【1979年】(浪人)
R
15:30~16:00 H 穗高にて
木曜日。
8月3日 に6年ぶりにHに再會し、 8月29日 に 御茶ノ水の喫茶「穗高」 で會ひ、これが3度目の逢瀬。
前囘、「穗高」を見つけたお蔭で、待ち合せが樂になつた。
いつも30分の幅をもつた待ち合せ時間だつたのだが、待ち合せ場所が喫茶店であれば座つて本でも讀みながら待つことが出來る。
この日に會話したことで覺えてゐるのは、舌の手術の話。
Hは少し舌足らずな發音をすることがあつた。
サ行やラ行の音に關して、ほんのわづかだが微妙に違和感が感じられた。
特にサ行については、小學校時代から私も氣づいてゐた。
その原因は舌が短いことで、それが聲樂に進む上でネックになるらしく、手術で舌の裏の根元の部分を切り裂いて舌を伸ばすことにしたのだといふ。
なんだか凄いなあ、と思つた。
さうまでして自分の進みたい道を追ひ求めるHに私にはない意思の強さを感じて、私は彼女を尊敬した。
手術日は10月18日。
願はくは、無事に手術が終はり、S音R音を美しく發音出來るやうにならむことを。
私はHのために祈らうと思つた。
【1981年】(2囘生)
麻雀 +7 +¥200
日曜日。
¥200ではタバコ1箱買ふのが精々。
コーヒー1杯も飮めない。
【1982年】(3囘生)
14:00 教養部正門 イムラ
月曜日。
イムラはモギの友人で、建築學科の學生。
枚方の塾で講師をしてゐた仲間のひとり。
この日、教養部の正門で待ち合せしてゐたらしいのだが、その理由は不明。
ちなみに、このイムラは後年、私が就職した會社に就職した。
私は當時、その會社の人事部で働いてゐたのだが、會社訪問をしたいといふイムラからの電話を受けたのが私だつた。
その偶然に私も驚いたが、イムラは息を呑むほどに驚いてゐた。
【1983年】(4囘生)
Hの父君に禮状
火曜日。
23日にH宅を訪問して泊めて頂いたのだが、そのお禮の手紙を書いた。
社會人の常識としては、すぐにその翌日にでも禮状を出すべきだと思ふが、學生の私にはそこまで氣がまわらなかつた。
4日も經つて出すやうではダメだと思ふが、目上の人に手紙を、それも禮状を書いた經驗がないだけに、なかなか書き出せなかつた。
エイヤ、で書いたのが、やうやくこの日。
R
15:30~16:00 H 穗高にて
木曜日。
8月3日 に6年ぶりにHに再會し、 8月29日 に 御茶ノ水の喫茶「穗高」 で會ひ、これが3度目の逢瀬。
前囘、「穗高」を見つけたお蔭で、待ち合せが樂になつた。
いつも30分の幅をもつた待ち合せ時間だつたのだが、待ち合せ場所が喫茶店であれば座つて本でも讀みながら待つことが出來る。
この日に會話したことで覺えてゐるのは、舌の手術の話。
Hは少し舌足らずな發音をすることがあつた。
サ行やラ行の音に關して、ほんのわづかだが微妙に違和感が感じられた。
特にサ行については、小學校時代から私も氣づいてゐた。
その原因は舌が短いことで、それが聲樂に進む上でネックになるらしく、手術で舌の裏の根元の部分を切り裂いて舌を伸ばすことにしたのだといふ。
なんだか凄いなあ、と思つた。
さうまでして自分の進みたい道を追ひ求めるHに私にはない意思の強さを感じて、私は彼女を尊敬した。
手術日は10月18日。
願はくは、無事に手術が終はり、S音R音を美しく發音出來るやうにならむことを。
私はHのために祈らうと思つた。
【1981年】(2囘生)
麻雀 +7 +¥200
日曜日。
¥200ではタバコ1箱買ふのが精々。
コーヒー1杯も飮めない。
【1982年】(3囘生)
14:00 教養部正門 イムラ
月曜日。
イムラはモギの友人で、建築學科の學生。
枚方の塾で講師をしてゐた仲間のひとり。
この日、教養部の正門で待ち合せしてゐたらしいのだが、その理由は不明。
ちなみに、このイムラは後年、私が就職した會社に就職した。
私は當時、その會社の人事部で働いてゐたのだが、會社訪問をしたいといふイムラからの電話を受けたのが私だつた。
その偶然に私も驚いたが、イムラは息を呑むほどに驚いてゐた。
【1983年】(4囘生)
Hの父君に禮状
火曜日。
23日にH宅を訪問して泊めて頂いたのだが、そのお禮の手紙を書いた。
社會人の常識としては、すぐにその翌日にでも禮状を出すべきだと思ふが、學生の私にはそこまで氣がまわらなかつた。
4日も經つて出すやうではダメだと思ふが、目上の人に手紙を、それも禮状を書いた經驗がないだけに、なかなか書き出せなかつた。
エイヤ、で書いたのが、やうやくこの日。
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