traveling

気象予報士 檜山靖洋のブログ ひとり旅の記録

最果ての旅~おまけ

2006-02-19 00:29:16 | Weblog
おまけ① 与那国空港
この空港は飛行機好きにはたまらないものがある。
搭乗口から飛行機まで歩いて行くのだが、


こんな感じなので、飛行機と一緒に記念撮影なんてことが
やり放題になる。
とにかく、この飛行機に向かって、
ダラダラと歩いていく感じがとてもいいのだ。
この感じ、分かるかな~?

おまけ② 石垣空港
石垣空港はジャンボが離着陸するにもかかわらず、
滑走路が短い。
那覇空港や羽田空港なんかは、
滑走路の長さが3000mあるらしいと聞いたが、
この石垣空港は、その半分の1500mしかないらしい。

だから、着陸後のブレーキがすごいったらありゃしない。
逆噴射しまくりで、ものすごい体にGを感じる。
これが楽しくてたまらないのだ。
この感じ分っかるかな~?


以上、八重山2005秋~最果ての旅  END

次回からは、氷をアイスる旅2005~知床・川湯編~
の記録をお伝えします。

土砂降り

2006-02-16 18:47:27 | Weblog
いつも旅に出ると、飛行機が飛ばないという事態に遭遇することが多い。
でも、網走に行ったときは、「モヨロ」さんに挨拶しなかったから、
帰れなくなってしまったことを思い出した。
ここ与那国島では、やはり墓地にご挨拶に行かなくてはいけない。
そう思った。

雨が弱まったのを見計らって、傘を持たずに散歩に出かけた。
まだ小雨が降っている中、向かったのは墓地だ。
さみしげな墓地に再びやってきた。
ここでご挨拶。この3日間、
この地に足を踏み入れることを許してもらった感謝の気持ちを込めて。
挨拶を済ませて、地球遊人に戻ると、雲間から日差しが出てきた。

与那国の夜~第2夜

2006-02-15 17:42:42 | Weblog
2005年10月23日 日曜日 午後9時  どなん地球遊人

地球遊人の夜、第2夜。
暗闇の夜、泡盛のおともに、きょうは与那国の話。
ある旅人が言う、
「まずチャリで走りはじめたら、いつの間にか墓地に行っちゃって・・・」
「おれも!」
「僕も!!」・・・
なぜか、みんな最初に墓地にたどり着いてしまう。
「あの旗のある墓はなんなのだろう?」と言うと、
別の旅人が島の人に聞いた話を教えてくれた。
「旗が立っているのは、フレッシュな墓で、まだ入ったばかりなんだよ」
与那国島では、沖縄の島の中でも唯一、土葬をしている。
入ったばかりの墓は、1年間旗を立てるらしい。

みんな墓地に行ってしまうのは、島を荒らすな!という
島の祖先たちの警告だったのだろうか・・・

彦②

2006-02-14 01:34:59 | Weblog
彦で食事中、近所のおじちゃんがやってきた。
改造した三味線を自慢しにきたらしい。
近所のおじちゃんの三味線の音、
彦のおじちゃんの三味線の音、
聞き比べて、どっちがいい音だ?と聞かれた。

近所のおじちゃんの方は、深みのある音だった。
一方、彦のおじちゃんのは、少し安っぽい感じ。
そんなやり取りをする二人の三味線談義を
サービスでくれた麦茶とサーターアンダギーを頂きながら聞いていた。
とてもいい時間だった。


2006-02-10 16:36:13 | Weblog
10月23日 日曜日 午後5時 彦

「彦」でどうしてもごはんが食べたかった。
お店のおねえさんが元気で、楽しい人だというウワサを聞いたから。
彦に着いたのが午後4時すぎ。
夕方は午後5時から営業だった。
バイクで走るのも、少し寒かったので、
しばらくクブラをぶらぶらしながら待つことにした。

午後5時、お店が開くと同時に入った。
そば定食にした。
お店には、おばちゃんとおじちゃん。
おじちゃんから、ずっと待ってたのかい?
と聞かれた。
1時間くらいうろうろして待っていたのがバレていたようで、
ちょっと恥ずかしかった。

横浜から来たと言うと、
おじちゃんが、大学は横浜で、神田でサラリーマンやっていたと。
与那国島に住むようになったのは3年前からだという。
もともとは宮古島に頻繁に行っていたらしい。
そして、沖縄の離島に住みたいという夢を実現した。
与那国島を選んだ理由は、「男らしい島」だからという。
沖縄といえば、海というイメージがあるが、
与那国島は、ごつごつした岩場の印象があり、
荒々しい地形の多い島だ。
真っ白な砂浜は、他の島に比べると、ずいぶん少ない。


人面岩

2006-02-10 16:36:06 | Weblog
10月23日 日曜日 午後3時  人面岩

ほとんど車ともすれ違うことのない道路を走り、
遊歩道の入り口を見つけた。
この遊歩道を進むと、人面岩があるらしい。
遊歩道の入り口に原チャリを停め、
鬱蒼とした林の中に入っていった。

もちろん他には誰ひとりとしていない。
この遊歩道で道に迷ったらどうなるだろうか?
そんなことを考えると、少し怖くなったが、
薄暗い林の中、歩を進めた。

途中には、たくさんきれいな蝶が飛んでいる。
オレンジ色、青、黒、白、、、
多くの種類が生息しているようだ。
蝶といえば、この近くには「ヨナグニサン」なるものがいるという。
ヨナグニサンとは、世界最大の蛾で、
羽を広げると25センチにもなるという大きさ!
沖縄県指定天然記念物。
与那国島で初めて発見されたため、ヨナグニサンと名がついた。

正に、与那国産のヨナグニサンなわけ・・・


さてさて、人面岩。
遊歩道の途中途中にいくつか案内板の地図があり、
「人面岩」あと300m
もうすぐ人面岩というところまできたようだ。
しかし、歩いても歩いても見つからない。
次に見た地図には、逆方向に「あと50m」・・・

通りすぎてんじゃん!
そして、引き返すと、ようやく見つけた。



ん~~・・・
確かに顔に見えないことはない。
遊歩道の道から少し奥まった所にあり、
その場に「これが人面岩」という看板がないから、
わかりづらい。
他の旅人も、必ず一度は通り過ぎて、戻ってきて見つけたと言っていた。
顔の前に小さな木が生えていて、うまく写真も撮れやしない。

少し不気味な鬱蒼とした道を何分も歩いた割りに、
特に感動もないという。


悲しい歴史~クブラバリ

2006-02-10 16:34:48 | Weblog
10月23日 日曜日 午後2時 クブラバリ

クブラ港から坂を上り、ほどなくすると、
クブラバリの看板が見えた。
駐車場に原チャリを停め、高原を歩いてみる。
ここもひと気がなかった。
そればかりか、何か異様な空気を感じた。

しばらくすると、大きな岩を見つけた。
岩肌には焼け焦げた線香の跡のようなものが多数見られる。
脇には、よく見ると、朽ち果てた「クブラバリ」の看板。
その先には、工場が廃墟となった跡のような建物もある。

大きな岩の間には幅3mくらい?深さ5mくらい?の亀裂がある。
ここには悲しい歴史がある。

昔、人頭税という、世界でも珍しい制度がここ与那国島にあった。
いわゆる人減らし政策。
妊婦にこの岩を飛ばせる。
落ちれば、母子ともに死にいたることもあるし、
成功したとしても、流産の可能性が高かったという。

ここへ来るにあたって、はじめから写真など撮る気には、
とてもなれなかったので、カメラは置いてきた。
ということで、クブラバリの写真は一枚もない。
異様な気を感じ取りながら、ここを後にしようとしていたら、、、

外国人だろうか、おばちゃんおじちゃん集団がそこへやってきた。
5人くらいが集まって、岩の前でポーズを決めている。
うれしそうに写真撮影をしている。。。
ココの意味は分からないのだろうか???
まあ、今は一応、観光名所ということになっているが、、。

海底遺跡のなぞ

2006-02-10 01:15:33 | Weblog
2005年10月23日 日曜日 午後1時 海底遺跡ツアー

与那国島といえば、海底遺跡で有名だ。
1962年、与那国に巨石文化がある!という発見から始まり、
1986年に、ダイビングポイント開拓中に、
この「海底遺跡」が発見された。
その後は、全国から、学者やメディアが訪れ、話題となっている。

海底遺跡といわれる所以は、自然にできたとは思えない
角ばった岩が整然と並べられていて、お城のような地形を作っているからだ。
ただ、未だに、「自然説」「人工説」の結論は出ていないらしい。

ここへ来る前、写真やガイドブックで見たときの、
第一印象は、「こんなの自然にできるはずがない!!」だった。
なぜ自然説があるのか、不思議だった。

ところが、前日(10月22日)、島を巡ってみて、
考え方が少し変わってきた。
このブログの1月7日(恐ろしい島)を見てもらえば分かるように、
この島の岩は、板状に重なりあっている所が多い。
角ばった地形ができてもおかしくないような岩が多いのだ。
そう考えると、自然にできた可能性も否定はできないなと
思うようになった。

詳しいことは、深い研究が各種されているので、
そちらを見て頂きたい。


★海底遺跡を見るツアーがある。
ダイビングのほか、
ダイビングをできない人でもグラスボートで見ることができる。

・ジャックスドルフィン号
半潜水艇の側面に窓がついているので、
立体的に海底遺跡を見ることができる。

・もすらのたまご
船底に窓がついているので、
下に海底遺跡を見る。

どちらも、酔いやすい人は、酔い止めを!!

ユキさんちのカレー

2006-02-07 13:46:18 | Weblog
10月23日 日曜日 午前11時30分  ユキさんちのカレー



坂の途中にあるユキさんちのカレー。
店の扉が開いて、店の前を掃き掃除している人が出てきた。
開いているか確認すると、どうぞ!お好きな席へ と案内された。
テラス席の方で風を受けながら食べることにした。



室内もとっても雰囲気の良いお店で、
あっという間に気に入った。
日替わりカレー、きょうは「ナーベラとカジキのカレー」を注文。



ヘチマとカジキマグロが入っているカレーだ。
カレーはスープカレーっぽい、サラサラしたルウだ。
でも、味はしっかりとしている。
野菜やスパイスなどの様々な味が合わさって、
口の中で複雑な旨みをかもし出す。

今回の旅では、カレーをいっぱい食べたけど、
ここのカレーが一番好きかな。
食後にホットチャイ。




サンアイイソバ伝説

2006-02-06 13:45:38 | Weblog
サンアイイソバとは、
1500年頃、与那国を治めていた女酋長のこと。
自分の弟たち4人に村を治めさせ、
自らは、このティンダハナタから村の様子を眺めていたのだろうか。
ただ、このサンアイイソバは、自らもよく働き、
村人の手本となり、そうすることで、支持を集めていたという。
これは、今の世の中でも、上に立つ人間に見習って欲しいところ・・・

それはさておき、サンアイイソバは巨人で、
乳首を4つ持つとも言われる。
巨人だから4つというのは理不尽な気もするが、、。

そして、おもしろいのが(おもしろくない?)イソバの伝説だ。
このティンダハナタには「イヌガンの碑」なるものがある。
この話を要約してみると、次のようになる。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
久米島から貢物を運んできた船が嵐に遭遇し、遭難してしまう。
その船が何とかたどり着いたのが与那国島だった。
船には、女一人、犬一匹、男が数人乗っていたようだ。
犬が、男を次々とかみ殺してしまう。
そして、残った女一人と犬一匹が夫婦となり、生活を始める。
その生活の場が、このイヌガンの碑のあたりだったという。


今度は、小浜島から漂流してきた男が現れる。
その男が犬を殺し、女との結婚生活を始める。
7人の子供をもうけ、幸せに暮らした。

ところが、この男、小浜島にも妻がいて、郷愁の念にかられ、
小浜島に帰ってしまう。
しかししかし、この男、今度は与那国に未練を感じ、
またまた与那国に渡ってくる。超優柔不断男なのだ。

で、妻である女から、前夫の犬の骨をどこへ埋めたか聞かれる。
男が教えると、ほどなく、女は姿を消し、
後日、犬の骨を抱いて死んでいる姿を男が見つける。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

伝説といっても、何か教訓めいたものがあるわけでもなく、
盛り上がりのある、おもしろいお話、、、ってわけでもなく、、

んで、どうなの??!っていう感じのお話でした。







ティンダハナタ

2006-02-05 13:44:56 | Weblog
2005年10月23日 日曜日 午前10時  ティンダハナタ

ティンダハナタは、自然の侵食により
標高100m付近の岩がけずり取られ、
できたスペースは、現在、展望台となっている。
展望台からは、祖納集落やナンタ浜を一望できる。

こんな薄暗い林の中を歩いていくと、、、



岩が出現。
岩の中の洞窟といった感じだ。



ティンダハナタからの眺めは↓



このティンダハナタには、
昔々、サンアイイソバという女傑が住んでいたと言われる。