神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.268 こんな人に

2024-08-20 23:57:11 | 時評
(1)きょうも不安な雲行きでした。
 夕方の散歩の時間、東はさわやかに晴れて、西は、雲の切れ間から夕陽が差し込んで鮮やかでしたが、南西から頭の上あたりまで黒雲が覆い、今にも雷が鳴りそうなでした。
 昭島市付近は、三多摩と都心部とのどちらかの天候の際になることが多いようですが、きょうは、南東・北西の気象の境目となっていたようです。 
 18:00の東の空
   
 18:00の上空から西の空
   

(2)東京都知事小池百合子氏は、今年も朝鮮人犠牲者に対する追悼文を送らないそうです。
 前に、No.114でガルブレイスの発言を引用しましたが、この社会は、底辺労働者なしには成り立ちません。その一つが外国人労働者です。戦前の日本には中国人や朝鮮人が多数いました。私が研究している御料地にも、朝鮮人がいたことがわかっています。そして、どういう理由であれ、その人たちが被害を被ったわけです。
 始球式へ行く行かないは自由意志でよいですが、犠牲者に追悼の意を表するは行政の長としての礼儀です。首都の長が礼を失しては友好関係は危うくなります。

(3)【コレクション 63】
 与野党の党首選挙が始まりました。
 政党というのは、政治目的を達成するためのものです。ですから、一丸となって取り組むのが前提のはずなのに、事実上の派閥を前提にして挙党体制を築くなんて変です。
 もし、サッカー部の中にラグビー愛好クループ・バスケットボール愛好グループ・ハンドボール愛好グループがいたとしたら、どんな試合ができるのか、ちとワカラン・・・でしょ。
 寄り合い所帯なのに、サッカー部だといってきたのが本当のところで、今度も、ラグー派からバスケ派へのたらい回し・・・、まあヒドイもんです。
 自民党は政権党ですから、その党首は首相になり、国民生活に影響を及ぼすので、話題になるのは当然としても、ことは自民党の内輪の話しです。トップを選ぶのに、いちいちを外の人に吹聴するなどは迷惑至極。中で静かにやってもらいたい。
 そもそも、選挙の自民党の得票率は、小選挙区で有効投票〔投票した人の〕の50.1%、全有権者の26.3%です。比例区では18.9%です。これで40.9%の議席を取っているだけですが、つまり、国民の2割程度しかないのです。岸田さんの支持率だってそんなもんでしょ?いつまでも付き合ってられません。
 ところで、下馬評に上がっている人は「憲法」を守りそうですか。
 私は、これを主眼に見ています。

 きょうは、『資料 日本国憲法』(全5巻)のパンフです。
   
 大きさはA4判、4㌻です。
 全体は、横長A4判3枚分の紙を、最初に左の3分の1を、次に右の3分の1を折り込むとできます。
 全体は、
 1㌻ 上掲
 2~4㌻ 全巻の構成(収録全資料)
   *私は、資料として取っておきましたが、これを何人が見るか疑問です。
 5㌻ 刊行にあたって 内容見本
 6㌻ 装丁見本 本書の特色
    刊行案内 B5判 平均640㌻ 定価 セット6万円(分売不可)
         61(1986)年2月
 以上です。
 この憲法がのおかげで戦後日本があったことを否定する人はないでしょう。

【コレクション 64】
 もう一つ、「こんな人になりたい」百科のパンフです。 

 

 大きさはA4判、4㌻です。
 全体は、
 1㌻ 上掲
 2~3㌻ 内容見本〔例:ファーブル〕
      掲載人物名〔156名〕
 4㌻ この本の特色 ほか  

 このパンフの楽しいところは、この1㌻目のようすです。
 本を買う買わないもありますけど、持っていたいと思うパンフっていいですね。
 でも、この中に皆さんがなりたかった人はいますか?
 
 きょうはここまで。

    
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No.267 田沼武能 

2024-08-20 00:01:34 | 写真
(1)もう8月下旬に入ります。
 昔、我々が小・中学校の頃は、夏休みはたしか8月25日まででした。ですから、今の時期になると、宿題とか「自由課題」も気掛かりでしたが、それよりも何よりも、なんで25日までなんだ、まだ暑いのに、なんで9月1日からでないんだと思ったものです。
 もっとも、小学校の頃には、勉強といえば学校でやる授業だけで、家では予習どころか復習もやることはまずありませんでしたから、親からすれば、早く学校が始まった方が、いくらかでも勉強の機会が増えるうえ、おまけに手が離れので都合がよかっでしょうね。

(2)ところで、子供に関するパンフレット・チラシが出てきましたから、いくらか紹介することにします。きょうはその1点目、田沼武能写真展のチラシです。

【コレクション 62】
 これは「地球星の子どもたち ー世界103カ国の瞳 田沼武能写真展」のタイトルで、1994年1月29日~2月20日に東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで行われた際のチラシです。大きさはA4判です。裏表を載せておきます。

 表


 渡辺崋山の絵に「一掃百態」がありますが、寺子屋での子ども奔放な様子を描いた1場面を思い出します。
 *『渡辺崋山』(吉澤忠著 東京大学出版会 1972年)

 つぎの裏面の冒頭に「子供は地球の鏡である」と書かれていますが、この子供たちが未来を背負うんですね。というよりも、健在ならば、このたちはもう30~40代でしょう。

 たぶん全部読めるでしょうから、急がずに読んでみてください。
 時間がない人は、下の方にある田沼さんの自筆の一文だけでも読んでみてください。

 裏

 今日はここまでです。
 時間のある人は、落穂拾いの写真をご覧ください。

(1)ムラサキシキブ
 もうちょっとすると、実が紫に変わります。
   

(2)ウグイス
 私の右手の藪から飛び出して、左の木の中央の枝に泊まり、こちらを振り向きました。
 いつもはウグイス語で話す親友ですが、きょうは「無言の別れ」でした。
    

(3)シオカラトンボ
 きょうは、めずらしくじっと動きませんでした。 
    

(4)きのうの南西の空
   
 
 きょうはここまでです。
 ああ、そうそう、夏といえば、
 院生になって、研究の余暇に、ふと家の垣根のイモムシに興味を持ち、夏の間ずっと朝から晩まで観察をしていたことがあります。
 観ていると、垣根の葉っぱをどんどん食べて、仕舞いに紫色に変色して、羽化するころになると地中に潜って行きました。
 夏が終わって、先生に
 「この夏は何をしていたの」
 と聞かれたので、丁寧に上のことをお話ししましたが、一言もありませんでした。
 ・・・自分の姿勢は今も同じです。

 これでホントに終わりです。うふふ。
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No.266 国策

2024-08-19 00:56:27 | 文書・文献
(1)きょうは、NHKスペシャル「サイパン玉砕から80年 発掘・米軍の録音記録」を観ました。
 戦争というのは、どんな美名のもとにおこなわれようとも、結局、現場では殺し合いになる、殺され合いになる、ということですね。
 文明開化を歌った日本が、なぜあのような迷妄・閉鎖的な考えのもとに戦争に走ったのか、なぜ日本国民は戦争を止められなかったのか、もっともっと考える必要があるように思います。
 このことは、今のロシアはなぜあの戦争をやめられないのか、イスラエルはなぜガザの爆撃をやめないのか、ということとも通じます。
 ほかにも、なぜ岸田内閣は、農業や中小企業対策より格段に多い防衛費をさらに倍加してアメリカと一体になって軍事的対応をするのかというのもあります。なぜ大阪万博をやめないのか。なぜカジノをやろうとするのか。カジノで経済発展・振興策など失敗例は韓国にすでにあるのに・・・。
 人間は、こういうばかばかしいことから解放されるようにするためには、「イヤだ」という声がもっともっと必要です。

       
      きょうの月
      〽月々に月見る月は多けれど 月みる月はこの月の月

【コレクション 61】
 きょうは、『日本産業史』です。

 
 大きさは、A4判、4㌻です。
 全体は、
 1㌻ 上掲
 2~3㌻ 特色 内容案内 主要目次
  4㌻ 宣伝・広告 定価71400円 B5判 2400㌻ 全3巻 2011年
    (定本)『昭和産業史』(東洋経済新報社編・刊 1950年)  

 内容・体裁は以上ですが、このパンフは大変興味深いものです。
 2㌻目の冒頭で、
 「なぜ日本は太平洋戦争へと突入したのか。/終戦後の復興過程で、〔戦争経済から〕産業構造をどのように変化させたのか」と問うています。
 そして、「序」から次のように引用しています。
 「この第1巻の特色は・・・従来極秘に付されていた諸資料をも駆使して、砿業、重工業、化学工業、及び特に軍需工業の全貌を明らかにした点にある。・・・本書刊行の目的は、過去における我が国産業の構造及び組織を正確に知ることにあるが、そのためには、過去における我が国軍需工業の実体を明かにすることが、ぜひとも必要である。」

 19・20世紀の経済を見るとき、とくに日本やドイツなどの経済を見るときに、先進国である英・仏・米との対抗関係から、富国策として国家財政を通じて急激に大規模企業化してくるところがあります。日本の場合は、それを契機として三井・三菱・住友・安田などの銀行をバックにして、様々な事業体傘下に抱えたコンツェルン型の財閥企業体に発展します。そして、国策事業として遂行する政策をとらせようとします。そして、日本の戦争はそういうことが背景にあって、それが市場争いに発展しての結果ということがあります。
 これは、日本だけの特徴でなく、各国とも、国内・国際資本競争の結果、淘汰されないように大独占企業体を形成します。そうすると、先日の防衛省と某企業の接待・癒着のように、裏表で一体化が狙われ、資本の設備である、道路や港湾などを自前で整えるのでなく、国家の経済政策の一環としてなされるようになります。そして、今日では、先進国の産業振興策といえば、得てして大企業のための産業振興策が中心に据えられるようになっていま。そうすると、そのために、国民が必要とする生活基盤整備や社会保障費、農林水産業振興や中小企業対策などの、比較的声の小さい分野の資金が削られるのが普通です。
 税金も、大企業の法人税や、高額所得者の所得税が引き下げられ、代わりに広く薄く〔つまり人口の多い低所得者から〕徴収する租税政策が取られるようになります。
 おっとっとっと~、だいぶ脱線しました。
 きょうはここで。

      
       きょうの西の空

  
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No.265 瀧川事件 

2024-08-18 00:42:43 | 時評
(1)山の遭難事故が多発しています。他人事ではありませんから、ニュースは注意して見ますが、「滑落して死亡」という状況報道だけのことが多く、本当の事故原因は不明なことが多いですね。
 はっきり言って、カネと時間さえあれば、ほとんどだれでも2000~3000m級の山に登れます。そして、ステーキをたべながらバッハを聴いたり、ピアノが弾けるところもあります。山小屋もそういうニーズに答える経営を迫られている実態もあるようです。
 でも、結局は自分です。お互いに気をつけましょう。
 山は生きて帰ってこそのものだねです。

    
     きょうの月

(2)きょうは、21:00からNHKスぺシャル「「一億特攻」への道」を見ました。
 4000人もの20才前後の人が、成績で選別されて?、最初は主にフィリピンなどでの戦闘のために、のちには沖縄戦をめぐって特攻に投入され、最後は、戦闘機の製造が間に合わないために練習機で、ムザムザ死地に追い込まれたそうです。しかも、無謀な戦争を有利に終わらせるために「一撃を与える」という戦争政策のために、です。

(3)番組では、特攻で亡くなった人の中に「結婚後まもなく」という人がいたことが取り上げられてました。
 ご遺族がツー・ショットの写真を紹介されると、ディレクターが、「この奥さんはその後どうされましたか」と問うと、「自決しました」と苦しそうに答えました。。
 
(4)ちょっと話が飛びますが、きのう紹介した昭和30〔1955〕年以降のマンガ・テレビ番組で「正義」という言葉がよく使われてました。正義の味方とか、ですね。これはよく知られていますが、歌謡曲などでも非常に多くの恋愛ものが歌われ、ドラマ化もされました。そこには、青春を歌うとか、古いものに苦しむ姿を描くとか、封建的なものから決別するなどの気風が感じられるところが多々ありました。
 なぜ、このころの新しく起きてきた日本の文化がこういう傾向を持ったのか疑問に思ったことがありましたが、これは、戦前・戦中に青春時代を過ごしてきて、しかも自分たちは実現できなかった層〔我々の親の代、大正~昭和初期の人たち〕が理想を、子の代である我々に託したものかもしれません。
 一部には軍歌を歌って「ゆがんだ青春の傷」をなめ合っていた人たちもいましたが、やはり、大半は自由で明るい青春の方を選んだということでしょう。

(5)それから、23:00からNHK「ETV特集 昭和天皇・秘められた終戦工作」を見ました。
 これについては、「天皇の決断の遅さのために国民に多大の犠牲を強いる結果になった」という従来の味方の深化、と思いましたが、同時に、自分の御料地問題との関係では、「天皇が主権者で、神聖不可侵」というところが問題視されないところに疑問を感じました。
 つまり、天皇は主権者だけれども不可侵〔無答責〕の建前をとる、言い換えると、天皇は自分で任命だけしてあとはお任せ。しかも、行政・外交・軍事とバラバラ。こういう状態は、任命されたものが、自我や組織のエゴを発揮しないうちは収まりますが、ひとたび混乱し始めれば、だれがその責任をとるか、だれが収集するのかということになります。

(6)じつは、私の専門の皇室財産がそうです。
 皇室財産は天皇の所有です。しかし、たとえば、御料地の境界問題などで係争に発展すれば裁判になります。その時に、その土地の境界について所有者である天皇が裁判所に出廷するかというと、もちろんそういうことはありません。天皇は、民間との係争〔利益を争うこと〕には関わりません。ではどうするかというと、宮内大臣をその代表者とする財団に委託して、その財団の代表である宮内大臣がその民事などの責を負うということになります。
 御料地の所有者は天皇ですが、天皇には民事上の責任が及ばない〔及ばせない〕、つまり、天皇は所有者ですが、その問題から生ずる問題には無答責=不可侵、民間と争うわない。問題が生じれば、最終的には、任命された宮内大臣が責任を負うわけです。
 結果として、皇室財産問題で宮内大臣が出廷するような事態はありませんでしたが、昭和天皇が、宮内省が御料林を所有する必要があるかを「下問」したというようなことはあります。自分のものだとされていながら、自分が持つ必要があるかと問う事態は、やはり日本の戦前の体制の問題点です。

【コレクション 60】
 きょうは、『瀧川事件 記録と資料』です。
    
 
 大きさはB5判で、B4を二つ折りした4㌻です。
 1㌻ 上掲
 2~3㌻ 推薦のことば 佐藤幸治 京都大学名誉教授
      本書内容と内容見本
 4㌻ 内容見本と装丁見本
    刊行案内 B5判 868㌻ 定価1万円 世界思想社 
 この本は、上記1ページにあるように、「当時の朝日新聞による記事を中心に」瀧川事件の全貌に迫ることをめざした本です。
 最近の日本では、菅政権の時に、学術会議員の任命の問題で政府の干渉がありました。
 戦前も今も忘れてはならないのは、「学問の自由」や「大学の自治」について行政からの干渉があるときは、それは政府が邪魔だと感じたときだということです。
 治安維持法などによる自由な言論の弾圧が、あの戦争を許した背景だったということです。 
 ではここで。

    
     きょうの西の空
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No.264 残影

2024-08-16 23:41:50 | 
(1)この連休に山の遭難事故が12件あったことを昼ごろの検索で知りました。その中には、白馬岳の近くの鑓ヶ岳〔やりがたけ〕や、最終日に降った柏原新道での事故も含まれていました。この2ヶ所についていえば、いわゆる難所ではありません。でも、そういうところの方がうっかりしやすいものです。気の毒としか言いようがありません。

(2)さて、落穂ひろいを2つほどしておきます。
 ひとつは、次の写真です。

 これは、最終日に冷池〔つべたいけ〕山荘を出て爺ヶ岳に向かう途中で右〔西〕方向を見たものです。朝なのではくっきりしません。
 奥に聳えるのが劔〔つるぎ〕岳で、右下に隠れているところが「十字峡」です。
 十字峡は、向こう側の山の間を流れてくる沢、手前から向こうへ流れる沢、左の黒部ダムから流れてくる沢が合流する所です。この川下方向に欅平・宇奈月町などがあります。
 私は、新田次郎『剣岳<点の記>』を読んで、測量に関わりのある山だからぜひ登ってみたいと考えていますが、実現できていません。木曽の御嶽山、剣岳、尾瀬の3ヶ所は、それぞれなんどか計画を立てたことがありましたが、その都度なにかと障害が起こってしまい、不思議と縁がありません。

(3)もう一つは、次の写真です。
 これも、上の写真と同じく冷池山荘を出発してまもなくころ撮ったものと思われます。
 手前左が爺ヶ岳、向こうに見える連山の、左はしの単独峰が蓼科山、その右が八ヶ岳連峰、尖っているのが赤岳、平に見えるあたり甲斐駒、かなあ・・・ところです。
 自信がないので、雰囲気だけ楽しんでください。
 もう帰るばかりの安心感からか、爽快だったことをよく覚えています。


(4)ところで、ダーク・ダックスが歌っていた『いつかある日』という歌があるのをご存じですか?
 手許の歌集では、7番まで出ていますが、とりあえず4番まで引用しました。
 1.いつかある日 山で死んだら
   古い山の友よ 伝えてくれ
 2.母親には 安らかだったと
   男らしく死んだと 父親には
 3.伝えてくれ いとしい妻に
   俺が帰らなくとも 生きて行けと
 4.息子たちに俺の踏み跡が
   故郷の岩山に残っていると

(5)60代の頃でしょうか、私が教えに行っていたところに、山が好きだという30才前くらいの若い人がいました。年齢の割に山をよく歩いているらしいことがわかったので、話すのを聴いていると、突然、自慢そうに「山で死にたい」と言いました。
 一瞬、戸惑いましたが、よくそういう発言をする人がいることを思い出しましたから、話を振り切って、「山で死んじゃだめだよ」といい、「山へ行ったら必ず生きて帰らないとだめだよ。死んだら、上ったことにならない・・・」というと、びっくりしていました。
 彼は、「山で死にたい」ということがカッコつけになることをどこかで知ったのでしょう。それは聴きませんでしたが、ひょっとして、上の歌がそれだったかもしれないとも思うわけです。

(6)歌の歌詞は、岩場登りをする人の心情を歌ったもののようで、「自分の身にもしものことがあったら・・・」という趣旨です。
 しかし、読み方によっては、この歌詞は主人公の身勝手みたいな歌です。父母に、妻に、息子に、とあれこれ言っています。もちろん、「万が一を考えて遺言して置く」のはありですから、そこは譲歩しましょう。。
 しかし、遺言書のようなこの歌を、著名な歌手が歌番組で歌うとか、歌声喫茶のようなところで皆で歌って「仮想の悲哀を味わう」というのはどんなものでしょうか?
 考えてみれば滑稽です。
 山は無事に帰ってこそ楽しいものです。お互いに気をつけましょう。 

【コレクション 58】
 きょうは、「戦後の山村」です。


 大きさはA4判で、この1㌻だけですべてです。裏は白紙です。読めると思いますから読んでみてください。私はこういう雰囲気の中で育ちましたから、まったく違和感を感じません。むしろ、古き良き時代とさえ思ってしまいます。
 時期は昭和30〔1955〕年代、場所は秩父の山村、写した人は学校医だった人です。

【コレクション 59】
 上のものと対比できるパンフがありましたから、もう1枚行きましょう。
 これもA4判で、こちらは裏表1枚です。
 まず表側です。なお、上の方が切れているように見えますが、こういうデザインです。
 
 東京タワー直下のようすを見ると、わが家の真上に東京タワーが建設されてでもいるかのような錯覚に陥ります。バブルの頃の地上げ前の六本木でも、裏の方にはまだいくらかこういう雰囲気が残ってましたね。

 それから、裏側です。


 こういうチラシは捨てられません。カラーならばもっと良いのですが、それさえまだ望めなかった時代なんですね。
 ともかく、この辺りから、戦後が本格的にスタートします。
 日本の国民は頑張りましたね。では、国民はどう報われたでしょうか。
 問題はそこです。
 きょうはここまで。

    

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