13日午前0時44分。
何故か私は螢池で下車してゐた。
ホームで驛員に尋ねたら、降りた電車が終電だといふ。
仕方なく、私は驛を出て、國道176號線を歩き始めた。
幸ひなことに、すぐタクシーを拾ふことが出來た。
自宅が近づいて、ザックの中から財布をとり出さうとしたら、財布がない。
いつたいどうしたことだ。
やむなく、タクシーに待つてゐて貰ひ、家に入つて1萬圓札をとつて來て代金を支拂つた。
13日午後5時。
私は、最後に飮んでゐた店に電話をかけた。
午後5時にオープンし、翌午前3時までやつてゐる店だ。
しかも年中無休。
しかし、呼出音はすれども誰も出ない。
午後8時までの3時間、私は10分から20分おきに電話をかけた。
さらには午後11時。
そして本日午前1時。
誰も出ない。
いつたい、どうなつてゐるのだ、この店は!
財布をなくしたとすれば、可能性は2つ。
1つは、この最後に飮んだ店。
勘定を拂つた後で、コートを着るなどしてゐるうちに財布を置き忘れたといふケース。
もう1つは阪急電車の中。
いかなる状況かは理解しかねるが、とにかく車中で財布を取り出し、そのまま置き忘れたケース。
後者は考へにくいので、ひたすら最後の店に電話をかけたわけだ。
この店には電話が通じない。
とすれば、あとは直接出向いて確認するしかない。
私はその覺悟を決めた。
本日午前8時30分。
店に行くのは午後5時以降になるので、その前に念のため阪急の遺失物センターに電話をした。
電車の中で財布と小錢入れを取り出すことなど考へにくいが、あくまでも念のため。
「あのう、財布と小錢入れを置き忘れたかもしれないのですが・・・」
「どのやうな財布ですか?」
「モスグリーンの革の長財布と、黒の革の小錢入れです。あ、小錢入れは艷のある革でファスナーで閉ぢるタイプです」
「なくされたのは、いつ、どの電車ですか?」
「梅田發最終で、螢池まででなくしたと思はれます」
「お名前は?」
「仙丈です」
「はい、屆いてますよ」
「え?」
なんと!
無事に遺失物センターに屆いてゐるといふのだ!
現金もちやんと入つてゐるといふ。
これは奇跡に近い。
喜び勇んで引き取りに行つた。
現金も無事、カードも無事、コンビニのレシートまで無事だつた。
拾つた人が驛員に屆け出たのが13日の午前0時から1時の間といふことなので、カードを使ふことの出來る時間ではない。
つまり、何もかも無事だといふことだ。
我が財布&小錢入れよ、よくぞ無事に生還してくれた!
拾つて下さつたかたには、感謝の言葉もない。
名前を告げてくれてゐなかつたので、どこのどなたかもわからない。
お禮をしたくても出來ないのが殘念だ。
以前、同じやうなことがあつた時には、財布が出てこなかつただけでなく、カードで10萬圓近くもの新幹線のチケットを買はれてゐた。
カードをストップする手續きをしたので、使はれた分も補償されて事なきを得たが、イヤな氣持ちは殘つた。
日本人の道徳心は地に墮ちたか、と齒ぎしりしたものだ。
今囘はその逆で、日本人もまだまだ捨てたものではないと感動。
いや、我ながら現金なものだと呆れてしまふ。
いやいや、それ以上に呆れてしまふのは、己れの學習能力のなさである。
前囘財布をなくした(正確には泥醉して眠つてゐる間にバッグごと盜まれたのだが)のは2年半前。
わづか2年半しか經つてゐないのに、またこのていたらく。
馬鹿は死ななきや治らない、とはこのことか。
情けないなあ。
何故か私は螢池で下車してゐた。
ホームで驛員に尋ねたら、降りた電車が終電だといふ。
仕方なく、私は驛を出て、國道176號線を歩き始めた。
幸ひなことに、すぐタクシーを拾ふことが出來た。
自宅が近づいて、ザックの中から財布をとり出さうとしたら、財布がない。
いつたいどうしたことだ。
やむなく、タクシーに待つてゐて貰ひ、家に入つて1萬圓札をとつて來て代金を支拂つた。
13日午後5時。
私は、最後に飮んでゐた店に電話をかけた。
午後5時にオープンし、翌午前3時までやつてゐる店だ。
しかも年中無休。
しかし、呼出音はすれども誰も出ない。
午後8時までの3時間、私は10分から20分おきに電話をかけた。
さらには午後11時。
そして本日午前1時。
誰も出ない。
いつたい、どうなつてゐるのだ、この店は!
財布をなくしたとすれば、可能性は2つ。
1つは、この最後に飮んだ店。
勘定を拂つた後で、コートを着るなどしてゐるうちに財布を置き忘れたといふケース。
もう1つは阪急電車の中。
いかなる状況かは理解しかねるが、とにかく車中で財布を取り出し、そのまま置き忘れたケース。
後者は考へにくいので、ひたすら最後の店に電話をかけたわけだ。
この店には電話が通じない。
とすれば、あとは直接出向いて確認するしかない。
私はその覺悟を決めた。
本日午前8時30分。
店に行くのは午後5時以降になるので、その前に念のため阪急の遺失物センターに電話をした。
電車の中で財布と小錢入れを取り出すことなど考へにくいが、あくまでも念のため。
「あのう、財布と小錢入れを置き忘れたかもしれないのですが・・・」
「どのやうな財布ですか?」
「モスグリーンの革の長財布と、黒の革の小錢入れです。あ、小錢入れは艷のある革でファスナーで閉ぢるタイプです」
「なくされたのは、いつ、どの電車ですか?」
「梅田發最終で、螢池まででなくしたと思はれます」
「お名前は?」
「仙丈です」
「はい、屆いてますよ」
「え?」
なんと!
無事に遺失物センターに屆いてゐるといふのだ!
現金もちやんと入つてゐるといふ。
これは奇跡に近い。
喜び勇んで引き取りに行つた。
現金も無事、カードも無事、コンビニのレシートまで無事だつた。
拾つた人が驛員に屆け出たのが13日の午前0時から1時の間といふことなので、カードを使ふことの出來る時間ではない。
つまり、何もかも無事だといふことだ。
我が財布&小錢入れよ、よくぞ無事に生還してくれた!
拾つて下さつたかたには、感謝の言葉もない。
名前を告げてくれてゐなかつたので、どこのどなたかもわからない。
お禮をしたくても出來ないのが殘念だ。
以前、同じやうなことがあつた時には、財布が出てこなかつただけでなく、カードで10萬圓近くもの新幹線のチケットを買はれてゐた。
カードをストップする手續きをしたので、使はれた分も補償されて事なきを得たが、イヤな氣持ちは殘つた。
日本人の道徳心は地に墮ちたか、と齒ぎしりしたものだ。
今囘はその逆で、日本人もまだまだ捨てたものではないと感動。
いや、我ながら現金なものだと呆れてしまふ。
いやいや、それ以上に呆れてしまふのは、己れの學習能力のなさである。
前囘財布をなくした(正確には泥醉して眠つてゐる間にバッグごと盜まれたのだが)のは2年半前。
わづか2年半しか經つてゐないのに、またこのていたらく。
馬鹿は死ななきや治らない、とはこのことか。
情けないなあ。
これはえげつないですね
読んでてビックリしました。
タチが悪すぎる。
世の中には名も告げないシャイな善人もいれば、
ここぞとばかりに悪事に走る輩もおるんですねぇ…
あたしならきちんと届けますけど、住所と名前はバッチリ記載しますよ(笑)
一度に10萬圓までしか買へないやうになつてゐるらしいですね。
それにしてもひどいヤツがゐたものです。
それにひきかへ、今囘拾つて屆けてくれた人は天使のやうなかたです!
お禮したいんですけどねえ・・・