神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.446 圓通寺の桜 

2025-03-31 00:01:36 | あそび
(1)きょう、思い切って八王子市高月にある圓通寺まで桜を見に出ました。

(2)3月21日に様子見に行ったときはまだ蕾〔つぼみ〕でした。それからかれこれ10日近くがたっています。もうそろそろのはずだと思うと、昨年はうまく咲かなかったために見られませんでしたから、妙に気がせいてきました。外はきょうも思いのほか寒く、ひょっとしてまだではないかと一抹の不安がよぎりましたが、あすからは曇・雨の天気予報でしたから、「行けば何かはある」と決断して出ました。

(3)途中、お目当ての街中の桜は見ごろでしたが、多摩川沿いはまだ1分もない状態でした。 それで、「高月の桜を見られるかは、カケだな」と思いつつ拝島橋を渡ると、雲が多くて残念でしたが、途中の運動場の近くも満開を思わせる豪華さでした。
 いつものように秋川縁を土手沿いに向かうと、見えてきました。
 下の写真の、正面が圓通寺、その右の桜が境内の桜。
 手前の桜も見事です。ちなみに、右に金網の塀が見えます。ここが、現在は「高月集会場」、かつての「高月分教場」です。祖父の兄の日暮英也はここで30年間教鞭をとりました。

   

(4) もうちょっと近づきましょう。山門右脇の駐車場からです。
   

(5)山門を入ってすぐ右に見た桜です。
  

(6)No.440で載せた3月21日の写真をもう一度お見せしましょう。

   

(7)最後に今日の桜です。
 晴れていればもっと華やかに写るはずですが、この先の天候を考えると、これが今年のもっともよい状態と思われます。〽花の命は短くて・・・。
 なお、No.137で昨年の状態を載せています。

    

(8)帰りに秋川縁で見た鳥です。
 先日テレビで見て名前を覚えたのですが、もう忘れてしまいました。
 う~ん!トリという名の鳥かもしれません・・・?
   

【コレクション 203 パブロ・ネルーダ マチュ・ピチュの高み】
 このパンフの大きさは、A4判4㌻です。A3判の用紙を二つ折りしてできています。
 これは、本だけでなく、ネルーダの朗読、訳者による訳詞の朗読です。
 1㌻ 下に掲載 
 2㌻ 解題・解説 矢内原伊作 ネルーダと竹久野生
 3㌻ 竹久野生の抽象画
 4㌻ 下に掲載 体裁ほかが書かれていますから、説明は略します。

       1㌻
 

      4㌻


 以上です。
 今日はここで。
 
   

 多摩川へ行ってイヤなのは、「まむし注意!」の看板です。丹沢でも奥多摩でも見ました。
 「クマ出没注意!」なら、鈴を持つとか、歩きながら咳払いをするとか、何らかの対策が取れますが、まむしなどはどう対処しろというのか。いるかもしれないと、びくびくして歩けということか?
 ともかく、今日はまだ安心して入れましたから、いつもとは違ったところを歩いてみました。
 晴れていれば、正面の右に大岳山が見えるはずです。
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No.445 ふりをしない

2025-03-28 23:53:01 | 余録
(1)きのうのコレクション『マルクス経済学レキシコン』の編者・久留間鮫造先生のようでありたい、あるべし、そう思っています。ことマルクスの著作を読むに於てはそうです。
 しかし、これは「盲信」ということではありません。わからないことはわかったふりをしない、勝手な判断や読み込みをしない、ということです。

(2)おもしろいことに、たとえばマルクスの代表作である『資本論』について、今年になってある哲学者?が自著で示した解釈について新聞に登場していました。それから、昨年もなにかの賞を取ったという若い人が本を書いていました。そこでいろいろなことが言われていました。でも、私には、その人がそう思っているだけとか、そういうのは「勝手」くらいにしか思えませんでした。

(3)マルクスはもう100年も前の時代の人です。そもそも無謬ではないでしょうし、時代の限界もあり得ます。その批判はありえます。しかし、気をつけなければならないのは、マルクスに対する自分の無理解を常に警戒することです。
 たとえば、「マルクスが言っていることが自分の感覚と合わないのは、マルクスが、ではなく、自分が理解できていないからではないか、いや自分が間違っているからではないか」ようにです。私から見て、この精神が久留間先生の基本だと思います。

(4)通常、半可通の人ほど、マルクスが云々といいます。
 いまテレビに物知り顔で出ている人がいますが、この人は、『資本論』について解説して、「もっと簡単に言える」といいました。そうなら、「それでやって見せてくれ、現代を解明してみせてくれ」と言いたいところです。こいうように、これまでマルクスに凭〔もた〕れてマルクスの批判をいうのが普通にありました。
 そもそも、学生であった私が『資本論』全3巻を「通読」するだけのために、かれこれ2年かかりました。これは内容理解とは別です。ゼミで1巻を読み通すのでさえ1年では大変です。そういう『資本論』を、解説本でなく、そのものをぜひ読んでほしいものですが、実際は読み通すことさえたいへん膨大な本です。

(5)その本のどこかを読んだ人が、半可通のままなにか主張すると、他の半可通がこれを批判し、するとまた第3の半可通がこれを批判するというように「議論」が活発化します。すると、ああでもない、こうでもない、いややっぱりこうだと主張しあった人々が本を書き、やがてその分野の有名人ができるというのがとかくの構図です。
 まあ、「わかんない人」が書いた本を、入門者とか「わかんない人」がわかりたいと思って読むけど、やはりわかんない・・・。これがこれまで見てきた論争です。

(6)そうなれば、当人は有名人になり、出版社は儲かります。その一方で、読者はいい面の皮・・・。
 ある時、出版社って武器の世界の「死の商人」みたいなところがある、と思ったことがあります。つまり、あおって儲ける・・・。結局は紙くずばかり・・・。新聞広告を見ているとそう見えませんか?
 嗚呼。

   
    赤い花 先客あり

【コレクション 202 レオナルド・ダ・ヴィンチ】
 レオナルド・ダ・ヴィンチの全作品・素描集です。
 このパンフの大きさは、A4判4㌻です。A3判の用紙を二つ折り急いてできています。
 きょうこれを見てふと思ったのは、ホキ美術館の収集作品などで話題になっている細密画との違いです。
 最近の細密画は、感覚的・印象的に捉えられた日常のある場面を精緻に描こうとするものです。ざっくり言って、写真と見まがうほどに精緻に描いて観客を圧倒することに主眼があります。精緻だということそのことで話題性が呼び起こされればよいのだと思います。ですから、描く対象やテーマは、腕前を証明・発揮できる対象ならば、とりあえずは構わないわけです。描く場面に時代性とか、自分が絵を描く葛藤が意識されているわけではないともいえそうです。
 これに対して、ダ・ビンチの作品も細密ですが、その精緻さには彼の思想・問い・時代性が込められていて、それが観る側の感情・感興を奮い立たせ、作品の中に引き込みます・・・。ダ・ビンチの描いている精緻さは、単なる現実のある場面の正確描写ではなく、彼の思想・問いがそこに表わされたものといえばよいでしょうか。
 というようなことで、今日は、ああでもない、こうでもないと遊んでしまいました。
 
 全体は、
 1㌻ 下に掲載
 2㌻ 装丁見本 刊行案内 696㌻ 26,250円 
    内容紹介 第1部:手紙・契約書・日記・書類
         第2部:全絵画作品紹介
         第3部:素描・ドローイング・スケッチ
   著者紹介:フランク・ツォルナー 1956年生。1996年よりライプチヒ大学教授。 
        専門は中世・ルネサンス美術史。
        ほか略。
 3㌻ 本文見本 下に掲載
 4㌻ レオナルド・ダ・ヴィンチの肖像 短評 
    発行元:タッシェン・ジャパン 1998年  
 
       1㌻


        3㌻


 それから、もう一つ。
【コレクション 203 レオナルド・ダ・ヴィンチ展】
 こちらは、六本木ヒルズでのレオナルド・ダ・ヴィンチ展の1枚もののチラシです。上のパンフと一緒に保存してありましたから、載せておきます。もう説明はいらないでしょう。
     
       表側


      裏側

 以上です。
 今日はここで。

    
      黄砂に霞む多摩川の春 (27日15時)
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No.444 教訓にはなるかな!

2025-03-28 00:52:06 | 雑評
(1)山林火災、現場はどうなっているのでしょうか。宮崎県は終息のようですが・・・。

(2)明日から雨が降るようですが、その雨は10mmとか30mmといっていて、どれほど効果があるのか心もとない。いまの時代に雨乞いは変ですが、しかし当事者の胸の内は雨頼みの心境なのではないか。まだ人工降雨という話は聞きませんが、なんとも歯がゆいかぎりです。

(3)先般の大船渡の山林火災以降だけでももう何日も火災のニュースを見ました。
 見ていて思ったのは、やはり子供の頃に出った火災のことです。これについてはちょっと前に書いたのでダブりますが、もう70年近くも前のことです。
 あの頃は、私が育った群馬県藤岡市には常備消防署がありませんでした。いまのような常備消防署ができたのは、小学校に上がってからの1~2年生の頃に、いま消防署がある宮本町に新設されと思いますから、昭和33~4(1958~9)年です。
 その以前のことはわかりませんが、私が記憶しているのは、祖母の実家の公民館に、江戸時代以来の喞筒〔ポンプ〕車がありました。これは、大八車の上に水桶とシーソー式の喞筒が載っているだけのものです。

(4)火事が発生したとわかると、誰かが火の見櫓に上がって半鐘を鳴らします。一方、消防団がポンプ車を引き出して消化に向かいます。しかし、シーソー式のポンプですから水圧が足りず、ホースを長くするには限界があります。水も、まだ水道はありませんでしたから、鶴瓶〔つるべ〕井戸からくみ出します。しかも、今のようなポリバケツはなく、金属製のバケツがあったと思いますが、まだ木の桶も現役でしたから、それで水送りをしたわけです。
 近くに農業用の用水路がありましたが、それができたのは、その火災より前だったか後だったか記憶がありません。

(5)オット脱線しかかりました。
 そういう遅れた状態でしたから、火災が発生して初期消火に失敗してしまえば、発生元はまずまあ全焼は免れません。ですから、火消しというものの、延焼を防ぎ、できる被害を限り小さくするというしかなかったのではないでしょうか。
 
(6)何が言いたいかというと、火災が発生すると、もちろん消化もしますが、それよりも延焼防止策を取り、同時に、周辺住民は避難してしまうのではなく、家財道具家から運び出して避難させ、藁屋根から吹きあがって落ちてくる飛び火を自力で防いだということです。
 小学校1~2年生だった私は、叔父や叔母が運び出して来る家財道具の間に濡れ雑巾を持って消したものです。

(7)あの火災のニュースを見ていると、火が近づくと、避難指示のアナウンスがあり、周辺の住民の皆さんは安全なところへ避難して〔させられて〕、あとは、「プロ」の消防署や消防団に任せろとなっているようです。しかし、その消防団員は、出来合いの地図で現場確認をして消火活動をしています。机上で消化を指揮しているようです。市の消防団員が恒常的に近隣の山を踏破しているならともかく、そういうことは聴いたことがありませんから、ほとんど現場を知らない。そういう人たちが、現場を一番よく知っている近隣住民を避難〔=排除〕させておいて机上で活動している。これでは実地・演習と変わらないのではないでしょうか。

(8)そうして避難解除になって戻ってみたら、我が家は丸焼けになっていた。家財道具など残せなかったとただ涙を流すだけ。いったい現場を一番よく知る人を排除しておいてよいのか。装備が向上して技術が備わってきて、それに過信していないか。もちろん人の犠牲は減るだろう。

(9)そもそも、地震・台風〔突風〕・火災など、なんでも行政のアナウンスで避難させるのでよいのか。
 ふだんは「自助」といいながら、危険が迫ったとだけ言って住民を避難させるのは、住民に被害が出た場合の行政責任の回避にすぎないのではないか。
 火災の時は、「自助」の本領を発揮させるときなのではないか。

   
    道に椿:かの花も 苦しきことのみ多かりき
       山本周五郎「五弁の椿」の主演女優、みな愛しい。


【コレクション 201 マルクス経済学レキシコン】
 きちんとしたことをやるには時間がかかります。
 学者も、当世は、何本論文を書いたかと点数計算されて、自分を失っている向きが多い。
 若い人でも、文科省の補助金をもらって、それに併せてせっせと論文を書いて出版しているのを見ます。
 じっくりとやらないでは、よいことにはならないでしょう。まあ、「点数を稼いで、就職先さえみつかれば安泰」という向きには言うことはありませんが、・・・。
 今も昔も、『資本論』わかんな~い!は正常。わかったふりとか、ましてや「間違っている」なんていうのを面白がって読むのは、怠惰の極み、何もわかっていないからです。

 このパンフは、A5判12㌻、A4判の用紙3枚を重ねて二つ折りしてできています。
 下には、1・2・10・12㌻を載せました。
 全体は
 1㌻ 下に掲載 
 2㌻ 下に掲載 
 3~7㌻ 各巻の内容紹介
 8~10㌻ 解題 大谷禎之助 『マルクス経済学レキシコン』と久留間先生
 10㌻ 久留間鮫造 下に掲載
 11㌻ 本文組み見本
 12㌻ 刊行案内 A5判 6万8千円 1995年 大月書店

  12㌻                  1㌻


           2㌻


        10㌻

 以上です。
 今日はここで。

   
    〽庭のサンシュウの~ :はじめて見ました。
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No.443 現実から学ぶべし

2025-03-26 00:11:14 | 雑評
(1)山林火災が深刻です。
 でも、よくよく考えてみれば、深刻なのは、こういう事態に対する危機管理ができているように思えないところです。

(2)地震や津波について、阪神淡路、東日本、能登などで大きな被害を受けたこともあってやや取り組みがあるように見えます。でも、遅いでしょ? それに、かなりは置き去り・・・。
 台風、氾濫、防風・竜巻などもいくらかできていますか?

(3)今日のニュースで、横浜だったか、アパート(マンションかな)の1室が焼ける火災があり、そのために消防車など38台が駆けつけて2時間かかって消化したと報じていました。
 1室に38台で2時間なら、あの山林火災にどれだけが必要でしょうか?

(4)それだけではありません。消防車が来ているのに、ホースが届かないとか、水圧が足りないとか、消防車が入っていけないとか、という会話を団員がしているのが聞こえてきました。
 そうして見ている前で、山林だけでなく、建物・住宅にドンドン火が移って延焼していきます。
(5)災害というのは、都道府県とか、市区町村とか、さらに国境と関係なく起こるものです。行政界とはかかわりなく起こるものです。ところが、ニュースを見ていると、いつも災害の当事者(県・市・町・地域)だけがあたふたしているように見えます。

(6)きのう、自衛隊が米軍と一体化して動く方向がまた強められました。しかし、危険なのは軍事に力を入れることです。周辺国のどこも、訳もなく日本に軍事を仕掛けてくことはありません。もしあったとしても、ともかく外交に徹することを貫けば、これまで同様に軍事はいらないことになります。
 仮に何かがあって米軍が日本を守るといっても、被害ゼロを想定していませんよ。一定範囲に被害や犠牲者の範囲におさえる、というだけです。
 ついでにいえば、もし撃ち込まれて悔しいからといって打ち返せば、全面戦争になります。そうすればもっと犠牲や被害が増えます。それなら、打ち込まれても、外交に徹する方が被害はずっと少ない。
 そもそも軍隊は国民を守らない。関東軍も、沖縄戦もそうでした。いまのミャンマー見てください。ああいうものです。

(7)オット!
 しかし、災害に言葉は通じません。防災といってできるのは、被害をできる限り小さくする工夫だけです。それには、過去の被災から得られた教訓に基づく想像力によるしかありません。
 必要なことは、緊張を高める軍事を辞める決心をすること、軍事を縮小・解体して予算を確保し、プロの防災組織を作ることです。 
 いつまでもドロナワではいけない。本当に歯がゆい、ね!

       
    今年も咲きました。名前は?

【コレクション 200 明治前期全国村名小字調査書】
 神足勝記は、御料局に入局前は地質調査所で全国の地形調査に従事していました。しかし、その箇所は、御料地の測量事業に携わる前のことなので、『御料局測量課長 神足勝記日記』(J-FIC)ではやむなく割愛せざるを得ませんでした。ここは神足が御料局へ入局するにようになる重要な経歴ですから、ぜひ必要と考えたわけですが、結局、代わりに神足が残した『回顧録』から当該箇所を取り込んで「第1章 御料局入局前」とすることになりました。これで、辿った県名だけは残すことができることになりました。
 詳しい経路は、平凡社『日本歴史地名大系』の付図を利用して、宿駅名や村名をマーカーで着色してありますから、この部分の日記本体ともどもいずれ紹介できることを願っています。

 今日のコレクションは、その古い地名に関するものです。
 このパンフは、B5判6㌻に、別巻分の1枚(裏表2㌻)が挟み込まれています。
 前の方は、B5判3枚分の横長の用紙を、最初に左から3分の1を、ついで右から3分の1を折り込むとできます。
 全体の体裁は、 
 1㌻ 下に掲載
 2㌻と3㌻の半分を下に掲載 ここも下に掲載しました。
  ここの「刊行のことば」を読むと、原資料の所在の実態を知ることができます。
  下半分は、「全巻の構成と収録調査内容」です。「刊行のことば」を取り込む際に一緒にスキャンしましたから、参考のために削らずに残しました。なお、3㌻後半も同様の記載内容です。
 4㌻ 本文内容見本
 5㌻ 関連広告
 6㌻ 刊行案内 全6巻 B5判 600~1350㌻ 
         定価1万8千~3万9千円 1986年 ゆまに書房 
 
         1㌻      


    3㌻         2㌻

 
 次に、挟み込みの1枚です。
 これについては、
 表側を下に載せます。このうちの丹羽基二氏をお読みください。上の「刊行のことば」と併せて読むと、この文献の貴重さがよくわかります。
 なお、裏側は、内容見本です。


 以上です。
 今日はここで。明日はお休みします。 

   
     紫がきれいでした:八王子の「道の駅」で見たミヤコワスレ?
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No.442 水・土はお休みします

2025-03-25 00:22:38 | お知らせ
(1)下に載せた「編集者のことば」の中に、井伏が「名だたる改稿癖の持ち主だった」と出てきます。じつは私も結構そういうところがあって、何回でも直す方です。最終原稿は、だいたい下書きの原形がなくなってしまうのが普通です。

(2)というと、「その割には、このブログは変換ミスや脱字が多いぞ」と非難されそうです。 
 ふだんどうしているかというと、テーマが決めるとどんどん書きます。自分で書きたいことを書くのですから、あれこれと浮かびます。書くとどんどん長くなっていきます。もちろん、書いては読み直しの連続です。やがて「長すぎる」と声が聞こえてきますから、ざっくりと削ります。すると、「文意不明!」と声が聞こえて、加筆します。そうこうしているうちにタイムリミット。やむなく、「ええい!きょうはここまで」と見切りをつけて投稿ボタンを押すことになります。そういう時は、翌日に「作業する」ことになります。

(3)このブログは、50回で一度「終了宣言」しました。そこで止めればよかった?ものを、何がそうさせたかもう覚えていませんが、ここまでもう440回を超えました。
 棚には打ち出して50回分ずつファイルしたもの8冊があり、手元に9冊目があります。

(4)内容からすると、ブログのタイトルの「神足勝記を追って」とは全く関係のないものがずいぶんありますが、「羊頭狗肉」のつもりはありません。
 『御料局測量課長 神足勝記日記』に表向き(公務)のことは入っています。
 残りは、プライベートなこと、とくにお母さんの日記、神足の学生時代のことなどなどあります。これらについても、入力作業はすべて終わっていて、いずれ紹介する予定です。

(5)その時期は、早ければ連休明け、遅くとも年末には何とかなるものと予定しています。
 それから、目下作業中のもの、この下書きが連休明けころにはできます。下書きができたならば入力してデータ化をします。これに約1年余かかる予定です。
 なんの作業をしているかは、「マル秘」ではありませんが、公表すると継続する気がなくなりますから、その意味では「極秘」です。

(6)そこで、申し訳ありませんが、作業の円滑化を図るために、今週から水曜日と土曜日の夜はブログをお休みします。変更する場合は、前日までにお知らせします。
 変更理由は、大概、「遊び、文献・資料収集」です。それと、今年は、雪が消えたら、鳥海山に登りに出ますから、その時は長期にお休みします。うふふ!

   
   今年も咲きました:クリスマス・ローズ
 
【コレクション 199 井伏鱒二全集】
 いくらか読んだだけですけど、井伏鱒二はいいですね。
 こどもの頃、多分昭和35~6年頃、「多甚古村」というのをテレビで見ました。いまでもその1場面が浮かんできます。ほのぼのとしたものでした。子役は「渡辺篤」だったように思いますが・・・。
 今日、あらためてパンフを見て、読んでみたいと思うものがずいぶん出てきました。
 
 パンフは、B5判16㌻、B4判の用紙4枚を重ねて二つ折りしてできています。
 下に、1・3・6・14㌻を載せました。
 全体は、
 1㌻ 下に掲載
 2㌻ 監修者のことば 安岡章太郎 「鯉」を詠んだ頃
 3㌻ 下に掲載
 4・5㌻ 推薦のことば 阿川弘之 渋くて苦いユーモア
           江藤淳 『井伏鱒二全集』に期待する
           大岡信 叡知の生んだ鏡
           大庭みな子 闇の部分
 6㌻ 下に掲載
 7~13㌻ 全巻内容 略年譜
 14㌻ 下に掲載
 15㌻ 本文組見本
 16㌻ 刊行案内 A5判 平均610㌻ 定価約5600円
          1996年11月以降刊 筑摩書房 
  
           1㌻  


          3㌻

    
          4㌻

  
          14㌻


 以上です。
 今日はここで。
 
   
     青梅線中神駅で:左下り、右登り。正面に大岳山
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