仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

立春~春立つ日

2011-02-04 02:06:09 | 日々雜感
きのふは節分だつた。
卷壽司も食べたし、鰯も食べたけれど、豆撒きをするのを忘れた。
毎年の行事なのに、殘念。

けふは立春。
立春を定義すると、冬至と春分のちやうど中間の日、といふことになる。
つまり、地軸の傾きと、地球と太陽の位置關係に由來する。
舊暦ではおほむね1月1日に相當するが、舊暦は地球と月の關係にもとづいた暦なので、太陽との關係にもとづく節氣とはズレがあつて當然。
從つて、立春は新年のこともあれば、舊年に屬することもある。
それを端的に歌つた歌が「古今集」にある。
「年のうちに春は來にけり 一年を去年とやいはむ今年とやいはむ」(在原元方)

立春とは、その名の通り、春立つ日である。
冬至が冬のどまんなか、春分が春のどまんなかとする考へに基くと、その中間が春の始まりといふことになる。
つまり、けふから春が始まるわけだ。

「古今集」に、「春立ちける日詠める」といふ詞書の有名な歌がある。
「袖ひぢてむすびし水のこほれるを 春立つけふの風やとくらん」(紀貫之)
また「萬葉集」の卷10の、いはゆる「人麻呂歌集」から採られたとする敍景歌に、立春の景色を歌つたものがある。
「久かたの天の香具山 この夕へ霞たなひく春立つらしも」(柿本人麻呂?)

四季の移ひに敏感な日本人の美意識は、萬葉の時代から脈々と續いてゐる。
いまの私たちはさうしたことに鈍感になりつつあるが、それでも節分などの行事に命脈を保つてゐる。
1300年前も今も、四季は同じやうに美しく移ふ。
それを愛でる感性を失ひたくないと思ふ。






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