かごしま食文化研究会

 鹿児島県主催「平成19年度 かごしまの食文化を生かした地域づくり」受講生の情報交換ブログ

黒島の盆

2009-01-15 07:26:46 | ブログ
鹿児島民具学会 1月例会 その2

 新春の鹿児島民具学会が正月10日に鹿児島市の鹿児島中央公民館が開催された。
新春特別発表で牧洋一郎氏が「種子島の砂糖スメ」、牧島知子氏が「黒島の盆行事」、下野俊見氏が「トカラ口之島の漁具と漁法、祭礼」を発表した。

 要旨を私なりにまとめてみました。勘違い聞き違いがあるかもしれません。

2、黒島の盆行事    牧島知子 (鹿児島市)
 昨年の三島村黒島の盆行事を調査しての発表。
 三島航路の船は盆は特別運行され14日の便にはたくさんの里帰り客が多い。いつもは翌日に船は出航するが、盆だけは里帰り客のために2泊して16日に出航する。昨年も多く民宿や知人の所に泊まり込んで盆の里帰りしていた。これらの人々は先祖の墓参りはもちろんだが、盆の太鼓踊りに参加することが目的でもある。
 黒島には大里と片泊集落がある。盆の行事は両集落とも同時刻に開催していたが、昨年は両集落の交流のため、片泊が午前中、大里は夕方から開催された。

 片泊の盆行事は、14日に準備と練習を行い、15日が本番。
14日に準備は小中学校に集まって、道具の修繕と踊りの練習を行う。
15日の午前中に小中学校の校庭に集まる。集落に火之神と地の神があり、男集は二手に分かれて別々に踊る。終わったら学校の庭に再び集まり太鼓踊りを踊る。
小中学校の校庭に初盆の家庭のためにゴザが敷かれた。20年は2家族の初盆があった。このことたちの前で「弔い踊り」が踊られる。
墓地では特別なことはやっていない。

 大里の盆行事。
13日の午後、家の主人が精霊棚を家の中に作る。仏の棚は神棚より奥のしたにあるが、この時だけは神棚より上に精霊棚を作る。棚は2段になっており、下段は餓鬼のためのもの。上段には位牌を置き、ご飯2、汁物2、和え物1を1組として、2組お供えし、はぎの木の箸を添える。下段の餓鬼の分にはご飯、汁物、和え物を各1備える。餓鬼は手で食べるので箸は置かない。
14日は、唐芋と里芋を茹でて供える。
15日は、盆のまきを作って供える。餓鬼棚には供えない。
「まき」は、団子のことと思います。サネンと呼ばれる月桃の葉に包んだ盆の団子のことと推察します。
夜には松の根の芯を削ったもので送り火を焚く。
 太鼓踊りはなく、弔い踊りと、婦人の笠踊りがある。黒尾神社で踊り、初盆の家庭の庭で踊り、最後に庄屋跡の家で踊る。


 感想として、写真を2ページ分コピーして配布されたが、詳しくどこどこの分と明記してないのがあり、よくわからない。配布資料は見出しだけ記載してあり、内容の記述がないので理解できなかった。
 私は数年前に黒島を調査した。有吉佐和子の「私は忘れない」の小説で有名になった島で、私の調査時にはモデルになった人は健在であった。太鼓踊りは途絶えかけたものを古老が苦労して盛り上げた話が印象に残っている。伝承者がなかなかおられず、数少ない伝承者も体調が悪く、なかなか話してもらえなかったのを思い出した。
 正月に錦江町の調査の時、偶然大里集落の人とお会いした。私が調査当時に話していただいた方々はほとんど死亡されたととのことだった。
 大里にはたくさんの芸能が伝承されていたが、途絶えてしまい、今では弔い踊りと笠踊りだけが伝承されている。このような盆の芸能は、本土まで分布していたが、今では見ることは出来ない。
 発表を聞いて、黒島に行ったときのことを思い出した。