仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

憂國忌

2009-11-25 23:44:17 | 日々雜感
今年もまた憂國忌がきた。

はやいもので、三島由紀夫が自決して今年で39年。
私が10歳から49歳。
本屋に「豐饒の海」が平積みされ、朝日グラフでは衝撃的かつ故人の尊嚴を踏みにじるやうな寫眞が掲載されてゐた。
武士道に憧れ、切腹の作法を眞似してゐた少年の私にとつて、三島の死は憧れに近いものがあつた。
なんてひねくれた子供だつたのだ、私は。

昨年の憂國忌には、たまたま金閣寺にゐた
三島の作品のなかでも有名な「金閣寺」。
讀んだのは浪人中だつた。
小學校の同級生で片思ひの初戀の相手だつた人と浪人中に再會し、三島を教へられた。
お蔭で、浪人中に代表作の殆どを讀んだ。
それ以來、三島は私のなかで特別な作家となり、大學の卒論は三島になつた。

三島は市ヶ谷で自衞隊に檄を飛ばし、しかるのちに自決した。
當時の防衞大臣は、後に總理大臣となつた中曾根。
後年はやや右がかつた言動もあつた中曾根だが、當時は三島の行動をまるで理解しようとはしなかつた。
そして、いま東京都知事の石原愼太郎。
彼もまた、當時は三島の死について理解が及ばなかつた。

しかし、いまにして思へば、三島が日本といふ國に抱いてゐた心配は、決して杞憂ではなかつた。
日本の傳統、文化のいしずゑたる日本人の美徳はどこへ行つてしまつたのか。
電車の中で周圍の目をかへりみることなく平氣で化粧する女。
誰からも叱られないことをいいことに、混雜してゐる電車の中で坐り込む若者。
「モンスター・ペアレント」なる恥知らずな親。
何でもかんでも他人の責任にしようとする大人たち。
數へ上げたらきりがない。

沖繩の米軍基地の所在に關する議論があるが、そもそも米軍が日本に駐留することの是非に關する議論が起こらない不思議さ。
日本が獨自に國を守れるならば、米軍基地など要らない。
「非武裝中立」などといふ國際法を無視した机上の空論は論外として、「中立」を國際的に宣言するには、自ら國を守る體制が必要だ。
戰爭當事國のいづれが日本の領土を侵さうとしても、それを自力で排除する備へがなければ中立とは云へないのである。
すなはち、「軍隊」なくして「中立」はありえない。
中立を宣言するためには、自衞隊は國軍として認めなければならないといふことだ。
國際法上、それが必要最小限の條件なのである。
その條件が滿たされて初めて、在日米軍を日本の國から撤收させることが可能になる。

40年以上も前に三島が主張してゐたことが、今日でもいまだに通用する。
いつたい日本人は、この40年以上もの間、何をしてきたのだらう。
豐かな國をめざすのは結構だが、それが單に自分たちの目先の生活を考へるだけであれば、日本はこれから先の50年もアメリカの顏色を伺ふ國であり續けることだらう。

民主黨政權には、國内の政策に於いては期待することも多い。
しかし、彼らには外交や安全保障のビジョンがないやうにみえる。
私たちは、民主黨政權の動向を注意深く見つめなければならない。
長い目で見て日本の國益に反する政策を實行するやうであれば、彼らにノーを突付けなければならない。

三島はいまの日本をどのやうに見てゐるだらうか。
あちらへ行つたら、彼に聞いてみたいものだ。




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2 コメント

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残念 (雫石鉄也)
2009-11-26 09:46:48
私も、三島自決には衝撃を受けました。
当時から私はSFファンでした。
当時のSFは、数多有る文芸のジャンルで不当に低く評価され、私たちファンはくやしい思いをしていました。
三島は早くから、SFの本質を見抜き、理解していた数少ない他ジャンルの文学者でした。
その最大の理解者を失ったのです。ものすごく残念に思ったのを覚えています。
http://homepage2.nifty.com/sfish/seigun/sfm-18.htm
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雫石鉄也さん (仙丈)
2009-11-26 11:39:38
三島は、60年代半ばだつたか、「美しい星」といふSFタッチな作品を書いてゐます。
當時は日本にSFといふジャンルが流行し始めた時期だつたらしく、三島も實驗的に書いてみたやうです。
成功してゐるとは思ひませんが、私は結構好きだつたりします。

「脱走と追跡のサンバ」、71年だつたんですねえ。
そんな昔のことだつたかと、あらためて驚きました。

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