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書籍名 倭國の謎 カテゴリー 日本史
著者名 相見英咲 発行年(西暦) 2003
出版者 講談社選書メチエ 値段 1500-2000円
感想 ☆☆☆
この筆者は、「倭國」の成立は西暦107年に「倭國王帥升」が後漢安帝に朝貢した時點だと主張してゐる。
西暦57年に「倭奴國王」が後漢光武帝に朝貢し金印を授與された時點では、
「倭國王」ではなく「奴國王」なので、まだ「倭國」は成立してゐない、
といふことのやうだ。
まあ、それはそれとして、
西暦107年の「倭國」がすでに「九州島の主要な國々と本州島の主要な國々が聯合」したものだ、
といふ主張は、さすがに受け容れ難い。
その根據が、獻上した「生口160人」は九州だけでは多過ぎるといふことだけでは、あまりに根據が薄弱である。
「倭國」聯合を成立させたのは「奴國王」であり、それは「安曇氏」だといふ。
確かに安曇氏の痕跡は全國に廣がつてゐるので、その可能性はある。
かたや、出雲には「出雲古族」の國、「投馬國」があり、大和には同じく「出雲古族」の國である「邪馬臺國」があつた。
そして、3世紀の卑彌呼の時代には、この「邪馬臺國」が「倭國」の都であつたといふわけなのだが・・・
もし、さうだとしたら、「安曇氏」と「出雲古族」との關係はどうなつてゐるのだらう?
また、「邪馬臺國」が大和にあつたとすると、物部氏や天皇家との關係はどうなるのか?
「出雲古族」の「邪馬臺國」がある大和の地に、西暦180年頃、天孫族の物部氏族が入りこみ、
その後、西暦220年頃に神武東遷があつた。
そして、天皇家は物部氏を取込んで勢力を擴大し、ついには「邪馬臺國」を倒したのだといふことだ。
つまり、神武東遷の220年頃から、開化が物部を服屬させ、崇神が「邪馬臺國」を倒した時まで、
3つの勢力があの狹い大和地方に犇きあつてゐたことになる。
このあたりの説明が、私にはどうにも納得できなかつた。
2004年11月7日讀了
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