オヤジ奮闘!Philippines 生活!

2011.06.15 46歳のオヤジが、日本からフィリピンに移住。フィリピン生活を綴っていきます。

訪問者

2012-03-29 10:33:26 | 日記
今日の話です。いつものように、ベッドで横になりながら「YouTube」を観ていました。(心霊もの)義姉が{キョォ!キョォ!」と俺を呼びます。あたしは、「あきお」!と思いながらも、「どうしたの?」(タガログ語)義姉「日本人がいるよ」あたし「どこ?」義姉「そとにいる」ベランダから覗くと、初老の日本人が家族と共に立っていました。挨拶を返しつつ、下に降りていき、お話を聞くとその方はTさんといい、いずれフィリピンでアパートを建てたいということでした。私は、アパートの敷地に招き入れTさんの質問に答えていきました。久しぶりの日本語!「あ~、母国語っていいなぁ」なんてことを思いつつ、お話をしておりました。わたしが饒舌になっていたことは言うまでもありません。要らぬことまで話さないように自己に言い聞かせましたよ。そして、ひと通りのお話をし、Tさんは帰っていきましたが、またいつお会いできるのやら。海外で日本人に会えるなんて、何百万分の一なんでしょうね。奇遇といえば・・・。この話はまた今度。今日は久しぶりの日本人と、母国語の懐かしさを実感したお話でした。ありがとうございます。

フィリピン、到着ぅ

2012-03-28 08:59:03 | 日記
 ドモ、あきおです。成田での涙の別れから、笑顔の再開はニノイアキノ国際空港でした。奥さんの家族がズラリ。1BOXで迎えにきておりました。空港から即、TOYOTAマニラベイへ。ハイエースの予約をして、帰路?に着きました。
 カランバのお義姉さんの家に、しばらく世話になりました。お義姉さんの家と言っても、事実上は、私の家なんですが・・・。そこには、既に日本からの荷物が、いくつか届いており、狭い家が余計に狭くなっており、気の毒に感じました。あらゆる場所に所狭しと積まれた荷物。翌日から荷物の整理が始まりました。ここでも、奥さん主導です。荷の周りには、大人も子供も集まってきて、あれは何?これは?といった感じで、ひとつの荷を解いていくのが大変で、天手古舞。日本で最初の荷物を送ってから約2ヶ月。懐かしい気持ちになりました。面白いもんですね(-^〇^-)
 さあ、やることは山ほどあります。これから、裏の土地の地上げ・・・じゃなくて、購入。アパートの建設と自宅の建設。車の納入等々。ビザについては、奥さんと一緒だったので、申告して1年のビザを入国審査で戴きました。とにかく、自宅を急ぎ建てました。しかし、出来たのは3ヶ月ほどして。アパートは4ヶ月半掛かり、入居はそれからひと月ほどしてからでした。なかなか、入居者が無くてどうしたものかと悩んだ末、ポスターを作りあらゆるところに貼って来させたところ、効果テキメン!アレヨアレヨのうちに、満員御礼!!今は収入も安定して、のほほんと暮らしております。少し運動をせねば・・・

フィリピンへ(滑走路での想い)

2012-03-27 05:40:33 | 日記
 フィリピンへ出発前に、愛車「ハイエース」を売却しなければなりませんでした。「ここなら、高く買ってくれる」と噂される販売店に行ってみましたが、面白いことに愛車を買ったディーラーが、一番の高値を提示してくれました。ローンの残金を支払い、ディーラーさんに愛車を託しました。「車が無い生活って不便なことだな」と贅沢な不満が頭をよぎったことを覚えています。そして出発の前日、友人らが私たち家族を、成田まで運んでくれました。この日は成田で1泊し、翌日空港に向かう予定です。日本での最後の晩餐。友人がパソコンで検索してくれたお寿司屋さんへ。子供もお寿司が大好き!子供ビール片手に大喜びでした。私は、お刺身に日本酒でいい酒を頂きました。奥さんは、というとフィリピン人なのに日本食が大好き!こちらも大喜びでサワーで、盛り上がっていました。なんだかんだで、2時間もするとただの酔払い。酔払いの団体様おかえりで~す。友人と共にホテルに着き、部屋では即寝!この日、友人もホテルに泊まってくれました。
 当日は、9時30分のフライトであったので、早めに空港へ向かいました。朝早いのにも拘わらず、他の友人達が見送りに来てくれていました。空港で荷物を預け、手荷物を整理しひとつにまとめてと、不手際。30分程掛かり、「いざ、朝食へ」いや~、空港内はどこも高い!ここは、マックで我慢してもらいました。みんなで、デッキに移動して食事を楽しみました。そして、いよいよ出発の時間。流れそうになる涙を引っ込めて出発ロビーへ向かいましたが、最後の握手の時には溢れんばかりに涙が流れ、みんなと抱き合いました。出国審査に向かう前の、セキュリティーで、奥さんのバッグの中からハサミが・・・。しかも高いヤツ。せっかくの、涙が冷汗と変わりました。友人をどうにか引き止め、ハサミを預け無事出国審査にたどり着きました。(このハサミ、後々私の上司でもあり、友人のKさんがフィリピンに届けてくれることになります。)時間も一杯になり、いよいよ搭乗です。搭乗してまもなく、飛行機がゆっくりと周りの景色を動かします。私は、横の小さな窓から、動く景色を凝視。デッキにいるであろう友人たちを探します。いました!小さくですが、みんなが手を振っています。タキシングしている、飛行機からどんどんと離れていきます。ありがとうと、さみしさと、おもいでが涙になって流れます。来られなかった友人たちにも「ありがとう」。その一言です。やがて、滑走路手前で一旦停まる。「最後のあいさつをしなさい」と言われているようでした。飛行機は、エンジンの唸りを上げ、セキを切るように滑走路に飛び出します。グングンと速度を上げ、振動で涙が再び流れ、やがて地面との摩擦が無くなり、一路フィリピンへと向かうのでした。