やさしさ
というものは
相手をおもう心と
自分を責めさばかない心から
出てくるものです
いくら相手の立場に
立ったって
自分自身を
駄目だ駄目だ
と思ってたんじゃあ
ちっとも
ひろやかにはなってかない
ね、
こころ晴ればれと
しないじゃありませんか
心は
晴ればれと
大空のように
澄み切って
そして
朗らかに生きる
ということが
何よりも
大事なことなのです
そりゃあ
苦しいことも
悲しいことも
何でこうなるんだろう
ということだって
いっぱいある
その悲しみは
苦しみは
みんな
私が
うけとってあげるから
とにかく
世界平和の祈りのなかで
神様
私を明るくして下さい
朗らかにして下さい
と祈ってごらんなさい
いつの間にか
自分を責める時間が
少なく
なって
そして
自分を苦しめる
そういう自分も
いつの間にか
すっかり
消えていますから
自分は自分
他人は他人
それはそのとおりなんだけど
この言葉は本来
自分には自分の生命の流れ(みち)があり
人には人の生命の流れ(みち)がある
ということなんですね
決して
お前なんかしらない
自分は自分で精一杯っていう
言葉じゃ
ないんですけどね
それが
肉体人間だと
つい
そういうふうに思っちゃう
そして
自分と他人との間に
垣根を
つくっちゃうんですね
私がいいたいのは
今はもう
そんな時代じゃない
ということなんです
一人一人が
世界人類のことを思い
祈らないと
間に合わない時代なんですよ
世界平和の祈りを祈りながら
この祈りのなかで
一人一人が自分自身の
いのちを宣り出して
そして
光をつよめ
やさしさをつよめて
生きていかなければ
とてもこの
地球は光明化できるもんじゃ
ないんです
もう
自分だ
他人だ
と言ってる場合じゃなくて
世界人類共同体の時代なんですよ
光ファイバーというものが
光というものが
どんどん
世界を結んでいっているけれど
この地球に
寄り合って生きている
私たち自身の
光明化を
祈りによって
今していかなければなりません
私たちが
肉体人間の枠を超えた
本来の大元のいのちの一筋としての
自分を自覚していくことで
私たち自身も
この地球も
ともに光の世界になっていくのであります
どうぞ
たゆまず
世界平和の祈りを唱えながら
歩む一人であって下さい
それではどうもありがとうございました
というものは
相手をおもう心と
自分を責めさばかない心から
出てくるものです
いくら相手の立場に
立ったって
自分自身を
駄目だ駄目だ
と思ってたんじゃあ
ちっとも
ひろやかにはなってかない
ね、
こころ晴ればれと
しないじゃありませんか
心は
晴ればれと
大空のように
澄み切って
そして
朗らかに生きる
ということが
何よりも
大事なことなのです
そりゃあ
苦しいことも
悲しいことも
何でこうなるんだろう
ということだって
いっぱいある
その悲しみは
苦しみは
みんな
私が
うけとってあげるから
とにかく
世界平和の祈りのなかで
神様
私を明るくして下さい
朗らかにして下さい
と祈ってごらんなさい
いつの間にか
自分を責める時間が
少なく
なって
そして
自分を苦しめる
そういう自分も
いつの間にか
すっかり
消えていますから
自分は自分
他人は他人
それはそのとおりなんだけど
この言葉は本来
自分には自分の生命の流れ(みち)があり
人には人の生命の流れ(みち)がある
ということなんですね
決して
お前なんかしらない
自分は自分で精一杯っていう
言葉じゃ
ないんですけどね
それが
肉体人間だと
つい
そういうふうに思っちゃう
そして
自分と他人との間に
垣根を
つくっちゃうんですね
私がいいたいのは
今はもう
そんな時代じゃない
ということなんです
一人一人が
世界人類のことを思い
祈らないと
間に合わない時代なんですよ
世界平和の祈りを祈りながら
この祈りのなかで
一人一人が自分自身の
いのちを宣り出して
そして
光をつよめ
やさしさをつよめて
生きていかなければ
とてもこの
地球は光明化できるもんじゃ
ないんです
もう
自分だ
他人だ
と言ってる場合じゃなくて
世界人類共同体の時代なんですよ
光ファイバーというものが
光というものが
どんどん
世界を結んでいっているけれど
この地球に
寄り合って生きている
私たち自身の
光明化を
祈りによって
今していかなければなりません
私たちが
肉体人間の枠を超えた
本来の大元のいのちの一筋としての
自分を自覚していくことで
私たち自身も
この地球も
ともに光の世界になっていくのであります
どうぞ
たゆまず
世界平和の祈りを唱えながら
歩む一人であって下さい
それではどうもありがとうございました