goo blog サービス終了のお知らせ 

マーサの昔話

デジカメでの景色や花、動物などの写真
海外体験談、今日の一品、糖分控えめ?なおやつ等‥‥‥

怪奇日食?まで怪奇な話続けます

2009年07月20日 | Un fenómeno sobrenatural

 マーサの昔話、怪奇日食 じゃなくて、皆既日食の日まで、世にもミステリーな
話続けるぞ~~~

 早速ですが、私は高校生の頃に、部活の男子OB(当時、関西大学に通われていた
のですが)に、「マーサの目を見ると、霊感を感じる。」
 「そうですか? 私は先輩こそ、強い霊能力の持ち主である事が、最初に
お会いした時から、強く感じていました。」
 「う~む、、、さすがだな、マーサ、僕が見通せたようだね。」
 「でしょう!先輩、私とどちらの透視力がすごいか、勝負しましょう?」
 「うん?透視?どうする?」
 「簡単です。先ず、トランプの赤黒を分けるだけ。 ああでも、トランプが
なかったんだ。じゃ、正面から歩いてくる女性が左右どちらに曲がるか?」
なんて調子で、先輩が来られた時に、よく遊んだものです。

 高校生当時、私の透視力は、正直言って10%位に落ち込んでいて、殆ど無能に
近かったのですが、小学校の頃は、友人も怖がる位、的中、的中で自分でも
すごいなあと、今思えば、この能力を誰かに鍛えてもらっていたら、競馬の予想や
ロトなんて、大当たりして、今頃、左団扇だったのに・・・そんなレベルです。
 リングの貞子の様な、おどろおどろしい様なものではございませんので、ご安心を。

 私の透視力は、全く初めて行った所でも、どこに何があるかとか、大体、言い
当てられた事、これから、起こるであろう予知もしていて結構、当たっていました。
 ですから、遠足なのでクラスメートが一人だけいなくて、先生がよく私に
 「どこへ、行ったんだろう。」って聞きに来られた事もありました。
 その時、その子が、寺の境内の裏道を抜けて行ったのが見えたので
 (見かけたのではなくて、頭の中でVTRを見るように見えた)
 先生に言うと、先生達は、私達をバスで待たせて探しに行き、10分後、その子を
連れて、戻って来ました。 御礼に先生は、よくご自宅に招待してくれました。
勿論、私一人じゃなくて、親友も一緒でしたけれど。

 いつの日か、私の親友が夏休みにバスで福井の方へ海水浴へ行くと言っていたのですが
「やめたほうがいい。 電車にしなさい。」と言いました。
 親友は、私の予知能力が当たるのをよく知っていたので、家族に相談して
電車に変えたのです。 何か起こりそうな時だけ、その光景が見えてきて、すごく
反応するのです。 あまり、起こって欲しくなかったのですが、、、

 案の定、その海水浴に行った日の夜、ニュースで福井方面に向かっていたバスが
横転事故を起こしまして、幸いにも死者が出なかった事だけが、救いでした。
 親友から、お礼の電話がかかってきました。 「ずっと守ってね。」って・・・

 そう、これは、あまり書きたくないのですが、当時確率90%の出来事。
 それは、私は、小さい時から、お話が大好きで、こんな能力を持っていながらも
陽気で社交性があったので、クラスの人気者だったのです。
 
 人気がある反面、それを妬んでいじめてくる子もいたのです。 そんな時、心で
“嫌な子ね。”と思うだけで、最短3日、長くても3ヵ月以内には、私の前からいなく
なるのです。

 “いなくなる”と言っても、理由は、様々でした。 親の転勤とか、何かの理由での
引越しが殆どでしたが、私にとっては、嫌な人がいなくなる事で、学校生活はとても
楽しく過ごせて、辛い思い出は何もありませんでした。 今思えば、偶然が重なった
だけかも解りません。 ただ、そうして嫌な子が目の前からいなくなるのは、当時
私にとってはプラス方面に向いていたので良かったのですが、ただ一人だけ思い通りに
ならなかった男子がいました。

 同じクラスの男子T君でしたが、T君は放課後、神社に私を呼び出して、お金を
取るのです。 「おまえのところは、商売しているから金持ちだ。 0000円持って
来い。」毎回、お金を取られてました。 何故、T君の言うことを聞くのかと言うと
T君の父親が、地元で有名な00組の組長でして、子供心に違う面で、恐怖を
感じていたのでしょうね。

 言うことを聞かなきゃ、家族にまで迷惑がかかるかも、押しかけて来るかも
知れず、、、悩みました。 毎日、家のお金を黙って持って行き、又いつまで
こんな事が続くのかしらと・・・ お金の払えない子達は、暴力をふるわれたり
女の子は、セクハラされたりしていたようです。 この時、親がサラリーマン
だったらなあとよく思ったものです。

 そんなこんなで、一番消えて欲しかったT君だけは、私の前から消えずに半年が
過ぎ、皆、中学生になり、クラスも5から10クラスに、そして、いじめも無くなり
T君は、何と生徒会長になったのです。 それから、それぞれ、楽しい学校生活を
送っていたのですが、1年の夏休みの頃から、部活の帰りにT君は、私の親が経営
していた店に、毎日通っているのを、ある日見たのです。

 結構、沢山食べていましたから、今の値段でしたら、1000円位? 部活の帰り
だったら、今ならジュースにハンバーガーとかで、500円位でしょう。
 帰宅すれば、夕食があるのですから。

 罪滅ぼしのつもりでしょうか? 小学校の時に、私から巻き上げたお金を
返金しているように思えました。 何故、非行少年T君が改心出来たのでしょうか?
 理由は解りませんが、私の何かの思いが転じて、改心できたのなら上出来ですね。


哲夫おじさんの帰還

2009年07月19日 | Un fenómeno sobrenatural
 今日は、私の母から聞いた話を書きますね。 ミステリーな話ですが、すごく悲しい
話でもあります。 私の母は末っ子で親子ほど年の離れた、兄や姉がいたそうです。
 昭和19年、そのお兄さんが志願兵で中国へ行き、戦闘で若くして命を落とされた
そうなのですが、その前日に奇妙な出来事があったというのです。

 母の実家は、昔ながらの庄屋で、大きなお屋敷に住んでいたのです。 そして
母のお母さんは、母を40代で産んでおりますので、小学校の参観日などは、友人に
「OOさん、おばあさんが来ているよ。」と言われた位で、恥ずかしくて、それ以降
姉に来てもらったそうなのです。 母のお母さんは、敬虔な宗教家で、家には立派な
祭壇があり、いつも拝んでおられて、小さい頃からそれを見ていた母は、何て暗くて
陰気な・・・と自分の家をあまり好きではなかったようです。

 そんなある日の夕方、二人は居間にいたそうなんですが、玄関の呼び鈴が鳴ったと
玄関に行ったお母さんが誰かと話しているようなので、誰が来たのだろうと母は見に
行ったのです。 すると、誰もいないのにお母さんが一人話しているのだそうです。
 「哲夫、よく無事で帰ってきたなあ。どれだけ、心配したことか・・・」泣きながら
 「さあさあお上がり、お風呂沸いているから、入りなさい。背中を流してあげようね。」
 と言うなり、お母さんは、何か手に持っているような仕草をして、風呂場へ

 母は子供だったので、何が起こっているのか解らずじまい。 後、ずっと、様子を
見ていたようなんですけど。 お母さんは、楽しそうに、哲夫おじさんの好物だった
料理を作り、一つ多いお膳に、それらを並べて、誰もいない筈のお膳の主
ずっと話し続けていたそうです。 布団も一人分、多く敷いていたらしい。
 
 それから、3日後、哲夫おじさんの戦死の知らせが来て、お母さんは、「哲夫は
3日前、挨拶に帰って来てくれたんやね。」言っていたらしいのです。
戦死の知らせが入って数ヵ月後、家に届いた骨壷の中身は葉っぱ1枚だったらしい。
 きっと、最前線で戦われたのか、その部隊が全滅したのか、誰にも遺品を
回収されることがなく、その地で亡くなった悔しい思いが、霊になって帰って
来られたのか、何となく、解るような気がしました。
 その話を聞いた時、私も子供だったのですが、涙が止まりませんでした。

 その話は一応ここまでなんですが、、、いや、ここまでじゃなかったのかな?
 私が17歳の時のある日の夜、居間でポテチ食べながら、テレビ見ていたのです。
 そしたら、いつからか“リンリン・・・リンリン”という感じ、風鈴の様な音が
耳につくようになってきて、その音がどこからしているのか、ずっと辿って行った
のですが、次男の部屋から聞こえてきます。家族全員呼んで、鈴の音がどこから
鳴っているのか、探してもらったのですが、誰にも聞こえてはいなかったのです。

 皆、「お前の耳がおかしい。」と言って、取り合ってくれなかったのです。
 私一人で、いろいろ考えたのです。でも時期的にも風鈴を付ける時期ではなくて
理由が解らずじまい、この夜ずっと、音は鳴り続けていました。

 この話も一応ここまでの事なのですが、、、、いや、やはり続きがあったのです。
 私が26歳の頃、田舎のおじさんが亡くなった時(母の兄弟の長男)、ちょうど
母が更年期障害のきつい時でして、お葬式に出れないということで、私が代理で
飛行機に乗り、幼い時に1回(両親が商売をしていたので、夏、冬休みになると
親戚の家によく預けられたが、その内の一軒)来たことがあったので、行かされた
のです。滞りなく式も終わり、最後に母の先祖代々の墓参りをして行こうと
大きな敷地のOO家の墓地内に入る。 草むしりをして、数基の墓の名を見て行った
のです。

 OO哲夫之墓 享年20歳 昭和19年11月OO日没 あっ・・・私は思わず絶句しました。
 11月OO日この日は、忘れもしません。17歳の頃、次男の部屋で鈴の音が聞こえた
月日でした。哲夫おじさんも次男でした。単なる偶然か・・・私のそら耳だったのか・・・

 帰宅してから、その旨、母に報告しながら、昔、聞いた話をもう一回、聞いてみた。
 全く、話に変化が無く、私が記憶していた事と同じだったのですが、最後に
質問した事・・・
 「ねえ、呼び鈴が鳴ってお母さんが玄関に行ったとか言っていたけど、聞こえたの?」
 「いや、私は聞こえなかった。」
 「でも、その当時、呼び鈴なんてあったの?」
 「今みたいに、いいものじゃない。風鈴みたいなもの。リンリン・・・リンリン って鳴っていたなあ・・・」 
 

舞っている 日本人形

2009年07月18日 | Un fenómeno sobrenatural

 小学校に上がる前迄、私は大好きな母と一緒に少し大きめの布団で寝ていました。
 母は、日本人形が好きで、事ある毎に父は母にガラスケースに入った日本人形を
プレゼントしていましたので、家に沢山飾られていました。中でもひと際美しい
顔の芸者人形と藤娘が母の部屋の整理箪笥の上に置かれていたのです。

 昼間、その二体の人形の目を見るとまるで生きているかの様に見えたものです。
 いつも母は、豆電球の灯りだけ残して休みます。ある夜私は、真夜中に目を
覚ましたのです。すると、天井に日本人形のシルエットが映っていて、何故
ガラスケースに入っている筈の日本人形が、天井に映るのか不思議で、じっと見ると
シルエットとなった人形が、動いているではありませんか?ええ~嘘?恐る恐る
人形の方に目をやると、二体の日本人形が日舞を舞っています。私は、それを
怖がらずに、ずっと眺めていました。

 明くる日、母にその話をしたら、すごく気味悪がられて、その夜から電灯を全部
消すようになったのです。電灯消しても、窓からの光なので、未だ、踊っているのが
見えたのです。 でも、それが一度も怖いとは感じた事がなかったのです。
 だから、私は部屋を真っ暗にしないと、いろんなものが見えたので、見えると
気になって、いつまでも見てしまうので、電気を消す習慣ができてしまったのです。

 部屋を真っ暗にしないと寝れない習慣は、今も続いていますが、子供の頃の様に
不思議な事に遭遇したり、見たり、予知の能力は、残念ながら、現在、殆ど残って
いません。何の力も残っておりません。今は、もう抜け殻?のようです。

 私の超得意技が、いくつかあったのですが、今日は、その二つを紹介します。
 一つは、怖い夢を見て、今にも自分が襲われそうになる、、、その時、私は
夢の中の私に話す事が出来るのです。「これは、現実ではない。夢だから、安心して
でも、このままじゃ、あなた、襲われるわね、、、そこで、寝たふりをしなさい。
そうすれば、あなたは、目が覚めるから。解ったわね。」と話すのです。夢の中の
私は、寝たふりをする、、、すると、決まって目が覚めるのです。
 起きた時は、怖い夢を見たものですから、心臓がドキドキしていました。けれど
夢の中で、襲われたことは、一度も無かったのです。

 もう一つは、これは高校時代によく使った特技です。思春期ですから、素敵な
人に片思いをしますよね。でも、私は、直接態度に出さなくても、相手を思う
だけで、大抵、相手を振り向かす事が出来ました。そうすれば、より取り見取り
こんないい特技は無い筈なのですが、相手が、こちらに振り向くと、私は嫌に
なってしまうのです。これが、少しいや大分意味不明。私は、振り向いてくれない
人が好きなのです。でも、思うと振り向いてくれるのです。何か自慢話みたいで
嫌なんですが、これが、私の人を操る?事ができた特技だったから、仕方ないのです。

 今、この特技が使えたら、毎日、楽しいだろうなと思うのですが、年と共に
その能力も失せてしまいました。これは念力に入るのでしょうかね。そんなに
深く思いませんよ。ただ、後姿をじっと見つめたりすると、絶対振り返りますね。
 相手に見えないビームの様なものを送っているのかしら。私ってエスパー?
 

 

串本Sホテルに座敷童子が・・・

2009年07月17日 | Un fenómeno sobrenatural
 暑い日々が続いておりますが、皆様、如何お過ごしでしょうか?
 一日エアコンいれてるから大丈夫 ?
 一日中、エアコン漬けというのは、身体には良くないですよ。

 この話を読んで、少し涼しくなりませんか ?
 といっても、あまり怖くないので、涼しくなるのはあまり期待できないかな ?

 マーサの昔話・・・今から26年前の9月の話です。私がイギリス留学を終えて
 イギリス留学を推薦してくれた先生に、お土産を渡すため、串本を訪れた
 時の話です。

 先生は、白浜の学校の先生で、白浜駅で待ち合わせして、車でご自身の実家迄
 連れて行ってくださったのです。ご実家では、おばあ様が海の幸のお料理を
 ご用意して待って下さって、先生のお父様と4人で、心のこもった食事を頂いて
 とても嬉しく思いました。

 先生の部屋にも案内して頂き、先生が普段どんな本を読んでいらっしゃったのか
 よく解りました。まさにイギリス博士と言っても過言ではございませんでした。
 先生が、私と会うたびにイギリスを熱く語り、私もいつしか洗脳されたのかも
 知れませんね。見た目も、とてもハンサムで背が高くてイギリス紳士そのものです。

 私の拙いイギリス談議を、ニコニコと嫌な顔一つなさらず、どんな小さなエピソードも
 聞き逃しません。素晴らしい先生です。当然、質問の嵐は凄かったですよ。
 そんなこんなで、時間にして2,3時間ほど話したでしょうか。

 そろそろ、休む時刻になってきたので、先生のお父様がSリゾートホテルの
 何室かのオーナーでして、そちらの方へ泊まって下さいとの事で、早速
 案内して頂く。ご実家から、歩いてすぐでした。3階建ての真っ白な建物です。

 1階のロビーの灯りも消えていて、先生が灯りを付けられたのですが、全く
 人の気配が無く、聞くと管理人がいるので、大丈夫との事。9月中ごろは
 もうシーズンオフ、全く人気の無いホテルです。2階の奥の方に案内されて
 一通り、部屋の使い方を説明して下さって「君一人でこの部屋は、広すぎて
 少し淋しいだろうが、僕が泊まる訳にもいかないので帰るよ。」と言って
 帰られたのです。

 私は、余り静かなのでテレビを付け、ボリュームをあげて、しばらく見ていた
 のですが、一日の疲れを取ろうと、お風呂に入りました。お風呂から出て
 窓を開けると、真夜中の太平洋が・・・向かいには大島の影が・・・波の音が
 心地よく、しばらく海の歌など、口ずさんでおりました。時間は1時を過ぎて
 いたと思います。10畳の和室の真ん中に、布団を引いて、電気を消して
 横になりました。

 テレビも消して、電気も消して、静かになったのですが、若い人の話声だの
 笑い声だの聞こえるじゃないですか。しかも、廊下を2,3人で走ったりしてる
 何だ、少しは泊り客もいるんだと思い、ほっとして、さあ寝ようかと思い
 目を閉じますと、今度は、私の布団の周りをぐるぐる走り回っている音がするのです。
 
 いわゆる絹ずれの音です。絹の着物って、独特の音がしますよね。その着物を
 畳の上で引きずって歩く音。そのスピードが速い。私は、思わず「うるさい!」
 って言ったのです。でも、その音は止みません。私は、その時怖いというより
 うるさいという思いの方が強かったので、とりあえず、電気をつけたのです。

 電気をつけて、寝ますと、先程の若者達の声もしないし、絹ずれの音も全く
 しないのです。でも、私は小さい頃から、部屋を真っ暗にしないと、寝れない
 のです。そして、又電気を消す。走り回る音が、もううるさくて眠れる状態では
 ない。仕方なく、又、電気を付け、テレビも放送が全て終わっていたので
 ひたすら本を読みまくる。
 
 真っ暗だった海が、だんだん明るくなってきて、私は、ようやく寝ることができ
 朝、先生が起こしに来るまで、全く気が付かなかった。

 「朝食の用意をしていたのに来ないから、心配して来たんだ。よく眠れましたか?」
 私は思わず先生の顔を見て、「昨日、若い人が何人か泊まられていて、結構
 賑やかだったんで、あまり、眠れなかったんです。」と言うと、先生は
 「やっぱり、若い人が泊まりに来ていましたか・・・」と言って、私に「早く
 ここを出て、朝ごはんを食べに行こう。」と、誰もいない静かなホテルを出て
 行った訳です。

 その時の先生の慌てよう、多分、先生は、私が鈍感女で、何も感じない図太い
 イメージをお持ちだった様子。私の朝の話を聞いて、申し訳ない事をしてしまった
 という態度をお見受けしました。そうなんです。私は、小さい頃に、霊感と
 予知能力がものすごくありまして、いろんな体験をしております。でも、思春期に
 入ってから、その能力は、全て無くなった筈だったのですが、少し残っていたの
 かしら。 昨晩、この部屋に入った時、この部屋、嫌だなってすぐ感じたのです。

 でも、先生のご厚意で、お世話になっているのに、失礼な事は言えないじゃないですか
 ですから、布団の中で般若心経を唱えまくったのですが、途中から忘れてしまって
 忘れた所から、うるさくなり、どうしようもなかったのです。

 皆様、般若心経を覚えておいた方が、こんな時、役に立ちますぞよ。では又。

 ※ Sホテルですが、かなり大規模な改装工事があって、前と比べて、間取りも
 随分変わったようです。
 

夜のウォーキングの怪

2009年07月15日 | Un fenómeno sobrenatural

 私は毎夜8時から1時間ウォーキングに出るのが日課になって、はや4か月目を
向かえました。ウォーキング年齢は、おおよそ20才代が10%、30才代が10%
40才代が30%、50才以上50%位です。親子、友達同士、同居人同士?、一人でと
様々な方々が、最低20分~2時間位まで歩いておられます。

 ダイエット目的、健康維持の為、運動不足の人、内臓脂肪の多い人、医師の奨め
犬の散歩、家が暑いから、まあ、それぞれの理由があって、黙々と皆、歩いている
訳ですが、夜、歩いていますと、結構、昼間見れないことも見れたりします。
 例えば、夜逃げ、夜の間に小さなトラックがマンションの横に止まっていて
人目を気にしながら、こそこそと引越しをしている。ホームレスが寝るところを
探していたり、酔っ払い同士のケンカ、公園で若者達が屯って騒いでたりするのです。
 でも、そんな様子を見ながら、歩くのも楽しみ? の一つなんです。

 私は、通常1時間歩きますので、結構いつも合う人達お互いが、顔を覚えていて
”ああ今日も歩いてるな。”って感じで行き過ぎるのですが、でもある日、いつも
すれ違う筈の何十人かの人達に、不思議と全く合わない日があったのです。
 その日は、風も無く、むしむしした夜だったのですが、どういう訳か、途中から
鳥肌になって、ぞくぞくしだしたのです。風邪でもひいたかな位に思っていました。

 いつも1周1kmを5周歩いていて、コース4周目に入ったところで、やっと、いつも
一人でウォーキングしている女性と会ったのです。 でも、実は、この女性とは
2週間ぶりだったのです。 2週間前、近くのスーパーでその女性らしき人に
合ったのが最後でしたが、痩せていて、ぎすぎすした感じでした。 夜見た感じと
全然違っていたんです。夜に合う時は、この暑いのに長袖のトレーニングウェアに
長パンツで、そのウェアーのせいか、ふっくらして見えるので、ダイエットで
歩いているのかなと・・・勝手に想像していたので、随分感じが違っていたのです。

 その人とはいつもすれ違うのですが、この日私はいつもと逆方向から歩き始めたので
この女性が、私の前50mの所で、横の道から出てきて歩き始めたのです。
 でも、身長が高い分、私のほうが歩くのが早いようです。あっという間に差が
20mになって、抜かすのも気が引けるので、ずっと20mの間隔の距離をキープして
女性の後ろを付いていく様な感じで、歩いておりました。右側に角が見えてきた。
(下の写真は7時20分に撮った写真。妙な出来事が起こった時刻はPM8時50分です。)

            

            

 次の角を曲がると、真っ直ぐの一本道です。一本道の左は4車線の道路、右側は
マンションの1mの壁がずっと続いているのです。壁の向こうは木の植え込みに
なっていて、人が出入りができないようになっている。一本道の道幅は2m位で
街頭も充実していて、とても明るくなっている所でした。今、歩いている所は
薄暗くて、早く歩き去りたい所なのです。女性が角を曲がって、10m位に差が
縮まっていた位の時、私も曲がったのです。

            

 その時です。ええ~なんで~目の前にいた筈の奥さんの姿が、ないんです。
明るくて、見通しのきく一本道なのに、どこにもいないのです。先程、言いました
ように、車道と壁、横道のない一本道なんです。ああ~いやだ。いやだ。
 もう、さっさと帰ろうと、すごい早足で最後の1周も歩き終えて、帰宅しました。

 その明くる日から、コース変更して、30分早く家を出るようにしています。
 結局、消えた理由が解らずじまい。息子が言うには後ろを付けられているのが
嫌で、コーナー曲がった瞬間に、猛ダッシュで走り去ったとか言ってますけど
横道のある所まで300m位あるんですよ。私との差が10m位ゆっくり歩いても20秒。
 300mを20秒で走れますか? 無理でしょう! 誰か解明して!