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物の贈り物って難しい(愚痴)

2023-10-01 | つれづれ
今日も今日とて愚痴をグチグチですよ。

今はなき(まだある?)お中元お歳暮。

古い世代だと人間関係を切るみたいな感じで、なかなかやめられないやつ。

親も本当に最後の最後までやめられず、果物やら魚やら肉やら比較的ナマモノが多いがゆえに頻繁に入院していた頃は「お前らが受け取りに行け」という感じで、1人では結局始末がつけられないので辞められないことに迷惑していた。

繰り返す。

迷惑していた!

1人や2人で暮らしてたら、そうそうに食べ物は減らないし、複数人とやりとりしていたらもっと悲惨。段ボールで積み重なっていた。
親の最後の転居時には山程お中元お歳暮を捨てた。

繰り返す。

捨てました!!

高齢になると段ボールすらも片付けるのが億劫になるうえに、辞めるという決断ですらそもそも億劫になるので、そうなる前に物を贈り合うのは辞めてメールや電話や手紙にでもしたほうがいい。

義父母にも、頼むから実家に贈るのはやめてくれと頼んで辞めてもらった。
(お願いしてからはちゃんと贈るのは辞めたそうで、施設入所や死亡時はバタバタするので本当に良かった。義母曰く「禁止されたのでちゃんと贈るのやめました」とのことで、ありがたい。)

義父母がわが家に贈ってくることについても、先の事例があったし、結局実親は財政破綻したので、本当に大丈夫なのかいな?とありがたいやら困るやら複雑な気持ち。

しかし義父母は夫に贈ってきてると思っているし夫も純粋に喜んでいるので、とりあえずそのままにしている。

今はまだ義父母共健康だから良いでしょう。

贈ってくれるものが凄く高くて自分で買わないような果物であっても、嬉しいね、おいしいね、とは思うのだけど、過ぎたるは及ばざるが如しだし、産まれて始めて物を食べたときの感動や、あるいは体を動かし続けて低血糖状態で食べる塩むすびより大きい感動はない。

ひどいけど本当。

だから本当に過ぎたるは及ばざるが如しだと思うの。

毎年の頻度は私には過ぎていて、数年(あるいは数十年)に1回旅行にいったり会ったりしたときになんぞ美味しいものを食べれば良いと思うのよね。

物の贈答は貸し借りゲームみたいだからイヤなの。

そういうわけで、純粋に喜べる人もいれば、私のように贈り物を純粋に喜べない人もいるんやで!という話でした。

なので、私は基本的にお裾分けをもらってもおくり返さない。
(結婚お祝いやら供花代やら社会通念上大人な対応が必要なやつは除く。そもそもセレモニーしない党に所属しているので、滅多にない)

お裾分けは沢山あって困ってるからくれるもんだと思っている。
相手が困っててこちらもウェルカムならもう戴くだけで善行。

お土産も旅先で思い出してくれたんやなと嬉しく思うが、ちゃんとしたのは困るので、ドリップバッグや缶詰1個くらいの小さくて軽い(値段も重さも)やつならウェルカム。

「もらったのにお返しもない」とか
「お礼に顔出しにもしない」とか
「あいつは失礼だ」なんていうのは
あなたから送っておいてなんていう罰ゲーム?みたいな気がするわけ。
こっちは貸し借りゲーム始める気はないの。

多分、私のような人はどんどん増えていて、日本の人口も減っているので、農家さんの丹精込めて作られた農産物や蔵元さんの作ったお酒が海外に輸出されているのだと思う。

だから、結果として海外の人のニーズが色濃く反映されるようになり日本人の好みの味は近いうちに減っていくかもしれない。

それも仕方のないことだと思っている。


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