マーサの昔話

デジカメでの景色や花、動物などの写真
海外体験談、今日の一品、糖分控えめ?なおやつ等‥‥‥

母にそっくりな人

2010年08月12日 | Un fenómeno sobrenatural
 今から20年前、未だ母も美しかった頃の話です。

 近所のスーパーマーケットから帰ってきて、いきなり言うんです。
 「おかしな事って、続くものやね。」
 「どうしたん。」
 「0000へ買い物へ行ったら、いきなり“田中さん、こんにちは!”
 人間違いしてるなと思い、その人に“私は田中と違います。”と言い
 買い物を続けていると、又知らない人から“田中さん、久しぶりやね。”
 それで、又、人間違いである事を告げ、スーパーを出て、その近くの
 市場を歩いていると、またもや“田中さん、明日お宅に伺うわね。”
 これで3人目、あまりにも人間違いが多いので、聞いたのよ。
 “その田中さんってどこに住んでいるの?” 家と反対方向で
 自転車で10分位のところに住んでいるらしいのよ。 それも、年、格好も
 瓜二つらしい。 一度、合ってみたいと思って、住所を聞いてきた。」

 「住所まで、聞いたの? よく聞くわ。 でもお母さん、出身は大阪じゃないじゃない。
 00県の庄屋のお嬢さんやろ。 高齢出産で産まれたって言ってたよね。
 双子でもないし、おかしな話やね。 しかも、いつも行っているスーパーなのに
 今日に限って変よね。 急に人間違いが出てくるなんて・・・」

 「何か知らないけど、合って見たいわ。 間違った人皆、本当にそっくりやと言ってた
 から。 世の中に自分と同じ顔の人が3人いるって話あるじゃない。」
 「まあね、でも、合わない方がいいと思うよ。」
 「何故? 」
 「何故って、何となくなんだけど、その人が何かの病気になったり、事故ったら
 お母さんも同じようになるだろうし、やはり、同じ運命を辿ることになると思うのよ。
 早く言えば、鏡みたいなものよ。 嫌でしょう。 いい事ばかりじゃないだろうし
 会うなんて辞めときな。 」

 “会うな。”と言われれば余計に“会いたくなる。” らしくて、母は明くる日
 自転車に乗って、その方の家まで行ったそうです。 でもあいにく旅行中で
 対面は果たされなかったのですが、その後も2,3回会いに行っているのですが
 不思議と留守の多い家庭で、母が尋ねて行く時はいつも居ないようです。

 結局、1年に亘って度々会いに行ったようですが、いつも会えずに、最後に尋ねた時は
 引越しした後だったそうだ。 近所の人達は、よく会っているのに、どうして母には
 1度も会えなかったのか? 少し不思議な気もするのですが・・・


 昔、ドッペルゲンガー現象というのがあって、(今はあまり聞かないね)自ら自分の
 「ドッペルゲンガー」現象を体験した場合には、「その者の寿命が尽きる寸前の証」と
 いう民間伝承もあり、未確認ながらそのような例が数例あったということで
 過去には恐れられていた現象でもあるようである。

  調べますとドッペルゲンガーの特徴として

 1.ドッペルゲンガーの人物は周囲の人間と会話をしない。

 2.本人に関係のある場所に出現する。

 死期が近い人物がドッペルゲンガーを見るという事から、「ドッペルゲンガーを見ると
 死期が近い」という民間伝承が生まれたとも考えられる。
 また、自分のドッペルゲンガーを見た人はそのドッペルゲンガーによって殺されるという
 言い伝えもあるかもしれない。

 医学においては、Autoscopy[2](AS 自己像幻視)といい、例えばスイス・チューリッヒ
 大学のピーター・ブルッガー博士などの研究によると、脳の側頭葉と頭頂葉の境界領域
 (側頭頭頂接合部)に脳腫瘍ができた患者が自己像幻視を見るケースが多いという。
 この脳の領域は、ボディーイメージを司ると考えられており、機能が損なわれると
 自己の肉体の認識上の感覚を失い、あたかも肉体とは別の「もう一人の自分」が存在する
 かのように錯覚することがあると言われている。

 カナダ・マギル大学のワイルダー・ペンフィールド博士がおこなった実験によって
 正常な人でも、ボディーイメージを司る脳の領域に刺激を与えると、肉体とは別の
 「もう一人の自分」が存在するように感じられることが確認されている。
 ドイツ・アーヘン大学のクラウス・ポドル博士は、自己像幻視は脳腫瘍に限らず
 偏頭痛が発生する原因となる脳内の血流の変動による脳の機能の低下によっても
 引き起こされるとしている。

 
 なお、もしも運悪くドッペルゲンガーに遭遇してしまった場合は、どういう言葉でも
 いいのでそのドッペルゲンガーを罵倒すれば助かるというが、詳細は不明らしい。


 こうなれば、母に似た人に会えなくって、本当に良かったと思います。
 母は、「惚けた。惚けた。」と言いながらも、私とはちゃんとお話ができるし
 この暑い中を2日に1度、病院通いしながらも元気でいますよ。

実家の猫騒動

2010年08月11日 | Un fenómeno sobrenatural
 今日は、実家にいた猫の話です。 
 私が子供だった頃、実家では、交互に大型犬や猫も飼っていた時期がありました。
 私は猫が好きだったのですが、長男が私以上に猫への愛情を注いでまして
 どの猫もよく言うことを聞いて懐いておりました。

 その当時の家の前は、道路を渡ると広い野原がありまして、猫が家の前の道路を渡って
 草を食べによく遊びに行ってました。
 その道路を日に何度も往復するものですから、家で飼っていた猫は殆ど交通事故で
 亡くなりました。  長生きした猫も何匹もいたんですけど、その内の1匹が今日の話に
 出てくる猫です。 名前は“ミーコ”で見た目が汚い配色のサビ猫でした。
 大晦日に近所で捨てられていて、大声で泣き通しだったので、不憫に思い、家で
 引き取った訳です。  

 ミーコが大人になった頃、家で祖母が亡くなりました。
 私の母は、「猫を祖母の遺体が置いてある部屋に、絶対入れてはいけない。」と言い
 ミーコをピアノ室に閉じ込めていたのですが、私が餌をやりに入室した瞬間
 飛び出しまして、数時間、行方不明になっていたのですが、いつの間にか
 祖母を寝かせている部屋の隅にいたのです。 
 それを見た母は激怒して、ミーコをすぐに追い出したのですが、母は、恐ろしい事が
 起こらないように、お坊さんに御祓いを頼んでいたようです。

 何故、猫が死体のある部屋に居てはいけないのか、聞いてみますと、母の実家の方の
 言い伝えで、飼い猫を死体の安置してある部屋に入れると、飼い猫が化け猫になると
 いう言い伝えで、まあ、猫は魔物の様に扱われていて、死体の上を飛んだり跨いだり
 すると、清められたものが穢れ、ご遺体も成仏できないとか・・・で
 それを聞いた時、祖母の通夜上、笑ってる場合じゃなかったのですけど
 あまりに非現実的な事を言い出すので、思わずにんまりしてしまいましたが・・・

 化け猫って、例えば私に猫の霊が乗り移ったりして魚を銜えて走り回るのでしょうか?
 それとも、祖母が猫になって生き返るなんて・・・想像を絶する事じゃないですか?
 ある意味、面白いじゃないですか? 猫人間、キティちゃん可愛いよね。意味が違う?

 結局、猫の管理が悪いと、母を怒らせてしまって、しばらく話もしてくれませんでした。
 母は、異常な恐がり屋で、怪談映画も駄目だし、勿論、オバケ屋敷も絶対行かせて
 くれませんでした。 特に、私が小・中学校の頃、予知能力があったのも
 母には言えませんでした。 そんな事言ったら、きっと、どこかへ養子にでも出される
 かもしれなかったからです。

 話は少し逸れましたが、それから数か月経ったある夜、夕食を食べていた時です。
 ピアノ室から、次男の悲鳴が聞こえたのです。 初めて聞きました。
 男の悲鳴ってすごかったです。 
 皆で、何が起こったのかピアノ室前に行くと、いつも開け放しのピアノ室が閉まっていて
 中でミーコが飛び回ってギャーギャー言ってる声と次男の叫び声が響き渡っています。
 しかも、次男がちょうどドアの所でもたれているものですから、ドアが開けられない。

 それでも、やっとこさ長男がこじ開け、中を見ますと惨劇が・・・

 次男が全身、猫に咬まれ、引っかかれて血だらけになっていました。
 夏でしたから、半パンに半袖シャツ姿ですから尚更ひどい事になっていました。
 顔も血だらけで、本当にこんな事、信じられない様な光景が目前に・・・
 それを見た母は、当然の如く気絶し、私は次男を病院に連れて行き、長男は
 猫を宥め、普通ならこんな猫、お払い箱(猫にも使えるのか?)ですけどね。

 猫に優しい長男は、次男が悪いと言い責めて、猫を捨てなかったのです。
 その後から、二人の兄の仲がすごく悪くなったのですが、私は関知しません。
 結局、ミーコが何故、次男を襲ったのか解らず仕舞いで月日が過ぎ去りました。

 ミーコは、人間で例えるなら80歳位まで生きて、老衰で死んだのです。
 死ぬ間際は、寂しかったのか、好きな人に看取られたかったのか、長男のベッドに
 入ったそうです。 兄は、ミーコが夜中に来て、朝方死んだと言ってました。
 猫の葬式も長男が全て手配して、済ませたそうです。
  

 という事で、今宵は猫に纏わるお話をしましたが、文章がかなり乱れていて
 読みにくくなっております。 何故か今日は、電話、来客がやたら多くて
 しかも用事外出が数回ありましたので、気を入れて書く事に集中できなかった為だと
 思います。 やはり、こんな拙い文でも、静かな環境が必要ですよね。
 今日の出来事は、又今度、書くことにします。
 ちなみに私は “モンスター” ではありませんぞ。
 嵐の “モンスター” は好きですけど。 

招かれざる客

2010年08月10日 | Un fenómeno sobrenatural
 いや~懐かしいアニメですねえ~。 皆さん、セーラームーンですよ。
 今晩の話に登場する?  ショートカットのお嬢さんのイメージでお借りしてます。

 今回は、高校2年の時の話をします。 ちょうど今頃、夏休みの部活の帰りに
 よく寄った喫茶店 “スウェーデン” での出来事です。
 
 いつもは、数人の女子部員と行く事が多かったのですが、その時、たまたま
 サッカー部の男子部員と校門で会って、声をかけられたのですが・・・

 「君、5組の子だね。 クラブ、今終わったの? 早くない?」
 「そう5組よ。 今日、少し疲れちゃって、夏バテかな? 空腹なのかも? 
 そういうあなたこそ、早いんじゃないの?」
 「君と多分一緒さ。 昼におにぎりしか食べなかったからお腹空いちゃってさあ
 もし、良かったら“サテン”(この頃、喫茶店の事をこう言った)へ行かないか。」
 「いいわよ。」
 「“ジョイ”へ行こう。」
 「いや、“ジョイ”は生クリームが不味いから。」
 「ええ~、俺、パフェ系食べないから解らないや。」
 「“スウェーデン”はパフェ系のメニューが充実しているしナポリタンもGoodよ!」
 「聞いたことあるけど、行った事ないなあ。」
 「じゃあ、決まりね。」

 という訳で、イケメンサッカー部員と喫茶店“スウェーデン”へ行ったのである。
 いつも座る一番奥の隅の席を目指して、「落ち着くんだよね。この席。」と言って
 向かい合って座る。
 
 しばらくして、ウェイトレスが水を持って来た。
 私と向かい合ったS君の前にグラスを置き、何故かトレイに残っていたもう一つの
 グラスをS君のグラスの横に置いて、立ち去ろうとした。

 それを見ていたS君は怒って
 「ふざけるな。 二人しかいないのに、何考えてるんだ。 ぼーっとするな。」
 
 慌てて、そのウェイトレスはそのグラスをトレイに戻し
 「申し訳ございませんでした。」と言って下を向いて戻って行きました。
 それから、別のウェイトレスが来て、オーダーをとり
 私達はそれらを飲食して帰りました。

 今まで何十回もこのサテンに来ていて、こんな事がなかったものですから
 最初はびっくりしましたけど、S君が言ったように、何か考え事をしていたのかも
 と思っていたのです。

 それから半年後、期末試験の最終日に又、校門でS君と偶然、出合ったので
 喫茶店“スウェーデン”に行ったのです。 
 すると、水の入ったグラスを再び、誰もいないS君のグラスの横に置いたのです。
 よく見ると、髪型は変わっていましたけど、前のウェイトレスさんのようでした。

 S君は怒り心頭で
 「忘れかかっていたけど、お前、前のウェイトレスやな。 何か俺に恨みでもあるの?」
 「・・・そんな・・・申し訳ございません。」
 と泣きそうになって、又トレイにグラスを戻して、戻ろうとした時に私は言った。

 「大丈夫よ。 口悪いけど、この子、悪い子じゃないから。 気にしないでね。
 ・・・ただ、少し質問していい? 怒らないから、答えてね。 S君の横に
 誰か座っています?」
 「・・・」
 「・・・解った。 ちょっとこちらに来て?」
 と言って、私はそのウェイトレスと一緒に店の外へ出て、そしてもう一度尋ねた。

 「入って来られた時は3人でした。 あの男子の後ろについて入って来られました。」
 「どんな感じの人?」
 「同世代だと思いますけど、あなたと制服が違いました。 セーラー服の襟が青で
 ショートカットのとても可愛い人でした。」
 「まあ、そこまでハッキリと・・・その制服の高校って・・・知っているわ。
 私達、夏にも来たのよ。 その時の事は、覚えてる?」
 「いえ、覚えていません。」
 「ご免なさい。 色々聞いて、気を悪くしないでね。」
 「・・・ただ、私、前から同じお叱りを何度もされているんです。 
 店と様々なお客様にご迷惑かけて、バイト辞めようかと思っているんです。」
 「という事は、あなたにとっては自然に見えていても、周りには見えていない。
 と言う事ですね。 それは、どうしようもないよね。 あまり気にしないほうがいい。」
 「有り難うございます。 そう言って頂いて助かりました。」

 しばらく経って戻るとS君は「俺、やっぱジョイが向いてるよ。 出るぞ。」と言って
 そこを出て、“ジョイ”につき合わされましたけど、S君に
 「000高校の女子と付きあった事がある?」と聞きましたら
 「幼馴染で仲の良かった子がその高校へ行ったとは噂で聞いているが
 何せ、引越しして以来、会った事がないよ。 」
 「その子、可愛かった?」
 「目がパッチリしていて、すごく可愛かったよ。  何故? そんな事聞くの?」
 「いや、あなたって随分もてたのね~って話よ。」
 「今頃、解ったか。」
 「まあ、すごい自信ね。 でも私はタイプじゃないからね、悪・し・か・ら・ず。」

 結局、このウェイトレスさんが見たのは、生霊なのか、さまよう0霊なのか
 調査をした訳でもないので、何も分からないのですが、、、いや、余計な詮索は
 逆に0霊を呼び込む事にもなりますので、スルーするのがいいのです。
 でも、こんな可愛い子が憑いて来たら、逆に歓迎かも・・・
 残念ながら、S君には見えていないので、やはり歓迎してはならぬものなのか・・・
 このウェイトレスさんと同じ事を、私がルイ・ヴィトンにいた時、体験しましたので
 その時の話は、又書きたいと思います。

 この手の話は、実際よく聞く話で、見える人には普通に見えるので、当然恐くも
 何ともないのです。 私も知らずにこんな経験は何回もしているので、実際には
 存在していないものもあったと思いますが、気付いていないだけです。
 皆さんも気付かずに、接している事があるかもしれませんよ。
 

 

誰かがいる 

2010年08月09日 | Un fenómeno sobrenatural
 
 酷暑。 毎日暑い日々が続いております。 本当に暑いですね~
 電気代は結構かかってしまいますが、暑い時期だけ、エアコンをつけています。
 エアコンがあっても、健康の為につけない人も結構いますよね。 
 まあ、自然に涼しくなれば、それにこした事はないのですが
 そんな方の為に今夜から、本当にあった怖~い話を始めますよ。
 少しは、涼しく出来るかな?

 私が入院した時に体験した奇妙な出来事なんですが、あれは18年前の5月
 帝王切開で入院した時、6人部屋での出来事でした。

 6人部屋に5人が入っていて、片方の窓側は空きベッドのままでした。
 私のベッドはちょうど真ん中で、電気つけても暗いし、別に病気じゃないので
 同室のみんなは、しきりカーテンを開けっ放しにしていたんです。 
 同じ病棟の方は、妊婦さんばかりでした。 皆、同じ日に出産したので、友達の様に
 仲良くしていました。
 例えば、私がベッドから離れていた時、私の子が泣いていたら、誰かが抱っこして
 くれていたりして、皆、助け合いでした。 そんな仲間のお母さん達も殆どが普通分娩で
 早い人は3日、遅くても1週間で退院して行きました。

 ですから、土日は私一人の時があったのです。 6人部屋のしきりカーテンは開けっ放しで
 広々と開放感に溢れていた反面、今まで賑やかだった部屋の静まりようはすごいギャップで
 異様な雰囲気さえありました。 まあ、側に可愛い我が子もいるんだから、その世話で
 あまり感じないようにはしていましたけれど。 夜中に何度かミルクを与えるので
 昼間どうしても睡魔が襲って来ます。 仕方なくうたた寝してしまい、ふと眼が覚めると
 昼間なのに何だか薄暗い。 横を見ると、開けっ放している筈のしきりカーテンが
 ぐるっと引かれて閉まっていたのです。

 “あれっおかしいなあ。寝ている間に誰か入院してきたのかな。”位に思っていました。
 中で誰かがいる気配もあるし、小さい音ですが、時々音も聞こえたりする。
 赤ちゃんが泣き出したので、オムツを変えたり、世話をしていました。
 普通、こちらで物音が聞こえたら、挨拶に来たりするものでしょう。なのに出てこない。
 きっと人嫌いの変人かなって、なるべく気にしないようにしていたんです。

 夕方、看護師さんが巡回に来た時、「どうしたんですか? 眩しいんですか?
 眩しかったら、カーテンではなくてにブラインドにしたら。」と言って、徐に横の
 カーテンをザーと開けたのでびっくりしました。
 しかし、中には誰もいなかったし、荷物も何もなかった。

 私は看護師さんに「何だ! 誰もいないじゃないですか? カーテンがひかれていたので
 てっきり寝ている間に、誰かが入院されたのかと思っていました。」
 「土日は入院患者はありませんよ。来週の月曜日ですよ。」
 「ああ、そうなんですか? じゃあ、誰がわざわざカーテンをひいたのかしら?」
 「・・・さあ、小児病棟の子供が悪戯で閉めたんじゃない?」
 「小児病棟? ああ、そうか同じ階ですものね。」

 でも廊下で走っている子供は全然見かけません。 夕方、赤ちゃんをお風呂へ入れに
 赤ちゃん用の入浴室へ行ったんです。 40分位かかって戻ってきたら
 又、カーテンがひいてあるので、何も躊躇わず、カーテンを開けました。
 看護師さんが言った様に誰かが、寝ている時か不在の時に悪戯しているのだと
 思っていました。

 夕食が運ばれて来た時、ちょうど主人が来てくれて、「あれだけ賑やかだったのに
 随分、寂しい部屋になったなあ。」と言ってました。
 「でしょう、昨日まで楽しくわいわい騒いでいたのに、皆、退院して行ったわ。
 隣も2人しかいないみたいよ。まあ、急に産気づいて患者さんが来るかもしれないし…
 ところで今日、泊まって行く?」
 「アホ! ここは、ホテルじゃないぞ。 まあ、7時まではおるわ。 」
 「ふ~ん。 随分冷たいのね。 愛する妻と子を置いて帰るんだ。」
 「いい加減にしろよ。 俺だって疲れているんだ。」
 「じゃあ、私はどうなのよ? 毎日3時間おきに起きて、赤ちゃんにミルクをやったり
 オシメ変えたりしてるのよ。」
 「当たり前じゃないか、母親なんだから。 」「・・・」

 結局、寂しい部屋に主人を泊めることができず、7時に帰っていきました。 
 夕食が終わり、消灯が過ぎ、3時間おきに起こされる。 夜中に2回起きた時も
 いつの間にかカーテンは閉まっていました。
 でも、夜中は部分照明だけで、回りも暗いのでさほど気にはなりませんでした。

 明くる朝、看護師さんが隣のカーテンをザーと開けながら、「閉めた方がいいの?」
 「どうしてですか? 私は、いつも開けているのに、寝ている間に誰かが閉めている。」
 「誰か?」
 「そう、誰かです。金曜までこんな事なかったのに、私一人きりになったらいきなり
 誰かが悪戯をするんで…」
 「…誰かが?… 」
 「看護師さん、言って下さいよ。何か、あるんじゃないですか? 隣のベッド。
 おかしいじゃないですか? 人の気配が少なくなった途端にこんな現象が、有り得ない。」
 かなり難しい顔をして 「考えすぎよ。 何も無いですよ。」
 「ふ~ん。 もういいですわ。」

 この夜も3時間毎に起きる度に、カーテンは閉まったままでした。
 月曜の朝、同室に又4人の妊婦さんが入院して来られました。
 でも、私の隣のベッドには患者は来ない。
 4人の内の一人の患者の母親が
 「ひろこ。 窓側が開いているじゃない。 明るくていいわ。 代わってもらう? 」
 って事で、詰め所の看護師さんに言いに行き、私の隣に代わってきたのだった。
 
 ところが、この夜、この患者さんが、すごく魘されて夜中に緊急のベルを押して
 看護師さんが3人やって来て、ベッド毎、個室へ運ばれて行ったのです。
 結局、又、空きベッドになりました。 明朝、その人のうわさ話で持ちきりでした。
 
 なので入院してからいつも掃除に来られた時に、世間話をしていたおばさんに
 尋ねてみたんです。
 
 「あのう、このベッドって、いつから空きのままなんですか?」
 「半年前位かな? 若いのに子宮がんにかかった患者さんが長い事入院していましてね
 妊娠してはったんですけど、癌の治療を優先という事で、堕胎しはって、カーテンを
 ひいたまま、ずっと泣いておられましたよ。 可哀相でした。」
 「その患者さんは良くなられたんですか?」
 「そうでっしゃろ。 よう解らんけど、退院しはったんは知ってる。」
 「それは、良かったわ。」

 結局、婦人科から1人移動してきて、5人になりましたが、窓側はやはり開いたままでした。
 妙な出来事の意味もそこそこに、その週の金曜に私達は退院しました。
 
 
 
    

稲荷神社

2009年11月14日 | Un fenómeno sobrenatural
                   北の街の一角で見つけた 

                   小さな稲荷神社


                   毎日 誰かが? お祈りする

                   昔 私の友達の家の庭にも

                   同じような御稲荷さんがありました

                   商売をしている訳でもなく

                   何故かガレージの横にありましたね

                   友達のお母さんが 毎朝お揚げさんを

                   御供えしていたのですが 

                   不思議と 明くる朝には無くなっているらしい

                   きっと 誰かが持って行っているのかと思い

                   ある日 窓のカーテンの隙間から

                   見ていたらしいのです

                   1時間位経っても 現れないので

                   諦めて見張るのを 止め様と思った時

                   白いスカーフを 頬被りした人が来て

                   お供えしていたお揚げさんを

                   持って行こうと手に取り

                   帰ろうとしたその瞬間

                   おばさんが見ている方を

                   振り返って見たらしいのです


                   おばさんは その時 見た事を未だに

                   忘れる事ができないと言っておりました


                   何と 白いスカーフの間から

                   真っ白な狐の高い鼻が見えたそうで
 
                   それ以来 現れなくなったと言う事です

                   おばさんは 見張っていた事を後悔し

                   狐さんが来なくなった お稲荷さんを

                   祭っていても 意味が無いと思い

                   神社に祈祷してもらって

                   お稲荷さんを 本舎へ移動したそうです

           

           

未確認物体の追跡調査

2009年10月26日 | Un fenómeno sobrenatural
 

 22日に投稿しました未確認物体について、追跡調査を致しました。

 実は、土日に息子と一緒に見に行こうと思っていたのですが、科学館に行くとか

学校の用事とかで、結局、相手にしてもらえず、旦那は旦那で「何かの宣伝や。」とか

 全く話になりませんので、昨日、再度確かめに行きました。

 暇やねえ~ 見た日に、調査しなさいって、、、

 池に着いて、 ブツ は未だあったので、その近くにいた公園の手入れをしている

おじさんに聞いてみた。

 

 「ああ、あれね、水都大阪2009の会場に設置されていた 『ソーラーUFO』

(太陽光発電水浄化システム)が10月20日に、この大池に移設されたんです。」

 そうだったんやわ、大阪人として何も知らんなんて、恥ずかしい~

 入院準備で、8月の末から、忙しくしていたので、結局【水都大阪2009】には

1回も行かずじまいでして、うわさだけ通り過ぎた感じでした。残念です。


 今更ながら、『ソーラーUFO』について、調べてみました。 

 ソーラーUFOは、幅5メートル、高さ1・6メートル、重量約3・4トンの

円盤型。表面にソーラーパネル30枚が取り付けられている。

 底面の濾過(ろか)装置には、水自体の浄化作用を促す機能を搭載。

 約1・3キロワットの電力で1日約9千リットルの水を浄化する。

 浄化された水の一部は中央部から噴出され、温度が低いほど発電効率が高まる

太陽電池を冷却するとともに、表面を洗浄する。

 関係者は「環境への取り組みに興味をもってもらいたい」と話している。

 大阪城公園外堀の装置とともに、運用期間は来年3月末まで。  

“ エルビス・プレスリー雲 ”

2009年10月23日 | Un fenómeno sobrenatural
 秋の公園通りを撮影した写真。


 椅子にもたれながら、何のインパクトも無い写真だな~と思って、削除にしようとした瞬間


ちょうど真ん中に、エルビス・プレスリーの顔が見えた。


 並べると解りやすいかな。







 一文字の口元、まゆ、目もある。髪は、ウエーブがかかっている様に見える。


 早速、息子を呼んで見てもらったら「エルビスって誰?」って返事が、、、


 「当然 知らないだろうな。ママだって よく知らないけど、何回か リバイバル映画を見ていたので


 何となく知っているだけ。


 特にロックの歌は有名よね。 ママは “ Love me tender ”  が好きだよ。


 確か、小泉元総理が、アメリカのメンフィスへ行った時、元ブッシュ大統領の前で歌ってたよね。」


 「僕は、エルビスは知らないけど、この雲、何となく外人っぽくは、見えるかなあ。

 やっぱり髪のウェーブのせい?」と、まあ、こんなやりとりで、今回 となりました。



           
  エルヴィス・アーロン・プレスリー (Elvis Aaron Presley, 1935年1月8日 – 1977年8月16日)は


アメリカのロックンロールミュージシャン。


 ミドルネームは墓石には Aaron とつづられているが、サイン、公文書共に Aron である。


 キング・オブ・ロックンロールまたはキングと称され、ギネス・ワールド・レコーズでは


 「最も成功したソロ・アーティスト」として認定されている。1977年8月16日、心臓発作により急逝。


 42歳だった。 マイケル・ジャクソンといい、、、若すぎるよね。。。

               
                                               (芸能百貨より)
      

池に着水か? UFO

2009年10月22日 | Un fenómeno sobrenatural
           

 昨日 あまり天気が良かったので 秋の花を見に行ったのですが

 夕日の池を撮ろうと思って 何気なく 視線が ・・・・・

            

 何でしょう? 未確認物体 が浮いている ムムム

 UFO が着水したの? でも ただ 浮いているだけのようだが

 形が まるで UFO 誰かが何かの調査しているのか

 私が 写真を撮っていたら いつのまにか 周りに数人集っており


 同じように 写真を撮っていた


 ここで スモークか何か出てきて 扉か窓が開けば もっと刺激的~

            
           


 好奇心の強いのマーサは 他の人と一緒に 10分程見つめておりましたが


 何の変化も無い様子に しびれを切らして 帰宅いたしました 


 又 後日 嫌がる息子を連行して 調査に行きたいと思います


 その時 無ければ きっと  UFO だった可能性大だと思いますに、、、


 


 

 

 

  

  

 

   

回る湯呑み

2009年07月26日 | Un fenómeno sobrenatural
 
 私は、主人の仕事の関係で北京に8ヵ月、住んだ事がありました。
 一日中、私はいつも一人で主人の帰りを家で待っていました。
 妊娠していたせいもあり、しかも冬季でしたので外は凍て付くような寒さ
買い物以外は、ほとんど暖かい家にいました。

 その為、ストレス障害を起こして1ヵ月に一度の割合で日中友好病院に
入退院を繰り返しておりました。 一回最低1週間入院すると風呂付特別個室で
10万位でした。 日本に比べたら半額以下でしたが、結局旅行と違って
北京の厳しい環境についていけなかった為です。
 
 その滞在中に雑貨屋で夫婦茶碗と湯飲みを買ったことがありまして
その湯呑みに不思議なことが起こっていました。
 茶葉と熱湯を入れて蓋をすると、湯呑み茶碗がカタカタカタカタと小さな音を
立てながら、くるくると回りだすのです。

 大理石のテーブルの上に置くのですが私の湯呑みだけ、いつも音を立てて
回り出します。 回って回って回って回~る  円広志の歌やねん

 ある日私は、そのことを主人に言って目の前で見てもらったのです。
 主人の前でも小刻みに震えながら回っておりました。
 主人の湯呑みは動かない。 これが普通です。
 不思議そうに見てましたけど、「これは、科学的な根拠がある・・・」と言って
 私は、この理由がよく解らなかったのですが主人一人が納得している様子でした。

 「ねえ、この湯呑み日本のTV局に言ったら“回る湯呑み”とかで取材に来て
超有名になるかもよ。」なんて言い、2月の帰国日には持参して帰ろう
と思っていたのです。

 そして帰国準備も全て済ませた後も湯呑みは最後の日迄使用するので、帰る日に
包装して持って帰ろうと思っていました。
 ところが帰国当日、会社の仲間がどっとマンションに押しかけて来て「早く、早く。」
と急がされて気がついたら飛行機の中でした。 私が、ソフトドリンクを
飲んだ瞬間に思い出したのです。

 「回る湯呑み忘れた~。」もう機上ですから戻れない。 私達が帰国してから
会社の人に連絡とって送ってもらうからと言ってましたけど、結局、掃除の
おばさんが処分したらしくて行方不明。 せっかく愛着のあった湯呑みだったの
ですが、本当に残念な事をしました。

 今日で超常現象のお話は、一応おしまいです。

 この10日間、少しは皆様を涼しく出来ましたでしょうか?

 リクエストがあれば、いつでも又、お話致しましょうね。

 マーサの昔話を・・・・・・・・

















 

 

 
 

大学寮のポルターガイスト

2009年07月25日 | Un fenómeno sobrenatural
         
 今週は、日本で46年ぶりに皆既日食が見られ、私のブログの内容も皆既にかけて
怪奇特集を組んでおりましたので、今日はイギリスでの霊体験について書きたいと
思います。イギリスは、霊の本場?です。 そもそも私は、何故、大学の寮に
入らなかったのか、寮の方が費用も安価でしたが、決して選ばなかった訳・・・

 インターネットや携帯電話も未だ普及していない28年前の事だから、現代に
比べてかなり不便な時代でした。

 同じ大学の友人に呼ばれ、古い寮を訪ねた時の事です。 プレゼンについての
意見を求められ、何かいい言葉はないか考えていた時、急に同室の学生が出て行き
その後で「少し用事を思い出した。すぐに戻るから。」と友人も出て行きました。

 独り言で思いついた言葉を話したり、論理構成をライティングしていたのです。
 すると、何度書いても文字がくねくねになって、きれいに書けないのです。
 そして、低い男性の声で「その事に触れない方がいい・・・」と聞こえたので
「そうですか?では、どのように発表すればいいのでしょうか?」と姿なき方と
お話していた様なのです。でも、返事はなかったので、空耳だと思っておりました。

 その時、友人が戻ってきて「マーサ、何か感じましたか?」と言われるので
「えっ、どういうこと?」「昨日雄一が、マーサは幼い頃、不思議な体験をしてる
って聞いたものだから、悩みを聞いてもらえるかなと思って来てもらったんだ。」
と、その時、開いていた窓が、風も無いのにバタンと閉まるし、上からドンドンと
いう靴音が聞こえだし、デスク上の物は動くというより震えてる。又、その振動で
落ちるし、工事している訳でもない静かな筈の学生寮に、いわゆるポルターガイスト
現象が起こっていた。 しかも、日本よりはるかにパワーがある様に感じられた。

 そうこうしている内に、私の体の動きが鈍くなり、途中で気分が悪くなって
何か、得体の知れないものに、とり憑かれそうな感じがしたので、兄からプレゼント
された銀の十字架を握りしめ、十字をきってさっさと退散いたしました。

 これは、悪霊のたぐいではないか、どのように鎮めるのか、その術が解らない。
 西洋の悪霊は、いわゆるエクソシスト(悪魔祓い師)の手を借りなければ
とても、素人には太刀打ちできそうにもない。

 友人は後から追いかけてきて「何があった?」と聞くから「これから、ここ以外の
所で話を伺うわ。」と言うと謝っていましたけれど。友人も何かを感じているのですが
私ほど鮮明じゃない様で、彼にとっては、唯一の救い?だったような気がする。

 いずれにしても、この寮に長居しない方がよさそうである。私は、この様な事が
起こるであろう事を想定していたので、新興住宅街のホームスティ先を探して
もらっていた。こんな余計なもの?が憑いている部屋なんて、住みたくないし
私の選択は正しかったのである。

 現代は科学万能時代である。科学者のみならず、一般の人々でさえも科学で
解明できないことは頭から否定しようとする傾向にあります。しかし、霊は遥か
古代から現代に至るまで、絶えず目撃され続けた無視できない存在であり、あらゆる
種類の証拠を総合してもその実在性は決して否定することができないのです。
 


旧O病院の何か妖怪

2009年07月24日 | Un fenómeno sobrenatural
            

 旧O病院は1929~1934年に建てられたのです。
 この病院は戦前からの建物でしたので、今にもB29が攻めてきそうな雰囲気があり
実際、戦時中は防空壕としても使われていた地下通路があったようです。

 タイムスリップしたような不思議な雰囲気を味わえる病院は、当時日本中どこを
捜してもなかっただろうと思います。この建物の強烈な印象、オドロオドロしい・・・
怖い雰囲気のある病院でした。近所の病院の方がずっと近代的でした。

 この病院に、私は25歳の頃、扁桃腺手術で入院しました。外来でも古いなあと
思っていましたけど、8人部屋に案内された時は、まるで戦争映画を思い出した
ものです。当時、ナースの制服も古いデザインで、ベッドも古いし、思わず
一体、このベッドで何十人、亡くなったんだろう って雰囲気のあるベッドなんです。
 しかも、ベッドの位置が高いものだから、ガードがあっても安心できない。
 落下したら、死ぬかもって思うほどだ。

 扁桃腺の手術も今からすると、超原始的に感じました。その頃は、それが一般的な
方法だったので、諦めるしかなかったのですが、手術の前に口の中にスプレー式の
麻酔を2回ほどして、歩いて手術室へ行く。先生とナースの二人だけです。
 両手でホーロー製の丸い洗面器の様なものを顎の下に受けるのです。

 それで口を開けて先生が扁桃腺を取るのですが、私的にはメスで切られた感じが
なくて、引っこ抜かれたイメージをもっています。しかも、ほとんど、麻酔は
効いていない。。。洗面器を持ったまま、顔が、引っ張られた状態?時間にして
2,3分かな、ポコッと片方が取れたようだ。目隠ししているので、血は見えないが
味と臭いで解る。かなりの出血だ。手術前、先生に「手術の時、どれ位、血が
出ますか?」と聞くと「少量ではないが、万が一大量出血しても、輸血するから
大丈夫ですよ。」なんて言われても、不安は拭えなかったが。。。

 案の定、具合が悪くなり、「先生、気分が悪いので少し横になりたいです。」
ナースが血圧をはかり「血圧が下がっています。」先生は「少し休みましょう。」
と、、、でも未だもう一つ残っているので、早く終わらせる為に、頑張って起き
「先生、もう大丈夫ですから、もう一つ、取って下さい。」「大丈夫?じゃあ
もうひと頑張りだ。」「お願いします。」・・・ポコッと残りの一つも取れて
止血剤を塗って、部屋へ戻る。ナースが、首に氷嚢を巻いてくれた。

 点滴をしたまま、後は寝るだけ。 朝、手術してずっと寝たままだった。私の
部屋は、耳鼻科病棟で、半分以上が扁桃腺手術で、皆ひたすら眠っていた。
 夜、夕食が配膳されるが、食べれるわけがない。こんな情けない夜は初めてだった。
 血の混じったつばを何回も痰壷に吐き、イソジンで口の洗浄を繰り返す。夕方から
熱が出てきて、自分で歩いて詰め所まで行き、宿直のナースに「氷を下さ~い。」

 詰め所から病棟まで5分位あり、その通路が薄暗くてお化け屋敷のようだった。
 染みだらけのコンクリートの長~い廊下、しかも照明がほとんどないのだ。
 ナースコールは、緊急時だけと念をおされているので、氷の交換は自分で行くのです。
 熱が下がらないので、真夜中に、何度も何度も、詰め所に通いました。
 寝るにも痛くて、寝れないのです。どれだけ、涙で枕を濡らしたことか。

 夜中の3時頃、何回目かの氷をもらいに詰め所に行くと、顔中包帯を巻いた患者
さんが待っていたので、私は、その後ろにうなりながら、並んで待っていました。
 宿直のナースが、「まだ、熱下がらないの?」と、でも前の人は返事もせずに
そのまま、あの暗い廊下へ戻って行った。ナースは、私に「あなた、耳大丈夫?」
「耳は、いいですよ。熱が下がらないので、氷お願いします。」「だから、今
未だ、熱下がらないの?って聞きましたけど。」「あっ、私の前の人に言ってるのかと
思っていたので、すいません。」「前の人って・・・あなたしか、いないよ。」

「エッ!」絶句・・・もう、言い返す気力も恐怖もなし、氷をもらって暗い廊下を
歩いて病棟に戻る。ベッドにあがり、横になり、結局、一晩中熱が引かなかった。
 朝方、ナースが見回りに来て、「どう痛む?」「痛いし、熱は引かないし・・」
 「じゃあ、座薬入れるわね。」 「ええ~、薬あったんですか?」
もっと、早く出せよ。昨日から、何回も痛い、熱があると繰り返し言っているのに・・・

 その明くる日の夜は、お隣の部屋から聞こえてくる患者の激しい咳で眠れないし
いびきもうるさいし、ナースに睡眠薬をもらおうと、理由を言ったのです。
 「あなた、耳は確かかな?」 又、あのナースと同じ事を言っている。
 「隣は開き部屋、今は、誰も入っていないわ。」私の隣の高校生も「えっ本当に
私も、毎晩、壁から話し声が聞こえてくるので、うるさいなあと思っていたんです。
 という事は、ゴースト?」ナースはニコニコ笑いながら「妖怪でしょう。」・・・

 ※現O病院は2003年に新築されました。
          
       
 


地下の書庫へ通う女性

2009年07月23日 | Un fenómeno sobrenatural
 
 皆既日食終わりましたけど、怪奇話し沢山あるので、もう少し続けます。

 私が民営化になる前の公社で事務員として、働いていた時のことである。
 2年前のちょうど今頃、民営化になる為の準備で、毎日が10時帰宅という残業が
当たり前になっていた時でした。
 しかし、結構、間に短い休憩がよくありましてその時にジュースを飲みに行ったり
お手洗いに行ったり、うろうろするのですが、7時30分の休憩時に、課の人達に
お菓子を配ろうと、地下のロッカーヘ行ったのです。
菓子箱を持って、ロッカー室を出た時、白いワンピースの女性が下へ降りて行ったのです。

 ロッカーのある階段からの地下2Fは封鎖されていて行くことができないのですが
地下3Fは、書庫になっていて、顧客の個人情報がびっしりと棚に収まっている。
 常に厳重に施錠してあり、入室するにも3人の上司の印鑑が必要であり、最低
二人以上で入室、決して一人での入室は許可されていないのです。
 その時は、深く考えず、何か探し物でも頼まれたのかな~位に思っていたのです。

 そして、数日後、又、同時刻に、忘れ物を取りに行った時、又、同じ人が下に
下りて行ったのです。二度目だったので、少し、気になって地下3Fまで行ったの
です。もう、姿がなくて、書庫に入ったようでした。時間も余りなかったので
部屋へ戻ったのです。珍しく課長が、今日は8時であがろうと言ったので、帰り道
数人で帰ったのです。その中に2人、勤続30年の大先輩がいらして、この建物で
昔、若い事務員の飛び降り自殺があったという事を話しだしたのです。

 いくら、外が暑いからって、皆、怖くて耳ふさいでましたけど、私はしっかり
聞いていて、「その方、先輩の知り合いですか?」「うん、同期だったのね。
彼女、お客様の大事な書類を紛失して、始末書を書かされた上、周りの皆から
執拗なイジメ・批難・中傷を浴びて、、、可哀相に、彼に買ってもらったお気に
入りの白いワンピースを着て飛び降りたのよ。それも、私の目の前でね、、、
 私の目の前が窓だったから、落ちてきた時はびっくりしたなんてものじゃない。
人の事も考えてって言いたい位よ、あの姿は、未だに目に焼きついてるわ。」

 「・・・それは、大変な事だったんですね。・・・実は、2回その方とすれ違って
います。その話を聞かなければ、私は、全然気づかないままだったでしょう。」
「そうあなたも見たのね。見た人、結構多いわよ。あなただけじゃない、何人いや
何十人の人が見たかしれない。ある意味、すごく有名なのよ。未だに、失くした
書類を捜しに行っているらしい。責任感の強い子だったのよ。」

 でも、先輩、何か御祓いするとか、上司に言うとか、対策を考えないと、「そうね
でも、結局、ここに勤めている皆からの中傷で、こうなったのだから、特に30年
以上勤続している仲間が彼女を許してあげなければ意味がないと思うわ。
 そう改心しなければ、いくら祈祷師呼んでも駄目よ。」「じゃあ、以前に何回も?」
「そう、何回も供養をしているのよ。でも、毎年、今の時期、目撃談が相次いで
いるのよ。哀しいわね成仏できないって・・・」

結局私は、その1ヵ月後、中耳炎の手術の事もあったのですが、退職いたしました。

濡れていた布団・・・尿失禁じゃないです

2009年07月22日 | Un fenómeno sobrenatural
 
 マーサの昔話、今晩お話しするのは、メロンで有名な伊良子岬です。
 
 仲良し3人組、鳥取の旅で一緒だった佐奈枝とぽっちゃりの美知子と伊良子岬へ
海水浴に来たのですが、ちょうどお盆に来たので、波もかなり荒くなってました。
 なので、海水浴はやめて、花火大会と船上パーティーがあるので、そちらの方で
楽しむ事になりました。 地元の若者達との合同コンパの様なものです。

 大型の船で、ビール飲みながらダンスをしたり、花火を見たり、メロン割り
(これが、固~い)結構、大勢の若者達が集って、とても楽しく時間を過ごすことが
出来ました。 パーティが終わってから、その中の一人が「肝だめししよう~ぜ。」
って言い出したのです。 皆、好きなんだね。 夏期限定の定番お遊びだ。

 「遊歩道の先に荒れた無人のお寺があるから、ペアで行ってメモ(お札の代わり)
を置いてくる事!」 3人それぞれ、地元の青年と手を取り合って行くのだ。
 でもよく考えてみたら、皆、お酒飲んでいるんですよ。 ちゃんと案内できるのか?
 ペアで行くのだから、途中で襲われるかも?でしょう? それ位、理解してから
行ってよね。 と小声で友人2人に忠告した。 先ず、私達が一番だった。
 相手は、民宿やの息子さんでした。  私は手を握らずとも、大体、道は把握?
できているので、二人で、話しながら行く。

 さっさと歩く私にびっくりしていた様でした。 

 「君、地元の人みたいだね。凄く、この道に慣れているね。この近所で生まれたの?」

 「いいえ、全く初めてだけど。 勘というか、大体どこでもこんな調子よ。」

 「それは、便利いいよね。 迷子にならないし。」

 「ええ、子供の頃から、迷子の経験はないのよ。」

 「ふ~ん。」
 
 そんな話をしていたら、もう無人の荒れた寺に着いたので、境内にメモを置いて帰る。
 ところが、帰りは行きと違って、急に足取りが重くなった。

 連れの青年も少し、異変を感じていたようだ、彼にも少し霊感あったのかな?
 二人とも腹痛がしてきたのだ。 それでも、10分という速さで戻って来たが、彼は
腹痛がひどくて、帰宅してしまった。 私も早く旅館に帰りたかったが、後二人を
おいて行けないので、お腹を温めるようにして座って彼女達の帰りを待っていた。

 50分かかって、佐奈枝ペアと美知子ペアが帰って来た。 その時は、もうお腹の
痛みもなくなっていた。 その後、喫茶店で帰った彼のうわさ話をしていたのです。
 幼馴染の二人が言うのには、彼は、よく霊体験しているらしく、“霊がよく憑いて
くる。”と言っていたらしい。

 その時は、大抵お腹が痛くなるそうなんです。
 やはり、ただものではないと思ったけど、私よりもずっと強いものをもっている
と感じました。 そんな話ばかりだったので、陰気くさくて面白くもないから
友人が帰ろうって言い出し、お開きになったのです。

 3人で料理旅館に戻って来ると部屋には既に、お布団が3人分並べられていました。
 美知子は、海側の端の布団がいいと言って、肌布団をパッと捲くったのです。
その時「キャ~」と甲高い悲鳴が・・・「どうしたの?」本人は、「嫌~。」と言って
廊下へ走り去ったのです。 何が起こったのか、佐奈枝とおそるおそる布団を見に
行くと、何と一面、水を撒いたかのようにびしゃびしゃに濡れていた。 佐奈枝も
悲鳴をあげて出て行った。 私は、臭いをかいでみたり(笑)小便であるわけが無い…
 周りを見回したり、何故こうなったのか調べていました。
 名探偵コナンのように。 暫らくして、美知子が、旅館の旦那さんを連れてきた。

 旦那さんが言うのには、「エアコンの水が漏れたようだ。すぐに、布団を代えるから。」
 その時、私は「旦那さん、すいませんけど、他に部屋ありませんか?」と言った。
 「あるけど、3人じゃ狭いから、駄目だ。 この部屋で我慢して下さい。」
 「いえ・・・その狭い部屋で結構です。 ここでは、休めません。」聞いていた
2人も「お願いします。」

 そんな訳で、こちらのわがまま? を通してもらって、部屋を代えて頂いたのです。
 私が調べた時、エアコンは窓側ではなく扉の横にありました。 関係ありません。
 でも、あの水は、霊の仕業では無い事もわかりました。 霊のものならば、特殊な
臭いがします。 あれは、無臭でしたので、誰かの嫌がらせか何かだと思いますが・・・
 はっきりしたことは解りませんでした。

 それにしても、布団を濡らす霊なんて聞いた事がない。 昔、タクシーのシートを
濡らす霊が出たのは、よく聞いた話だが・・・ 1959年9月26日和歌山県潮岬の西に
猛烈な勢力を保ったままに上陸し、5000人以上の死者を出した伊勢湾台風。

 この後、タクシーの後席を濡らす幽霊が現れる様になりました。 伊勢湾台風の
5年前、1954年に来襲し青函連絡船「洞爺丸」を沈め、1700人を超える犠牲者を
出した台風15号(通称洞爺丸台風)の記憶も生々しいまま、更に甚大な被害を
もたらした台風は「タクシーに乗って、我が家に帰る死者」と言う切ない怪談を
生み出したのです。水害で亡くなったから、シートが濡れる。そう言う事の様です。

 私達が生まれる前の大昔の話で、今や、話題にもならないほどです。 でも
奇妙な事が起こる時は、続きやすいので、場を変換する事も一理あるようです。



 

鏡に映った 納戸の扉

2009年07月21日 | Un fenómeno sobrenatural


 マーサの昔話、今宵は25歳の頃、親友と鳥取へ旅した時のミステリーです。
 親友の佐奈枝といつもの様にお茶していて「どこか行きたいなあ。 明日、砂丘を
見に行こうか。」なんて話していて、明朝の土曜から、行き当たりばったりで鳥取へ
行くことになった。

 仲のいい二人の電車での旅、時間はあっという間に過ぎて、昼過ぎに鳥取へ着く。
 青い空の下、砂丘へ行き海岸を歩いたり、らくだに乗ったりして楽しい一日を
過ごす事ができました。 ただ結構、風が吹いていて、気が付けば顔は、砂だらけ
話すたびに口の中も砂だらけで、ジョリジョリしてました。 お化粧していたので
砂がファンディーションにぴったりついて、化粧を落とさない限りは取れません。

 夕方5時近くになっていたので、宿を取りに駅前の宿案内所へ行きました。
 土曜日だったので、ホテル、ビジネスホテル、旅館はもう満室で、民宿しか
ないとの事、海の幸が食べれたらいいかなんて、適当な民宿に決める。 
 場所は、駅から歩いて10分位の所で、古い木造の2階建でした。

 ご主人が出てこられて、客商売に慣れていないのか、たどたどしい話し方での
接客。 薄暗い階段を上がって2階の奥の部屋だった。 他に何室かあるようだが
人の声は聞こえなかった。 食事は、奥さんが運んで来られて、部屋で頂く。
 甘エビを始め、海の幸は充実していた。 二人ビールで乾杯しながら
ボーイフレンドの話をしたり、会社の噂で盛り上がっておりました。 
 午後8時頃、1階の風呂場ヘ、ピチピチした二人の肩を、お互いに流し合いながら
湯船に浸かり、海の歌など歌っておりました。

 いいお湯につかったので、旦那さんにお礼を言いにフロントへ行くが、誰も
いませんでしたが、上の方では、男性のグループも来ていた様で賑やかでした。 
 友人が、他に泊り客がいて良かったねと胸を撫で下ろしておりました。 
 部屋に戻り、又、テレビを見たり雑談していたら、11時になっていましたので
寝ながら話そうということで、寝る準備をはじめました。
 
 先に、佐奈枝が歯を磨きに行ったのですが、1分もしない内に戻ってきました。
 「随分、早いのね。ちゃんと、磨いたの?」
 「・・・」見ると震えているではありませんか。
 「・・・メグ、私と一緒に行ってくれない?」
 「何だ、怖いの?」
 「お願い!」
 「いいのよ。 一緒に行こう。」 薄暗い廊下をぎしぎしと音をたてながら
共同の洗面所に着く。 洗面所の電気を付けると鏡に映った、納戸の扉が見えた。 
 二人で、話しながら歯を磨く。 気のせいかな、先程、納戸の扉を見た時は
ぴっしり閉まっていた。 それが、少しずつではあるが、2cm、3cm、5cmと
開いている。 磨き終えた時には、10cmも開いていた。

 私は、納戸に誰か隠れていて、私達を驚かそうとしていると思った。 二人で
磨き終わり、電気を消し部屋に戻った。 
 佐奈枝は私に「見たでしょう、あの扉。さっき、私が行った時もピッシリ閉まっていたのに、鏡を見るたびに、後ろの納戸の扉が少しずつ開いているのが解ったのよ。」 
 「ええ、確かに、これは気味悪いわ。 もし、この家族に変質者がいたら
襲われるのは嫌だものね。 私、ちょっと聞いてくるわ。」 
 「いや~ん、私も行く~。」

 そんな訳で1階のフロントに再び行き、旦那さんを呼ぶ。 奥の方から出てこられ
今、起こった事を話すと、「あ~その事ね・・・家の子供だわ。 お客さんが来ると
嬉しくなって、いつもああやって隙間から覗いているんですよ。」
 「ええ、こんな遅くに納戸へ入っているんですか?」
 「恥ずかしがり屋でね、顔を見られるのが嫌なんで、いつもあそこが家の子の
遊び場なんですわ。」
 「そうなんですか。 じゃ、中は物置じゃなくて広いんですか?」
 「客用布団を少し置いてあるだけですわ。 だから、たまに遊び疲れて
そのまま、納戸で寝てしまうこともあります。」

 私達はホッとして2階に上がり、そのまま休みました。 何事も無く、明くる日を
迎えられ、二人で洗面所に顔を洗いに行きました。 鏡に映った納戸の扉、ぴっしり
閉まっています。 確認しながら歯を磨く。 気がつくと5cm、8cm、10cmまで開いて
いました。佐奈枝と私は、果敢にも納戸の扉まで行き「お早う!」と扉を開けたのです。

 中は、布団、瀬戸物、たらいとかでびっしり物が入っていて、人の入る隙間も
ない位、一杯でした。 二人でそのまま、部屋まで戻り、さっさと荷造りを済まし
民宿を後にしました。 しばらく、二人は無言でしたが、佐奈枝が
 「やはり、民宿は駄目よ。 私、こんな怖い思い二度としたくないわ。」
 「じゃあ今度、串本のホテルへ行こうか?」 
 「そこは、賑やかなの?」
 「もう、うるさいくらい。」
 「じゃ、そこにしよう。」随分、意地悪な私。。。

 結局、訳が解らず仕舞いでしたが、これは、本音で私も怖かった。 
 あれ以上、連泊しなくて、良かったと思います。 
 する気もなかったですけれど、もし、連泊していたら・・・
 想像すると、又、般若心経を唱えたくなりますね。