すろうはんどのページ

すろうはんどによる音楽や趣味、最近の出来事についてお話するページです。

【仮説】田舎育ちで足腰が丈夫な人は東京での暮らし・連絡移動に実は向いてる!

2005-10-31 02:08:43 | Weblog
自身のBLOGでも幾度と書いているが、関東へ移動してきて早くも三年目を迎えようとしている。
 東京都内に関しては、住んでいる横浜市内から主に会社(品川駅近く)がある場所への通勤移動で、毎日の往復、後は休日に都内などへ出かけている。
こちらへ移り住んだ当初、都内の鉄道、主に地下鉄の複雑怪奇さにめんくらったものだが、ここへきて生活している内に、そして繰返しの都内出張の学習でようやく一通りの経路や路線を理解できるようになった。
いっちょまえの関東人になってしまったのか(!?)。。。。
 一通り都内の地下鉄やJRを理解してそこで改めて見えてきたのは、広い東京、あるいは神奈川と言えども、実に路線の連絡が便利にできている、ということ。
 今住む、横浜市の北のはずれから、渋谷は無論、表参道、青山一丁目は30分前後位で電車一本で行けるし、横浜方面へもすぐ出れる。また六本木、新宿なども1回くらいの経路乗り換えで1時間弱で行ける(逆にそんなにかかるの?と意見もあるかもだが県またがりだからまあそれが普通)。また、都内間の移動で言うと地図上で見るとやや遠そう、移動しにくそう、例えば、新宿~青山や表参道、あるいは大手町(東京駅の近く)とかでも、1回くらいの路線の乗り換えで実に早く行ける(20分位)ようになっている。しかし、我故郷、名古屋との大きな違いは、どこも人の多さについては嫌でも誰でも気付くことであるが、新宿、池袋駅なんかの大きな駅はましてだが駅の出口(西口、南口他)間の距離感、駅の中のコンコース内の移動、そして同じ駅での異会社路線への移動、そして地下鉄の出入り口のランダムさ(こんなとこにあるの?みたいな)、地下へのモグリの深さ度など、とにかく「果てしない」距離を延々スタコラと歩くのである。きっと、関東近郊に住んでいて買い物に来る人、もしくは観光で東京へきている人も、東京のポイントを行ったり来たりすることが、かなりの足の訓練、足腰を鍛えることをしていると考える。幸い、足を休息させる体を休ませる、減ったおなかを満たすお店は溢れるほどあるのでそれは安心だが。自分の出身の田舎は岐阜県恵那郡であるが、多くは農家が主流で、親父の実家などでも早朝から陽が沈むまで汗をかいて田畑を走り回ること、家から仕事場までのあぜ道、山道を歩くことなど、生活の習慣として移動で足が丈夫な人が多い(そのおかげで我々は米や野菜を毎日の様に食べられるので感謝しなくてはならない)。田舎の人は都会の暮らし・生活に向かない、と言う話もあるけれども、特にこと移動、歩くということに関しては、俄然、力を発揮する気がする。中途半端な地方の都会人(名古屋の様な場所)の方がかえってヘコタレが早い、と推測する。どうだろう、この仮説は。本格的に足腰を鍛えたい人は、東京めぐり、東京を歩くことをお薦めする。「木綿のハンカチーフ」で都会(仮説:東へと向かう列車って言ってるから東京と推測。仙台とかだったりして・・。)、東京に馴染んでしまい、最後は恋人と別れてしまって主人公の女の子に涙拭く為のハンカチーフを送ることになる、歌の中で登場する男も、木枯らしのビル街で風邪などもひかず、きっと田舎育ちで足が丈夫なので、華やいだ街、東京に違和感がなかったのだろう。

入社当時過ごした西谷寮界隈

2005-10-30 12:47:10 | Weblog
今、住んでいるところからそれほど離れていないところに、嘗て、入社当初にキース、ポールと過ごした日立西谷寮があった場所がある。今は、新しいマンションになってしまって、独身寮の跡形はない。(写真左側が寮のあった場所)

ここから横浜駅経由(以前のBLOGで現在の横浜駅の画像を紹介済み)でJR線に乗り換えて「戸塚」「東戸塚」へ通った。なんか、青春だね~♪
(当時未だ、TBSのザ・ベストテンが全盛だった。)
 
  今は姿が変わっているが、この、千丸台団地方向へ向かう坂道を見れば、記憶が蘇るであろう。

まあ、今となっては一言で「懐かしい」場所である。ここが我々三人の原点!みたいな。この場所で「明日への想い」を語り、ここに「時の軌跡」があり、「横浜クラウディナイト」で「馬車道のガス塔が映し出した君の瞳・・」があり、そして「君と過ごした月日」があった訳である。。。。。うん!?、誰のこと?

もっと勉強しておけばよかった

2005-10-29 02:58:57 | Weblog
今、強くやりたいと思っていることの一つに学校へ通いたい、と言うことがある。
 大学で学び直すか、好きな専攻で大学院に通いたいと思っているが、関東の場合環境的には、学校の数から国公立・私学でも多くの場がある。
 しかし、やはり、会社へ勤めて仕事している、と言うこと、そして、何よりも先立つ物がかなり必要であり、なかなか踏ん切りがつかないのが現実。

 今会社へ入ってくる若手は、(昔と違って就職戦線厳しい故)学校で一生懸命頑張って勉強し卒業してうちの会社へ入ってくる子が多い。そして会社と言う場で実践を(机上の理論ではなく、体を使ってカンで感じながら仕事のイロハを具体的に)学ぼうとしている。実に新鮮で、実に素晴らしくある意味すがすがしくて気持ちがいい。
 会社入社以来、ずっと仕事の実践で突っ走ってきたが、何年か経って仕事に責任を負わされる立場になって忙しくなった今、最近の若手、新人などに触発される部分もあり、もう一度学校と言う環境、そして勉強と言うものを一からやり直したいと思うようになった。
 かつての年功序列の世界の会社風土では、年上の人が年下を教える、会社の先輩は後輩を教えるのが常識の筋、もっと言うと、先輩の言うことをその通りにやっていれば、後輩や新人は余計なことを覚えなくてもいい、と言う風潮の時代があったのは事実。
 今は少なくともそれは通用しなくなっている。年齢や仕事経験に限らず各々が自分の伸ばしたいことを自主的に学んでいく覚えていく、会社も年功序列が撤廃に近い状態になってきて成果主義(年齢や学歴に関係なく成果のあったものに手厚く報酬する,ポストに付く処遇制度)が主流になり、必ずしも仕事の上の立場の人は年上、とは限らない。若い上司が年齢の年上の部下を持つ、これは珍しくないわけで、そう言う構図が成り立ってくると、年齢の上下に関係なく得意な分野であれば例え新人でも年配の人へ物事を教えたって全然ありえるわけで。(携帯電話の知識など最たるもの)そういう時代の変化へと移りつつある。しかし、主にサラリーマンはそう言う社会になってきているけれども、逆に年齢や経験を重んじる業界であったり、職人さんであったり、て言うと、それは古式ゆかしきって言うとこあるでしょうけどね。

そう言う意味で、会社へ入る前の原点に戻り、新人の如く学校での勉強をし直して、再度新鮮な目線で今就いている仕事と言うものを是非見てみたいと思う.

毎日、毎日の日々の中で、自分は勉強が足りないな、と思う今日、この頃であります。

人の話を傾聴する、と言うことの大切さ

2005-10-26 01:28:20 | Weblog
早いもので今年も、もう数ヶ月もすれば年の瀬を迎える。

少し気が早いが、今年を振り返って見て想い起す中では、1月~3か月間通って取得したキャリアカウンセラーの講座の中で「人の話を傾聴する。」と言うことの大切さを改めて勉強し痛感した。
 キャリアカウンセリング、さらには心理カウンセリングも含めて、カウンセリングの基本にクライアントの話に「傾聴する」と言う前提事項がある。

 「人の話を傾聴すること」

これは、意外とできている様で自分の場合、かなり出来ていないことを痛感したし、自分の中ではかなりの反省点であったと思った。

人同士のコミュニケーションは言葉のやりとり(キャッチボール)がなされて双方の伝えたい事の確認を取り合い、そして、双方の意志が確認できて成り立つ。それには双方が相手の話を「傾聴」することがとても大切である。
 
 よく日本人と外国人との国際結婚の例を見ると、「言葉の壁を乗り越えて愛を育みました」とか「言葉が通じなくてもわかり合える」とか言う人からの弁を耳にすることがある。しかし、これは充分ありえることであると思うし、アイコンタクトや仕草、気持ちのキャッチボールが「相性」と言う見えない鎖の様な物の助けを借りて成り立っているのであろう。これは言葉ではないが、双方が言葉が通じないからこそ相手の意志をわかろう、つまり「心、気持ちの傾聴」が充分できている例であると言える。
逆に言えば、言葉がわかる日本人同士でもコミュニケーションが取れなかったり、わかりあえないケースは多々ある。自分もないわけではない。

 TVを見ると言うことは、TVが発する情報(音声)に対する視聴者側の一方的な「傾聴」のスタイルと言っていいが、自分から相手への働きかけは無いわけで、それは無論、コミュニケーションとは言えず、ただの情報の一方通行である。

 相手が人の場合、いろんな感情や人の顔の様子、そして自身の推測であったり、相手が何を言おうとしているのかを先にわかってしまったりなど、自分の言いたいことが先行してしまう、相手に対して情報発信したくて仕方がない、と言うことも多々あるが、これは「傾聴」の基本から言えば全くの失格で、嘗ては自分もよくやってしまっていた。
   
 女性と男性の違いをことさら言うつもりはないが、多くの女性の場合、自分の話を聞いてくれる人、「傾聴」してくれる人に対しては「話を聞いてくれない人」よりは良い印象を持つ傾向にある、と自分の経験からも、一般論でも思う。
確かに相手の話を「傾聴」することで何の解決に繋がらなくても「聞く」だけでも良い、と言うケースも少なくはない。
 結婚のきっかけのケースでは「ずっと前からのよき相談相手でした。」「よく話や愚痴を聞いてもらっていました。」と言う例も少なくはない。それだけ「傾聴」と言う行為は相手を許容し受け止める力があると言える。今は定年退職してしまっているが、自分が今も連絡を取り合ったり仕事の相談でやりとりしている嘗ての会社上司も、実に「傾聴」の達人であり、こっちから「話そう」と言う気にさせてくれる人である。

 「人の話を傾聴すること」「聞き上手になること」

これは、当面の自分の人生の、生活上での課題でもあると、今年一年でなおさらに受け止めている。

そう言う意味で、自分以外のメンバが作ったTYCの数々のオリジナル曲も、充分傾聴に努めて受け止めたい、と思う。

うん?それは少し違うな?

でも、最後はやっぱこれか・・・・、みたいな。

我TYCのメンバへ

2005-10-19 03:04:13 | Weblog
今、TYCのメンバ間でメールのやりとりしている話の脈略と関係なくて、申し訳ないが、例えば、「君と過ごした月日」「星空」「夢と呼ばれるもの」「メリーゴーランド」「さよならラヴィアンローズ」「すべてのもの」「トワイライトゾーン」自分で言うのもなんだが例えば「明日への想い~TOMORROW~」等の既存曲などなど、もっと、アレンジを整理して、TYCとして歌い込めば、人に聞かせて想いを感じてもらえる楽曲の数々であると確信している。

 各曲に関して、自分のバンドと言うひいき目は除いて、聞けば聞くほど、それなりに心に来るものがある。

そういう意味では(「君と過ごした月日」等)最初のアレンジに戻すとか、新鮮味をおびるアレンジラインアップでいけば聞いている人に必ずやシンプルに訴えうる曲々です。ヴォーカル、ミイの歌唱力もそうそう他に無い、我々の持ち味でもあると思うし。

 そういう意味でも、これからも、過去何度と演った楽曲を大切に温めていきたい、と思う。

 我バンドのもう一つ、FOUR YOUも各メンバが2回のステージを経験して踏んだことで、それぞれの中での気持ちが熟成してバンドコンセプトや、取り上げたい曲に対する想いと言うのを各メンバが持ち始めています。
ヴォーカリストはボイトレへ通って、ブラッシュアップを図って(あの子は勉強家や!)、なんと言うか次に対する意欲の面では、一丸となっていると思う。自分としてもTYCとは異なる自分の表現力、位置付けの良き場でもあるし。
(しかし、あくまでもバンドの主役は、がーるず二人なのですが)

 しかし、バンドカラー(チーム結束)と言う面ではやはりTYCにはかなわない面もあるのかな、、、、とも想う。それはステージ回数の違いもあるけれど、それ以上にTYCの場合、何度も本番の演奏をトライアルしたことで学んできた歴史みたいなものと、その度に培われた想いの積み重ねみたいなものが長く染みているのでそういう点でも。人によって見方は違うかもしれないが。

 昔、20年程前の大学時代に、アマチュアコンテストでけっこう上の大会まで勝ち抜いた思い出があります。(YAMAHA ミッドランドって言うコンテストがありました。)
ヴォーカルを含む同級生5人組のバンドで自分は2人ギターがいる内の1人でしたが。

 そこで学んだことは、YAMAHAの審査員の人に言われたのは、アマチュアバンドで評価したいのはテクの旨さでも、きれいに間違えずにフレーズを演奏することでもない。テクがすごくて旨くてもパフォーマンスが感じられないバンドは魅力ない。
そんなことはむしろどうでも良くて、バンドとしての一体感が感じられるか、パフォーマンスの良さがあるか。バンドカラーが感じられるか。
如何に楽しさとして、演奏を見てる側、聞いてる側に訴えるものがあるか、と言う主旨のものでした。なるほど、そういうもんなんだ、と納得しました。

当時、我々の場合、メンバーのほとんどが趣味の延長でクラブに入ってたので上昇志向と言うものがあまりなくて、「ダメもとやし、テクで勝負する訳やないで、とにかく楽しく演ろうぜ」と、奇抜な衣装のことばかり考えたり、受け狙いすること(演奏の間奏になったらヴォーカルがホウキを舞台のそでから持ってきて舞台を掃除したり、三輪車で舞台を乗り回したり(ほとんど自分のアイデイアでしたが))ばっか考えて、その上で演奏をとにかく楽しくロックンロールをプレイしようと言うことでやってたので、周囲の、「えッ!このバンド何?」みたいな意表をつく反応を楽しむことをむしろ目指すバンドでした。でもそれなりに自分達なりできっちり演奏しよう、みたいな。とにかくヴォーカリストのパフォーマンスはぴか一で、ヴォーカリストあってのバンドではあったが。

大学時代のバンドの自慢をするわけではなく、そういう意味での結束力、聞く側、見る側に、音に乗せて楽しく伝えるって言うのがバンドの場合、かなり重要で、個人的な思い出とかぶらせて悪いがその時と同じ位TYCを(バンドのカラー相応なスタイルでTYCらしくオリジナル色で)パフォーマンス的にも、バンドや音楽の楽しさが伝えられるバンドとして、かけがいのない仲間とバンドを熟成させて楽しみたいと想ってます。

 とうとつでしたが、、、、そんなことを思っています。

食べ物の話・・・

2005-10-10 23:25:02 | Weblog
この3連休はゆっくりできたので、BLOGを何件も立上げてしまった。

 食べ物の話ですが、少し恥ずかしいのですが、実は、実は、実は・・・・・・・・・・・、自分、大学イモがめちゃくちゃ好きなんです。
 あー、ついに言ってしまった。

 あの甘過ぎる位の砂糖蜜の感覚、イモのホクホク感との調和。またイモの甘さと合間って、美味い。最近では、デザートとして「ポッポ」って言うスイートポテト専門店があるんだけど、そこの店通るたんびにたまらなく魅かれる。
 ついに告白してしまいました。

横濱ジャズプロムナード

2005-10-10 00:40:07 | Weblog
年1回、この10月の時期に「横濱ジャズプロムナード」と言う大きなイベントが行われていて、今日、見に出かけてきた。
 先日の米国のハリケーンによる大きな被害を被ったジャズ発祥の地、ニューオリーンズへの救済を、と言う名目もあって今年は力が入っていたようである。
桜木町駅近くみなとみらいのランドマークやクィーンズスクェア、横浜駅界隈、元町、伊勢佐木町、馬車道など、いろんな場所の街灯やカフェでジャズのライヴがこの二日間繰り広げられていた。
 全体的にジャズのファン層と言うのは、所謂、50代前後の年配者が多く、見に来ている客層も年配が多いのであるが、偶々、一箇所(ランドマーク)で見た2つのバンドは(30代後半位?の)女性の五人組と若い三人組のバンドを見たが、実に旨くてすんげえかっこよかった!!聞いてて体がスイングした。
 ますます、ジャズを演りたい、と言う意欲にかられた一日であった。
自分もニューオリーンズへの救済義援金の一環として、ジャズプロムナードのメモ帳を購入しました。

ポール、キースと過ごした最初の原点 BY すろうはんど

2005-10-09 23:43:06 | Weblog
タイトルだけ見たら、すごいなこれっ!(笑)

 横浜の駅前です。CIALにオカダヤモアズ、駅前バス(神奈中か市営バス)ロータリー。我々三人に共通の原点の場所と言っても過言でない。

 ××年前、入社したばかりの我々はここ横浜駅を経由して西谷寮から会社(戸塚、東戸塚)へJR線を使って通ったものだ。
(約1名は会社に寝泊りして住んで、寮へたまに通ってたけれど・・・)

 この時は予想にもしなかったが何故か、何故か自分だけが会社に居残り、現在××年ぶりにまた関東へ来て横浜に住んでいる。不思議なもんだ。。。。

 そしてそれぞれの現在の生活に至るわけで、この駅前の光景は、原点として昨日のことのように入社の頃を思い出す一方で、想いや感慨も深い場所である。
(画像は、10月9日(日)19時13分 高島屋前より撮影)

ステーキのあさくま、やっぱVERY GOODで懐かしい!

2005-10-09 00:12:33 | Weblog
今日は、先週、車で走っていて偶々見つけた「ステーキのあさくま」で食事した。

場所は、東急東横線沿い「武蔵小杉駅」近くで「慶應大三田キャンパス」を少し東京寄りへ行ったところにある。(住所は川崎市武蔵小杉)

久々のあさくま、小牧店や西春店以来、4年ぶりくらい。
 嬉しくて注文したのは、学生時代の御用達(納屋橋店、YAMAHA名古屋店の向かい側で今は無きエンジェル東宝の1Fに入ってた店)で毎回注文したメニュー、「学生ステーキ」を注文した。
(何故かここ関東では「学生ハンバーグ」と言う名前だった。名古屋ではどうなんだろう?)

 一口肉を食べて、大感激!涙が出そうになるくらい懐かしい味。この味、この味!ステーキのタレ、セットで付いてくるサラダのドレッシング、コーンスープのまろやかさ、ごはんに合わせるもろ味噌。
 
 また、来たいと思った。名古屋ではあさくまは衰退気味で店舗が閉店しつつあると聞いていたが。

 鶴見など神奈川には何箇所か他にもあるらしいが、また、行きたい!

今夜のNHK夢音楽館よかった!

2005-10-07 01:04:33 | Weblog

 今日は、伊勢正三と太田裕美の出演。司会はレギュラーで中村雅俊。

太田裕美はいわずと知れた「木綿のハンカチーフ」「9月の雨」をはじめとして、伊勢のナンバーは二人のデュエットで「なごり雪」「22才の別れ」を披露した。

 最後は風のナンバーから伊勢のソロの歌で「海風」。バックはなんと大学時代に名古屋で活躍してたセンチメンタルシティロマンス。どうりでかっこいいはずだ!

 つかの間であるが、懐かしくてかっこいい時間を過ごした。