いつも通勤で乗り降りするバス停の近くに、電話ボックスがある。
いまはもう街での数も少なくなり、こうした姿を見ることは本当に希になった。
コンビニやデパート等でも、携帯を忘れた時等、所謂、公衆電話を探すことは本当に困難。(というか、ほぼ皆無に近いか??)
今では自分もスマートフォンを活用し、その文明の力にあやかっているひとりであり、ボックス減少化には普通に時代の流れとして捉えている。
ただ、学生の頃は、例えば、好きな女の子、気になる子に連絡をしようと思えば、手紙を渡すか、あるいは電話しかなかった。
やはり、電話は、「重要なコミュニケーションツール」であったことは間違いない。
そして、電話ボックスの需要も高く、必須の生活アイテムであった。
家の電話からすれば、家族に聴かれたりするので、個室であるボックスがベストの場所だった事もあったと思う。
ボックスからかけても、まず電話に出るのは、先方のお父さんなのか?お母さんなのか?はたまた!?
この緊張感、何ともいえない。いろんな想いが頭を駆け巡る。誰もが経験していることではないかな~。
今思えば、この時に、壁を突破する力、コミュニケーション力、交渉力、対処力の礎のひとつを大いに学んだのかもしれない。
(これについては男子目線でしかないので、当時の女子はどう思ってたんだろう???)
パーソナル同志で途中を経由しない直接アクセス、会話ができてしまう昨今に、上の様な緊張感、労力は必要なくなっている。
(今のヤンガーには理解できないことなんであろう、おそらく。。。。)
携帯文化が進化定着した昨今、上の様な一連のトピックスは、よく”昔話の良き逸話”として語られることも多い。
技術の進歩、進化が進むほど、失われていく何かも、一方で有るのだという事を、常に心に留めておきたいものである。
自動車技術の進化が進み、運転も快適。おかげである所まで徒歩で行ったり、乗じて運動をする機会が全然、減ってしまった。
そして、今日、会社の健康管理センタの健康指導を受けるに至ってしまったのである。
あっ!これは、ただの言い訳か・・・(爆)。
まさにこのブログ、ただのおっさんのボヤキになってしまった。。。。
いまはもう街での数も少なくなり、こうした姿を見ることは本当に希になった。
コンビニやデパート等でも、携帯を忘れた時等、所謂、公衆電話を探すことは本当に困難。(というか、ほぼ皆無に近いか??)
今では自分もスマートフォンを活用し、その文明の力にあやかっているひとりであり、ボックス減少化には普通に時代の流れとして捉えている。
ただ、学生の頃は、例えば、好きな女の子、気になる子に連絡をしようと思えば、手紙を渡すか、あるいは電話しかなかった。
やはり、電話は、「重要なコミュニケーションツール」であったことは間違いない。
そして、電話ボックスの需要も高く、必須の生活アイテムであった。
家の電話からすれば、家族に聴かれたりするので、個室であるボックスがベストの場所だった事もあったと思う。
ボックスからかけても、まず電話に出るのは、先方のお父さんなのか?お母さんなのか?はたまた!?
この緊張感、何ともいえない。いろんな想いが頭を駆け巡る。誰もが経験していることではないかな~。
今思えば、この時に、壁を突破する力、コミュニケーション力、交渉力、対処力の礎のひとつを大いに学んだのかもしれない。
(これについては男子目線でしかないので、当時の女子はどう思ってたんだろう???)
パーソナル同志で途中を経由しない直接アクセス、会話ができてしまう昨今に、上の様な緊張感、労力は必要なくなっている。
(今のヤンガーには理解できないことなんであろう、おそらく。。。。)
携帯文化が進化定着した昨今、上の様な一連のトピックスは、よく”昔話の良き逸話”として語られることも多い。
技術の進歩、進化が進むほど、失われていく何かも、一方で有るのだという事を、常に心に留めておきたいものである。
自動車技術の進化が進み、運転も快適。おかげである所まで徒歩で行ったり、乗じて運動をする機会が全然、減ってしまった。
そして、今日、会社の健康管理センタの健康指導を受けるに至ってしまったのである。
あっ!これは、ただの言い訳か・・・(爆)。
まさにこのブログ、ただのおっさんのボヤキになってしまった。。。。