【1980年】(1囘生)
12:30 サトシと駿台で會ふ。
18:00 クラスコンパ S孃と話せなかつたのが無念ぢや
オオツカの下宿に泊る
サトシはC高の同級生。
彼は殘念ながらまだ大學に入學出來ず、滋賀縣の叔父さんの家に住んで、京都駿台で浪人してゐた。
このあと、彼の浪人中に何度も會ふことになるが、おそらくこの日がその最初だつたと思ふ。
私の記憶では、彼と一緒に農學部前の「天下一品」でラーメンを食べたのが私の「天一」デビューだが、それがこの日だつた筈。
でも、堀川丸太町まで行つて、さらにそこから農學部前まで移動した記憶がない。
バスで移動したんだらうけどなあ。
初めてのクラスコンパ。
事前にまめなヤツが顏寫眞入りの名簿を作つてくれた。
女の子も10數人ゐたやうに記憶してゐる。
そのなかにSさんといふ顏立ちの整つた女の子がゐた。
私は既にあまり講義に出てゐなくなつてゐたので、彼女とは話をしたこともなかつた。
なので、このコンパではぜひお話をしたいものだと祕かに思つてゐたのだつた。
しかし、さういふ女の子の前には男が群るのが世の常である。
そのあさましい状態の中に身を置く氣になれず、私は男たちと話をしてゐた。
そんな超然とした態度が格好いいのだと誤解してゐた自分の若さを殘念に思ふ。
いまの私が當時の若さのままだつたなら、などと中年オヤヂの妄想。
コンパから2次會、3次會と流れて行くと、岩倉在住者は歸れなくなる。
交通機關もさうだが、心理的に歸りたくなくなるといふのも大きい。
從つて、知人・友人の下宿に泊めてもらふことも多くなる。
この日はオオツカの下宿に泊めて貰つた。
たしか北白川仕伏町だつたと思ふ。
彼とはこの時に初めて話をし、その後も殆ど顏を合せてゐない。
顏を合せることがなかつたのは、もちろん彼の所爲ではなく、私が講義に顏を出さなかつたからなのだが。
こののち、私は「コンパの時にしか顏を見ない」といふ幻の男となつていつたのだつた。
【1981年】(2囘生)
嵐山・高尾パークウェイ ¥650
單車は、冬は凍えるし、夏は股ぐらに火鉢を抱へて走るやうなもの。
なので、單車乘りにとつて春と秋は待望のシーズン。
單車を買つて初めて迎へた春だけに、いろいろなところへと走り囘つてゐた。
この日は嵐山方面。
基本的に有料道路を走ることは少なかつたが、このときは春風に誘はれて奮發したのだらう。
【1982年】(3囘生)
社(研)中
月曜の4コマ目。
社會學研究(中教授)
17:00から塾がある日は4コマ目は出席できない。
この年の月曜日は塾の受持ちがなかつたと思はれる。
【1983年】(4囘生)
光田開講 寢過す
火曜日2コマ目、10:30開始の國文(講讀)。
最初が肝腎だと思ひ、出席するつもりだつたのだが・・・
手帳には書いてないが、もしかしたら前夜から朝にかけて麻雀でもしてゐたかな?
12:30 サトシと駿台で會ふ。
18:00 クラスコンパ S孃と話せなかつたのが無念ぢや
オオツカの下宿に泊る
サトシはC高の同級生。
彼は殘念ながらまだ大學に入學出來ず、滋賀縣の叔父さんの家に住んで、京都駿台で浪人してゐた。
このあと、彼の浪人中に何度も會ふことになるが、おそらくこの日がその最初だつたと思ふ。
私の記憶では、彼と一緒に農學部前の「天下一品」でラーメンを食べたのが私の「天一」デビューだが、それがこの日だつた筈。
でも、堀川丸太町まで行つて、さらにそこから農學部前まで移動した記憶がない。
バスで移動したんだらうけどなあ。
初めてのクラスコンパ。
事前にまめなヤツが顏寫眞入りの名簿を作つてくれた。
女の子も10數人ゐたやうに記憶してゐる。
そのなかにSさんといふ顏立ちの整つた女の子がゐた。
私は既にあまり講義に出てゐなくなつてゐたので、彼女とは話をしたこともなかつた。
なので、このコンパではぜひお話をしたいものだと祕かに思つてゐたのだつた。
しかし、さういふ女の子の前には男が群るのが世の常である。
そのあさましい状態の中に身を置く氣になれず、私は男たちと話をしてゐた。
そんな超然とした態度が格好いいのだと誤解してゐた自分の若さを殘念に思ふ。
いまの私が當時の若さのままだつたなら、などと中年オヤヂの妄想。
コンパから2次會、3次會と流れて行くと、岩倉在住者は歸れなくなる。
交通機關もさうだが、心理的に歸りたくなくなるといふのも大きい。
從つて、知人・友人の下宿に泊めてもらふことも多くなる。
この日はオオツカの下宿に泊めて貰つた。
たしか北白川仕伏町だつたと思ふ。
彼とはこの時に初めて話をし、その後も殆ど顏を合せてゐない。
顏を合せることがなかつたのは、もちろん彼の所爲ではなく、私が講義に顏を出さなかつたからなのだが。
こののち、私は「コンパの時にしか顏を見ない」といふ幻の男となつていつたのだつた。
【1981年】(2囘生)
嵐山・高尾パークウェイ ¥650
單車は、冬は凍えるし、夏は股ぐらに火鉢を抱へて走るやうなもの。
なので、單車乘りにとつて春と秋は待望のシーズン。
單車を買つて初めて迎へた春だけに、いろいろなところへと走り囘つてゐた。
この日は嵐山方面。
基本的に有料道路を走ることは少なかつたが、このときは春風に誘はれて奮發したのだらう。
【1982年】(3囘生)
社(研)中
月曜の4コマ目。
社會學研究(中教授)
17:00から塾がある日は4コマ目は出席できない。
この年の月曜日は塾の受持ちがなかつたと思はれる。
【1983年】(4囘生)
光田開講 寢過す
火曜日2コマ目、10:30開始の國文(講讀)。
最初が肝腎だと思ひ、出席するつもりだつたのだが・・・
手帳には書いてないが、もしかしたら前夜から朝にかけて麻雀でもしてゐたかな?
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