田中好子さんが亡くなつたことで、 キャンディーズ は名實ともに終はりを告げた。
もちろん、彼女たちは再結成の誘ひに乘らず「ふつうの女の子」に戻つたままだつたので、キャンディーズとして復活することはなかつただらう。
「年下の男の子」をリリースしたのが1975年2月で、私が中學2年の時。
「春一番」が1976年3月、「やさしい惡魔」が1977年3月、「微笑みがへし」が1978年2月。
そして後樂園球場での解散コンサート(ファイナルカーニバル)が1978年4月4日で、私が高校3年の時。
かうして見ると、彼女たちの活躍した時期は、私の中學・高校と重なつてゐることが、あらためてわかつた。
ヒットしてから引退まで、わづかに3年あまり。
じつに鮮やかな引き際だつた。
ところが、多感な時期と重なつてゐたにも關はらず、私はキャンディーズに熱中することはなかつた。
どうしてかといふと、私は 山口百惠 のファンだつたから。
いま調べてみたら、キャンディーズと山口百惠は活躍時期が見事に重なつてゐた。
キャンディーズのレコードデビューは1973年9月「あなたに夢中」。
山口百惠のレコードデビューは1973年5月の「としごろ」。
引退は、キャンディーズが1978年4月で、山口百惠は1980年10月5日の武道館「ファイナルコンサート」。
さうなると氣になるのは ピンクレディー 。
私は彼女たちに興味はなかつたが、活動時期的にはどうだつたのだらう。
山口百惠とは多少重なつてゐたやうに思ふが、キャンディーズとは重なつてゐたのかどうか。
で、調べてみたら・・・
1976年8月「ペッパー警部」でデビューし、1981年に解散。
といふことは、1976年8月のピンクレディーのデビューから1978年4月のキャンディーズ解散までの1年8ヵ月間は、キャンディーズ、山口百惠、ピンクレディーの3者が揃つて活躍してゐたといふことだ。
これは私には意外だつた。
ピンクレディーのイメージはかなり幼いものだつたので、キャンディーズとは重なつてゐないやうな氣がしてゐたのだ。
いま思へば、ピンクレディーが登場した頃、私は高校1年生で、引退した時には既に大學生。
彼女たちの歌を樂しむ年ごろではなかつた。
なので記憶の中でピンクレディーがキャンディーズに重ならなかつたのだらう。
それにしても、キャンディーズにしても山口百惠にしても潔い引き際だつた。
それに比べてピンクレディーは・・・
いまこの記事を書くために調べて初めて知つたのだが、1981年に解散したあと、早くも1984年に再結成してゐたらしい。
そればかりではなく、1989年、1996年、2003年と再結成し、さらには2010年に5度目の再結成をしたのだとか。
なんだかなあ・・・
もちろん、彼女たちは再結成の誘ひに乘らず「ふつうの女の子」に戻つたままだつたので、キャンディーズとして復活することはなかつただらう。
「年下の男の子」をリリースしたのが1975年2月で、私が中學2年の時。
「春一番」が1976年3月、「やさしい惡魔」が1977年3月、「微笑みがへし」が1978年2月。
そして後樂園球場での解散コンサート(ファイナルカーニバル)が1978年4月4日で、私が高校3年の時。
かうして見ると、彼女たちの活躍した時期は、私の中學・高校と重なつてゐることが、あらためてわかつた。
ヒットしてから引退まで、わづかに3年あまり。
じつに鮮やかな引き際だつた。
ところが、多感な時期と重なつてゐたにも關はらず、私はキャンディーズに熱中することはなかつた。
どうしてかといふと、私は 山口百惠 のファンだつたから。
いま調べてみたら、キャンディーズと山口百惠は活躍時期が見事に重なつてゐた。
キャンディーズのレコードデビューは1973年9月「あなたに夢中」。
山口百惠のレコードデビューは1973年5月の「としごろ」。
引退は、キャンディーズが1978年4月で、山口百惠は1980年10月5日の武道館「ファイナルコンサート」。
さうなると氣になるのは ピンクレディー 。
私は彼女たちに興味はなかつたが、活動時期的にはどうだつたのだらう。
山口百惠とは多少重なつてゐたやうに思ふが、キャンディーズとは重なつてゐたのかどうか。
で、調べてみたら・・・
1976年8月「ペッパー警部」でデビューし、1981年に解散。
といふことは、1976年8月のピンクレディーのデビューから1978年4月のキャンディーズ解散までの1年8ヵ月間は、キャンディーズ、山口百惠、ピンクレディーの3者が揃つて活躍してゐたといふことだ。
これは私には意外だつた。
ピンクレディーのイメージはかなり幼いものだつたので、キャンディーズとは重なつてゐないやうな氣がしてゐたのだ。
いま思へば、ピンクレディーが登場した頃、私は高校1年生で、引退した時には既に大學生。
彼女たちの歌を樂しむ年ごろではなかつた。
なので記憶の中でピンクレディーがキャンディーズに重ならなかつたのだらう。
それにしても、キャンディーズにしても山口百惠にしても潔い引き際だつた。
それに比べてピンクレディーは・・・
いまこの記事を書くために調べて初めて知つたのだが、1981年に解散したあと、早くも1984年に再結成してゐたらしい。
そればかりではなく、1989年、1996年、2003年と再結成し、さらには2010年に5度目の再結成をしたのだとか。
なんだかなあ・・・
引き際のいいのもいいけど、ピンクレディーが再結成で、またファンを喜ばせてくれたのもいいと思う。エネルギーもいるし大変だとも思う。
また他の人でも 若い時の美しさが失せても、引き際なんて関係なく、頑張ってくれるのも、いいとおもいます。
散るを急ぐ桜も大好きだけど、ながーーく咲いてくれる花も大好きです。
テレビでも見かけだけでなく人柄や、人間性 生き方もみているんです。
引き際のいい人ばかりだと、使い捨てみたいで、それもつまらないです。
私の感じ方、感性では、櫻の花のやうに散り際の鮮やかさ、潔さを美しいと感じます。
引退せずに長く活躍される人はそれで素晴らしいと思ひます。
八千草薫さんや吉永小百合さんなんて、もう言葉に出來ないほど素晴らしいと思ひます。
でも、引退して再結成して、しかもそれを何度も繰り返すのは、私は美しいとは思へません。
これはもちろん私の感じ方ですので、人にそれを強要するつもりは毛頭ありません。
他のスターとどう重なっていたのかはわからないけど。
キャンディーズは、春一番の曲が心躍り好きでした。
いつの時代もスターがいてファンはいるのですが、ファンを裏切らずにいてほしいと思う。
たぶん、みんな大切な青春の一ページであったはずだから...。
私は「思秋期」、「万華鏡」、「聖母たちのララバイ」が特に好きです。
1975年4月のデビューですので、ピンクレディーより1年早いやうです。
かうしてみると、1976年から1978年はスターがたくさんゐたんですね。
百恵さんとの思いで話が書いてあるので、ぜひ読んで頂けたら嬉しいです。
石川ひとみさんのバンドではMMPにいたギターの山田直樹さんと一緒にやっていました。そちらも動画をブログにアップしてあります。
岩崎宏美さんのバンドにも1年近く在籍していました。ひとみさんのバンドの時のドラマーと一緒に入りましたね。そのドラマーはその後すぐにパール兄弟のドラマーになりました。
山田直樹さんと岩崎宏美さんは堀越の芸能コースのクラスメイトで高校時代は付き合っていましたね。本人から直接聞いたので・・・。
あまりに懐かしくてコメントしてしまいました。
ありがとうございます!
「コンサートが終わって新幹線で帰京するのですが、当然百恵さんはグリーン車で私達ミュージシャンは普通の指定席です。
そこで事件が起こりました。なんとグリーン車の百恵さんは私の所にわざわざやって来てくれて、少し話がしたいと言ってくれたのです。
当然新幹線の中はパニックです・・・百恵さんが普通の座席に来たんですからね。マネージャーさん達は大騒ぎです。」