【1980年】(浪人)
13:00~16:00 世界史(慶大) 西41 大岡
オオミヤのところに遊びにゆく
日曜日。
慶應を受けることにしてゐた。
試驗科目は、國語、英語、世界史。
試驗日は2月18日。
殘された時間は3週間。
この短い時間で得點を伸ばす可能性がもつとも高いのは世界史。
駿台でも人氣講師だつた大岡先生が慶應の世界史に對應した特別講義をするといふので受講した。
西41といふのは教室の名前だつたと思ふ。
西館の4階にあつたのかな?
オオミヤは小學校3年4年、中學校1年の同級生。
中學では寫眞部でも一緒だつた。
でも、どうしてこの時期にオオミヤの家に遊びに行つたのかわからない。
彼も私も中學時代に住んでゐた家からは引つ越してゐたし、彼と會ふ機會は中學卒業後ほとんどなかつた筈。
豫備校で偶然に顏を合せたのだらうか。
そんな記憶はないのだが・・・
【1983年】(3囘生)
E皆見、D石井(辭書可) テスト
13:00 ベートーヴェンSym.4 ショルティ (34m57s)
佐竹教授にTel!
木曜日。
皆見先生の英語の講座、まつたく記憶にない。
名前だけは辛うじて覺えてゐるのだが・・・
石井先生のドイツ語初級は覺えてゐる。
石井先生の講座は、前年は中級に登録したのだが、試驗問題を見ただけで諦めて5分で部屋を出た。
この年は初級に登録し、授業にも何囘か出席した筈で、ちやんと單位を貰へたやうな氣がする。
この日のエアチェックは、サー・ゲオルク・ショルティ指揮シカゴ響によるベートーヴェンの交響曲第4番。
引き締まつた響きが心地好い。
國文の佐竹教授に電話をしてゐる。
國文への轉科をお願ひする電話だつた。
私は當時、哲學科の社會學專攻に在籍してゐた。
しかし、社會學では外書講讀があり、第1外國語の英語は毎年あつたが、第2外國語のはうはドイツ語とフランス語が隔年だつた。
つまり、ドイツ語で單位を落すと、つぎにドイツ語講讀があるのは2年後といふことになるのだ。
この年、私はドイツ語講讀の單位を取れる可能性はゼロだつた。
すでに5囘生確定で、それどころかヘタをすれば7囘生になる可能性すらある。
さうした状況にあつたといふこともさることながら、私が轉科しようと決心したのは、そもそも私がこの大學の文學部に入つたのは國文學を學びたかつたからなのだ。
ところが、1年前に專攻を決める時、多少なりとも實學に近い社會學を學ぶことで職に就きたいと色氣を出してしまつたのだ。
社會學は哲學科、國文は文學科と、學科が異るので、轉學科すると3囘生からやり直すことになる。
それでも、7囘生になるリスクは囘避出來る。
お願ひしてみる價値は十分にあつた。
手續としては轉學科願を教務に提出すればそれでよいのだが、轉學科を許可するのは受入先の主任教授なので、直接お願ひするはうがいいと思つた。
教務に佐竹教授の自宅の電話番號を訊いたのだが、すんなりと教へてくれたやうに思ふ。
いまなら考へられないが。
【1984年】(4囘生)
12:30 阪急前
HにTel
素直ぢやないネ お互ひに
金曜日。
12時半に四條河原町の阪急百貨店前で待ち合せ。
そのデートの豫定は、1週間前にHによつてキャンセルされた。
1週間前の電話で、ふたりの氣持ちは通ひ合はなかつた。
この日、私はHに電話をして彼女の氣持ちを確かめやうと思つた。
でも、それはうまくいかなかつた。
私が自分の氣持ちを素直に傳へられなかつたから。
そして、それは彼女も一緒なのだと思つてゐた。
13:00~16:00 世界史(慶大) 西41 大岡
オオミヤのところに遊びにゆく
日曜日。
慶應を受けることにしてゐた。
試驗科目は、國語、英語、世界史。
試驗日は2月18日。
殘された時間は3週間。
この短い時間で得點を伸ばす可能性がもつとも高いのは世界史。
駿台でも人氣講師だつた大岡先生が慶應の世界史に對應した特別講義をするといふので受講した。
西41といふのは教室の名前だつたと思ふ。
西館の4階にあつたのかな?
オオミヤは小學校3年4年、中學校1年の同級生。
中學では寫眞部でも一緒だつた。
でも、どうしてこの時期にオオミヤの家に遊びに行つたのかわからない。
彼も私も中學時代に住んでゐた家からは引つ越してゐたし、彼と會ふ機會は中學卒業後ほとんどなかつた筈。
豫備校で偶然に顏を合せたのだらうか。
そんな記憶はないのだが・・・
【1983年】(3囘生)
E皆見、D石井(辭書可) テスト
13:00 ベートーヴェンSym.4 ショルティ (34m57s)
佐竹教授にTel!
木曜日。
皆見先生の英語の講座、まつたく記憶にない。
名前だけは辛うじて覺えてゐるのだが・・・
石井先生のドイツ語初級は覺えてゐる。
石井先生の講座は、前年は中級に登録したのだが、試驗問題を見ただけで諦めて5分で部屋を出た。
この年は初級に登録し、授業にも何囘か出席した筈で、ちやんと單位を貰へたやうな氣がする。
この日のエアチェックは、サー・ゲオルク・ショルティ指揮シカゴ響によるベートーヴェンの交響曲第4番。
引き締まつた響きが心地好い。
![]() | ベートーヴェン:交響曲第4番&第5番 |
ショルティ(サー・ゲオルグ) | |
ユニバーサル ミュージック クラシック |
國文の佐竹教授に電話をしてゐる。
國文への轉科をお願ひする電話だつた。
私は當時、哲學科の社會學專攻に在籍してゐた。
しかし、社會學では外書講讀があり、第1外國語の英語は毎年あつたが、第2外國語のはうはドイツ語とフランス語が隔年だつた。
つまり、ドイツ語で單位を落すと、つぎにドイツ語講讀があるのは2年後といふことになるのだ。
この年、私はドイツ語講讀の單位を取れる可能性はゼロだつた。
すでに5囘生確定で、それどころかヘタをすれば7囘生になる可能性すらある。
さうした状況にあつたといふこともさることながら、私が轉科しようと決心したのは、そもそも私がこの大學の文學部に入つたのは國文學を學びたかつたからなのだ。
ところが、1年前に專攻を決める時、多少なりとも實學に近い社會學を學ぶことで職に就きたいと色氣を出してしまつたのだ。
社會學は哲學科、國文は文學科と、學科が異るので、轉學科すると3囘生からやり直すことになる。
それでも、7囘生になるリスクは囘避出來る。
お願ひしてみる價値は十分にあつた。
手續としては轉學科願を教務に提出すればそれでよいのだが、轉學科を許可するのは受入先の主任教授なので、直接お願ひするはうがいいと思つた。
教務に佐竹教授の自宅の電話番號を訊いたのだが、すんなりと教へてくれたやうに思ふ。
いまなら考へられないが。
【1984年】(4囘生)
HにTel
素直ぢやないネ お互ひに
金曜日。
12時半に四條河原町の阪急百貨店前で待ち合せ。
そのデートの豫定は、1週間前にHによつてキャンセルされた。
1週間前の電話で、ふたりの氣持ちは通ひ合はなかつた。
この日、私はHに電話をして彼女の氣持ちを確かめやうと思つた。
でも、それはうまくいかなかつた。
私が自分の氣持ちを素直に傳へられなかつたから。
そして、それは彼女も一緒なのだと思つてゐた。
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