空海法師の神社巡り

空海法師が今まで巡った神社を、実際に感じた御利益や見所、感想など交えて紹介。

今宮神社(いまみやじんじゃ)

2014-01-11 13:56:54 | 神社紹介
所在地
京都市北区紫野今宮町21

祭神
大己貴命(おおなむちのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)
奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)
素盞鳴命(すさのおのみこと)

御利益
福徳寿命(大己貴命の御神徳)
福衣食住(事代主命の御神徳)
家内安泰(奇稲田姫命の御神徳)
健康長寿 (素盞鳴命の御神徳)

古くからの疫病除けの神様
今宮神社


2015.8.11加筆修正


平安建都(794)以前から疫神(素盞鳴命?)を祀る祠が、この地にはあった。
これを正暦5年(994)に船岡山へ奉安し、御霊会を営んだ。
しかし、長保3年(1001)に大流行した疫病を静めるために、再び現在の地に奉遷された。

このときに、三柱の神(大己貴命、事代主命、奇稲田姫命)が創祀されて、新たな宮という意で「今宮」と名づけられる。


因みに疫神社は、本殿の向かって左側に鎮座している。八坂神社と同じ神紋の提灯がある



玉の輿の由来

誰?いやいや、この人はお玉の方といいます。
西陣の八百屋の娘「お玉」が徳川家光の側室となり、5代将軍綱吉の生母・桂昌院として従一位にまでなった。これが「玉の輿」ということわざの由来という説があります。
桂昌院は、特に今宮社に対する崇敬が強かったようで、そんな由来から別名「玉の輿神社」とも言われている。

重軽石

「阿保賢(あほかし)」さんと呼ばれて、親しまれている一種の神占石。
叩くと重くなり、撫でると軽くなります。(これは、マジです!)
ちなみにこの石を3度叩き、病気を治したいところを願いつつ3度撫でて後、持ち上げて軽ければ、その病は、治ると言われています。
病にお悩みの方は、お試しください。 ( ´ ▽ ` )ノ

織姫社

今宮神社の境内にある摂社です。
織物の祖神である栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)は、七夕伝説の織姫に機織を教えたという神です。
西陣の名の由来となる応仁の乱が収まった11月11日を西陣の日とし、業界を上げての式典が行われます。
西の陣があったところで盛んな織物だから、「西陣織」なんですね。
なお写真に移る赤い塔らしきものは、機織に使う道具をモチーフにした石碑です。

今宮の由来、玉の輿の由来、西陣の由来。
歴史だけじゃなくて、地名やことわざの由来がある神社って、なんかテンション上がるよね?o(^▽^)o


上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)

2014-01-11 12:36:12 | 神社紹介
所在地
京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町495

祭神
崇道天皇
井上大皇后
他戸親王
藤原大夫
橘 大夫(橘逸勢)
文 大夫
火雷神
吉備大臣(吉備眞備)

御利益
厄除
学業成績書道上達
(吉備眞備は法律の編集、橘逸勢は嵯峨天皇、弘法大師と並ぶ三筆の一人であることに由来。)

御霊信仰の発祥の地である
上御霊神社



この神社の創建は、延暦13年(794)桓武天皇が、平安京の守り神として、崇道天皇の御神霊をまつったのが、はじまり。
祭神の崇道天皇は、桓武天皇の弟、早良親王のことです。

794年といえば、平安京遷都の年ですね。
皆さんは、奈良の平城京から京都の平安京に遷都する間に長岡京という都が存在したことをご存知ですか?

784年、長岡京(現在の京都府長岡京市)遷都にあたり、桓武天皇には藤原種継という信頼する側近がいた。
しかし、種継は暗殺されてしまう。!(◎_◎;)
この首謀者の一人として嫌疑をかけられたのが、早良親王。
早良親王は、幽閉されるが、無実を訴え無念の死を遂げる。
この後、都では飢饉などの災いが起こり、陰陽師の占いによって、早良親王の崇りのせいだとわかった。
崇りから逃れるため平安京に遷都した。
さらに崇りを鎮めたり、加護を得るために、平安京遷都に合わせて寺社仏閣が多く建てられた。
だから京都には794年あたりに建てられた神社やお寺が多いんですね。


中でもこの上御霊神社は、人々の神霊(みたま)を丁重におまつりし、災いをなくすという御霊(ごりょう)信仰のお祭りを、御霊会(ごりょうえ)といい、その祭礼の発祥の地でもあります。

他にも、応仁元年(1467)に畠山政長が御霊の森に陣をしき、畠山義就と戦う。
これが応仁の乱の始まりで、この地は、まさにその舞台となったところです。


私はこの神社に訪れた時、歴史の教科書で習うような単語に触れることができて、京都の歴史の一部に触れられたような気がしました。
学生時代、歴史は赤点だったけど、神社の由来などを調べて話がつながると、今は歴史が面白いと思います。o(^▽^)o