神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.211 吉野作造

2024-06-24 23:44:42 | 好奇心
(1)【コレクション 4】
 コレクションといっても、基準を決めて整理しているわけではありません。その前に、収集といっても、本や映画のパンフレットからピンクチラシまでなんでも、いいとかおもしろいとか思ったものを持ち帰って順に箱に放り込んでおいて、気が向いた時に開けて眺める、という程度のものです。関心がなければガラクタ同然のものです。
 この紹介にあたっても、出てきた順に載せるだけで、とくに意図や目的はありません。説明も、いくらかの気が付いたことを記す程度です。「こんなのがあったのか」と思っていただければ、というまでのものです。

(2)きょうは、『吉野作蔵選集』出版のパンフレットです。

   
    B5判大

 刊行は、1995年5月10日に第1回配本(第12巻)があり、これ以後、毎月8日に順に刊行されたようです。中に、次の4氏の推薦文が寄せられています。
 武田清子(国際基督教大学名誉教授)
  「土着的デモクラシーの根を培う」
 鶴見俊輔(哲学者)
  「日本にむけるまなざし」
 宮崎 勇(大和総研理事長)
  「吉野を「読む」ことの意義」
 樋口洋一(東京大学教授)
  「吉野作造との出会い」
 
(3)吉野作造に関してはは思い出が2つあります。
 ひとつは著作です。高校3年の日本史の授業の時だったかと思いますが、吉野の代表作である「憲政の本義を説いてその有終の美を済すの途を論ず」が出てきました。
 今日では上の『選集』がありますし、その前に昭和50(1975)年に7月1日に次の岩波文庫が刊行されていますが、当時はまだこういうものはまったくありませんでした。

   

 ほかにも、運が良ければ、古書が手に入ったようですが、私の高校時代は上の2点ともまだ出版されていなくて、図書館でもうまく見つかりませんでした。それでやむなく、最初に掲載された雑誌の『中央公論』社に手紙を書いて入手方法を問い合わせたところ、すでに絶版で如何ともしがたい旨の懇切な返事が届きました。その時の手紙はまだとってあるはずです。

(4)もう一つは、以前、「No.96 米山行」の前後で書きましたが、仙台の北にある旧御料地を調べに行った時のことです。(地図は前のものをご覧ください。)
 この地域へ東京方面から行く場合、東北新幹線の古川駅で下車して石巻線で行くのが便利です。そこで、古川に拠点を決めて、歩いたり、ミニサイクルで回ったりしました。
 その折の、2007年4月8日、古川の吉野作造記念館に行きました。場所は検索でお確かめください。すると、予期せぬことに、ちょうど企画展をやってました。次のチラシはこの時の企画展のものです。

   

 チラシの左上の人物は憲法史家の鈴木安蔵(1904-1983)です。
 そして、企画展のために小冊子「吉野作造と日本国憲法―施行から60年ー」(A4判大8ページ)が作成されていました。
 これは大変良くできていて、読んだところ、「Ⅱー2 最後の弟子・鈴木安蔵」というタイトルが現われきて、吉野作造と鈴木安蔵のつながりに驚かされました。
 これによると、鈴木の妻(俊子)の父(栗原基〔もとい〕)が吉野の旧制高校時代の友人であり、その仲介で「お茶の水文化アパートメントで会った」、「3日後に肺結核で入院することになっていたにもかかわらず、吉野は鈴木に親切に対応した」とありました。
 そして、その後、吉野は、面会謝絶にもかかわらず、伊藤博文の憲法調査や元老院が作成した憲法草案について鈴木に話し、必読文献を紹介し、「鈴木は吉野から示唆された方法に従って研究を進め」、著書『憲法の歴史的研究』(大畑書店、1933年)にまとめた、とありました。
 つまり、吉野の憲法論は鈴木安蔵を通じて戦後の日本国憲法につながっているというのです。本当に感動しました。   
 
(5)なお、鈴木安蔵については、次のものがあります。
 『鈴木安蔵先生から受け継ぐもの 鈴木安蔵先生生誕百年記念シンポジウムの記録
(発行日:2005年12月20日、発行者:金子勝、非売品)があります。

 パンフレットの紹介は前座のつもりだったのに、それで手いっぱいとなりました。
 前座が真打に昇格?
 きょうはここで止めます。
 
   
   きょうの西の空

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No.210 『私の大学』 

2024-06-24 00:30:32 | 御料地
(1)【コレクション 3】
 あちこちに出かけたとき、宣伝や案内などのパンフレットが置いてあることがあります。そういうものの中には興味深いものもあったりするので、いそいでいなければだいたい見ます。そして、「いいな」と思ったものはもらってきて積んでおいて、あとからゆっくり見て楽しんでいます。雑古紙として処分してしまうものもありますが、思わぬ人が推薦者として登場していたりすることがあって、捨てがたいものが見つかることもあります。たとえば、次のものです。

   

 大きさはB5判です。どんな本かと興味を搔き立てられます。印象的です。
 このパンフレットをとってある理由は、もちろん、秩父事件に関心があるからですが、それとともに、家永三郎・遠山茂樹・江村栄一の各先生が推薦文を寄せられているからです。残念ながら、それをここに乗せるには場所が足りません。
 本について、写真の身を上げておきますから、県立図書館のようなところならあるはずですから、検索してみてください。

   

 なお、江村先生については、このブログのNo.44に相当する1月8日のあたりでも言及しました。

(2)このあと順に、いくらかほかのパンフレットも紹介する予定ですが、パンフレットがあること自体が気が付かないことも多く、ましてやそこに書かれていることなどを知る機会がないということが多いと思います。
 遊び心で、パンフレット集のような企画を受けてくれるところがないかなと思うので、その宣伝も兼ねて、このあともめぼしいのを紹介します。

   

(3)先日紹介した『言論』の関連ものです。棚から次のものが出てきました。
 『私の大学』というタイトルはゴーリキーの同名の作品を彷彿させますが、創刊は昭和21(1956)年2月です。
 手元には創刊号から6号までがあります。どの号もB5判大、50ページほどです。

   

(4)この雑誌の3号から井上清氏が農地解放関連の記事の掲載を始めていますが、上の5号で10ページに及ぶ長大なものを「皇室の小作人」のタイトルで書いています。5号は21年5月の発行です。内容は、栃木県の真岡地方にあった御料農地の実態を扱ったものです。
 御料農地は、おもにこの栃木県と北海道にありました。情報公開法によって宮内公文書館所蔵の帝室林野局の文書が見られるようになり、いくらかその実態解明の動きが出てきていますが、いまでも詳しいことは未解明で、私も『御料局測量課長 神足勝記日記』で手いっぱいで、文書収集には努めているものの、集めた文書の読み込みでさえ不十分な状態なので、井上氏の論稿には不満はあるものの、いまは言及を控えます。
 とはいえ、戦後の早い時期に、どのような調査に基づいて書かれたものかはまだわかりませんが、それも含めて重要な動向なので注目して読みました。研究される人は、ぜひ一読されたい。

 欲張って書いたのがあだとなり、きょうもまたかなりが消えいてしまいました。
 ようやくここまで修復できたので、終りにします。では。

     
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