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神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.463 悩み・あそぶ 

2025-04-23 00:01:47 | あそび
 きょうは、21日に出会ったチョウを紹介しましょう。
 いちおう図鑑で名前をしらべ、いちばん似つかわしいものの名前を付けておきました。とりあえずのものと思ってください。
 たくさん撮りましたが、うまくいったのがこれだけということです。

(1)ベニシジミ
     

   

(2)コミスジ
   

           

(3)ヒョウモンチョウ
   

    これは別種かも?
   

(4)アサマシジミ
   

    
   
(5)付録1:モモブトカミキリモドキ
   

 (6)付録2:夕陽   
   
     21日17時55分頃 
       陽が没する所の山は戸倉3山か戸倉山か、ちょっと自信がありません。

【コレクション 220 衛星画像で見る日本】
 先日、時代劇チャンネルで加藤剛主演『伊能忠敬』を見る機会があり、地図を作った偉業の一端を改めて思い返しました。
 その一つが距離の測定です。伊能はもっぱら歩測(歩幅を一手に保つようにして歩いて距離を測定すること)に拠ったようすが描かれていましたが、ほかには測鎖や測棹なども用いて測量しているようでした。
 神足勝記の日記には、「量程車」という車の回転数で距離を測る用具のほか、やはり測鎖や竹製の測棹を使ったことが書かれています。
 1970年代以降はセオドライトという機器が開発されて、街角での作業で使用されているのをよく見ます。距離や範囲によっては、いろいろな手段が用いられているようです。とくに、広範囲になれば、このパンフに見るように空からとなります。

 このパンフの大きさはA4判6㌻です。A4判3枚分の横長の用紙を三つ折りしてできています。
 下には、1・4・6㌻を載せました。刊行案内・特色・構成などは6㌻に出ています。
 そのほか、2~5㌻は内容見本とコメント記事です。
      1㌻


      4㌻ 

 

 以上です。
 今日はここで。明日はお休みです。

 今日は、ぼんやりと、「なんでトランプ氏のような人がアメリカ大統領に再選されたのか」ということを考えて終りました。
 いくらかわかったのは、次のこと。
 これは、きっと、「なぜヒトラーのような人が・・・」ということと同じではないか?
 そして、日本なら、「なぜ東條のような人が・・・」ということではないか?
 共通しているのはキチンと批判のできる勢力が力を持たなかったからですね。
 それはなぜ?
 先に弾圧されてしまって、芽を摘まれていたから・・・?
 いちばん嫌われた共産主義者、次に社会主義者、そして自由主義者、さらに宗教者・・・・
 いったい、いまアメリカにどんなキチンとした政党があるか?
 トランプ氏をキチンと批判できる政党があるか?ない?なぜか?
 もっとアメリカについて知らねば・・・。U~ん!
 
    
    今年は一つだけ。


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No.462 がんばれ日本!

2025-04-22 00:11:22 | 時評
(1)それぞれの国はそれぞれの変貌を遂げてきたし、遂げていくにちがいない。そして、その変貌は一般に発展といわれる。これは確かなことである。なぜなら、自然災害・コロナ蔓延のような伝染病・戦争などがないかぎり後退する事態は想定できないし、不況や経済恐慌は、これは人間社会の交通関係に打撃を与えるとはいえ、たいがいは生産性の発展の結果だからだ。

(2)人間はきっと自分たちの獲得したものを有効に使う知恵を生みだして世界に押し広げ、平和と友好、相互尊重の精神を堅持して、よりよい社会をつくっていくに違いない。
 仮にそうでないとしたら?
 人間にはそういう仮定はふさわしくないと思うが、その場合は、人類の滅亡しかないだろう。 

(3)いまでも独自の変化を遂げている国が多い中、工業化を遂げた国が、経済発展した国・先進国として世界を牛耳っている面がある。その一つが日本だが、同時に日本は、アメリカから友好国といわれながら、基地問題などを見ればわかるように、事実上の従属国扱いを受けてきた。そしていま、トランプ大統領の横柄な政策におののいている。
 まずは、これを毅然と押し返すこと、ここがロードスだ!、ここが勝負どこだ!
 いまこそ言いたい。「がんばれ日本!」。
 金もうけ経済だけではないぞ。
 気候・平和・科学・教育・国際支援など、力を発揮できる分野は多い。


   右から大岳山、馬頭刈〔まずかり〕尾根、戸倉三山(刈寄〔かりよせ〕山・市道〔いちみち〕山・臼杵〔うすき〕山)
    21日18時、多摩川・秋川合流点付近

【コレクション 219 韓国・北朝鮮】
 日本は、隣国から多くを吸収して成り立ってきた国です。そういう歴史的経緯のほかに、個人としても重い感情が自分の中にはあります。
 すでに、このブログのどこかにも書きましたが、北朝鮮には、「祖国」といって帰って行った知り合いがいますし、東ドイツで知り合った学生たちがいます。
 韓国に、何回か旅行する機会がありました。その際、板門店ツアーにも参加しました。
 仲良く統一できるとか、せめて、南北が友好的に行き来できるような関係ができること、それを願っています。
 いまの夢は、新幹線で博多に行き、壱岐・対馬を通過して、釜山からモスクワを経由してベルリン・ライプツィッヒへ鉄道でいくこと・・・。
 自分は150歳まで生きる予定であるから、実現可能!よき日よ来たれ!

 パンフの大きさはB5判6㌻です。B5判3枚分の横長の用紙を三つ折りしてできています。
 下には、1・3~4㌻を載せました。
 このほかについてのみ紹介しておきます。
 2㌻ 推薦 衛藤瀋吉 年来の念願をかなえる「総覧」
       古山高麗雄 偏らない理解のための待望の書
       浅野 輔 朝鮮半島の実情を知るために
 5㌻ 刊行のことば 本書の8大特色
 6㌻ 装丁見本 
    刊行案内 A5判 640㌻ 15000円 1986年6月刊 原書房

         1㌻     


   4㌻                     3㌻


 以上です。
 今日はここで。

 あ!そうそう、落穂ひろいの追加です。
1.肝要峠の下りで、綺麗に咲いている花に出会いました。
 山に入ると、こういうサプライズがよくあります。
   

2.あちこちから写真を撮っていると、葉っぱの向こう側にムシさんが見えました。
 山中静かに模索中の様子で、私が近づいても気にせず、無言で頭を垂れてジッと思案していました。
 名刺交換どころか、友好の挨拶もなく別れましたが、カミキリムシさんの中間のようです。
       

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No.461 肝要峠・落穂ひろい

2025-04-21 00:06:10 | 寄り道
(1)肝要峠を降りて、ポコポコ・タンポポを見てから、左(西方向)に向かう林道に入ってみました。トンネルと稲荷神社バス停の中間にある林道です。時間がまだ13時頃で、帰るには早すぎるのと、入り口に「バーベキュー」の看板が見えたのとで、どんな雰囲気か見てみることにしました。
   

(2)300mくらい入ると、資材置き場と民家が現われ、その先にバーべキューの場所らしいところがありましたが、無人の庭にツツジがにぎやかに咲いていました。
   

(3)それで、林道をどんどん進みました。当りは陽が射し込んで、気持ちの良い林道でした。
   

(4)山吹があちこちに咲き誇り、そして咲きこぼれていました。みると、ムシサンが挨拶にきました。
   

(5)しばらく行くと、伐採跡地がありました。口かかった木にキノコが見えました。
  

(6)もう一つ。
   

(7)それから、これは地衣類というのでしょうか?
   

(8)林道の終点までは1500mくらいでした。地図にも入り口にも林道名がありませんでしたから、漱石の「猫」と同じで「名前はまだない」のかと思っていると、途中に造られた車止めのゲート脇の看板に「萱尾林道」とありました。帰宅後にこの名で検索したところ、出てきました。しかし、行き止まりの林道なので、バイクなどのツーリングをやる人には不人気のように見えました。

(9)林道の終点に着いたときはまだ14時前でしたから、少し先まで山道に入ることにしました。
 入ると格別のことはなく、踏み跡もわかりました。少し垂れ下がった小枝を払う程度で、不安なく歩けました。しかし、久しぶりの山歩きであることと、帰りの時間を計算して、取りやめるべきと判断し、引き返しました。

(10)林道に出てしばらく降ると、突然、目の前をチョウが飛び交い、とまりました。
 これは、タテハチョウの中間のアカタテハかな?と思いつつ、このあとも追いながら10枚くらい撮りました。(いくらか羽を傷めています・・・)
   

(11)林道から出て街道に出るとまた明るくなって、道路脇石垣の境目からにスミレが顔を出し、あざやかでした。  
       

(12)それから、これも・・・?
   

(13)もう一つ、みごとな蕗の薹(ふきのとう)です。
     
            私はこういう一所懸命な花が好きです。
 
【コレクション 218 バッハ全集】
 1980~81年、旧東ドイツのライプツィッヒ市にあったカール・マルクス大学(現ライプツィッヒ大学)に留学していたとき、中心部の近くにあるトマス教会に行き、中央正面のバッハの収められた墓所のプレートをお参りしたり、日曜日には聖歌隊の歌なども聴いたりしたものでした。

 下に掲載したパンフの大きさはA4判4㌻で、A3判の用紙を二つ折りしてできています。このうち、1~3㌻を下に載せました。なお、4㌻は出版社の連絡先があるだけです。
 なお、1㌻に、この企画が「小学館創立75周年記念」のものであることが書かれていますが、同時に、2㌻の「刊行にあたって」には、2000年がバッハ没後250年を迎え、折よく旧東西ドイツで続けられてきたバッハ全作品の楽譜による出版が完結を見ることになったので、小学館がこれを世界で初めて刊行することになったと書かれています。
 3㌻に、各巻の内容と刊行案内がありますから、残余は略します。 
      1㌻


      2㌻


       3㌻


 以上です。
 今日はここで。

   
    クリスマス・ローズ

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No.460 肝要峠の下り

2025-04-19 00:33:21 | 外出
(1)肝要峠で昼食をとりました。右から麻生山、タルクボの峰、左へ金比羅尾根と続きます。
 手前は整地されて、花粉の少ないヒノキの樹種(暮れに聴いた話)が植えられています。
 


 あたりには、クマンバチ5~6匹が飛びかっていました。人なつこいのか、好奇心が強いのか、近づいてはホバリングしてこちらの様子を見ます。しかし、写真におさめようとすると、ピューッといってしまいます。それを何回か繰り返していると、ひらひらとアゲハチョウがやってきてとまります。でも、これも取ろうとすると、飛び立って行ってしまいました。
   
(2)肝要峠の下の林道脇に山桜が咲いていました。
1.もうだいぶ散り始めていました。

   

2.アゲハチョウが来て蜜を吸っていますが、この写真では識別ができません。

   

(3)道には野イチゴの花が見えましたから、よい時期に来れば、赤い実を楽しむこともできる・・・。そんなことを思いながら下り始めました。

    
 
(4)少し下ってからの道の様子です。 これなら馬も通れるでしょう。良い道です。
1.
   

2.
  

(5)朴が芽吹いていました。ほれぼれとする夫婦の大木でした。
   

(6)新緑の中に赤く桜の喬木が見えました。
  

(7)脇を見ると、新緑が深く覆っていました。

  

(8)こうして降りたところ、この道の上り口は、私が登りに使った林道を入ってすぐのところにある、危険注意の看板も出ている崩壊寸前の廃屋を過ぎてすぐのところを左に入る道とわかりました。
 私がこれまで登った道はいわば「直道」です。これに対して、ここで下ってきた道は「九十九折れ」です。ですから、やや距離が長くなりますが、それでも1時間くらい見ておけばよいでしょう。どちらも地図にはありませんが、オススメです。上がってから肝要へ降りるのもよし。戻るのもよし、ですが、やはり山ですし、人通りがないので、注意してください。

(9)降りて、青梅の吉野街道、稲荷神社バス停に向かうと、野生のスミレが当り一面に花盛りです。歩いては休み、休んでは歩いて楽しみながら行くと、今度はタンポポが列を作って咲き誇っていました。舗装を突き破って出ています。

   
 
 おもしろ~い! つぎの詩、「どんぐり」のメロデイーで歌ってみて。
   〽タンポポ ポコポコ 芽を出して 道路を押し上げ さあたいへん・・・。

 これだね!人間もポコポコやったらどうだろう!
 「アベ政治を許さない」とか、「アメリカから日本を守れ!」ってね。うふふ。
 それにしても、
 日本代表なのに「格下」だってよ! じゃあ、まだ幕末かい
 
   
   花粉にまみれてます

【コレクション 217 大黄河】
 これは、NHKが1987年放映した同名の番組の取材記です。私は、本は見ていませんが、番組を見て、黄河の雄大さや中国の広さに感動しました。幸いなことに、これが最近(2~3年前)再放送されて、感動を新たにしました。
 パンフの大きさはB5判4㌻です。B4判の用紙を二折りしてできています。下に4㌻とも掲載しましたからご覧ください。なお、2㌻に流域図、4㌻に刊行案内があります。説明は略。

        1㌻


        2㌻


        3㌻

        4㌻

 
 以上です。
 今日はここで。明日はお休みです。

   
     黄昏の月に電線:くびれて見えます。

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No.459 肝要峠を再訪

2025-04-18 00:19:26 | 外出
(1)きょうは、また青梅市と日の出町肝要の間にある肝要峠まで行ってきました。

 念のため、No.378で紹介した地図を再度掲載します。
 地図の右上の実線のところが「梅ヶ谷(うめがた)トンネル」で、その脇にある旧道の峠が「肝要峠」です。(梅ヶ谷峠の下ではなく、肝要峠の下にあるのに「梅ヶ谷トンネル」です。)
 
   

(2)きょうは、ここから北にある三室山まで行く予定でしたが、上がってみたところ、天気も良く、麻生山・日ノ出山を蔽う花々、クマンバチのホバリングやチョウの乱舞、オオタカの飛来を見ているうちに、移動せずに定点観測を決めました。

(3)まず、麻生山のようすを対比して載せておきましょう。
1.昨年12月
   

2.きょう(4月17日)
   
 
 本当はもっと明るかったのですが、これでも、広葉樹の新緑の中にずいぶんあちこちに山桜があることがわかります。

(3)麻生山の南隣のタルクボ峰の様子です。
 これももっと明るいのですが、花のある場所がわかると思います。

   

(4)林道を南へ200mほど移動すると、別の道が見つかりました。この間、ワラビがにょきにょきと頭をもたげていましたから、一握り頂戴しました。なかなか立派なワラビです。
 なお、帰りはこちらの道を下りてみました。その印象は、つづら折れの尾根道で、馬も行き交う往還道だろう・・・ですが、馬頭観音は気が付きませんでした。

   

(5)階段を上がると、案内標識がありました。

   

(6)そして上りきると、肝要への下り道になります。伐採地の脇を下るようになっています。

    


(7)峠の周辺は、伐採後の地拵えが済んで、すでに植林され、鹿の食害を防ぐための金網も設置されていました。
 向こうに見えるのは青梅線の石神前駅から二俣尾駅の辺りです。 また、正面の木の左に見える尖った山が雷電山です。
 私は、ここで伐採跡地の様子を実地によく見ることにして、昼食としました。

   

(8)座るのに適当な切株を物色していると、お盆のような切り残しが見つかりました。
 
   

 お盆に使う前に年輪を数えたところ、92までいきました。ざっと100年です。このまま朽ち果てさせるのは忍びないので、3分の1ほどを割り取って持ち帰りました。気晴らしに何かを工作してみようと思います。 
 ここは、年末に白岩滝から麻生山に登った時に遭った作業中の林業家の話しでは、花粉の少ない樹種のヒノキを植えるとのことでしたが、すでに、伐採地の4分の1くらいは、作業ができているようでした。
 御料地の林業についての実地を理解する手掛かりとして、しばらくは通ってみようかと思いながらあたりを堪能して、おもむろに下りました。(続きは明日に)。

    
     点が10以上あるテントウムシ:公園で

【コレクション 216 クチンスキー回想録】
 ユルゲン・クチンスキー(1904-1997)は、かつてドイツ民主共和(DDR)を代表する国際的な経済学者です。恩師の宇佐美誠次郎先生とも交流があり、何回もお話を伺ったう機会がありました。
 パンフレットの大きさは、A5判4㌻で、A4判の用紙を二つ折りしてできています。
 ちょっと小さめですが、だいたいのところは読めますので全面を載せておきます。
  
  4㌻               1㌻


 2㌻                3㌻


 以上ですが、読めましたか?
 きょうはここで。
 
   
    きのう見た「黄昏の赤い月」
      〽たそがれそめる~ まっかなつきよ~ 
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