
幼い頃は別として、小學校の高學年になつた頃から、私には祕かやなコンプレックスがあつた。
それは何かと云ふと、頭のカタチに關すること、もつとあからさまに云へば、絶壁アタマである。
私の亡父は 朝倉義景 の末裔だと稱してゐた。
そんなバカなと私は子供心に腹のなかで嗤つてゐたが、小學校の社會科の教科書だつたか歴史圖鑑だつたか、朝倉義景の肖像畫を見て納得した。
朝倉義景はものの見事な絶壁アタマであり、父も同じく絶壁アタマ、そして哀しいかな私も・・・
私の頭髮は天然パーマである。
子供の頃から「テンパー」と云はれ續けた。
でも自分ではその天然パーマが結構氣にいつてゐた。
フワフワして髮にボリュームが出るので、後頭部の絶壁アタマが分りにくくなると信じてゐたのだ。
だから、私は帽子といふものが嫌ひだつた。
帽子をかぶると、せつかく天然パーマのフワフワ髮がペッタンコに潰れてしまひ、絶壁アタマが露見すると信じてゐたからである。
足が速かつたので運動會は大好きだつたが、赤だの白だのの帽子をかぶらなければならないのが苦痛だつた。
中學に入り、學生帽をかぶるのが義務付けられた。
もちろん私はそんなものをかぶりはしなかつた。
學生帽は手にもつて通學し、門を通過する時だけ頭に載せて、あとはまた手に持つといふ習慣だつた。
高校に入つても學生帽はあつたが、私はもう手にすることすらなかつた。
「かあさん、ぼくのあの帽子どうしたでせうね」の世界だつた。
ことほど左樣に絶壁アタマを恥ぢ、帽子を忌み嫌ひ續けて30數年、そんな私に轉機が訪れた。
2002年、1ヵ月間のアメリカ語學留學を終へて歸國の途上、ホームステイ先からサンフランシスコまで飛行機に乘つた。
フライトアテンダントのおばさま(斷じておねいさんではない)が何を飮むかと聞いてきたのでコーヒーを頼んだのだが、出てきたのはコカコーラ。
會社の金で行かせて貰つたといふのに、なんといふていたらく!
私はこれを恥ぢて、頭を一厘刈にして會社に出た。
いはゆる「アタマを丸めた」のだ。
おのれの絶壁アタマをさらすことで、反省の氣持ちを表はしたわけだが、豫想外に評判が好かつた。
喫茶店のおばあさんには、「坊主頭が似合ふね。頭のカタチがいいんだね」などと云はれた。
2007年11月、思ふ所があつてスキンヘッドにしてからも、いろいろな人から似たやうなことを云はれ、私の絶壁頭コンプレックスは解消した。
しかし、やはり心のどこかで氣になつてゐた。
自分の頭のカタチを自分の目で見られないので、安心出來なかつたのだ。
そこで、きのふ、思ひきつてデジカメで自分撮りをしてみた。
それが上の寫眞である。
確かに、これを見るとまさしく 「短頭型」 の典型だ。
でも、私が想像してゐたのより、少しは後頭部が出てゐるではないか。
それに、見やうによつては禪寺の僧侶だと云つても通用しさうな氣品が漂ふてはゐないか?
(漂ふてゐない?ああ、さうですか)
これで30數年來の「絶壁頭コンプレックス」から眞に解放された氣がしてゐる。
もしかすると、コンプレックスなんてものは、多かれ少なかれ、かうしたものなのかもしれない。
自分を客觀視することが出來れば、コンプレックスに捉はれることもないのかも。
じつは、今年の6月から帽子とも仲よくなつた。
夏は直射日光が嚴しいし、これからの季節は頭が冷くてたまらない。
スキンヘッドに帽子は必需品なのである。
もう帽子なんか怖くないぞ!
アラフィフ男子、胸キュンです(笑)
SF からの帰途での UA でのお話。
>コーヒーを頼んだのだが、出てきたのはコカコーラ。
參りました!(笑)
現在、ネットショップを計画してる最中なんですが、オープンしたら海外の帽子を差し上げましょう。
寒い地域なので、もしかしたらサンタさんか毛皮帽子になったりして(^^;
ネットショップですか!
開店したら教へて下さいね。
最初の客になれたらいいなあ。
寒さには年とともにとことん弱くなつてゐますので、暖かい帽子を揃へてくださいまし~
ケンペスのように髪をなびかせながらサッカーしたね。僕は常にオレンジの鉢巻きしてた。
マラドーナと一緒に僕も今月fiftyです。
ちなみにボクは大學に入つてから髮を伸ばして、肩より長くしたこともあつた。
いまからは想像もつかないけど(笑)
50歳。
人生これからだと思ひたいね!