部
忘れちゃって、また最初から読まなけりゃ
ならない、人の話もまた最初から聞かなけりゃ
分からないというようになるんですよ。
本当にそうなるんですよ。
70になったらもっとひどくなるんですよ。
皆そうなんです。
で、その一つ一つがね、自分にとって
恐怖なんですよ。

また、老いると、人を容れるという寛容の
心が失せてしまう訳で、その寛容でなくなる
というのは、これはその人の性格という
よりも、その人の生きて来た年令がもたらす
生理的なもので我慢できない。
気を長くしようと思っても、その人の
その時の体力とか生活状態とかいろんな
ことで、生理的にもう我慢ができなくなって
人を怒鳴っちゃうとかね、そういうことが
あるんです。
そういうものが正しく自分自身である
というふうに、ある一瞬間でも見なければ
ならない。
それが随分辛いんですよね。
それが恐怖になってゆくんです。
それは60に70になった人が恐怖だという
よりも、20代でも30代でも40代
でもですね、ああこの辺が我慢できなく
なっているなっていうことになると、
人間って愕然となるものですよね。
結局のところそのあたりのことなんですよね。
それでは、生きてゆく限り皆老人になって
いく訳ですから、老いていくということを
どういうふうに考えて生きて行くかという
ことはこれは永遠の課題なんです。
けれどね、生きるということは結局、
生かされているということなんですよね。
自分が生きるというよりも万物に生かされて
いるというね、その生かされて
いるところへ自分の意識をもっていくと、
それが全部感謝に変わっていく筈なんですね。
祈りによって感謝になってゆく。
とても感謝しきれない事もあります。
悔しい事も情ない事も生きている内に
いろいろありますよね。
ただ感謝しなけりゃいけない、いけない
いけないと思って、無理に感謝していくと
今度は病気になりますよね。
ですから、私がそのまま悔しい事悲しい事を
お祈りの中へ入れなさいと言うのはね、
ありがとうございますと言うのが言い難い、
言い難ければ、それはそのままで、五井先生
お願いします神様お願いしますと言えば、
守護の神霊がそのまま祈って下さる訳
ですから。
          (つづく)